プロローグ 2
アッシュはこの世界―――『マジカルホリック9-nine-』、通称m9の世界に転生することになった元日本人だ。
彼は主人公ライエンが女の子達と共に成長しながら仲良くなっていく恋愛ADVにRPG要素を足したPCゲームの、とあるキャラに生まれ変わったのである。
彼はアッシュという、名前付きではあるが、決して主要キャラではない人物としてこの世界に生を受けた。
ではアッシュとは、そもそもどういうキャラなのか。
その説明は、至極簡単に言えば『お助けキャラ』である。
アッシュはゲームの序盤に出てくるキャラで、魔物達の湧き出るダンジョンへ入ろうとする主人公ライエンに色々と手ほどきをしてやる同い年の有望な新人冒険者だ。
アッシュは有能で能力も高く、主人公達が苦戦するようなボスも難なく倒してみせる。
しかしその後魔王軍幹部の居場所へつながる魔法陣が見つかり、中へ入った一同はそのまま戦闘へ突入。
魔王軍の圧倒的な強さを示すためか、アッシュは為す術無く殺されてしまう。
そして苦戦するライエンは怒りから真の力に目覚め、敵を退けることに成功する。
要は物語の展開上、主人公覚醒のための尊い犠牲になってしまう哀れなキャラなのである。
ゲームをやっていたときは、こんなにあっさりやられるのかよと思いながら鼻をほじっていたが、実際にそのキャラに転生してしまうとなればまた話は違う。
魔王軍の幹部に即殺されぬよう、というかむしろ返り討ちにしてやるべく鍛錬を続けてきたおかげで、彼は十三才にして既に人並み外れた実力を手に入れていた。
そう、それは主人公ライエンを始めとする有名どころのキャラクター達と肩を並べられるほどに。
アッシュのレベルと戦闘能力、そして魔力量は既に尋常のものではない。
彼には覚醒ライエン、つまりは勇者の力を使えるようになったライエンと伍することができるだけの実力がある。
少なくとも今目の前にいる、明らかに噛ませ犬みたいな人間に負けるほど柔な鍛え方はしていなかった。
「メルシィさん」
「な……なんですの?」
「あ、あとでお茶でも一緒にどう?」
「……ふふ、はい。喜んで」
「よっしゃ!」
m9には不良王女や幼なじみ伯爵令嬢、敵を裏切って人間側につく魔物っ娘などなど、ヒロインの数はサブも含めると九人もいる。
だがその中でバグ(仕様です)のせいで攻略できない主要キャラが二人居る。
ライエンの妹であるポプラと、不遇な目に遭わされ転落人生を辿ることになる悪役令嬢のメルシィだ。
そう、今アッシュの目の前にいる彼女はゲームなら本来攻略できないはずのキャラクター。
彼女はアッシュと同じく、物語の展開上不遇を強いられることになる。
アッシュがメルシィを助けたのは自分と似た境遇にシンパシーを感じていたから――だけではない。
実は彼が前世で一番好きなキャラが、彼女だったのだ。
メルシィは実は普通の暮らしがしたいけれど、親族に強制されるせいでどこまでも公爵令嬢のような振る舞いしかできないという女の子だ。
だがその心の内が語られるのは初回限定版のドラマCDの中でだけ。
ゲーム内ではあくまでも、傲慢に振る舞う悪役令嬢のメルシィが転落人生を転がっていくようにしか描かれていない。
どれだけパッチを当てても彼女を攻略したり、幸せにできるルートがないと知ったときは絶望した。
悪役令嬢をどこかではき違えている制作陣には、ゲーム設定から送れるアンケートで長文の苦情を書き入れたりもした。
だが彼らがメルシィというキャラを生み出してくれたのも事実なので、それに倍するくらいありがとうのメッセージを入れもした。
アッシュは前世では、それくらいに厄介なメルシィファンだったのだ。
目を見て話せないのは、単純に好きすぎて尊いからだった。
彼女の運命を変えようと実は少し前にアドバイスをしていたりもするのだが、その時から二人の関係は何も変わっていない。
こうやってイジメられるような事態にならぬよう、自分なりに手を打ったつもりだったのだが……どうやら学園生があまりにもバカすぎたせいで原作通りのイベントが起きてしまったのは反省すべきところだろう。
今回は原作とは違い、公爵家が御家取り潰しになったわけではない。
そのため一度退学したメルシィが、特待生枠として復学したりもしていない。
だから今まで後ろ盾が怖くて手が出せなかった者達がいきがりだしたり、取り巻きが離れていくようなことないはずだった。
だが現に今彼女は悲しんでいる。
アッシュはメルシィのそんな表情は、見たくはなかった。
メルシィは外ではあのキリッとしたお嬢様然の姿を保ち続け、家に入ればパジャマで寝たままお菓子を食べるぐーたら娘で居て欲しいのだ。
「ほら、行こうメルシィさん。俺ってば実は強いから、安心して良いよ」
「……知ってますわ。私はあなたが、誰よりも――あのライエンさんよりも強いってことを」
「あはは……一度も勝ったことはないけどね」
差し出した手は握らず、彼女は一人で立ち上がりスタスタと先へ進んでしまう。
その態度は冷たいようにも見えるが、耳元で囁かれた言葉はひどく温かかった。
アッシュ自身、メルシィからそんな風に思われているとは知らなかった。
自分はお調子者で変な人くらいの認識だろうと思っていたのだ。
だがどうやら、そうではないらしい。
たった一言だけだったが、アッシュは自分の今までの行動が報われたかのような満足感に包まれていた。
二人は少し距離を取りながら、魔法決闘を行うべく校舎に併設された練技場へと向かっていく。
アッシュは晴れやかな気分を隠そうともせず、スキップで己の推しヒロインの後ろをついていくのだった……。
今は王国歴145年、主人公ライエンが十三才になる年だ。
通常、魔法学園に入る学生は入学してから一年が経過するとダンジョンへ入り戦闘の訓練を積むようになる。
ライエンは既に、ダンジョン突破を成し遂げていた。
それも外部の冒険者達の手は借りず自身のパーティーだけで。
更に言うのなら、彼はただ踏破をしただけではなくそこに巧妙に隠されていた罠を見抜き、転移魔法陣の先にいた魔王軍幹部すら撃破していた。
ただ一人の犠牲もなく、である。
―――そう、本来なら死んでいたはずのアッシュはこうして今、ピンピンしながら好きな女の子のケツを追っている。
彼は既に、己の死の運命を克服していた。
更に言うなら本来はライエンが入るはずだった特待生枠に食い込み、彼とライバル関係になっている。
そしてメインヒロインである王女イライザとも交友を持っており、彼らの組むパーティーメンバーの一員になっていたりもする。
アッシュがどのように成長し、本来のルートを外れながら死亡フラグをたたき割ったのか。
そこに至るまでの道筋は、決して平坦なものではなかった――。
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