感無量


「あいたたた……」


 アッシュは頭を抱えながら、必死に頭痛に耐えていた。


 魔力というのは、肉体の中に満遍なく散らばる血液のようなものである。


 そのため魔力枯渇は命に関わることも少なくない。


 久しぶりにMPが0になるまで魔法を使ったアッシュは、高難度の魔法の連続使用と魔力枯渇によるダブルパンチを食らい、猛烈な頭痛を感じて目を覚ましている。


 幸いなことに魔力は全回復していたので、即座にラストヒールを使うと痛みはすぐに引いていった。


 どんな傷や痛みにも効くラストヒールを覚えておいてよかった、と安堵しながら上体を起こす。




 彼が眠っていたのは、真っ白なベッドだった。


 周囲は少し薄暗く、自分がいるのはどうやらカーテンで仕切られた小部屋の一つらしい。


 闘技場で怪我をした人を搬送する医療室か何かだろう。


 さっさとお暇しようと立ち上がりカーテンを開ける。


「……やぁ」

「……よぉ」


 出口側かと思い開いたカーテンはどうやら隣の患者と隣接していたらしい。

 開いた瞬間に見たのは、自分同様に疲労困憊状態のライエンだった。


 とりあえず律儀に挨拶を返すと、ライエンは明らかに驚いた様子。

 どうやら挨拶を返されると思っていなかったらしい。


 自分のことをどう思ってるのか、小一時間問い詰めてやりたいところだった。


 アッシュは自分を訝しげな顔をして見るライエンに、


「大丈夫か? 怪我酷いなら魔法で治すけど」

「うん……痛いって言うより感覚がないんだけど、これって大丈夫だと思う?」

「それは痛みよりヤバいんじゃねぇかな」


 どうやらライエンの固有スキル『勇者の心得ブレイブハート』はただただノーリスクで最強の力を渡してくれるわけでもないらしい。


 まだ身体ができていないからか、それとも無理矢理いくつもスキルを使ったからか、かなりひどい反動があるようだった。


 別に減るもんでもなし、とラストヒールをかけてやるとライエンは気持ち楽になったようだった。


 アッシュはそれじゃなと言ってそのままこの場を去ろうとする。


 彼自身、こうやって戦ったことで満足していた。


 完全に自己満足でしかないが、今のライエンに勝てたという事実だけで、十分だったのだ。


 たとえこの世界をなんとかする英雄にはなれなくとも、自分は英雄に一度とはいえ勝つことができた。


 その事実は、アッシュという人間にあったコンプレックスを弾き飛ばすだけのパワーを持っていた。


 去ろうとするアッシュを止めようと、ライエンは一瞬手を伸ばそうとした。


 ただその手はすぐに引っ込められ、結局ライエンは口を開かなかった。


 次会うのは学園入ってからかな、などと考えながら歩いていたアッシュは、目の前に人がいることに気付かずにぶつかってしまった。


 ドスンと顔からいってしまい、鼻につんとした痛みが走る。


「あ、すいません」

「まぁ待て待て、そんなに急がなくてもいいじゃないかモノ君」

「え………ええっ!? なんで国王陛下がここにいるんですか!?」


 適当に流してさっさと出て行こうとしたのだが、自分がぶつかった相手があまりにも予想外過ぎて足を止めずにはいられなかった。


 今彼が体当たりをしたのは誰であろう、現国王であるフィガロ二世だったのだ。


(え、これってもしかして王への暴行罪とかでしょっぴかれる? まさかの不敬罪でゲームオーバー?)


 ビビりながら冷や汗を流すアッシュの内心は、幸い王には悟られなかったようだった。


「いやぁ、今ちょうど武闘会が終わったからね。今大会の功労者達の様子を見に来たのさ」

「功労者……ですか?」

「そうだよ。君たちがあんな戦いをするもんだからね、もう午後からの本番がずーっと白けっぱなしだった。観客達も皆君たちの話ばっかりしてたから、優勝した騎士君とかめちゃ涙目だったし」


 自分でも暴走していたという自覚はあった。


 恐らく未だ辺境伯ですら使えぬ極大魔法を、たまたま成功したアレンジを加え放ったのは流石にやり過ぎな気もしていた。


 だがどうやら事態は既に、自分の想像をはるかに超えてしまっているらしい。


 王が年少の部の試合を見に来るかもという話は聞いていた。


 しかし王が直接会いに来るレベルで関心を引いてしまっているとは。


(マズい、ものすごくマズい。もし俺とライエンの未来がこれで大きくブレたら、ゲーム知識だけで対応できるか怪しくなってくるぞ……)


 未来がわかってるアドバンテージがなくなるのは、アッシュにとって致命傷になりかねない。

 ここはなんとしてでも、乗り切らねばいけない場面だった。


「国王陛下……なんですか?」

「そうよ、そろそろ息子に王位渡そうかなぁとも思ってるけどね。まだ頼りないからあと五年くらいは国王やってるかな」


 流石に気になったのか、ライエンも起き上がってこちらにやってきた。


 生まれて初めて見る国王の姿を見て、感激しているようだった。


 王という人間は国の父であり、支柱そのもの。


 容易に会うことなど不可能であり、恐らく彼の顔を見たことのある一般人などほとんどいないだろう。


 自分はゲームで何度も会ってるからそうでもないが、そうかこれが普通の反応か……だとしたらこれもミスだな。


 内省しているとライエンと王の話は大分弾んでいたようで、ライエンが顔を真っ赤にしながら王と話をしている。


 たどたどしい感じと頬がピンク色な感じが、非常にあざとい。


 見た目がイケメンなこともあって、アッシュは思わず唾を吐きたい気持ちになっていた。


 戦って相手のことを認めたアッシュではあったが、やはりライエンのことはそれほど好きにはなれなかったようだ。


「でさ、ぶっちゃけ君たち二人が今日のMVPなワケね。だから嘆願聞いちゃおっかなって思ってきたのよ。あんま時間ないから、今この場で教えてくれると助かるよ」

「僕もいいんですか?」

「もちろん、二人って言ってるでしょ?」


 そういえばそんな話もあったなぁと思い出す。


 というかそもそも自分がこの大会に出た理由の一つ目は、この嘆願にあったはずだ。


 色々とミスもしたが、とりあえず目的の一つは叶えられそうだ。


 アッシュはお前から行けよ、と首を前に出してライエンを促す。


「僕は――」





 ライエンがしたのは、魔法学院への入学希望だった。

 彼は平民であるため、今の魔法学院へ入るのは難しい。

 ライエンが就学する頃には平民用の特待枠が生まれ、彼はそこに入れるはずなのだが、それは今はまだ未確定な情報のはずなのでアッシュは黙っていた。


「そんなんでいいの? 君なら多分庶民だろうと入れると思うけど。そろそろ特待生制度始めようかって話になってるし」

「大丈夫です。僕は魔法学院に入って、もっと強くなりたいんです。そして……」


 グッと拳を握って、アッシュの方を見てくる。


 アッシュがふざけて舌を出すと、それには取り合わず握った拳を向けてきた。


「次こそモノに勝つ」

「おーおー、頑張れ」

「若いねぇ。おじさん年を感じちゃうなぁ……」


 そういやまだ本名名乗ってなかったわと思い出すが、教えても面倒なので言わないことにした。


 多分王は貴賓席のシルキィ経由で話は聞いてると思うが、指摘せずに放置してくれている。


 王は自分が知っているよりずいぶんフランクで接しやすかった。


 もしかしたらこちらが、彼の素なのかもしれない。


「じゃあモノの方はどう? 流石に土地持ちの士族とかは無理だけど、大抵の願いなら聞いてあげられるけど」

「あ、それなら一つお願いが……」


 ライエンには聞こえないよう距離を近付けてこそこそと囁くと、国王はそれを聞いてにやりと笑った。


 こちらを睨んでいるライエンは無視だ、すごく何を言ったのか気になるような顔をしているがアッシュは無視を貫いた。


「若いねぇ……いやホント、おじさんあてられちゃうよ。いいよ、今からでいいかな?」

「は……はい、すぐにでも!!」


 アッシュはまだ安静と言われ看護師に寝かされたライエンを放置して、国王様と一緒にとある場所へ向かう。


 アッシュの嘆願のその内容は、王にとってはそれほど難しいことではなかった。


 何せ頼む当人が、未だ貴賓席にいるのだから。

 私情も挟みつつ願いも叶えるために彼が頼んだこととは……自分の推しに、会いに行くことであった。









「ど……どうも」

「こんにちは、モノさん」


 国王の手引きの元、アッシュは今憧れの存在の目の前に居た。


 キラキラと光るブロンズの髪、アメジストより美しい紫紺の瞳。


 それに勝ち気そうで、世界の全てを自分が支配してやるとでも言いたそうな、恐ろしく整った顔。


 今、アッシュの前には彼の前世からの推し―――メルシィ=ウィンドが立っていた。


 感無量とはこのことか、生きてて良かった。

 桃源郷はここにあったんだ。


 頭の中をお花畑にしながら、自分が知っているより二才ほど若いメルシィの姿を目に焼き付ける。


「お会いできて嬉しいです、メルシィさん。俺あなたにこうして会えて…………ふぐっ、ほ、ぼんどにうれじい……」

「ちょ、いきなり泣き出さないでくださいまし!    

 私が何かしたと思われるでしょう!?」


 号泣、漢泣きである。


 自分が大好きだったヒロイン(何故かバグで攻略できない)に、こうして実際に会うことができるなんて……と彼は生きている喜びを噛み締めていた。


 アッシュは今、感動を上手く言葉に出来ないくらいに昂ぶっている。


 メルシィに引かれたくないという気持ちがなければ、今この場でフォォオオオオオオオと叫び出しそうなほどのテンションブースト状態だ。


「あんなに勇ましく戦われていたのに……思ってたよりも、普通の男の子なんですのね」

「ぐす……そうですよ、俺はどこにでもいる凡人ですよ。家もド庶民ですし」

「す、少なくとも凡人はあんな魔法を打てたりしないと思いますけど……」

「……凄く頑張った凡人なんです」


 泣き止んで話をすると、やはりメルシィはお嬢様言葉を使っていた。


 「ですわって本当に言った!」とアッシュはもうただのミーハーなファンになっている。


 彼女が普通の話し方をするのは、家にあるぬいぐるみに話しかける時と、一人語りをするときだけだ。


 もっと仲良くなれたら、砕けた話し方で自分に話しかけたりしてくれるのだろうか。


 アッシュの頭の中は、既にメルシィのことでいっぱいになっていた。


(どうしよう、もう俺……死んでもいいかも。――ってそうだ、つい嬉しすぎて飛んでたけど、目的を果たさなくちゃ)


 アッシュは気を取り直して、キリッと真面目な顔を作る。


 彼は目の前にいるメルシィへ、婉曲に彼女の父の背反を示唆しなくてはいけないのだ。


「メルシィさん、一つアドバイスを」

「アドバイス……? はい、なんでしょう」

「もしもの時、それを止められるのはあなただけです。だからしっかりと目を光らせて下さい。そうすればきっと、最悪の事態は避けられるはずだから」

「は、はぁ……?」


 伝わってきたのは困惑だった。


 当たり前だ、初対面の人間にいきなりこんなことを言われれば面食らうに決まっている。


 だが一応、これで目的は達成した。


 もし彼女の父がよからぬことを企んでいると判明したら、きっとメルシィは父に諫言をしてくれるはずだ。


 だが娘の言葉だからこそ、軽んじる可能性もある。


 国王にもそれとなく、伝えておいた方がいいだろうか。

 事前に釘を刺せれば小心者のウィンド公爵のことだ、そうそう大がかりなことなどできないとは思うが……。


「モノさんってなんだか……変、ですわね」

「あ、あはは……自覚はあるよ」

「あんなにお強いのに、変わってる」

「そうかな? ……そうかも」


 強いから変わっているのかもなどと呟くメルシィに対して、アッシュは上手く言葉を返すことができない。


 彼の今の心境は、握手会で目の前に推しのアイドルがいて緊張するファンによく似ていた。


 光を吸い込んで反射するメルシィの綺麗な瞳に、吸い込まれそうだった。


 まだ子供だからか、動く度に話す度にくるくると変わる表情がかわいくてたまらない。


 結局アッシュはこの世界にやってきても、メルシィの魅力に引き付けられていたのだ。


「あ、あと……俺の本名はアッシュです」

「あら、偽名でしたのね」

「あなたにだけは、それを知っていてほしくて」

「……今日が初対面、ですよね?」

「ええ、もちろん」


 今世では、初めて。

 でも前世では、何回も何十回も。


 きっとアッシュが抱いているのは、恋心とはまた違う。

 好きではあるのだが、どちらかといえば彼女は庇護欲を感じさせる対象だった。


 だがこうして対面してみてわかった。

 自分はメルシィのことが、今世でも変わらず好きなのだと。


 今の自分はまだ、ただの平民の子供だ。

 少しばかり腕には自信があるが、今のままではリンドバーグ辺境伯やナターシャ、シルキィ達のような強キャラ達に勝つことは難しい。


 だが、それではダメだ。


 王女イライザやライエンのような、将来国の中枢を担う者達と張り合い続け、いずれは上の世代の者達よりも強くならなくては、結局生き残っても何も為せないまま。




 思えばこの世界にやって来てから、アッシュには死亡フラグを回避するということ以外に目を向けてこなかった。

 ずっと自分の身体や魔法を鍛えてばかりいた。


 アッシュは今、明確に思った。


 メルシィと同じ学校へ通いたい。

 彼女ともっとたくさん、話がしたい。

 公爵家を継ぐ彼女を、影ながら支えてあげたい。


 この世界はm9に似た世界ではあるが、あくまでもよく似た異世界でしかない。


 ゲーム期間である、ライエンが魔法学校に在学していた三年間を過ぎても、当たり前だが世界は幕を下ろさない。

 魔王を倒しても、人の営みは終わらないのだ。


 アッシュは起こる未来を知っている。

 そんな彼には、できることがいくつもある。

 己の知識を使って、皆を守るのだ。


 そしてたとえ道中が歪もうと、終わりを原作通りにすることで魔王討伐を完遂させ、世界を平和にする。


 その微修正ができるのは、この世界ではアッシュだけなのだから。


 自分がやるべきことが、おぼろげに見えてきたアッシュ。


 カッコいいことを考えていた彼であったが、結局メルシィと目を合わせて会話をすることはできずに、ファーストコンタクトは終わってしまったのだった……。

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