10話 妾の恋した殿方は
◇◇◇
会話内容から推察するに、ラドロヴォールは聖女メレリアに恋心を抱いているらしい。
少なくとも、2人の関係性は単なる勇者一行の仲間というだけではないようだ。
ならば、ラドロヴォールを人質にするなり、盾とするような位置取りをするなりすれば無傷で脱出できる可能性が……
「戯言はそれだけですか、ゴールドさん」
……そうそう上手くはいかないか。
てか、おい。ラドロヴォール。好感度全然稼げてないじゃないか。聖女もう攻撃の準備に入ってるんだけど?
「真剣に戦う気が無いのなら、そこで寝ていてください」
「アレをやるつもりか。上等だ、俺様の覚悟が本物だって分からせてやるよ」
「……そうですか。ならば遠慮はしません」
何か来る。
発動前に聖女を無力化……無理だ。“聖天使”が睨みを利かせている。剣の間合いにすら入れそうもない。
ならば、とにもかくにも守りを固める。
双剣を前へ。身を屈め、前方に魔力の障壁を練って……
「――資格無き贄を神は求めず」
……不味い! この詠唱は!
「エイジ様! これは例の!」
「あぁ、分かってる!」
即座に練った魔力を霧散させる。
クリスやフィデルニクスから聞いて知っている。これから放たれる魔法に、剣や魔力の守りなど何の意味もなさない。
「――凡庸なる魂よ。慈悲深き御心に感謝し眠れ」
必要なのは1つ。心構えのみ。
これから放たれるは、ある種の精神攻撃。
「――求めるは唯、偉大なる戦士の聖戦なれば」
そもそもの話。デカい“天使”を召喚する程度ならば、フィデルニクスは“得体が知れない”“最も危険な力”と言い表したりしないし、アドラゼールと互角に戦えもしない。
「――白と黒。善と悪。光と闇」
聖女の魔法『聖天使』の最も奇怪で恐ろしい点は、それが掟破りの“複合魔法”であるという点に他ならない。
詳しい事は分からないが、1人に1つ固有の力であるはずの魔法を、聖女は複数使用できる。
魔術が魔法より優れている点は、修練を積めば際限なく数多の種類を習得できること。あらゆる状況に対応できるようになるという事こそ、融通の利かない魔法に勝る魔術の真骨頂である。
だが。聖女は違う。他の誰も再現できない魔法を状況に応じて使い分ける。
本当に、なんて冒涜的な力だろうか。
この力は才能の暴力。あらゆる努力を蟻のように踏みつぶす。
「――今此処に、世界は二つへ別たれる」
そして。今まさに聖女が発動しようとしている魔法こそは。
対多数、対軍勢の場面で絶大な効果を発揮する戦略的魔法。
“前回”にて、万の軍勢を一瞬で無力化した一撃。
その名も――
「聖天使。三之法。――聖別」
直後。
薄暗い回廊は眩い光に飲み込まれた。
◆◆◆
この場面で何故、よりにもよって三ノ法を選ぶ?
真白き光に包まれながら、妾は聖女の意図を測りかねていた。
確かに、驚異的であることは事実。
この魔法の効果は、一定以上の戦意無き者の行動を封じるというもの。
敵も味方も全て。己の命よりも大切な“戦う理由”が無い者は、誰であろうと指一本動かせなくなる。
率いる軍が使い物にならなくなってしまうのだから、“前回”では何度も苦戦させられた。
けれど、この魔法では、妾たち四天王や魔王様を始めとした実力者の行動を阻害することは出来ない。
実力のある者ほど、戦いに相応の覚悟で臨んでいるのだから当然と言えば当然。そういう者であれば少し心構えをすれば簡単に弾けてしまう。
……妾の場合、“人間を滅ぼす事”、即ち“戦う事”が骨の髄まで刻み込まれている故、少し異なるのだけれど。
ともかく、この魔法では強者の行動は止められない。
そして。此処にいるのは、妾とエイジ様と盗賊のみ。妾とエイジ様の実力は語るまでも無く高く、盗賊もそこそこの実力者。その他に率いている手駒も無いとなれば、ここで三ノ法を発動する意味は……
……否。かつて仲間として共に戦ったのだ。殺意が乗っていない分、盗賊の聖女に対する戦意が軽くなってしまうのは自明の理。
成程。かつての仲間を死闘に巻き込まないように……そのためだけに、これ程の大技を。
傷つけ合い慰め合う事こそ愛の本質だというのに、無粋な事を。
……とはいえ。
「 “前回”で…何度、振られたと…思ってんだ。この程度じゃ…この程度じゃ俺様の想いは折れねぇ!」
「……っ!」
動きは鈍く、息は荒くなり。それでも確かに、盗賊は膝を突かず耐えきった。
聖女は驚愕しているようだけど……。
「何も分かっていませんのね、あの聖女は」
先程の啖呵は正に愛の告白。
男があれだけの覚悟と共に吼えたのだ。無粋な魔法1つで止められる訳がないではないか。
義賊ラドロヴォール・ゴールド。
あらゆる点でエイジ様に及ぶべくもないし、男として妾の琴線には微塵も掠らないけれど。それでも、同じく愛に生きる者として、その心意気だけは賞賛に値する。
「……ゴールドさん。……そうですか。貴方も相応の覚悟で其処に立つのですね」
「へへっ…やっと、分かったかよ」
「ならば、もう手加減は出来ません。貴方も魔王に組する者として容赦なく断罪します」
「いいぜ! それでこそ!」
やっと男と女が本気で戦う覚悟を決めたらしい。
やはり愛はこうでなければ。
さて、負けてはいられない。妾とエイジ様の愛の深さも見せつけてやらねば。
「今度こそ大技が来ます、エイジ様! …………エイジ様?」
視線の先。
そこには、何倍もの重力によって押しつぶされているような……そんな様子で苦痛に顔を歪めるエイジ様がいた。
◇◇◇
何故だ。どうして動かない。
身体が言うことを聞かない。指一本動かそうとするだけで体力が底を尽きそうになる。
膝を突かないように耐えるのが精一杯。加え、それすら時間の問題だと感じる。
……まさか。
いや、まさかも何も無い。考えられる理由なんて1つだけだ。
一定以上の戦意を持つ者以外を強制的に行動不能とする聖女の魔法。それを弾き返せないのは、俺の戦意が欠けているからに他ならない。
そもそも根本的な話だが。俺は何のために此処まで来たのだろうか。世界中全てが強くてニューゲーム状態で敵。そんな鬼畜な難易度の旅を続けているのは何故か。
バルバルに引きこもって、師匠とウアと楽しく暮らすという選択だって出来たかもしれないのに、何故。
……そんなのは決まっている。妹の為だ。
“前回”で殺された可能性がある妹を守るために、世界の謎を解く旅路を始めた。
その後。何も無くなったバルバルの跡地を目の当たりにし、師匠とバルバルとウア……大切な3人の行方を捜すようになった。
その芯が揺らいでいる。
ウアが妹ではないかもしれなくて。今まさに目の前で敵対する聖女が妹かもしれなくて。
いや、そもそも。
1つだけ確かな事があって。ウアが俺に何か隠している……特に“前回”の話に関して嘘をついていたことは十中八九間違いないわけで。このどうしようもない袋小路の中、そんな絶望的な情報だけが確かな事実として目の前にあって。
血の繋がった妹だけでなく、ウアすら“敵”なのかもしれなくて。
……その場合、“敵”とは何なのだ。何に対する“敵”だというのだ。もはや、これでは俺が“敵”なのではないのか。
ウアの命を脅かす存在を敵と定めて走り出した。それなら、仮にウアと俺が道を違えているのなら、俺が真っ先に滅すべきは俺自身なのではないのか。
駄目だ。もう何も分からない。
戦う理由が。前に進む意思が。如何なる障壁にも立ち向かう覚悟が。
それら全てが根底から揺らいでいる。
もういっそ、このまま膝をついて、そのまま立ち止まってしまいたい。
永遠に歩みを止めて、そして――
「エイジ・ククローク!」
…………?
一瞬、誰の発した声か分からなかった。
だって、彼女はいつだって「魔王様」だの「エイジ様」だの仰々しい敬称付きで俺を呼んでいたから。
炎の剣で命を狙ってきた時以外、常に俺を肯定し続けた声だったから。
「あの日、妾に吼えた言の葉は偽りだったのか!」
“前回”における魔王軍四天王。吸血鬼の末裔にして、人間を滅ぼすべく生み出された“吸血鬼”。
そう。この叱咤するような声を発しているのは彼女……クリスティアーネ・マラクス・ガーネットに他ならない。
「全ての魔王を超えると! 魔王よりも主人公になって見せると! あの宣言は全てが出鱈目だったのか!」
その言葉は。
バルバルが消滅している光景に絶望した日。
師匠とウアが見当たらない現実に自暴自棄になりかけた日。
その日、確かに俺が彼女に向かって吼えた言葉だ。
「今の貴様では足元にも及ばぬ程に、魔王様は凛々しく気高く強かった! それで良いのか!」
……言いたい放題言ってくれるじゃねえか。
あぁ、くそ。良いわけがねぇな、その通りだ。
何がどうであろうと。“魔王”に負けるのだけは我慢ならない
「思い出せ、“エイジ・ククローク”とは、どういう男であったのかを!」
彼女の周囲には緋色の文様が無数に広がり、焔の如き紅の魔力が溢れ出している。
……どうやら、最大威力の魔術で聖女の一撃を相殺するつもりらしい。
いつのまにか俺より数歩前方に移動していた彼女の顔は伺えない。今、どのような表情で言葉を紡いでいるのかは分からない。
けれど。魔力の奔流の中で棚引く深紅の長髪を綺麗だと、そう思った。
「理由が分からないからと戸惑うのか! そのまま座して殺されるのを待つのか!」
――理由が分からないからと戸惑うのは馬鹿だ。そのまま殺されるのはもっと馬鹿だ。
「未知を前に足を竦ませるのか!」
――分からないなら、まずは逃げろ。時間を稼いで原因を探れ。
「何も成せず、道半ばで命を落とすのか!」
――話し合いやら仲直りがしたければ後でやればいい。命が無くなれば何も出来ない。
「妾の恋した殿方は…っ!」
「――もう良い。もう大丈夫だ。ありがとう、クリス。目が覚めた」
そうか。そうだったな。
それが俺だった。
危うく俺は、また俺自身を見失う所だった。
もう指も手も足も動く。剣が振るえる。術式が刻める。
“記憶事変”の謎を解き明かさなきゃならない。ウアと師匠とバルバルを見つけなきゃならないし、今一度しっかりとウアの話を聞かなければならない。いくつか再戦の約束みたいなものも残っている。
何もまだ成し遂げちゃいない。為すべきことは山積みだ。
だから、まずは――
「まずは殺意ガンギマリの妹に灸をすえて、次に噓つきの妹を一言叱ってやらなきゃな! 合わせろ、クリス、ラドロヴォール!」
「……はいっ!」
「了解だ、雇い主様!」
時間がない。最短の短縮発動で行く。
右手に構えた剣を反転。剣先を俺自身へと向け、そのまま左太腿を突き刺す。
さすれば、ポケットの更に奥、隠し収納に入っているバルバルの木の実が砕けると同時、噴き出した俺の血を吸う。
「二之法。――聖炎」
「――飲み込め、シュヴァルツヴァルト!」
「――燃やせ、
「――翻せ、
此処に、四者の渾身の一撃が交錯し、そして――
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