油断

あの場から離れた俺たちはそれぞれ別の方向に向かった。

楓は現場近くに移動し、「境界線ホライゾン」の揺らぎが発生してないかの調査を行い、再発生するのを阻止しに向かった。

そも「境界線」は『世界』の一部が曖昧になっているがゆえに発生するもので、時間が経過すれば自然と修復されたりするもの……なのだが、今回の事件は異常も異常だ。


なんせまず開くはずがない街の中心部周辺にできてしまったからだ。


もしかしたら、あそこだけ「人間の領域」っていうバランスが崩れて穴が開いてしまったかもしれないという可能性がある。

だからこそ、そういう類に慣れている楓が対処することにしたのだ。

そして手が空いた俺は現場付近を捜索し、今回の事件を起こした元凶を捜索している。


だが、思ったより捜索は進まない。

なんせ、街中で捜索するということは、自分以外の人間がいる環境で相手と遭遇する可能性があるのだ。


もしこれが人里外れた森の中だったとする。

これならある程度は大胆に動いても人に気づかれて翌日の新聞に「奇怪! 凄まじい速度で移動する男!?」と載ることはないはずだ。

それに、人のいない森の中ならある程度は暴れてもいい。

……始末書を書かされることを除けば、だが。


だが街中だとそうはいかない。

少しでも力の入れ具合を間違えれば建物を破壊するほどの力が俺たちのような力を持たない一般人にあたるかもしれない。

そうでなくとも、俺たちを排除しようと暴れ出した怪異によって一般人が死亡するなんて事態になれば……考えるのもぞっとすることだ。


だからこそ慎重に、いつ遭遇するかもしれない怪異を刺激しないように、俺は街中を探し回った。


しかし、それは魔力の残痕が途切れたことで終わりを告げる。


「ハッ……ハッ……クッソ、魔力が途切れてやがる……。気づかれたのか……それとも消滅したのか……?」


流石に数時間は走り続けたため、少し息が上がってしまった。

たどり着いた場所は、町はずれの放棄された人気のない商店街。

時折吹く春風が寂れた商店街を突き抜ける様は、何とも物悲しい。


華山市はパッと見、発展の進んだ素晴らしい近代都市だが、元あった古い街並みもいくらか残っている。

施設が成長していき、使いやすくなっていけば昔の施設は使われなくなる。


それこそ、自分たちがまだ今よりも小さい時に着ていた服が今は使われなくなるように。


ここで働いていた人の大半は、もうここを引き払ってしまっている。

誰もいない無人の商店街だったならまぁいいだろう。

正直、今の状況からして「無人の寂れた商店街」というのはかなりマズイ感じなんだけどな。


「……絶対いるよな、ここ……」


無人っていうのは、「人間の領域」が薄い場所。

そして、明かりのつかない寂れた商店街というのには、一種の「恐れ」という信仰が集まる。


今回の怪異は、怪異の中でも「死霊」の分類だと楓が言っていた。

そもそも「怪異」とは主に、この世界とは違う世界――「異界」に生息する「悪性生命体」のことを指す。

悪性生命体の大雑把な分類の仕方としては、「非常に気性が荒く、我々の制御下におけない存在」のこと……と、俺の主治医である人が言っていた。


そんな怪異の中でも「死霊」は、死霊以外の生命体の感情を主に餌にする。

嬉しいという感情を餌にするやつもいれば……こんな商店街に存在するであろう「恐れ」を餌にするやつもいる。

誰だって、真っ暗なところにはいたくない……そんな「恐れ」を餌にしているやつがいるはずだ。


だからこそ、ここには目的の怪異が潜伏している可能性が高い。慎重に行動しなければ……。


「……遠くの方に魔力の残痕があるわけではない……意図して消したか……『待ち伏せ』か……」


警戒心を跳ね上げる。

待ち伏せができるほどの知能があるなら、何かしらのからめ手は使ってくるはず。

楓が言うには炎を使っている可能性があると言っていた。

もっと言えば事件現場の被害者たちは体を食われている。

死霊は感情を「主に」餌にするだけで、凶暴なやつが肉を食わないなんてことはない。

だから、肉体を食えるっていう今回のは相当危険なやつだろう。


極めつけに、相手が使っているのが「炎」ということだ。これのせいで仮想戦闘ではかなり不利な状況である。

何故、不利なのかというと、相手が炎を扱うということは、俺が扱える魔力属性――「炎」を軽減。あるいは無効化してくる可能性があるからだ。


ファンタジーなゲームで出てくる炎が得意な魔物を想像するとわかりやすいだろう。

そんな奴らに炎属性の魔法を当てても軽減されるか無効化されてしまうはずだ。


俺は自身の魔力属性を活かした高火力戦法が得意である。

だがこの場所で使える可能性があるのは……火炎放射フレイムスロワー熱拳ヒートナックル……ざっと被害を抑えた技でこれだけだ。それ以外は火力がデカすぎて周りがぶっ壊れる。

それ以外だったら普通に殴る程度だが、相手は周りの被害のことなんて考えるわけがないやつらだ。


せめて魔力による攻撃が通じるならやりようはあった。

多少は力押ししてでも攻撃を通せばできそうだが、しかし、相手が軽減するかもしれないのを分かってて下手に力を使うのは得策じゃない。


なら、楓に助けを――


からんっ……と乾いた音が鳴った。


「!」


スマホをとろうと懐に伸びていた手を離し、すぐさま音の発生源に体を向け、片足を引き、拳を胸の前で構えるという戦闘体勢をとった。

振り向いた先は通りにある廃店舗の間にある脇道。そこから何かしらの欠片が動いた音がした。

やっぱり誘い込まれたか……そう思いながら警戒心を脇道に集中させる。


今回は街中での調査を主にする予定だったため、いつも戦闘用にと装備している籠手はない。

いつも自身の腕にあるあの重みがないせいで少しだけ落ち着かないが、岩程度なら砕けるこの拳があるため、多少は効果があると思いたい。

だが、相手によっては物理的な攻撃が効かない怪異も多い。死霊なんかはその最たる例だ。


不利すぎる……だが、やらなきゃいけない。


そう、この「世界」に足を踏み入れてからずっと心に決めてきたことだ。

覚悟を決め、まだ見ぬ相手の一挙手一投足に対応するため、無駄なものをそぎ落とし、一点に集中する。


どんな相手が現れようと、絶対に倒すために。


しかし……。


「ニャオ~」

「……ね、こ……?」


脇道から現れたのはどこにでもいそうな黒猫だった。

その黒猫が歩くたびにチリンチリンと音が鳴っており、注視すると首元に鈴の付いた首輪がつけられていた。

おそらく、どこかから逃げ出した飼い猫なのだろう。

そんな黒猫は、間抜けな表情で唖然としている俺を尻目に体を伸ばしていた。


「……っ、はぁ~……なんだよ、驚かせんなよ……」

「フニャ?」

「しかも初対面の俺見て全然逃げねぇし。おいお前、どっからきたんだ? 飼い主さんが困ってるんじゃないかっての」

「ニャフー♪」

「いやいや、随分とのんきだなお前……。こっちはめっちゃ神経尖らせてたっていうのに……」


とりあえず、誰かの家から脱走したであろう飼い猫に近づいてみる。

その黒猫は初対面の俺が近づいても逃げ出さないどころか、むしろもっと撫でろとじゃれてくるあたり、警戒心が緩いどころではない。

そんだけ人馴れしてるのにこんな人のいない場所まで逃げてくるとは……どれだけ気まぐれなんだろうか……。

さっきまで気を張っていたのが馬鹿らしくなってくるレベルで、この猫は無警戒過ぎた。


どこの家から脱走したのか調べる為に、名前の付いているであろう首輪を見てみる。


「K、O、T、A、R、O……虎太郎、ってところだな。どこの家かは流石にわからないか……。しっかし、名前が虎太郎とはなぁ……。そんな威厳はなさそうだけど」

「フニュウ……」

「とりあえず、この場から離れ――」


そう、気を緩めてしまった時だった。


「ガッ――!?」


背後から車に追突されたかのような衝撃が走ったのである。


咄嗟に虎太郎が怪我しないように抱え込み、衝撃を逃がすために勢いそのまま吹き飛ばされて何度も石畳の通りをバウンドしながら転がっていく。

やっと勢いが止まりすぐさま立とうとしても、背中を強打されたせいで、肺の中の空気が吐き出されてしまったのか、視界が歪んでなかなか起き上がれない。

それでも襲撃者の姿は捕捉することができた。


赤黒い色と不気味な光沢、そして、ぶよぶよとした半透明のゼリーで作られたかのような質感を持ち、時折脈動するかのように収縮、肥大化する姿は見るものに嫌悪感をわかせる。

しかも空中に浮遊しており、ゆらゆらと動く様は幽霊を連想させる。

そんな明らかに普通の生物じゃないそいつは、明確な敵意をもってこちらを見下ろしていた。


そう、そいつは……


「スラ、イム……!」


探していた怪異であった。

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