二
「いやなぁ、お前さんの話も聞き耳立てて聞いていたんだがな」
マスターが二本目の煙草に手をかけ、私に向かって言った。
「俺も狐白ちゃんに同感だぜ。いくら噂程度とはいえ、俺らの界隈でも有名な『アイツ』の墓荒らしなんざ無茶苦茶だ。お前が死んだ後は間違いなく地獄行きだぜ」
やれやれ、といったように私を横目に煙草を吸うマスターの風貌には、もう総大将としての威厳は無い。
私も今回ばかりは確かに無茶であるかと思い、溜息をつく。だが、諦め切れない。
「分かってるんだが……」
「分かってンだけど……なんだよ」
「分かってるんだが……気になるんだよなぁ……」
「分かってねぇじゃねェか!」
マスター───総大将───
気の抜けたような親父の顔が、不意に真面目に締まる。これは総大将の風格を纏った滑瓢そのものだ。
「いいか、俺の部下である数多の妖怪は『あいつ』を斃す過程で陰陽師らに殺されていった。更にその陰陽師を殺したのは『あいつ』だと今でも伝承がある。……もし仮に、今、この世で復活させてでもみろ。大パニックだぞ」
なおも滑瓢は続ける。
「伝承ってところが眉唾で、その真偽は同族連中ですらもあやふやだ。お前が首突っ込んでやれ復活だ、やれ何だって言っていいほど軽い存在じゃねェだろ『あいつ』は」
知略に優れ、頭脳明晰な滑瓢の本気の説得に、ほんの僅かに私の想いはたじろいだ。
だが、『それ』への仲間の想いは、どうしても見限れなかった。
私は椅子から立ち上がり、彼の前に片膝を付いた。
「……日本大妖怪総大将
「……苦しゅうない」
「かたじけない」
す、と立ち上がり、右手を胸にあてがい、私は再び続けた。
「此度の私の提案につきまして、貴重なご意見を頂戴し、感謝に尽きません。……しかしながら」
「……」
「しかしながら、彼の同族である友人の頼みは、断り切れません。したがって、滑瓢殿の想いを汲むことは叶わず、しかしながらそのお心遣いに感謝致し、私は此度の提案を実行致します」
数秒の沈黙ののち、滑瓢が参ったように口を開く。
「本当にどうしようもない莫迦者だな。狐白ちゃんが怒鳴るのも無理ねえや」
そう言って滑瓢は店前の看板をひっくり返す。『開店中』の文字が店内の方を向いた。
カウンターの向こうに戻った滑瓢は、背面の食器が入った棚にリモコンを向けてボタンを押した。
忽ち棚は下へと下がり、今度は上から酒が陳列された棚へと変わる。
並べられた酒のボトルの中から、無造作にウイスキーのボトルを手に取った。
「やれや、絶巓。お前の莫迦加減に乾杯だ」
2つのショットグラスに注がれたウイスキーが、外光に照らされて輝く。
「……乾杯」
ちぃん
子気味良い音を立てて揺れたお互いのグラスは、たちどころに空になった。
〇
日本妖怪の総大将、滑瓢がこの地に店を構えるようになったのは、私が隣の山に住み始めて間もなくの頃であった。
埼玉県秩父市、皆野町。
他県民からはバカにされ、変な呼称の多い埼玉。その上地元の人間ですら自虐に走るという悲しい運命を背負っている。
だが、実際は緑豊かであり、都会とのバランスがよく取れた県なのだ。
内面を知らずして外面だけを見て一方的に決められる様が、なんだか我々と同じ気がしてならなくなり、この地の天狗山に腰を据えた。
緩やかな山道はハイキングコースとして人々に扱われ、私がぐうぐう寝ているところに登山客から「こ、こんにちは……」と声を掛けられる事もままある。
私の日常的な風体は人間で言うところの二十代後半が近く、傍から見れば山中で昼寝をするサラリーマンのようなものだったようで、かなり怪訝な目を向けられた。
「見るんじゃない、下賎な連中め」と一喝してやれば早いが、そんな事をすれば更に怪しまれ、怪しいスポット扱いされること請け合いである。
過去に「人間を脅かしまくって、我々が実在する事実を白日の元に晒してしまえば早いんじゃないか?」と思った事があった。まさに怪訝な目を向けられたその日その時の出来事である。
あまり人通りのあるハイキングコースでもないために人間が訪れるのはまちまちであり、そんな中でも夕暮れ時の、足元も暗くなってきたところであった。
ここで一つ、とんでもなくびっくりさせて、その拍子に山道を転がり落ちて、更にその拍子に死体の一つや二つが転がっていれば……などと狂気じみた計画を立てている時に、登山者はやってきた。
「へぇ」だの「はぁ」だの、情けない溜息を零しながら登ってくるのは、やや小太りの五十代前半の男であった。
カーキ色のチェックのベストを身にまとい、やっとこさ、よっこいさ、といった様子でこちらへ向かってくる。
コースを外れた草木の中で、私はウキウキとその時を待ちわびた。
どうしてくれよう。脅かそうか、それともいっそ、突き落としてしまおうか。
考えるうち、男は私の真横まで迫ってきた。
今だ!───草を掻き分け、私が取った手段は「旋風で吹き落とす」ことであった。
男の眼前に飛び出た私は、相手が驚く暇も与えずに手元の扇を前へ仰いだ。
その手をはたと止められたのは、後にも先にもその時が最後である。
「見苦しいぞ、天狗の総領主」
さあ、扇ぐぞと構えた手はいつの間にか男に掴まれており、扇も彼の反対の手に持たれていた。
「離せ、人間風情が!」
それを聞くなり男は「おいおい」と笑う。
「天下の天狗様が、事もあろうに俺を人間と間違えるたぁ、こりゃ完全に頭に血が上ってると見える。落ち着けよ、総領主。よく見ろ、俺はお前の神通力の余波を辿ってここまで来たんだ」
私の腕を掴んでもなお余力を残す男の笑う顔を見て、段々と気持ちが腑抜けてきた。
腑抜けてきたところで、この男が人間などではないということが分かった。
これが喫茶店のマスターである、滑瓢との出会いであった。
〇
その日を境に、滑瓢と私は毎日天狗山で会話を交わすようになった。
天狗という存在が認知されなくなっていること。
妖怪も同様であること。
どう生きていくかを決めねばならないこと。
明くる日も明くる日も、答えの出ぬ問答を繰り返し、時には狐白も交え、数ヶ月した頃である。
滑瓢は皆野町の一角に喫茶店を構えたのであった。
「これからは『個』で意地を張るより『集団』で生きる方がやりやすいと思ったんでな」と言った滑瓢の経営は、本人の予想通り違和感無く進んだらしい。
その門戸は広く開けられ、人間はもちろん、人間に化けた妖怪だったり、狐白の部下だったり、たまには私も伺った。
忘れられても良いだろう。
自分がそこにいて、何者であるかを問わず他人が自分の存在自体を認識しているのなら、種族はなんだって良いじゃないか。
聡明な滑瓢が出した答えは柔軟で、優しかった。
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