宣戦布告
『それでは武闘会年少の部、予選第一グループの選手入場です!』
キンキンとした、少しくぐもった高音が会場を揺らしている。
アッシュはうるさいなぁと顔をしかめながら、前にいるプラカードを持った女性の後について歩いていく。
ただその見た目は、『偽装』によって変えていた。
今回は剣技も使うため、身長や体格を偽ることはしていない。
ただフツメンの黒髪黒目にしただけだ。
名前もモノクロからとったモノという偽名を使っており、今回もアッシュの素顔を晒すことはしない。
貴族と接触を持てば、身元を調べられ、両親に迷惑がかかる可能性がある。
そんな危険を冒すつもりは、今のアッシュにはなかった。
「ははっ、見ろよボッシュ。真面目なガキが混じってやがる!」
「よちよち歩きで前の姉ちゃんの後を追ってるぜ! ケツに卵の殻のついたひよこがよぉ!」
後ろから、明らかに自分のことをバカにしている声が聞こえてくるが気にはしない。
この年少の部に参加しているのは、当たり前だが年齢制限ギリギリの者が多い。
この年頃の一年の差は大きい。
年齢が離れていたらボコボコにされるだろうから、年少者があまり出ていないのも当然だ。
いくら鋳潰した模擬刀を使うといっても、当たりどころが悪ければ骨折の一つくらいはする。
高名な貴族や騎士達の子息は予選からではなく本選からの参加なので、今この場にいるのは自分の腕に自信のある悪ガキ達ばかりなようだ。
庶民で魔法が使えるアッシュは、かなりの例外なのだろう。
中にあるステージに上りながら、自分たちを見下ろす観客席をぐるりと見渡す。
自分たちから見て左右と後ろに広がっているのが今回観覧している一般客、そして丁度向かいにいるのが貴族や他国の人間達が座する貴賓席だ。
レベルアップの恩恵か、アッシュの視力は既に生前の1.0を軽く超えている。
狩人ばりに目の良くなった彼の目には、そこにいる人間達の姿が鮮明に映っていた。
この年少の部は、優秀な人材を若いうちから発掘するという名目で行われている。
だが実際の役割は、その後に行われる年齢制限無しの武闘会の前座であった。
そのため国王の姿はなく、数人貴族の姿があるのみだった。
ビジュアル持ちのキャラがいないのか、アッシュが見たことのある人間は二人だけしかいない。
そのうちの一人は、どこからか嗅ぎつけたのかやってきているシルキィの姿だった。
のんきに見物を楽しんでいるからか、両手に食べ物や飲み物を持ちながら、器用にアッシュの方に手を振っている。
そしてもう一人は彼女の隣から、こちらを射殺さんばかりに見つめているリンドバーグ辺境伯である。
恐らくは品定めの目つきなのだろうが、気の弱い人なら心臓が止まってしまいそうなほどに眼光が鋭い。
その証拠にアッシュの後ろにいる子供は、ヒイッと恐怖から声を上げていた。
(シルキィには魔法の連弾を教えてもらったし、始まりの洞窟に入るために背中を押してもらった恩もある。一応俺の魔法の師匠とも呼べなくない。二人の師に見られているなら、無様を晒すわけにはいかないな)
どこかの一般観覧席からこちらを見ているであろうナターシャのことを考えながら、足を止める。
くるりと振り返ると、予選に集められた二十人弱の子供達が今か今かと戦闘の開始を待ちわびていた。
予選は勝ち抜けのバトルロイヤル方式で、二つのグループからなっている。
最後に立っていた一人が予選突破となり、それが二つ、計二人の人間がトーナメント制の本選へ出場することができる。
アッシュもまた、周りにいる他の選手達と同様に、どこか落ち着きなく身体を動かしていた。
緊張、というよりは昂揚からだ。
彼はなんとなく、ちらと横目で舞台の脇に居る予選第二グループの選手達を見る。
そしてそのまま硬直し、目を見開く。
――そこにはひどく見覚えのある、一人の少年の姿があったのだ。
金色の髪を短く切り揃え、勝ち気そうな青色の瞳を輝かせて剣を振っている少年。
彼は間違いなく――m9の主人公であるライエンだ。
どうやら今年が、彼が武闘会で優勝するちょうどその年だったらしい。
つまりアッシュはこのまま行けば、ライエンと戦うことになる。
ただの脇役だった自分が、主人公と戦うことができるのだ。
――そんな現状に、元プレイヤーとして心躍らないはずがない。
恐らく、本気で戦っても敵いはしないだろう。
ライエンはレベル差や能力差など軽々と乗り越えるようなチートスキルを所有している。
(だが師匠に優勝を約束した身、せめて一矢くらい報いてみせる。今の俺の全力をお前に見せてやるよ。……お前と戦うためには、こんなところで立ち止まってられないよな)
アッシュは深呼吸し、魔法発動の準備を終える。
周囲にいる子供達の中に、アッシュに注意を向けている者はいなかった。
『はい、準備ができたようです。それでは皆様ご一緒に、せーのっ、』
「「「試合開始!」」」
「魔法の連弾、二十連」
ドドドドド、と何かが肉を打つような鈍い音が会場に響く。
皆で合わせたかけ声に、その音は半ばほどかき消されていた。
けれど観客達は、既に何かが起こったことがわかっていた。
先ほどまで元気に立っていた少年達が、お腹を押さえながら地面に倒れていくからだ。
試合が開始した瞬間に何かが起こった。
恐らくは、選手による一斉攻撃。
それをいったい、誰が――?
その答えは、たった一人で会場の中央に立っている一人の少年を見れば一目瞭然だった。
そこにいたのは、何の変哲もない至って普通な顔立ちの少年だった。
身長は出場者達の中では圧倒的に低く、年齢制限の十五歳よりはかなり下だろう。
倒れている選手達の呻き声が聞こえるほど、会場は静寂に包まれていた。
観客達と同じく呆然とした司会進行役の女性が、ハッと息を吐き出してから拡声器に接続されたマイク型魔道具を握り込む。
『おおっとこれは……一体何が起こったのでしょうか!? 既に選手は一人を除いて全員ノックアウト! 地面に倒れた時点で失格のため、勝ち残ったのは彼一人だけです! ええっと、選手名は…………モノ、モノ選手です! これは大波乱! 私が目をつけていた子達は、全員ダークホースにかっさらわれました! 私の時間を返せ、バカヤローこのヤロー!』
沈黙が司会によって終わると、次にざわめきが会場を満たしていった。
年少の部は、親御さんのような気持ちになって楽しめるゆるーいノリの大会、というのが皆のある種の共通認識だった。
未熟な剣を振って一生懸命戦う子供達を見ながら、軽食でも摂ろう。
そんな考えをしていた彼らは司会に言われるまで、何が起こったのか理解ができなかったのだ。
だが一人の選手が残り、彼が一瞬のうちに他の全員を倒したのだとわかると、皆の熱狂は高まっていった。
「何が起こったんだ? 何度も武闘会を見ているが全くわからなかった」
「俺はわかったが……あれは、一人だけ別次元じゃないのか?」
「剣……使ってない、ぐすん」
様々な人間の声が飛び交い、興奮の渦が起こる。
観客達は老いも若きも関係なくこう思った。
今回の武闘会、年少の部は彼を中心に回るだろうと―――。
モノ、モノ、モノ!!
倒れた選手達を担ぐ医療班達を尻目に、観客達のモノコールが沸き起こる。
彼はそれを当然と思っているのか、なんら子供らしい反応をすることはなかった。
だが彼はつかつかとステージの端まで歩いて行き、一度も抜いていなかった剣の切っ先を会場の外へ向けた。
モノに釘付けになっていた皆が、剣の先にあるものが何なのかを見る。
そこに居たのは、モノのことをジッと見つめている一人の少年だった。
『おおっとこれは……因縁のライバル!? 宿命の相手!? モノ選手、いきなりの宣戦布告です! お相手の選手はええっと…………ライエン選手です、ちなみにこちらも事前情報なし! なんなんだ、今年の年少の部は何かが違うぞ!!』
奇しくも彼女の感想は、今年少の部を見ている観客達の心の声でもあった。
明らかにレベルの違う実力を持つモノ、彼がいきなり宣戦布告をしたライエン。
武闘会にはあまり見られない、闘技場で生まれるドラマに似た熱が、今たしかにこの場にはあった。
本来なら前座であるにもかかわらず、会場を包む興奮の渦は明らかに例年より大きなものとなっていく。
そしてそれは予選第二グループの勝者が、ライエンとなったことで更に高まっていく―――。
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