エリクシル


 フードから見える顔は、名うての商人のような柔和なものだった。

 年齢は三十前後だろうか、一見するとただの何の変哲もない男にしか見えない。


 ――ありえない、と三人共が脳内でその考えを一蹴する。


 この三人相手に、本当に実在するかどうかも怪しいレアアイテムの在処を使って交渉しようなどという男が、普通なはずはない。


「私はダストと申します。皆さんは話が早い方が好みだと思うので、まずはこちらをご覧下さい」


 そう言うと、ダストと名乗った男が自分の服の裾から3枚のカードを取り出した。


 赤・青・緑色に塗られたそれらは、それぞれにブライ・ホーキンス・マチルダの名が書かれている。


 ここにいる三人は、それが一体なんなのか察せないような鈍感ではなかった。



「そこに……僕達が求めている物の在処が書かれていると?」

「その通りです。我が主があなた達を口説き落とすために手に入れた、値千金の情報が書き込まれています」

「話が早くて助かるよ。ねぇあんたら、こいつを殺して情報だけいただいてこうよ」

「と言われることも織り込み済みなので、ここには情報の半分だけが記されています。なのでこれは、言わば前金です。どうぞ遠慮無くご覧下さい」


 ダストは投げナイフの要領で、3枚のカードを投擲した。


 三人は眼前に迫ったそれを二本の指で掴み、ぺらりと裏返して文字へ目を通す。


 ブライ宛ての紙にはこう書かれていた。


『○○に居る○○老師に会い、○○をすれば滅竜剣が手渡される』



「――ふざけてるのか、こんなの何も教えていないのと同じだろうが」

「いえいえ、ふざけてなど。ですがこうでもしなければ、まともに言うことを聞いてくれないでしょう? 私を殺し、逃げ出してしまいそう

ですからね」


 ブライは顔を上げて残る二人を観察する。

 彼らの様子は、酷く対照的だった。

 まずマチルダの方は自分と似たような渋面をしている。


 恐らくは自分と同じ、ヒントになっているかどうか微妙な情報を渡されたのだろう。


 だがホーキンスの方、はブライ達二人とはまったく違う反応をした。


 彼は中身を見た瞬間ギョッと目を開き、そのまま紙を大切に胸に当てながら泣き出したのだ。


 どうやらそこに書かれている何かは、彼にとっては何より重要なものらしい。



「ホーキンスさん、ご満足いただけましたか? 一応レシピだけではなく、現物支給の用意もあります。依頼が終わった段階で良ければ、お渡しすることもできますよ」

「ほ……本当ですか!? ありがとうございます、ありがとうございます!」


 答えのヒントすらもらえなかった二人の視線を気にせず、彼はしきりにダストへと頭を下げていた。


 ブライはレシピという言葉から、彼が求めていた物が薬か何かだと推測した。

 この世界において稀少な薬といえば数は限られる。


「そうですお二方、彼へ渡したのはエリクシルのレシピです。これがあればホーキンスさんの妹であるセリアさんの石莱病を根治させることができます」

「――ちょっと待ちな、エリクシルだって!?」


 ブライも思わず声が出そうになったが、マチルダが大きな反応をしたおかげで落ち着くことができた。


 彼が想定していたのは、死者をも生き返らせると噂の上級回復薬である反魂湯だった。


 だが出てきたのは、予想していたよりも一段も二段も高い薬の名だ。


 あらゆる回復アイテムの中でも頂点に君臨し、現在では製作できる人間はいないとされる伝説の薬……それがエリクシルだ。


 現在誰も作れない薬のレシピを持っているなどと言われても、はいそうですかと信じられるはずがない。


「おいホーキンス、簡単に騙されすぎだぞ。適当にでまかせ書いてるだけに決まってるだろうが」

「そ、そうか……たしかにいきなりのことで舞い上がり過ぎたかもしれない。そうだな、ダストさん。このレシピが本物である証拠、それかあなたがエリクシルの現物を持っているという証拠はあるかい?」

「はい、こちらに。どうぞ確認してみて下さい。なんならマチルダさんも見ていいですよ、あなたの固有スキルを使ってくれても構いません」


 ダストは服の内側に手を入れて、胸のあたりをまさぐる。

 そして中から一本の透明な瓶を取り出し、ホーキンスへと手渡した。


 そこに入っていたのは、黄金色の液体だ。


 夕陽を反射する稲穂のようにキラキラとしていて美しい。

 しかも、ただ見ていて綺麗だと思えるだけではない。


 見ているだけで思わず手を伸ばしたくなるような何かが、そのアイテムにはあった。


 濃密な魔力を宿す品には、他人を引き付けるだけの引力が宿る。

 ということはあれは何かしらの、かなり高位のアイテムだということ。

 もっとも、本当にエリクシルであるなどとはブライ自身全く思ってはいなかったが……。


「…………」


 ホーキンスの目が、一瞬青く光る。

 その輝きには覚えがあった。

 大商人が取引の際に使う、『鑑定』使用時に放たれる光だ。

 『鑑定』の巻物スクロールは比較的流通量が多く、大金を稼げる者であれば買うことの出来る金額で取引されている。


 恐らくホーキンスは偽物の薬を掴まされぬよう巻物を購入したのだろう。


 鑑定を発動させたホーキンスは、自分の手に持った瓶をじいっと見つめ……ブルブルと大きく震えだした。


 ホーキンスは化け物と戦おうと、どれだけたくさんの敵がいようとも臆しない剣闘士だ。


 彼がそこまで異常を来すのは、普通のことではない。

 そんなバカな、という思いがブライの頭をよぎる。

 まさか……本当に?


「うそ……マジだ、マジもんのエリクシルだ」


 ホーキンスが凝視し、大切そうに抱えている瓶を見つめながら、マチルダが呆然とした顔でそう呟いているのが見えた。


 恐らくは彼女も職業柄、鑑定のような技能を持っている必要があったのだろう。


 本来なら周囲に味方しかおらずとも警戒を怠らないような強者である二人が、呆然と隙だらけの構えで立ち尽くしている状況。


 ――それが指し示す事実は一つ。


 ブライの目の前にあるあの金色の液体は……本物のエリクシルなのだ。


 となれば恐らく、レシピも本物と考えた方がいい。


 とんでもないことになってきたぜ、と内心で驚きながらダストを見る。


 滅竜剣のことも、これで現実味を帯びてきた。


 だがそのためにエリクシルを出すのは、少々大盤振る舞いが過ぎる。


「……ぬふっ」


 ほれみろ、とブライがマチルダを見つめる。

 視線の先にいた彼女の目が、完全に$マークになっている。


 恐らく売れば一体いくらになるのか、という銭のことしか、今の彼女の脳内にはないだろう。


「依頼が完了したら、それをお渡しします。それでよろしいでしょうか?」

「……ハッ、はいっ! 疑ってしまい、申し訳ありませんでした!」


 現物を見せてもらい安心したホーキンスが、エリクシルの入った小瓶を返す。


 ダストの手に渡ったそれを見て、マチルダが剣呑な殺気を出す。


 武闘派ではないのか、ダストの身体はエリクシルを胸に入れた状態で完全に硬直した。


 だが割って入るように身体を入れてきたホーキンスのおかげで、マチルダが計画を実行に移すことはなかった。


「……わかってるよ、冗談じゃないか冗談」

「この依頼を遂行して、薬を持ち帰る。ダストさんは今から僕の正式な依頼主だ。彼に危害を加えることは許さない」


 なるほどねぇ、とブライは対面している二人を余所に一人少し離れたところから様子を観察していた。


 最初にホーキンスを取り込むために、彼へ現物を見せる。


 伝説級のレアアイテムを見せられれば信憑性はグッと上がるし、彼を味方へ引き込めば残る二人もそう無体なことはできなくなる。

 荒いようで、よく練られたやり方だ。


 ブライは滅竜剣を欲している。


 だが状況がここまで目まぐるしく動くとなると、彼の中にある危険察知のセンサーがアラートを鳴らし始める。


(超のつくほどのレアアイテムを餌にしてまで俺達を動かすこの男は、一体どんな依頼を持ち込もうとしている? いや、正確にはこの男ではないか。この男の上にいる人間は、果たしてどんな奴なのか……)



「まぁエリクシル一つでお二方の信頼が得られるとは思っていませんが、良い判断材料にはなるでしょう。一応主要な情報以外にも、色々お話はできますよ。マチルダさんには……今貴方が欲しがってるはずのとある呼び笛を。そしてブライさんには……まだあなたが持っていない汎用スキルの巻物(スクロール)の在処でどうでしょうか」



 こいつの上にいる人間は、自分たちが何を欲しているかまでを完璧にリサーチしている。


 二番目に欲しいものを前金として払うくらいには太っ腹。

 そしてこちらがどう動くかまで想定した上で、こうやって声を掛けてきている。


 普通の人間にできることではない。


 たくさんの人間を動かし大量の情報が集積できる、金か権力のある者にしかできない動きだ。


 ブライは先ほどまで、依頼の難易度から考えて手を引こうと考えていた。


 だがここまで詳細に情報が得られているとなると、また少し話は変わってくる。


 恐らく自分たちの実力は、すでに把握されている。

 となればその依頼内容も、自分たちにならば達成できるものなのではないだろうか。


 奇しくもエリクシルというあり得ない物を見たが故に生まれた、依頼方に対する妙な信頼が奏功した形だった。


 マチルダは少し悩んでいたが、結局依頼を受けることにしたようだ。


 それに続く形で、ブライも依頼を承諾する。


 三人が改めて依頼を受諾すると、ダストはホッと息を吐いていた。


 恐らく彼もまた、上司にとって替えの利く駒でしかないのだろう。


 改めてテーブルにつくことになった四人。

 ブライ達が腰を据えて話を聞く体勢をしたのを確認してから、ダストはゆっくりと口を開いた。


「今回のあなた達への依頼は―――とある場所で発見された、未調査ダンジョンへ赴くことです」

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