罰当たり大天狗と大江山の伝説

発端

「アタシを通してもダメだろ、そんな事」


 彼女はひんやりとした目付きで私を睨んだ。ちぅ、とアイスコーヒーをすする私を尻目に、尚も彼女は続ける。


「いくら伊邪那岐いざなぎ様や伊邪那美いざなみ様が耄碌していたって、一応は神様なんだ。下手な事をすりゃお前、死神でも手配されるんじゃないのか?」


 自分の上司の、更にそのまた上の上司を耄碌扱いである。今時の若手でさえ、もう少し上司を立てて表現するものだろうに、彼女は全く気にも留めていない。


 神代過ぎ行きはや数千。とはいえ、神なんだからその桁は耄碌するにはまだ早いだろう。

 彼女の立場から日本の神話のトップをジジババ扱いとは、なかなか彼女らしい、ふっ飛んだ発言だ。


「お前さん、自分の上司に容赦無いね」

 彼女​───狐白こはくの脅しに茶々を入れると、今度は「ばかたれ!」と怒鳴られた。


「人間もそうだが、お前も同様だ、絶巓ぜってん!信心深く日常を生きよとは言わぬ、だが神を軽んじているうちは、お前たち一族に明るい未来はないと思え!」

 言うだけ言って狐白はテーブルを離れる。金と白の混じった綺麗な長髪をなびかせ、喫茶店のドアを勢いよく閉めた。


「なんだい、狐白ちゃん、帰ったのかよ」

 店のマスターが煙草を片手に、狐白のいた席に腰掛ける。「やっこら…さ」

「お前、仕事しろよ」

「バカ言え」

 そう呟きつつ、手元に持ってきた灰皿へ煙草の灰を落とした。「客が来りゃ話は別だがな、お前しかいないんだから真面目にやる義理は無いわい……ふぅ」


 やる気の無い表情のマスターを見ていると、何だかこっちまで気分が落ち込む。

「さて……困った事になったが…​───」

 鼻の頭をぼりぼりと掻きつつ、私は思案した。


 〇


 先立ってお断り、宣言しておこう。

 これから先、読み手側諸君ら人間の日々日常のスケールの中には無い事象が多いために、今、ここで私の身辺のあれやこれや述べておく。

 その方が後々混乱を招かないというものである。何事も予防線を張ることが世渡りの基本になるのだ。


 私は絶巓ぜってん。日本の空の先駆者、天狗その者である。


 七代目 日乃本天狗総領主 絶巓斎なんて仰々しい名前はあるが、そんなものはお偉いさんに名乗る時にしか使わない。

 例の喫茶店のマスターや、物の怪の頭と初対面した時くらいだ。


 ……おや?どうした、読者諸君?

 我々も客である、とどのつまり『お偉いさん』みたいなものである……と?


 残念。

 私は諸君らのように我々天狗や妖怪、神に仏、その他諸々を「幻」やら「伝説」で纏める相手が心底嫌いなのだ。


 仮に自分たちが未来、何か途方もない技術を以て滅んでしまい、ほんの一握りの人間が生き残ったとして、だ。

 その間の数千年で、諸君らに携わる書物や資料も殆ど消え失せ、更に新しい知的生物がこの世を統治していた時。

 その知的生物が諸君ら人間を『空想上の事象』の末端として扱われる未来を想像して欲しい。

 それが実際、我々が今受けている現況に他ならないのだ。


 例示が飛躍したために戻るが、要はそういう事である。時代が変われば存在も薄れるのは致し方ないとして、ただ確かに存在した事だけは言える。

 もし諸君らの中に僅かでも、その眉唾の存在を信じる気持ちがあるなら、その時は改めてご挨拶といこう。


 ……我々と諸君ら人間との確執どうこうの話は、どうでもいいだろう。

 肩書きの通り、天狗の総領主、つまり全天狗のトップ。それだけだ。


 私が総領主の椅子に就いて百数十年。先代辺りで天狗を含めた物の怪の類の眉唾的未確認生物としての扱われ方が加速し、私の代でも留まるところを知らない。


 かといって現世の我々がやる事と言えば、烏天狗や鞍馬天狗、今は殆ど見かけなくなってしまった女天狗などを従えながら空の散歩に行くくらいなものである。


 最近では飛行機の便に合わせて飛ぶ時間を考慮しながら、飛行機らとのニアミスを防いでいる。人間様の利便性に合わせて生きるというのは、なかなかどうしてストレスがかかる。


 別に飛ぶ事がマストではないため、若い天狗などは人間と同じく新幹線や、それこそ飛行機で移動を行う。


 実は、我々天狗は人間との風体の違いは殆どない。羽根も使いたい時に背中の弁から湧き出るし、せいぜい少しばかり耳長なくらいだろう。


 よく書物やイラストで恐ろしく鼻が高かったり顔が赤かったり表現されるのは、まあインパクトであり畏怖の目的があるのだろうが、ちょっと侮辱気味に感じる。


 部下である烏や鞍馬といった小天狗はその見た目の違和感の無さを遺憾無く発揮し人間の街並みに消え、大天狗は古いしきたりに従い人間のハイキングコースと化した山で細々と暮らす。

 部下の生活は完全に人間そのものであり、上司である我々大天狗の生活は完全に不審者そのものである。


 もはやこのまま天狗という種族が消え失せ、ちょっと神通力の使える風変わりな人間という立ち位置に落ち着いてしまうのではないか、そんな予感もうっすら感じている。


 そいつは困る。

 神代中期という、人が地を統治する前から存在する我々を、後から我が物顔で土地を占有し出した連中と一括りにされるのは、矜持というか、心持ちが悪くて敵わない。


 別に種の存続がどうこうと言うほどの想いはないものの、それにしたって、忘れられたり、そもそも存在を空想化されるのは誰だって嫌である。


 そういうわけで、私は今「怪しくて存在するのか分からない変態的生物の存在を顕にする」というのを生き甲斐にしている。

 知恵を持ち、日常を余計な思考に支配されながら無駄に生きているのは人間だけではないと、それを伝える事ができるから。……というのは、まあ半分本当なようなものではあるが、本来の目的は別にある。


 私が生まれて数百年した頃、世の中には「オカルト誌」といったものが流行した。


 曰く、ある年のある日に地球が滅ぶと。


 曰く、湖の岸辺で首の長い化け物を見たと。


 曰く、今は亡き海底の都市が存在したと。


 それらは私の冒険心をくすぐるには十分すぎた。


 先代の小間使いであった私は、更に先代の部下である小天狗を小間使いとして人の街へと送り、オカルト誌を大量に買ってこさせた。

 元より勤勉な性格の天狗において、絵付きの文章などはお手の物である。

 私の頭の中には、UMA未確認生物や超古代文明、更には人の世の秘密結社までが記録されている。


 知りたい​───


 種の存在を暗に知らしめる目的のものは、実は単なる私の好奇心からなるものであった。

 ただ、それを「下らない道楽、やり方が莫迦そのもの」と言ってのけるのが、さっきの狐白である。


 私が天狗の総領主であるなら、彼女は稲荷の元締めと言える。実際そうである。


 稲荷神、宇迦之御魂神ウカノミタマノカミの眷属。日本全国の稲荷神社の元締め。要は取締役と言える。


 宇迦之御魂神の遣いである狐白以下各位は、現世で受けた信仰心からなるエネルギーの再分配を行い、人々の豊作を請け負う。

 つまるところ豊穣の神だ。


 狐の毛色が金色なのは、実る稲穂を模しているからなのか。過去に狐白へ訊ねた時は「知るか、そんなの」とそっけない返事をされた。


 神の眷属の元締めというだけあり、実質的な立場は私よりも上になる。

 しかしながら、彼女とは生まれた時からの仲である。

 地をトコトコ歩く彼女の横で、私はふわりふわりと飛びながら共に育った。今ではすっかり女性らしい綺麗な見た目になった。


 白とも金ともつかぬ美しい毛色は、彼女の美しさを更に際立たせる。

 並の男ならば、人間に化けた彼女にも惚れるレベルで美人であるが、唯一の欠点がその美貌を全て台無しにしている。


 口が悪い。

 めっぽう口が悪い。

 ただ悪いだけならまだしも、言葉遣いが非常に悪い。


 神の遣いだけあって信心深く、文化やしきたりを重んじる一方で、その心意気にはとてもとても見合わないほどの口の悪さを持っている。

 高天原罵詈雑言大会があれば、優勝間違い無しだろう。

 仮にも神の遣いという神聖な立場なのだから、少しは気にしたらどうだと言ったことはある。

「死ね、神代の恥晒し」と返され、その時ばかりは私も滅多に吹かさぬ旋風を吹かした。


 それこそ私にも、彼女にちょっとした恋心のような、甘酸っぱくて人に言うのも恥ずかしいような、そんな煮えきらぬ感情があったものである。

 だが、その一言以降、私は彼女に対する思春期的思いの丈を旋風と共に吹き飛ばした。


 そうして数百年が経ったある年、私と彼女は奇しくも同時期に今の立場へ成った。

 それがあったからとて何が変わるわけでもなく、またあの日の出来事を引き摺る事無く、我々は今の立場の者として、それぞれ相見えた。

 その後は結局今日まで、ただの悪友として現世を生きる仲のままである。

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