4話 聖女メイオーン



◇◇◇



「よっと。これでトラップは全て無力化したぜ」

「……凄いな、盗賊って」

「おいおい、俺様をそんじょそこらのパンピー盗賊と一緒にするなって。これは天下の大義賊ラドロヴォール様だから出来た事さ」


 ゼクエス教会の中枢、総本山。その奥に眠る禁書庫。

 それは大魔聖堂と呼ばれる場所の地下に広がっていた。

 その空間の広大さは、小さな町程度であれば軽く凌駕する規模。そこに幾重にも本棚が並び、聳え立っている。魔術で空中浮遊を行わなければ、上部の本には手すら届かない。

 そして、その本棚一つ一つにビッシリと光の文字が刻まれている。不届き者に鉄槌を下す防衛の魔術なのだろう。……尤も、それらは全て義賊ラドロヴォール・ゴールドの手によって無力化されてしまったが。

 詳しくは分からないが、彼は魔術の文字列に何らかの細工を施したようだ。それにより、魔術は起動したままにもかかわらず、俺たち3人を侵入者と認識できなくなっている。

 魔女である師匠の下で膨大な魔術知識を学んできたが、俺にはこんな事は出来ない。これは知識云々ではなく、天性の才能と無数の経験があって到達する技だ。侵入して盗む――“盗賊”らしく、その技術に特化して磨き上げられている。

 こんな場所にこうも易々と侵入してしまい、あまつさえ警備のトラップ全てを無力化してしまう……そんな人物は長い歴史の中でも間違いなく存在しなかったはず。

 ……否。恐らくは、未来にだって存在しないだろう。


「勇者一行に選ばれるだけはある……という事か」


 勇者一行は“正義”であらねばならない。少なくとも、教会は絶対にそう考えただろう。

 “魔王”という“絶対悪”を滅ぼし世界に平和を取り戻す。そういうストーリーを必要としていたはず。であれば、盗賊などという“悪人”の手を借りるのは悪手だ。


「へへ。ま、そういうことだ。流石は俺様だぜ。……じゃ、俺様は周辺の警戒をしているからな、マスターはマスターのすべき事をしろよ」

「あぁ、分かった。助かるよ、ラドロヴォール」


 しかし、その犯罪者の手を借りる、というデメリットを踏まえても尚、この男の力を手放すことはできなかった。犯罪者に“勇者一行”の肩書きを渡すこととなろうとも、それでもメリットが上回ったのだろう。


「魔王様にお褒め頂くとは光栄だね、っと。んじゃまぁ、頑張ってくれや」


 彼はそう告げると、そのまま何処かへと向かっていく。

 普通の動きだったはずなのに、そのまま気配ごと消え去って見失ってしまった。

 ……なんか、勇者一行のレベル高すぎないか? 勇者には一度殺されかけたし、賢者はテレポート持ち。聖女も“前回”、オーロングラーデを襲撃した“エイジ”に一対一で勝利を収めている。


「聖女については……この棚か」


 ……思考が逸れた。今の最重要項目は勇者一行ではない。

 俺は“最初の聖女ヒルアーゼ”が用いたという“契約魔法”……そこから直接繋がる“8柱の神々”の“交換魔法”及び“創造神”が用いた“創造魔法”について調べに来ている。

 ならば、先ずは聖女について記されている禁書を読んでみるべきだろう。

 神ならぬ身で契約魔法を……交換魔法という形で再現した女性の話を。現在の世界に起きている異常……それを実現せしめるのが、世界の法則を捻じ曲げる可能性を有する契約魔法なのであれば。そこを解き明かすことさえ出来れば、事態の解明・解決に大きく前進できるはずだ。


「クリスと俺でそれぞれ調査、そして気になる記述を見つけたら、その都度情報を共有する」

「了解ですわ」


 さて、と。随分と膨大な本があるものの、一体どこから手を付ければ……。

 いつ侵入が露見したっておかしくはない。なるべく最短最速で、必要な本だけ読むべきなのは自明の理。

 とはいえ、これだけの量があると探すだけでも一苦労である。


「……契約魔法にせよ交換魔法にせよ、直接書いている本は少なそうだな」


 あっても複数ある魔術・魔法の記述の1つとして書かれている程度。神話の時代から1400年以上、誰もその真実に辿り着けなかったのだろうか。

 否。そんな事はありえない。人間は、ヒトはそんなに甘くない。前世でも、今世でも。人間という生き物は強い。そこに未知があるのなら、必ず暴き踏破してしまう。

 故に。ここまで少ないというのであれば、そこには何者かの思惑を感じる。――例えば。決して真実に辿り着かせまいとするような思惑を。

 教会よりも先に。誰よりも徹底的に。そして1400年という途方もない歳月の中で。

 ……流石に馬鹿げた妄想か。しかし、何らかの組織や人知を超えた長命存在ならば、或いは可能性も捨てきれない。


「『聖女名鑑』、『聖女レウの日記帳』、『聖女ネルマーの日記帳』……」


 一つ一つ背表紙のタイトルを見ていく。

 “ヒルアーゼ”が残した書物でもあれば最高だったが、彼女は1400年以上前の人物。当時は教会の体制も今ほど整っていなかったと聞くし、その時代の本が残っているとは考えにくい。


「……『聖女メイオーンの回顧録』、『聖女ニエスの日記帳』……」


 やはり、この棚にヒルアーゼが記したモノは見当たらない。

 ……しかし、日記帳やら回顧録やらが多いのはどういうわけだ?

 研究書を封印するのなら理解は容易い。事実、ラドロヴォールと合流した禁書庫……最初に行った禁書庫ではそうだった。真偽はどうあれ、教会の思惑に反した書物を人目につかぬよう封印する。それが禁書庫の役割。

 だが、聖女は教会の最大戦力であり、権威の象徴でもある。歴代の聖女は教会の最大の擁護者であるはず。

 そんな彼女たちが残した日記が禁書となっている。

 ……単純に、日常で零れる秘密を隠すためだろうか。日々の呟きの中で、ついうっかり重大な秘密を零してしまうというのは良くある話だ。前世でもSNSとかで頻繁に見受けられた。

 しかし、である。その理屈では回顧録を禁書として封印するのはオカシイ。日記とは異なり、回顧録とは誰かに見せるために残されるものなのだから。

 それを隠すということは、余程マズイ事が書かれてしまっていた可能性がある。……言い換えれば、それだけの事を当時の、或いは後世の“誰か”に伝えたいと願った聖女が居たということだ。

 

「そういう事なら……」


 手に取ったのは、『聖女メイオーンの回顧録』。

 先程見つけた『聖女名鑑』で名前を参照する。どうやら、400年前の人物らしい。

 さてさて、鬼が出るか蛇が出るか。

 


◆◆◆



『聖女メイオーンの回顧録』



 あんなに酷い事をした私を、未だに友人だと思ってくれている……そんな傲慢な幻想は抱きません。抱いて良いはずがありません。

 それでも。どうか届いてほしいと願って。

 ――この書を、親愛なる友人シムナスへ贈ります。



 齢6になる頃には、私の保有する魔力は人並外れた領域にありました。そう、私は“魔女”として生まれてしまったのです。

 しかし、当時の私が「お前は魔女だ」と誰かに蔑まれることは無く。むしろ“聖女候補”などと持て囃され、チヤホヤされていたくらい。……幼少の私は、只々、それを幸せな事だと考えていました。そして、それは決して間違いでも無かったのです。

 たとえば、腕、脚、目、魔法……何らかの欠損を抱えた子がいたとして。そのような幼き命を慈しみ、その存在を肯定する――即ち、「貴方は他の子供と変わらないよ」と伝えることは、愛溢れる行為でしょう。それで救われる心は確かにあり、当時の私もそうでした。

 両親は嫌味の1つも言わずに庇護し、ニコニコとした笑顔で愛してくれる。

 友人は私の“強さ”を単なる1つの個性として捉えてくれる。

 私の周りは常に“善意”で溢れた世界でした。私は何の疑いも無く、良く言えば純粋で無垢。悪く言えば浅慮で愚かしくも、それが世界そのものだと信じていたのです。

 ……しかし、それは単なる“箱庭”でしかなく。溢れていた笑顔は仮面で、交わされていた言葉は空虚な偽り。全てが嘘の上に成り立っていたと知ったのは、私が聖女となる“処置”を施された後でした。

 そもそも、聖女候補や聖女などと言ってはいますが、その本質は魔女でしかありません。魔女とは行動の果てに名付けられる名ではなく、その存在そのものに付けられる名。親兄弟も友人も、全ての存在は私を魔女として認識していました。……そう思っていなかったのは、私ただ一人だったのです。

 それは、私が生まれる数十年前に確立された方法。「聖女の箱庭」と名付けられた聖女育成プログラムにして、魔女更生プログラム。魔女だと判明した子供の周りの世界を偽りの箱庭とすることで、魔女を聖女へと育成する――端的に行ってしまえば、洗脳教育の一種です。

 魔女という強大に過ぎる力を脅威としてではなく武器として用いる……そのために発案された方法でした。ヒルア帝国はゼクエス教が強大な権力を握る宗教国家。故に、冠婚葬祭を始め日常における多くの事は大魔聖堂の管轄。特に医術や学問に関しての統率は極めて強力に行われています。子を身籠り医者の世話になれば、その子は教会の“調査”を受ける事となるのです。

 魔術さえあれば、産まれる前の子を検査するのも容易いこと。ヒルア帝国の医療機関が必ず教会に付随する形で存在するのも、ここに起因しています。ほとんどの人々は知らない事ですが、胎児は魔女であるか否か、という検査を受けているのです。

 この段階で魔女であると発覚した場合、両親には2つの選択肢が提示されます。その子供を育てるか否か、という選択です。育てないという選択を行った場合、その「魔女の子」は教会の完全な管理下に置かれます。訓練を施された教会騎士の精鋭が、偽りの両親や偽りの祖父母、偽りの知人として身辺を固めるのです。そして、徹底的な“教育”を施し、罷り間違っても人間への敵意を抱かぬように……自ら進んで聖女となって人類の為に力を尽くすようにするのです。

 歴史上、ほとんどの両親はこの選択をしたと聞きます。ヒルア帝国に住まうゼクエス教徒は、忌み嫌われる魔女を育てたいと思う事は少ないのでしょう。

 私の場合もこの形式だったらしく。血の繋がった両親は私を育てる事を放棄し、教会から孤児を受け取って育てることにしたとのこと。私はその方たちの名前すら存じませんが、その引き取られた子と実の両親が幸せに暮らせている事を願うばかりです。

 ……話が逸れてしまいましたね。仮に育てるという選択をしたとしても、教会側が用意した家に引っ越すこととなり、周囲は関係者で固められます。そして、幼少期から徹底的な“教育”を施されるのです。人の理を外れた“魔女”は悪そのものでも、聖女として人の道に生きる事は出来るのだと。そう教え込みます。

 そのどちらにも従わぬ場合、即ち、教会の意に反する場合には、記憶処理が施されるとも聞きます。個別の生命の自由意思を尊重する……そんな神々の取り決めにすら抗う方法を、大魔聖堂の教皇たちは有しているのでしょうか。聖女の立場ですら知ることは出来ない領域なので、詳しい事は何も分からないのですが。

 ともかく。教会は決して、魔女聖女を野放しにはしません。記憶処理ですら噂話と切って捨てる事が出来ぬほど、教会は徹底して管理しようとします。


 或いは、この書を後世にて読む誰かは、これを愚かしい事と断じるのかもしれません。それでも、現在のこの世界は綺麗事だけで維持できるモノでは無いのです。

 空には龍が暴風と共に舞い、地では魔女が嗤う。そして、異種族と人間、或いは人間同士の間には、無数の軋轢が堆く積み重なっています。

 魔女の力は一切の誇張なく、災害とでも呼ぶべき脅威。そんな力を、自分たちを護る盾として使えるのならば、多少の無理も為さねばなりません。少なくとも、為政者はその決断をせねばならないのです。

 故に、私が実の親と引き離され、偏った教育を受け、挙句の果てに聖女としての苦痛に苛まれていようとも。それでも私は、このシステムを肯定します。持たざる者たる人間が、この世界で生きていくためには欠かせぬ知恵だと思うから。多くの人の笑顔が守れるならば、私は何の不満も無いのです。

 

 ……この考えこそ、植え付けられたモノなのだと、魔女の貴女は言うのでしょうけれど。

 

 けれど。そんな教会の掲げる綺麗事が無かったとしても。

 それが嘘で塗り固められた、虚飾の羊水だと知っても尚。私の心が救われた事実は、救われてきた事実は無くなりません。

 ――だから私は“聖女”として生きることを決めたのです。

 


◇◇◇



 まさか、ここで師匠の名前が出て来るとは思わなかった。


「……花葬の魔女が暴れたのは確か400年程前。一応、時代は同じなのか」


 聖女の教育……否、もはや洗脳か。こんなモノが存在していたとは驚きではある。そして、師匠の過去というのも非常に興味深い。

 けれども、それはそれとして。ここに書かれている記述は直接、最初の聖女ヒルアーゼや契約魔法・交換魔法に繋がるわけではなさそうだ。

 ……仮に、師匠の過去に「やり直し」に関する有力な手掛かりがあるならば、師匠がそれを見逃すはずがない。修行の日々の中で、必ず伝えてくれていた筈だ。

 ならば、今この書を熟読する意味は薄い。時間が限られているのなら尚更。

 ……正直なところ、凄く読みたい。俺が知らない師匠の過去を知りたいという欲求が溢れている。

 しかし。今は自重しよう。


「どうかされましたか?」

「いや、独り言だ。クリスは何か見つかったか?」

「妾の方でも1つ。奇妙な書を発見致しました」

「奇妙?」

「この書ですわ」

「『聖女の真実と、聖女増産計画』、著者タンザ・ホーレンエム……聖女増産計画だって?」

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