剣神の寵愛


 ナターシャ=エラスムスという少女のことを、一言で言い表すことは難しい。


 舞踏会や貴族の式典で彼女を見た人は、きっと花も恥じらう乙女だと口にするだろう。


 そして剣技を見たことがある人は、彼女を父に負けぬ剣の腕を持つ才女と評するに違いない。


 戦場で敵として相まみえた者達は彼女のことを――天性の人殺しと呼ぶだろう。


 だが彼女は他人からの評価を滅多なことでは気にしない。

 そんなものよりも大切な芯が、その身体の奥底にあるからだ。







 かつてナターシャは戦うことが嫌いだった。

 一度は剣の道を捨て、別の仕事をしていたこともある。


 しかし今、彼女はこうして騎士となってまで剣を握り続けている。


 その理由は一つ―――己の父である『剣聖』の仇を打つためだ。








 剣一本で生きる父の跡を継ぐことを諦めていたナターシャは、両親の薦めで入った騎士学校を卒業してから、田舎町と都会を行き来する商人として働いていた。


 一代限りの騎士爵を持つ父のように、剣一本で生きていくような生き方は彼女には選べなかったのだ。


 ナターシャは父ほどの剣の才能はなく、本人も戦うことがあまり好きではなかった。

 それに何かにつけて父と比べられる剣の道に進むのが、面倒だったという事情もある。



 だが親子仲は決して悪くはなく、彼女は父のことを尊敬していた。




 『剣聖』オーリャ=エラスムス。

 彼は剣奴の身分から戦い続け、そして勝ち続けて自身を買い取り、更に戦場を駆け続けた。


 そして一騎打ちにおける功績や戦働きを王にまで認められ、騎士爵にまで上り詰めたのだ。


 戦場で彼に敵う者はおらず、その振るう剣はどんな強靱な戦士も切り捨てる。


 そしてオーリャは戦い続けることで、剣神に認められた一人だけが手に入れることができる固有スキル『剣神の寵愛』すら後天的に手に入れた。


 彼の剣の冴えは増し、魔法や霊体すら一刀の元に断ち切る存在になった。


 何度も戦場を共にしたからこそ、ナターシャには自分が父に匹敵するだけの才能がないことがわかっていた。


 ナターシャにとって『剣聖』とは偉大な父の名であり、決して超えられない存在でもあったのだ。


 だから彼女は剣で身を立てることを諦め、騎士でもなんでもない一人の市民として生活をしていくことを決めた。


 騎士としての教育を受けてきたおかげで、そこらの夜盗共を切り伏せられるくらいの力は持っていた。


 ナターシャは護衛代を節約し、自身でその身を守ることで、地方にある村々へ安く品物を卸し成功を収めていたのである。


 だがある日、彼女の身に異変が起きた。

 うだるような熱にうなされ、意識が朦朧としだしたのだ。


 三日三晩意識不明の重体に陥っていたナターシャは、目覚めたとき自身が『剣神の寵愛』を受け継いだことを理解した。


 天高くにいる剣神は剣にその身を捧げる求道者ではなく、ただの商人として生きていたナターシャへ寵愛を与えた。


 『剣神の寵愛』が与えられるのは、世界にただ一人。


 それが何を意味しているのかを、彼女はすぐに悟った。

 馬を乗り継ぎ王都へ戻ると、情報は簡単に手に入った。


 不敗であったはずの父、『剣聖』オーリャは……隣国である帝国の食客の『武神』なる男に殺されていた。




 そこでナターシャの運命は決まったと言っていい。


 彼女は『剣神の寵愛』を手に入れ、再び剣の道を歩む決意をした。


 父と同じくあらゆるものを切り伏せる力を手に入れた彼女の人生の目標は、仇討ちへと変わったのだ。


 『武神』の情報は、ほとんど集まらなかった。


 今どこにいるのかも、何をしているのかも、更に言えば生きているかどうかさえわからない。


 彼女は『武神』を探すために戦場を転々とした。


 だがその影を掴むことすらできぬまま、成果ばかりが積み上げられていく。


 彼女は気付けば、父と同じ騎士爵にまで上り詰めていた。


 父と同じエラスムス姓を名乗ることを許された彼女は、日々剣神から授けられた才を磨きながら日々を過ごしている。


 だが彼女の剣は、記憶の中にある在りし日の父のものにはほど遠かった。


 思い出の中の父に劣っているのなら、『武神』に勝つことはできない。

 焦りは日に日に大きくなっていた。






 彼女はここ最近、帝国との国境沿いで百人隊長として剣を振るっている。


 数ヶ月で小さな平地の幾つかを奪還した彼女は、上官から休みをもらうことになった。


 休暇を自宅で過ごそうと特に寄り道もせずに帰った彼女は、郵便受けに一通の手紙が入っていることに気付く。


 そこには筆跡がわからぬよう真っ直ぐな線だけで引かれた歪な字で、こう書かれていた。


『私に剣を教えて欲しい』


 ナターシャはその言葉を鼻で笑った。


 自身、何度も剣の師事を頼まれたことがある。

 だが彼女はそれら全てを断ってきた。


 他人の剣才を磨くよりも先に、己の刃を研ぎ澄まさねばならないからだ。


 またどこかの勘違いのおぼっちゃんがよこしたのか。

 そんな風に考え手紙を破ろうとした彼女の手が、その紙を半ばほどまで裂いたところで止まる。


 剣の教えを請う文言の下に、更に文章が続いていたのだ。




『私はあなたに本当に必要なものの在処を知っている』




 ナターシャが感じたのは戸惑いだった。


 私に本当に……必要なもの?


 それは何か。

 決まってる……『武神』の居場所と、『武神』の倒し方だ。


 だがそんなものを教えてくれる人がいるはずがない。


 私が『武神』を追っていることすら、知っている人間はほとんどいない。


 冷やかしではない……と思う。


 だがそれにしては妙にひっかかる物言いが気になる。


 何か言えない事情があるのか、適当なことを言って私を騙そうとしているのか……どちらにせよ、久しぶりにやってきた『武神』に繋がる可能性のある人間だ。


 一度会ってみるくらいなら、問題はないだろう。


 そう考えたナターシャは、手紙の差出人に言われた通りのとある場所の床裏に手紙を入れて待つことにした。





 それから更に数日が経過した。

 そしてようやく、ナターシャが住むこじんまりとした邸宅へ、お目当ての人物がやって来る。


 ここ数日気が気では無く、痺れを切らしかけていた彼女は、勢いよく扉を開く。


 そこにいたのは……自分の胸辺りまでしか背のない、灰色の髪をした少年だった。

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