(自称)美少女探偵明石紫苑の華麗なる推理

渡月鏡花

1章

第1話 始まり始まり

 蒸し暑い空気が頬に当たり、急いで一年A組のドアを開けようとした。


 鍵を差し込んで回すと「カチ」という音と共に施錠されてしまった。


「……?」


 暑さのあまりどうかしていたのだろうか。

 施錠が解除されたにもかかわらず、それに気づかなかったようだ。


 もう一度、鍵を右に回す。


 自分の不甲斐なさに若干辟易しつつドアを引くと、ガタガタと音を立てた。


 その途端に誰かがつけっぱなしのままにしていたエアコンの冷気が外気の生温かい空気と混じり合って俺の頬に当たった。


 首元から流れ落ちる汗を拭っても、不快さはイマイチ拭えない。


 手持ち無沙汰になった教室の鍵は、教卓の上へと無造作に置き、早々にエアコンの温度を20度まで下げた。


 後から教室に入ってきたクラスメイトの1人が「寒っすぎるだろ」と抗議の声を上げるのが聞こえた。


 ワイシャツに袖を通しながら「体育が終わった直後だし、これくらい良いだろ?」と答えた。


 「まあ、それもそうだな」などと誰かが返事した。


 それから続々と男子生徒がクラスに到着し、テキパキと着替え始めた。


 2、3分して、女生徒たちが続々と更衣室から帰ってきた。


 彼女たちは愚かな男たちを惑わせる香水や制汗剤の甘い香りを漂わして、バタバタと席に着いた。


 そして事件が起こった。


「あれ……お財布がない」


 桃山玲が隣の席の関に向かってつぶやいたことをきっかけに、関が「誰か玲ちゃんの財布知らないかー?」と大袈裟に声を上げた。


 ガヤガヤとした喧騒がクラス内を支配し始めた。


 流星が俺に振り向いた。


「なんだかきな臭いな」

「とりあえず、面倒なことには関わらないのが一番だろ」

「まあ……そうだけどさー」と流星はポリポリと赤い髪を掻き「ちょっと、事情聞いてくる」と席を立った。


 流星はチャラチャラした外見とは違って、お人好しな性格を発揮した。

 中学生の頃からの付き合いでも流星のことがわからない。わざわざ面倒ごとに首を突っ込みたがるのはなぜなのか。


 波紋のように広がった喧騒は、俺のいる窓際の真反対に位置する廊下側では一大事となっていた。数人の男子生徒が立ち上がり、桃山玲を囲うようにして財布探しを始めていた。


 渦中にいる桃山玲。

 当の本人は黒く長い髪を耳にかけて、少し屈んでバックの中身を確認しているようだ。


 白い頸をこちら側に見せつけているようなそんな錯覚さえ抱いてしまった。


 桃山玲は今にも消えてなくってしまいそうな存在で儚げな女の子。


 そう思ったのが第一印象だった。


 少し垂れ目の二重、色白い肌に、背中まで綺麗に整えられた黒い髪、旧家の御令嬢として、品のある立ち振る舞い。


 容姿端麗、品行方正であるが故に、クラスメイトからはまるで蝶よ花よと育てられる幼い子供のように過保護に扱われている。


 もちろん桃山玲が自分自身のその扱いを意図して、放置しているのかは判然としない。


 ただ、おっとりとした雰囲気と誰にでも優しい性格は、男子生徒たちを勘違いさせるのには十分だった。


 昨日の放課後、知らない男子生徒がわざわざ一年A組の教室に現れ、人気のない教室ーー正確には俺が唯一帰り支度をしていたのだが、桃山玲に告白をし、その場で振られる光景を見た。


 あの時、桃山玲の瞳は一瞬俺に向けた後、口元に笑みを浮かべた。まるでわざとその光景を見せつけているかのように。


 そんな気色の悪い光景をかき消すようにして、視線を窓の外へと向けた。


 ツンツンと制服の袖が引っ張られ、横に視線を向けると、明石紫苑は好奇心の強そうな大きな瞳でじっと見ていた。


「……なんだ?」

「玲ちゃんの財布がないみたいなの……」

「そうみたいだな」

「そうみたいだな、じゃないでしょ。藍沢は何か知らないの?」

「知らん」


 そう断言してから俺は明石の視線から逃れるように窓の先へと戻した。しかし、どうやら明石は逃してくれないらしい。


 明石は電光石火の如く、俺の耳元に近づいた。ミディアムボブの髪がふわりと舞って柑橘系の甘い香りがかすかに鼻腔をくすぐった。


「藍沢雄太くーん……あの蜜月のことをバラされたくなかったら、こっち向きなさい」

「っち」

「あ、舌打ちしたー。言っちゃおうかなー」


 チラッと横目に伺うと、明石はにやにやと口元を僅かに歪めていた。


 くっそ、俺を揶揄っているのは明らかだ。


 明石は「私何か言ったかしら」と言わんばかりのおとぼけた面で僅かに首を傾げた。その表情に同期するように、ミディアムボブの黒い髪がかすかに揺れた。


「何をさせるつもりだ?面倒ごとには––」

「ふふ」と含みのある笑みを浮かべてから、明石は咄嗟に席から立ち上がった。椅子がフローリングに掠れて「キー」と甲高い声のような悲鳴が一瞬響いた。まるで俺の内心を代弁しているみたいだなと、どこか他人事のように思った。


 いや、そんな現実逃避をしている場合ではなかった。


 この後の面倒ごとに対処しなければならないのだから。


 教室の喧騒が一瞬にして静まり、明石紫苑の元へと四方から視線が向けられた。


 そしてーー明石はやたらと気合いの入った声で言った。


 「その問題、私たちミステリ研究会が引き受けます!」

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