5話 ある騎士の回想


◆◆◆



『聖女の真実と、聖女増産計画』



 僕は無力だ。

 才能には恵まれていたと思う。親兄弟や友人にも恵まれていた。

 ……前世とは随分と異なる環境。何も成せずに死んだ僕に、神様がやり直しの機会を下さったのかもしれない。

 基本的には転生者が強力な魔法を発現することは無いけれど、僕はそこそこ有能な魔法に目覚めることが出来た。チートとは口が裂けても呼べない代物で、とてもじゃないけど無双なんて無理だけど、それでも使いようはある……そんな魔法だった。神様のような存在から祝福を受けているのだと、そう考えてしまうのも仕方ないだろう。

 そんな思いを抱きつつ、僕は必死に努力を重ねてきた。授かった環境に決して恥じぬ積み重ねをしてきたという自負はある。前世が持たざる者だったからこそ、自らが生まれながらに有する全てが如何に特別なモノか知っていた。それら全てを余すことなく使い切って、僕は今生を生きている。

 日々、魔術と剣術を鍛錬し、遂には教会騎士最強の8人“ゼリオス”として選ばれた。そのまま、聖女サニー様の護衛騎士という大任を任されてもいる。

 ゼクエス教徒として、騎士として、これ程までに名誉なこともない。僕は騎士として、王道にして最高の道を進んできたと言えるだろう。


 それでも、僕は無力だった。無力なままだった。

 だって、僕は。目の前で苦しむ少女1人すら救うことが出来ない。苦痛を抱えて生きる少女――聖女様の心身を救ってあげる事が出来ない。

 必死に考えたけれど、本人が望んでいないモノを僕は与えられなかった。

 自己満足の救済ほど偽善的で愚かしいモノはない。あくまでも救いとは、救われる側が判断するべきだから。

 

 救いを求めていない者を救うことは出来ない。


 助けてくれと一言でも彼女が言うのであれば。その手を僕に伸ばすのであれば。僕は全てをかなぐり捨てて彼女を救うために奔走しただろう。その覚悟は持っていたと断言できるのに。彼女はそれを望んではいなかったから。

 ……いや、これは醜い言い訳か。所詮、僕には覚悟が無かったのだ。国を滅ぼしてでも、或いは、世界を混沌に陥れてでも。世界全てを敵に回し、少女本人すらも敵に回しても。――それでも、たった1人の少女を救う。そういう覚悟が無かった。

 異世界転生をして、才能にも家族にも恵まれて。僕はもしかしたら主人公なんじゃないかって、そう思ったこともあったけれど。結局のところ、僕はただのモブだったらしい。


 それでも。

 それでも、あの計画を知ってしまったからには、何もしないなんて無理だ。――「聖女増産計画」なんて計画を知ってしまったからには。

 僕に彼女は救えない。けれど、後世の誰かの背を押す力になれるのなら。聖女を救いたいと願う誰かの助けになれるのなら。

 そう考えて、筆をとる。恐らく、この本は禁書指定になるだろう。しかし、それならそれで好都合。禁書指定になれば禁書庫に保管される。禁書庫の警備は尋常ならざるけれど、世界全てを敵に回そうとする大馬鹿なら何とかして見せると信じよう。

 そもそも、あの禁書庫のシステムは教会にとっての保険でもある。異端審問官を始め、教会には暗部も多い。それらが後世にて批判にさらされた際、内部告発をした教会騎士や司祭もいたのだと証明できるからだ。それによって、あくまでも当時の上層部が悪かっただけで、教会そのものや信徒、ひいては神々や教義に落ち度はないと言い逃れが可能となる。

 故に、僕のこの本も保管される。たとえ爆弾でも、難攻不落の禁書庫の守りさえあれば保管は可能……少なくとも、教会上層部はそう考えるはずだ。

 

 前置きが長くなってしまったが、許して欲しい。本を書くなど初めての事で勝手が分からないんだ。

 先ずは、そうだな。僕自身の事をもう少しだけ書かせてくれ。僕の固有魔法は「共感」。誰かの感情を自らに映し出すことが出来る力だ。どんな細かい嘘でも見抜けるとか、そこまで大それたモノじゃ無い。その時点で対象が抱いている漠然としたイメージを共有するだけ。けれどコツさえ掴めば、戦闘時の相手の焦燥や殺意を読むことが出来る。

 聖女護衛の任務を任された時も、僕は真っ先に彼女の心を自分に投影した。単純に、護衛対象の心理を知っておくことは任務遂行に役立つだろうと。それだけを考えての事だった。


 その結果、僕は一瞬にして気を失った。


 護衛対象を前にして、護衛する側が気を失う。初顔合わせにおける、赤面ものの大失態。今後百年は教会騎士団の中で語り継がれる笑い話になる事は間違いなく……けれど、そんな事は僕にはどうでも良かった。そんなモノは些末な事だった。


 僕は、彼女の心を映して気を失ったのだ。

 彼女の内面が、大人の男の……肉体も精神も鍛え上げられた教会騎士、その最上位の精神を一瞬にして蝕み、飲み込んだのだ。

 むしろ、僕ではない者が同じことを彼女にしていたらと思うとゾっとする。磨き抜いた精神だからこそ耐えられた。精神が完全に崩壊して廃人になっていても何の不思議も無かった。


 あの感情の濁流を、どのような言葉に表現すべきなのか未だに分からない。彼女と出逢った日から随分と経つが、一度は僕自身のモノとなった感情を言語化できずにいる。

 激痛などという言葉は生ぬるい。或いは、地獄の責め苦というモノが実在するのなら、ああいうモノになるのだろうか。

 ひたすらに押し寄せる痛みと苦しみ。痛い事が辛く、辛いことが苦しい……そんな風に、苦痛が少しずつ姿を変えて折り重なって。ただの痛覚ではなく、精神的な苦しみも伴って。全身が“苦しみ”で襲われているかのような――人間が感じることが出来る感覚と感情の全てが悲鳴を上げているかのようにも感じられた。


 目が覚めて直ぐ、枕元に聖女様が居て、倒れた僕を看病してくれていたのだと知った。人間側の重要な戦力として活躍する彼女は騎士団の中でも人気者……前世でいう所のアイドルのような存在でもある。だから、そんな女性に看病されたことは嬉しい事だった。……嬉しい事のはずだった。

 しかし、あんなモノを内に抱えたまま、ニコニコと笑いながら他者の心配をするなど狂っている。

 不気味だった。

 いっそ、全てが夢だと思いたかった。白昼夢の類だと考えた方が余程納得がいった。

 その瞬間、僕は確かに少女を恐れていた。

 自分より僅かに幼く見える程度の少女が、それまで相対した如何なる存在よりもおぞましいナニカに見えた。


 それでも。騎士としての使命感、もしかしたら男としての矜持かもしれない。僕は震える声でその問いかけを紡いだ。

 ――「聖女様は一体何を抱えていらっしゃるのですか」と。

 何かの間違いなら、僕が意味不明な質問をした変人として認識されるだけ。僕としては、そうであることを切に願っていた。

 けれど。その質問に、聖女様は驚いたような顔をした。それは、隠し続けたモノが発覚してしまった表情そのもので。同時に、僕はあの地獄が夢の世界では無い事を確信する。

 僕が自らの魔法の特性を彼女に語れば、彼女は諦めたように語り始めた。


 そして、僕は知った。

 “聖女”という存在の歪さを。僕たちの日常が、犠牲の上に成り立っている事を。


 そもそも、聖女は魔女。永き永き時を、老いることも無く生きる魔女を、強大な力そのままに人間の枠へと留めた存在。具体的には、内臓をはじめとした身体の各種器官を停止させ、苦痛によって精神を削り、結果として命を削り続けている。これこそが魔女を聖女とするカラクリ。言い換えれば、寿命を普通の人間並みにまで落とし込んだ魔女を「聖女」と呼称しているに過ぎない。

 僕が覗き込んでしまったモノは、聖女となった者が生きる限り永遠に……それこそ、寝ている時だろうが関係なく苛まれ続ける苦痛だったのだ。

 聖女となる処置を施された直後は、彼女も僕のように気を失ってばかりだったという。……単に、彼女は慣れてしまったのだ。あの地獄に。


 僕は彼女を化け物のように見ていた事を恥じた。こんなに気高く美しい心を持った存在を化物だと、そんな事を思う方が人の道を外れている。

 先程まで感じていた、死地にいるかのような緊張感は霧散していた。そして、僕は単純な質問を彼女に投げかけることにしたのだ。ひどく単純な疑問だった。今まで疑問に思わなかったことが異常であった。

 ――「なぜ聖女の寿命を削る必要があるのか」という根本的な問いである。

 聖女が人間の世界を守る最大戦力。最強の矛であり最強の盾でもあることは常識だ。であれば、彼女たちが長く生きていた方が良いではないか。数百年も生きて国を護ってもらえるならば、その方が絶対に良い。

 この問いに対し、彼女は驚くべき答えを返してきた。


 曰く。そもそも、魔女を人間と思ってはいけない。彼女たちは価値観が根本的に異なっているのだ、と。


 例えば、僕たち人間は動物の肉を食べる。目障りであれば虫を潰す。この「肉」や「虫」が魔女にとっての人間なのだと。彼女は語った。

 数百年も生きることから明らかなように、魔女は肉体構造から人間と異なってしまっている。それは思考回路も同様。魔力が容姿に影響を与えるというのは有名な話だが、これは言い換えれば魔力によって肉体が改造されるという事。それには当たり前のように頭脳も含まれる。教会上層部と当事者である聖女・魔女しか知らない事らしいが、彼女たちの思考は致命的なまでに人間からかけ離れ、ずれてしまっているのだと彼女は語った。

 人間が家畜を殺して食う事に必要以上の抵抗を覚えないように、魔女も人間を糧とすることに心を痛めたりはしない。例えば、人間を魔術研究の材料とするような行為にさえ……魔女が良心の呵責を覚えることは無いのだ。

 詳しい事は分かっていないが、魔女は己の知的好奇心に従って欲望のままに振舞う傾向があるという。どうして魔力の影響でそのような思考に変化するかは謎とのことだが、ともかく、魔女は人間とは異なる思考回路と肉体を有した、全く別の生命体なのだ。

 しかも、である。魔力によって変質するソレは、時の経過と共に一層進行する。数百年も生きた魔女はただの生ける災害。人類の敵と化す。


 ……思うに。魔力による変質は汚染の類なのかもしれない。健康のための薬も飲みすぎれば毒になりうる。魔力とはそういう代物であり、埒外の魔力を抱える魔女は急速に汚染されていくのだろう。

 故にこそ。

 そんな魔女を聖女とするべく、聖女育成プログラム『聖女の箱庭』は編み出された。周辺環境から徹底的に作り出すことで人間の味方へと作り変える計画。この際に、肉体も弄って寿命を削ることで、後に魔女へと戻ってしまう事を防いでいるとのことだった。

 つまり。あの苦痛を少女に与えたのは人間だった。僕たちが彼女たち聖女へと押し付けた痛みだったのだ。


 ……そんな話を聞いた直後。僕は教皇様直々に呼び出され、聖女に関して知った事の全てを口外禁止だと命令される。ご丁寧に契約魔術まで結ばされた。よっぽど広められたくない事実だったらしい。

 当然と言えば当然でもある。この事実はどう転んでも良い結果をもたらさない。

 まず、聖女が魔女と名前だけ異なる存在だと知って、民の信仰心が揺らぎ国内に不和を招く恐れがある。

 次に、今までの平和が聖女たちの犠牲の上に成り立っていたと知って、義憤に駆られたものが反乱を起こす可能性だってある。……こちらに関しては、常日頃からそういう理由を探している者達が居る事も忘れてはならない。教会も国も一枚岩ではなく、何か付け入る要因さえ見つければ、それを大義名分に行動を開始する……そんな者達だって居るのだ。

 しかし、あの教皇も既に御年87歳。未来を見通すとさえ言われる埒外の頭脳を持った傑物だったが、最近はボケてきたのではと専らの噂の人物でもある。

 だからこそ政敵が教皇の座を狙って蠢いており、貴重な戦力の僕が聖女護衛に派遣されたわけだが……今回ばかりは、それに救われた。教皇は契約魔術で「口外する事」しか禁止しなかったのだ。

 故に。その日以来少しずつ少しずつ調べ続けた内容をここに記すことが出来ている。


 教皇様との会話の後、僕は手始めに聖女様の説得へと乗り出した。……が、直ぐに挫折した。彼女は全てを知って納得してしまっていたからだ。嘘で出来た箱庭の中で都合の良い思想を植え付けられたことも、自らの置かれた状況が異常極まりないことも。何もかもを。

 そして。その全てを受け入れた上で言ってのけたのだ。自分の苦しみが多くの人々を救う力となるのなら、それで構わないと。

 それが彼女本来の気質なのか、植え付けられた思想によるものかは分からない。けれど、「共感」の魔法で彼女の思考を覗いた僕には分かった。分かってしまった。

 彼女は。ただただ、人々が平和に暮らせることを、彼女は願っていた。彼女が苦しみから解放されようとすれば、間違いなく教会と国に混乱が生じる。それを彼女は望んではいなかった。

 だから、僕は諦めた。彼女に降りかかる災厄を1つでも減らすべく、護衛騎士として尽力する……それだけしか僕に出来ることは無かった。


 救われたくないと願う者を救う事は出来ない。

 少なくとも僕には。


 そんな日々を続けること十数年。

 未練がましく聖女の事を調べ続けていた僕は、偶然にも、とある計画の存在を知ることとなる。

 それこそが、「聖女増産計画」。

 内容は単純で、国の最大戦力たる聖女を量産する事は出来ないだろうかという計画だった。

 理由は不明だが、オーロングラーデは大地そのものが膨大な魔力を有する都市。そこにおいて、建造物の中に無数の魔術式を書き込み、かつ建物の配置自体も工夫する事で、都市全体を1つの巨大な魔術装置とする計画。原理までは解明できなかったけれど、この魔術が発動すると、魔女が生まれる可能性を高めることが出来るらしい。この国の長い歴史を紐解いても、聖女の数は同時期に3人いれば良い方だが、それを増やそうという計画だ。

 僕はこれを認めるわけにはいかなかった。そもそも、この国の戦力は聖女だけではない。例えば、僕たち教会騎士だって十分に強力な戦力。他にも、各都市には防衛用の強力な魔術が無数に仕掛けられてもいる。現状の体制で防衛力は十分に足りているのだ。これ以上の戦力が必要となるとすれば、それこそ領土拡大や大陸制覇でも視野に入れている可能性が高い。

 隣接する地には吸血鬼の国を始め、幾つもの異種族の小国が存在する。あれらを教会上層部が快く思っていないのは知っているし、現に吸血鬼は人間にとって脅威だ。彼らの残虐非道な行為は良く知っている。

 ……しかし、それでも。綺麗事かもしれないが、かつて“日本”という国で生きていた僕には、どうにも受け入れられないのだ。防衛のための戦争は仕方なくとも、侵略戦争や民族浄化を許容するわけにはいかない。

 そして何よりも。聖女を増やすという事は、彼女と同じ苦しみを押し付けられる者を増やすという事だ。それは絶対に認められない。

 僕はこの書を書き終えたら、この計画を白紙とすべく行動を開始する。……ほぼ間違いなく失敗するし、どう足掻いても処刑だろうけども。

 それでも決意は変わらない。


 僕は無力だ。

 けれど。

 僕は僕の物語を。無力な男が紡ぐ、異世界ファンタジーの最終章を始めようと思う。



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