幕間 修行の日々④「なぞなぞ」
これは、俺がバルバルを旅立つ直前の事……師匠から1本を取る数日前の事だ。
「マイスイートシスター! 愛してるぜ!」
もう何度言ったか分からない言葉を叫んで、俺はウアを抱きしめた。
13歳になって背も伸びてきた妹だが、一方で俺も大きくなっている。故に、いつまで経ってもウアは抱きしめやすい大きさだ。
……抱きしめた理由は何だったか覚えていない。日常にありふれた平凡な事……些細だけど尊い日常の一欠けらだったと思う。
ともかく。俺はウアの可愛さに感極まって、いつもと同じようにウアを抱きしめたのだ。
「ねぇ、兄ちゃん。兄ちゃんはさ、どうして私を「愛してる」の? そもそも「愛」って何なのかな?」
けれど。その日は、抱きしめられたウアの反応が普段と違っていた。
何やら真剣な顔で問いかけるウア。内容は「愛」について。
……ふむ。もしかしなくても、思春期というモノだろうか? モノの見方考え方に変化が生じているのかもしれない。
これは、兄として真剣に向き合わねばなるまい。
さて。なぜウアを「愛している」のか、「愛とは何か」だけども。
「前者に関しては。ウアが俺の可愛い可愛い妹で、俺の身体の一部みたいなものだからだよ」
俺なりに良く考えた結果。回答はこんな感じ。
抽象的で難しい問いではあるが、それなりに納得できる内容を返せたのではないだろうか。
そう思ったのだけれど。
「妹だから? 妹じゃなかったら愛してくれないの?」
「……うん?」
「可愛いから? 可愛くなかったら愛してくれないの?」
恐るべしは、思春期の悩み。
これは想像以上に深いし、手強いぞ。もっと真剣に考えねば。
「……難しい問いかけだな」
成程。例えば、ウアが妹では無かったとしたら? 接点が少なかったら?
……俺は彼女を自分の一部だと思うくらいに考えていただろうか?
難しい。実に難しいぞ。
再び思考を巡らせていると。
「兄ちゃん、シムナスさんのこと好きでしょ」
急にウアが変な事を言い出した。
「ななななななな何を言うか! 何を! ばばばばば馬鹿なことを! 師匠に対して抱いているのは、そういう、断じてそういう感情じゃなくてだな! もっと何か、こう、何か違う感じのだな!」
「動揺し過ぎ。流石に無理があるよ」
……自分で言ってても気付いたわ。
いつのまにか。本当にいつのまにか、俺が師匠に抱く感情は恋慕の域に達していたのかもしれない。自分でも良く分からないのだけれど。
「兄ちゃんはシムナスさんのドコが好きなの? 何が一番好きなの?」
「どこ? ……一番?」
なんだ? 恋バナか?
それも思春期の醍醐味ではあるかもしれんな。ただ、この環境……師匠とバルバルと俺とウアしかいない空間……では、ウアの恋愛話が出てこない。俺ばかりが話す不平等で一方的な展開になるのでは?
いや、待てよ? 今の条件は、必ずしもウアが恋愛をしていない証明にはならない。
例えば、バルバルに恋慕している可能性がある。……兄として、どんな反応をすれば良い? 確かに、バルバルは超絶良いヤツだし、ウアを任せるに足る存在である。だが、魔獣だ。しかも、アイツは好きな花が居ると前に聞いた。険しい道のり過ぎる。
例えば、師匠に恋慕している可能性もある。……修羅場じゃ。目も当てられない修羅場じゃ。俺は妹と初恋の人を奪い合う事になっちまうぞ。
例えば、ブラコンを拗らせて俺に恋慕している可能性もある。……こっちも修羅場じゃ。これで師匠がウアに恋慕してたりしたらヤバい。恐ろしい三角関係が出来上がる。
……待て。待て待て待て。思考が逸れまくっている。想像以上に、師匠への恋愛感情を指摘されて動揺しているらしい。深呼吸して落ち着こう。
「綺麗なヒトだよね。大人の女性の魅力もあるけど、身長が小さいから可愛さも併せ持ってる。……兄ちゃんはシムナスさんの容姿が好きなの?」
俺が思考を落ち着けてる間にも、ウアの言葉は続く。
……ふむ?
「強いヒトだよね。一度剣を持てば、まさに「達人」って言葉がピッタリ。……兄ちゃんはシムナスさんの強さに焦がれたの?」
確かに、師匠の剣技は美しい。数百年の研鑽が辿り着いた、1つの極致。それに焦がれ、求め続けた5年間であったのは事実だ。
「賢いヒトだよね。色々な事をいっぱい知ってる。……兄ちゃんはシムナスさんの知識に惹かれたの?」
確かに、師匠の知識は膨大だ。永い時を探求し続けた師匠のみが到達できる領域。それに惹かれ続けた日々であったことも間違いない。
「……そのくせ、抜けてる所もあって、ポンコツな所も多くて可愛い。そういうヒトだよね」
それは間違いない。師匠は強い癖に、放っておけないポンコツさがある。ダメダメな所を見ていると、守ってあげたいという感情が湧いてくるんだよな。
正直、何が一番かって言われると困る。
それに……
「容姿では、無いかもしれない。そりゃ、綺麗だと思うけど。俺は師匠の容姿に惹かれた訳じゃない。最初に会った頃とか警戒しかしてなかったし」
一目惚れをした……とか、そう言う事では無かった。
師匠と出会った時を思い出す。両親から、知人から、街から、あらゆるモノから逃げてきた時だ。あの時の俺は、彼女の全てを疑いながら、少しでも情報を集める事しか考えていなかった。それは、最低でも数日間続いていたと思う。
師匠を信用できる人物と定めていても、両親のように豹変する可能性だってあったのだから。
故に。俺は、師匠の容姿に骨抜きにされた訳では無い。
「強さでもない気がする。よわよわな師匠を守ってあげるシチュは正直良いと思う」
師匠のピンチに颯爽と現れて救うみたいな? 別に師匠に窮地に陥って欲しいわけでは無いけど、男として憧れる心は否定できない。弱い師匠……アリだと思います。
「賢さでもない気がする。俺が先生になって師匠に教える……みたいなのも面白そうだし」
師匠が俺の事を「師匠」とか「先生」って呼ぶ……めっちゃ良いな? 一度で良いから呼んで欲しい。
あ、料理教える時に「先生」と呼ぶように頼めば良かった! 失敗した!
「ポンコツさは確かに庇護欲みたいのが湧くけど、それを直して欲しいって俺は思ってるくらいだしなぁ……」
この5年。バルバルと協力して、師匠のズボラさに随分とメスを入れた。
まだまだポンコツだが、最低限の生活スキルは修得させることに成功している。
「……うまく説明できねぇや。何なんだろうな。好きとか愛するって。……魂が求める? そんなスピリチュアルな話に落とし込みたくないしな……」
畢竟。良く分からない。
俺が師匠の何に一番惹かれたのか。どうして師匠だったのか。良く分からないのだ。
「けど、そんなに難しい話でも無いのかもしれない」
「どういうこと?」
確かに、問いかけ自体は難しい。
最初の「愛とは何か」にも通ずる問いかけであり、容易に答えが出せるモノではない。
しかし。
「目の前にある現実を否定したってどうにもならない。なら、それを受け入れるしか無いんじゃないか?」
またも思い出すのは、5年前の日のこと。あの逃げた日のことだ。
あの時、俺は深く考えるのは後で出来ると考えた。
どれだけオカシイ状況であろうとも、目の前の現実を受け入れて、取れる手段を選ぶしかないと。そう考えて進んだ。
それと似ているかもしれない。
「今、俺はウアを大切に想っている。愛していると感じている。師匠とバルバルを大切に想っている。……その「今」。自分の感情を俺はあるがままに認めようと思う。何があったから好きじゃなく、今までの全てがあって「好きという今」があるんだって」
随分とまどろっこしいな。深く考えたことがない内容だったので、思いつくままに喋っているせいだろう。
そうだな。簡潔に述べるならば。
つまるところは。
「俺は、「今」目の前にいる「ウア・ククローク」。その存在を愛している。それが、今の俺が認識している現実で、事実。そこに仮定を挟み込む意味は無い」
……こういう事なのだろう。
専門的に正しいのかは知らない。興味も無い。
ただ、俺の回答はこれだ。
例えば。『世界5分前仮説』という説がある。世界が実は5分前に始まったのかもしれない。5分前に、存在しない「記憶」を生命が「覚えている」状態で出現したのかもしれない……という有名な思考実験。
この説は否定する事が出来ない。しかし、否定出来ないだけで、証明する事も出来ない。そういう代物。
ならば、これが真実であるか否かなど、何か意味がある事だろうか? それを馬鹿真面目に考えて、今の自分が有する記憶・感情・関係性に疑心暗鬼となる事に何の意味があるのか?
そんなモノに時間をかけるくらいなら、今の自分が愛しいと思う存在を大切にした方が良い。
……「愛」に理由を求めるよりも、今の感情を大切にすべき。それが俺の結論。
だったのだが。
「私は納得できないかな、それ」
ズッコケそうになる。
必死に考えた結果を即答で否定された。
どうやら、俺の答えは妹的にはダメダメだったらしい。
「兄ちゃん、「アナタの全てを愛しています」って言葉をどう思う? 言われたら、どう感じる?」
攻守交替でウアのターンということかな。
それで、「アナタの全てを愛しています」か。ふむ。
「随分とロマンチックな言葉だな。もしかして、師匠の本棚にそういう感じの本でもあったのか?」
「茶化さないで。真面目に答えて」
おぉっと。ちょっと場を和ませようとしたのだけど失敗した。
思春期の女の子の思考は難しい……。
えっと、それで。言われたらどのように感じるか、だったか。
「……そうだなぁ。現実にそんな言葉を言う人が居るかどうかは別として。言われたら嬉しいと思うよ。その気持ちを受け入れるか否かも別問題だけど、それでも嬉しくて誇らしい事だ」
ま、こんな感じかな?
誰に言われるか、どんな状況で、どれだけの真剣さで言われるか。そういう条件でも大きく変ってくるだろうけれど。
それでも。それが嘘偽りの無い真剣な言葉であれば、嬉しい。自らの全てを肯定し、愛してくれる誰かが居る……少なくとも、そのヒトにそこまで想って貰える自分になれた。その事は、誇るべきではないだろうか。
しかし、これに関してもウアの答えは違っていた。
「私はね、この言葉が大嫌い」
「大嫌い?」
よりにもよって「大嫌い」とは穏やかじゃない。
一体どういうことなのだろう?
「でもね。「全てのアナタを愛しています」……こっちは嫌いだけど好きなんだ」
「なんだ? もしかして、なぞなぞか?」
「なぞなぞ……うん、そうかも。そう思ってくれて構わないよ」
今までの意味深な会話の全てが「なぞなぞ」のための壮大な前振りだった……という事はあるまい。
恐らく、ウアには何か思い悩む事があるのかもしれない。
しかし。ウア自身が話したくない事……話さないと決めた事を無理やり聞き出すのも違う気がする。
第一に。思春期の悩みというのは、自分で答えを見つけていくモノだとも思うし。
必要以上に干渉する面倒くさい兄にはなりたくない。ウアの自主性を認めることだって必要だ。
師匠との模擬戦でも手応えが出て来て、そろそろ一本に繋がりそうと感じる今日この頃。
そうなれば、俺は旅立つ訳で。どんな時でも妹の傍に居られる訳では無いのだから。
「よっしゃ。なら兄ちゃんが解いてやるぜ。「アナタの全てを愛しています」は嫌い。でも、「全てのアナタを愛しています」は嫌いだけど好き……むむむ?」
意外と難しいぞ、コレ。ちっとも答えが分からん。
「あはは、流石の兄ちゃんでも今は解けないよ」
「……ウア?」
悩んでいると、ウアが「よっ」なんて言いながら立ち上がり、テクテクと歩きながら言葉を紡ぐ。
俺は隣に座って会話をしていたので、視界にはウアの背中が映る。ウアがどんな表情でいるのか、それを伺うことは出来ない。
「でも、きっと」
そうして、ウアは。
俺の妹、ウア・ククロークは。
「ずっと先で。いつかの答え合わせにはなるはずだよ」
少しだけ悲しそうな声音で、そう言って。
そのまま、「じゃ、今日も修行頑張ってね!」なんて言いながら、タタッと走って行ってしまう。
その後、この日の会話の内容について話を振っても、ウアは頑なに何かを語ろうとはせず。俺はウアの意思を尊重し、それ以上の追及を止めた。
そして。この会話から1週間ほど後に。
俺は師匠から一本を取って、晴れて旅立ちの許可を得たのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます