本心
「君は……誰?」
「アッシュと言います、今日はあなたに弟子にしてもらいにやってきました」
「アッシュ……あの手紙を書いたのもあなた?」
「そうです」
剣の師事をこんな二十歳の自分に頼むくらいだから年下だろうとは思っていた。
基本的に大人が年下に師事を請うことは、プライドが邪魔をするせいで難しいからだ。
だがまさか、ここまで幼いとは思っていなかった。
それにあの情報を小出しにするようなやり方から、彼女は子供の両親による介入があるものだと思っていた。
しかしどうやら供やお付きの人などもいないようだ。
まぁ、それならそれでやりやすいかと考えて彼を家へと入れる。
「で、私が必要な物の在処っていうのは何?」
ナターシャは、あまり腹芸や問答は得意ではない。
商人としてその特性は致命的と言ってよかったが、その直截な物言いは騎士や剣士としては得難い素質の一つだった。
アッシュと名乗った少年は、胸ポケットからとある物を取り出して机の上へ置く。
『武神』の居場所か何かが書かれているのかと思ったが、彼女が想定しているものとは違うのはすぐにわかった。
ナターシャは飛び上がるように椅子から立ち上がり、ひったくるような形でその封筒を手に取る。
その表面に書かれている文字の筆跡は……かつて何度もやりとりをしていた、父のものだったのだ。
ナターシャはすぐに自分の行動を恥じ、少し頬を赤くしながら手紙をテーブルの上へと置き直す。
そしてううんと喉を一度鳴らしてから、
「どうして、お父さんの手紙を……」
「とある筋から入手しまして。それは生前の『剣聖』があなたに残した手紙です。色んな人の手を流れ、その間に封は破られてしまいましたが……中身はまだちゃんと読めるようになっているはずです」
アッシュが色々と説明をしてくれたが、ナターシャの耳はそのほとんどを素通りさせていた。
結局一年近く会わないまま死んでしまった亡き父。
その遺言が目の前にあるという事実の前では、他のどんなことも些細な問題に成り下がる。
「これを俺の弟子入りの誠意として受け取ってもらいたいと思います。なんだかナターシャさんの心を利用しているようで少し心苦しくはありますが……俺にも今すぐ強くならなくちゃいけない、理由がありまして」
「――暇があるときに面倒を見るくらいだったら。父さんの最期の言葉が知れるなら、それくらい安い物」
アッシュに手渡された、茶色く変色した開封済みの封筒。
震える手を中へ入れ、折りたたまれたしわしわの紙をゆっくりと開いていく。
そしてそれを、ゆっくりと読み進めていった。
父であるオーリャは、あまり喋るのが得意な人ではなかった。
武人気質で、ふと思い立った時以外は家族の顔も見に来ないような、家庭を顧みない人だった。
早くに死んでしまった母も、それをよく愚痴っていたのを思い出す。
そしてどうやら彼のその口下手は、こと手紙に関しても変わらないらしかった。
手紙の内容は、非常に簡潔だった。
あまりにさっぱりし過ぎていて、こんなものが遺書でいいのかと思わずにはいられないほどだ。
書かれていたことは、たったの三つ。
『お前が結婚して子を為すのを見届けられなかった、許せ』
『これも戦場の習いだ。俺を殺した相手を恨んでもいいが、憎しみに瞳を濁らせるな』
『できることなら、幸せに暮らせ。剣の道へ進むかは、お前の好きにすればいい』
言いたいことは、いくつもあった。
あなたが負けたせいで、私は固有スキルを受け継いでしまった。
剣の道以外に、道など残されていないではないか。
あなたを殺した『武神』を心底憎んでいるというのに、あなたはそんな男を憎むなと言う。
なら私の気持ちのやり場は、一体どこにあるというのか。
勝手だ。
自分の父親は、いつだって自分の好きなように生きてきた男だった。
人のことなんか考えないで、自分勝手で、それでいて…………
「本当に思っていることだけは、絶対に口にしてくれないっ……!」
気付けば瞳からは、涙が零れていた。
今まで何度も言う機会はあったはずだった。
でも孫の顔がみたいだなんて言葉、一度だって聞いたことなんかない。
今日あったことを話しても「そうか」と返されるだけで、まともに会話が成立することだって稀だった。
(お父さん……お父さんっ!!)
胸中の溢れる思いを吐き出す相手は、もう既にこの世にない。
幸せに暮らせって……私にとっての、幸せはっ―――。
「俺は『武神』ナルカミの居場所を知っています」
「……嘘」
「ここで嘘をつく意味はありません。詳細な場所は知りませんが、大まかに三つほど候補地が見つけられました。そのどこかに彼は居るはずです」
自分に渡されるはずで、どこかへ行ってしまっていた父の遺言状。
それを見つけてきたアッシュの言葉に、即座に否定を重ねることはできなかった。
そもそも知ることもできなかった『武神』の名前を、彼は知っている。
『武神』という言葉を聞くだけで、頭が沸騰しそうなほど熱くなった。
自分と父の仲を引き裂いた張本人。
『剣聖』である父を殺した、自分の仇。
ほんの少し前までなら、すぐに彼の情報に飛びついていたと思う。
そして勝つか負けるか、その勝敗なんかは二の次で今すぐに『武神』の居る場所へ案内してもらっていたはずだ。
だけど今は……わからなくなっていた。
いったい何が正しくて、何が間違っているのか。
復讐を求めていない父に代わって仇を討つことは、本当に――。
「ですが今の貴方では、『武神』には絶対に敵いません。それに色々、考えることもあると思います」
「それは……たしかに」
「なのでとりあえずはゆっくり考えて、その間にでも俺に稽古をつけてください。答えが出たのならその時はあなたが欲してるものを渡すつもりです。『武神』の居場所でも……もしくは、『武神』の倒し方でも」
本来なら嘘つきだと糾弾すべき場面だとはわかっている。
しかしナターシャには、目の前の少年が嘘をついているようには見えなかった。
彼女は未だ答えが出せていない。
だが今すぐに出さなければいけないもの、というわけでもない。
それなら少年の言うとおり、答えが出るまで待ってみるのもいいかもしれない。
彼女はとりあえず全てを棚に上げ、身体を動かしたくなった。
何かあると剣に逃げたくなるのは、認めたくはないが父親似の部分の一つだった。
「それならとりあえず、立ち合い稽古でもする?」
「はい、なるべくなら周りの被害が出ないような広いところがいいです」
「広いところ……裏の庭じゃダメ?」
「庭って、ぐちゃぐちゃになっても大丈夫ですか?」
「……別にいいよ、花とかも植えてないし」
ナターシャは、いきなり弟子入り志願してきた少年と模擬戦をすることになった。
ちなみにだが、結果はアッシュのボロ負けだった。
彼は魔法の連弾の曲射から使える四属性全ての極大魔法まで使い、その全てを切り伏せられてボコボコにされた。
だがナターシャは、七歳とは到底信じられないアッシュの魔法の才能と、伸びしろのありそうな高い身体能力を認めることとなり、彼を正式な弟子として迎え入れることになったのだ。
『死神』が弟子を取った、ということは早くも王都の噂になる。
だが下手に表舞台に出てストーリーが変わってしまうのを恐れるアッシュは、彼女に自分の正体を黙っていてもらうよう頼み込むのだった。
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