第30話

 私はこの世界に来る前は、本当にごく一般的な人間だった。

 特別成績が良い訳でも、運動ができる訳でもなく、見た目も至って普通。

 ちょっとここは大多数とは違うかもしれないな、と思っていた部分はあったけれど、同じような人もちらほらいたので、それほど気にしたことはなかった。


 違うかもしれない、と思った部分は、ウィルヘイムさんの言う色恋沙汰の部分だ。


 恋愛小説や少女漫画、ロマンス映画に恋愛ドラマ。


 そういったものを見てときめいたり、わーっと感動はするんだけれど、実際の恋愛となるとどうしてもスムーズにはいかない。


 告白されて、びっくりして、嫌な人じゃなければお付き合いをして、恋人同士になって、そういうことをして。


 それはまぁ、できるんだけど。


 好きだよ、と言われることに私も好きだよと返していても、相手は私の感情をそうとは取れないみたいだった。


「愛は本当に俺のことが好きなの?」と聞かれることも多かったし、「本当の気持ちが分からない」と言われることもあった。


 嘘偽りなく好ましいと思っているのに、それは正しく伝わらない。


 束縛をしないことや、感情をぶつけないこと。

 そういった部分で「愛は俺のことを好きではない」と思われてしまう。


 疲れて、もういいかなと思ってしまった。

 恋人がいる生活は楽しかったけれど、恋人がいない生活もそれはそれで楽しいと感じる。


 別れの言葉はいつも同じ。


「愛のことが分からない」


 言葉でどれだけ説明しても、ついに伝わることはなかった。



 恋人と別れた翌日はいつも、目が覚めて、スマホを手に取って、おはようと送ろうとして──


 ああ、この人に毎日挨拶する日常は、もう、終わったんだ、と寂しく思った。


 少しだけ泣いて、会社に行く。


 付き合った人はみんな、本当に好きだった。


 ちょっと子供っぽくて感情的だけれどいつも他人に優しいひと、大人っぽいけれどたまに専門知識を並べて話し出すと全然止まらなくてバツが悪そうにするひと、お人好しで誰かの変わりに困ることが多いのに絶対に泣かなかった強いひと、いろんな人がいた。


 みんな、好きだった。

 伝わらなかったけれど。


 恋愛がうまくいかない人は周りにもたくさんいた。

 私はそんな仲間がいることで、まぁたぶん無理にしなくても良いんだよねと思ってしまった。


 そういうことがあったので、ウィルヘイムさんが恋に目覚めて私を口説いてくれても、やめとこうよ〜という気持ちになってしまう。


 帰りたーいと表明したら、ウィルヘイムさんはちょっとだけ泣きそうな顔をした。


 いや、ごめんて。


 初めての恋の目覚めに対して、今のはあまりにも無情過ぎた。本当にごめん。


「冗談です」


 本気だったけれど、ここは冗談ってことにしておこう。


「あ、それと話したいことがあって来たんですけど」

「そうなのか?」


 全然本来の目的を達成していなかったね。

 部屋の中は【遮音】しているけれど、騎士が一人いるんだよね。

 この人にはウィルヘイムさんは隠しごとをしなくてもいいそう。

 信頼してる相手なんだね。

 口を挟んできたこともないし、驚いたりすることもあまりない。

 ウィルヘイムさんが私のことをどう説明しているのか、ちょっと聞いてみたい気もするけれど。


「スキルのこと」


 第三王子様のことはここで言っちゃってもいいのかな。

 判断ができないので、ウィルヘイムさんにそれとなく伝える。


 チラッと騎士を見て手で合図する。

 騎士は頷いて、部屋を出ていった。

 とりあえずは聞かせないほうがいいんだね。


「3歳の王子様、スキルが【安寧】ではありませんでした」

「……はぁ」


 頭が痛そう。

 敢えて聞いたりしないけど、そうなると問題がいろいろ出てくるんだね。大変そうだね。


「【安定】というスキルで魔法士になるのは向いていると思います。精神的に安定しやすい、ということですね」

「調べてくれたんだな」

「まぁ、ちょっと気になって」

「貴女は……」


 黙っちゃった。お小言があったかな?


「……いや、いい。感謝する、しても足りないな」

「じゃあ、そんなわけで。そろそろお暇しようかなと思います。パーティーには【透明化】して行くので、もし何かあったらできるだけ力になりますよ」

「最後までいてくれるのか?」


 本当はチラッと見るつもりだったけれど、危ないことになるかもしれないというならついていたほうが良さそう。


「メイローナさんがつらい目に合うと、うちの娘が泣いちゃうんです」

「なるほど、それも理由のひとつか」

「そうですね」

「デザートは食べていかないのか?」

「……ちなみになんです?」

「ジュエリームースだ」


 なんだそれは。

 ワゴンの二段目から蓋の閉まったプレートを取り出して、テーブルに置いた。

 蓋を開けたらゼリームースが出てくる。


 上がゼリーで下がムースになっているやつ!

 ゼラチンだ!欲しい!


「この透明の方の部分にゼラチン使ってません?」

「ゼラチンは分からないが、貴女が知りたいのはこれを固めている素材か?ゼーラと言う。熱に弱く冷えると固まる性質を持つな」

「ください」


 リリアンさんが喜ぶぞ。

 アキサルにはゼリーがなかったから、ゼラチンがそもそもまだ無いのかな〜と思っていたけれど、メザイア連合王国にはあるんだ。


「貴女が欲しいものを初めて用意できそうだ」


 しっかりデザートまで食べて帰った。

 ゼーラはいっぱいもらった。板ゼラチンなのね。



 モモをお迎えに行ったら『どうでしたか!』とたいへんニコニコしているので、ほっぺをもにゅもにゅさせてもらった。

 癒やし。

 メイローナさんとアニエスさんにありがとうね〜と告げてログハウスに帰る。


「見て、モモ」

『ウィルヘイム様に頂いたんですか?』

「そう!リリアンさんが喜ぶよ〜ゼラチンがメザイア連合王国にはあって、価格もそんなに高くないの。輸入品として取り扱っても問題ないし、気温が高過ぎない間は特産品にできるしまた種類が増えるかも」


 村でお菓子を作って売り物にするとなったとき、リリアンさんが考えついたレシピは、焼き菓子がメインだった。

 それはどうしてかというと、村で触れることができる素材がとても少なかったから。

 スティーナさんが来るようになって、他国の輸入品も増えた。

 けれども、ドライフルーツや砂糖、特殊な焼型や製菓道具が多くて、素材という素材には触れることがあまりできなかった。

 レシピを思いつく為にとにかくいろいろ出してみる?と聞いたけれど、リリアンちゃんはそれを良しとはしなくて、自然と巡り合うタイミングが来ることを楽しみに待っている。

 それを知っている以上、無差別にあれやこれや出すわけにもいかないなと反省した。

【製作】と【創造】を使わないとなると私は本当にぽんこつで、今回ゼーラと出会えたことはかなり嬉しい。

 メザイア連合王国に売ってるものなんだよーと渡せる。

 スティーナさんもこれが欲しいと言えば調達してくれるし、今後はゼーラを使ったお菓子も作れるようになるはずだ。


 メザイア連合王国のお店を覗きに行ったら、他にももっとあるかもしれない。

 パーティーの日だけ来る予定だったけど、いろいろと見て回ろうかな。


「明日もメザイア連合王国に行く?お店を見て回って、いろいろ探すのもいいよね」

『嬉しそうですね、マスター』


 生温かい目でモモが見ている。なぜ。




 翌日には村へ行ってゼーラをリリアンさんに渡す。

 リリアンさんはすぐにいろいろと動きたくなったようで、そわそわしていたのですぐにお暇した。


 なーにーあんな可愛い顔しちゃって。

 喜んでもらえて良かった。


「サイトー様」


 サイラスさんだ。


「なにかありました?」

「預かったばっかでこういうことになって悪い。アイルが、その、拗ねちまったのか?様子がおかしいんだ。物置から出てこなくなっちまって……時間が経てば開けてくれるかと思ったが、物音も全然しない。心配でな。扉をちょっと壊しても構わないか?せっかく作ってもらったが……」


 そんなのいいよ、全然気にしないでよ。


「今後も何かあったら迷わず壊してください。いくらでも直しますから」

「いや、直すのは俺達でもできる」


 壊すことに遠慮してるのね。いいんだってば〜。


「アイルはどうして拗ねたんです?」

「サラをあやしてくれてる時に、セレナがうっかり転んじまったらしい。アイルはセレナを助けようとして、抱っこしてたサラを慌てて赤子ベッドに戻したら、そのときにサラが赤子ベッドの枠に腕をぶつけたみたいでな」


 赤子ベッドっていうのやめない?

 違和感がすごいよ。


「サラちゃんは怪我がひどいんですか?」

「いいや、もう全然わからないくらいだ。ぶつけたっていうところを触っても泣かないし、折れてるようにも見えない。ヒビが入ってるなら腫れるだろう。そんな大事じゃないんだ、セレナもそれを見てたから、腕がぶつかったのは軽くで、思いきりじゃない」

「でもアイルは怖かったんですね」

「そうかもしれない。セレナは気にしなくていいと言ったらしいんだが、アイルはずっと下を向いて。俺が帰ってセレナから話を聞いたあとに、首なんか差し出すもんだから、カッとしちまって」


 おおう、また首を出したの。困った子だな。


「家族にそんなことするやつがあるかって、つい、怒鳴っちまって」

「それから出てこない?」

「なんか物を置いて塞いでるんだろう、物置から出てこない。怒鳴ったから、拗ねちまったのか、違う理由なのか。昨日からだ。飯も食わずに閉じこもっちまって」


 サイラスさん寝てないんだろうな。

 ずっと待ってたのか。

 この調子じゃセレナさんも落ち込んでいるだろうな。


「うーん、ちょっと先にアイルの様子を見てきます。待ってて下さい」

「すまん」


 いいんですよ。

 アイルのことが大好きって感じがサイラスさんからめちゃくちゃするので、逆に嬉しいくらい。


【透明化】してサイラスさんちに【座標転移】する。


 セレナさんはサラちゃんを抱っこして、ゆらゆらさせている。

 腕ね、何もないように見えたけど一応【平癒】しておくね。セレナさんが気が付いた。


【透明化】しているから姿は見えていないんだけれど、来たことが伝わったかな。

 全然違う方向に一礼してる。


 物置の方に【座標転移】したら、アイルはでっかい猫みたいになってた。


 全くこの子は。


「アイル」


 ビクッと体が跳ねる。


「なーに、どうしたの、拗ねてるの?」

「……拗ねて、ない」

「サラちゃんはひどい怪我はないって言ってたよ」

「だけど、俺のせいだ」


 ぼろぼろ涙が溢れている。

 泣けるようになったのか。


 床に蹲って小さくなって、アイルが声を押し殺して泣く。


「……アイル、うちにくる?」


 ハッと顔をあげて、絶望の顔をした。


 なんだよー、そこで絶望するなよー。

 サイラスさんちがいいのね、はいはい。


「そ、それが、罰なら」

「こらこら、罰とか言うな、人んちを。素敵なログハウスだぞ」


 失礼な。


 蹲るアイルの体を起こさせて、ぎゅうっと抱き締める。やせっぽっちの体だけど、少しずつ肉がついてきた。村のみんなのおかげ。

 サイラスさんとセレナさんとサラちゃんは、優しいよね。


「どうして閉じこもったの?」

「……サイラスとセレナは俺に罰を与えないから」

「うん」

「家族とか、言うから。そんなこと言うのは頭が悪いからだ。だから、俺が自分で考えて、罰を受けなきゃいけない」


 ちょっとまって、ごめん、可愛くて笑いそう。

 頭が悪いってすぐ言うんじゃありません、アイル。みんな分かってやってるんだよ。

 アイルに親切にしたいんだよ。


 手を握って、目を合わせる。

 伝わるかなぁ、どうかな。


「アイル、家族って血の繋がりだけじゃないって知ってた?」

「そんなの、聞いたことない」

「この村ではね、家族ってみんなのことなんだよ。村のみんな。みーんな家族なの。アガスティアとは決まりごとが違う地域なんだよ」

「みんな?」

「そう、村長もアイルの家族」

「村長も?」

「サイラスさんは、頭が悪いからアイルのことを家族って言ったんじゃないよ。この村では村のみんなが家族だから、アイルのことを家族って言うの」

「……うそつくな」

「嘘じゃないからみんなに聞いてよ。教えてくれるよ、アイルが聞くことは全部」


 疑いの目がすごい。


「サイラスさんはね、悲しかったんだよ」

「なんでサイラスが?」

「アイルも家族なのに、その命で償いますってサイラスさんに伝えたから」

「おまえが何言ってるのか全然わからない」

「サイラスさんにも教えてもらう?」


 扉の前にあった木箱を消して、扉がすんなり開くようにする。


「サイラスさん、自分に罰を与えなきゃいけないと思って閉じ篭ったみたいですよ、アイル」


 すぐにサイラスさんが入ってきて、アイルを見て、安心したように目を潤ませた。


「アイル!おまえ、罰なんか!そんなもんはないんだ、怒鳴って悪かった。俺が悪いんだ」

「サイラス、俺は」

「腹減ってないか、喉乾いてないか」

「……人間は、1日食わなくても」

「知ってんだそんなことは。俺はおまえが腹が減ってるかどうかを聞いたんだ」

「へってる」

「セレナ!」


 サイラスさんがセレナさんを呼ぶと、セレナさんはにっこり笑って物置に入ってきた。


「すぐにできるわ、アイル、こっちにいらっしゃい。サラに顔を見せてあげて」

「……サラ、腕は」

「サイトー様が治してくれたわ。アイルのほうが重症よ、ご飯を食べないと、人は死ぬのよ」

「それは、俺も、知ってる」

「でしょう?大変、アイルの命の危機ね。急いで用意しないといけないのに、今日はちょっと腕が疲れているの。お手伝いしてくれる手が欲しいわ」


 サイラスさんが動こうとして、セレナさんがギっと睨む。


 そっちじゃないよね。うん。

 サイラスさん、これはアイルに動いて欲しいってことだよ。


「し、しまった。俺もちょっと腰をやって、すまんがアイル、頼んでいいか?」

「腰を?今日か?わかった」


 アイルはサイラスさんを見て、すぐにセレナさんの方に駆け出す。

 ふと振り向いて、私を見る。


「サイトー、サイラスとセレナ、治して欲しい。券が、俺にはある。券が。もらったやつが」

「はいはい。任せて〜」


 二人とも【平癒】しとくね。

 セレナさんが抱っこで腱鞘炎っぽいのは本当だし、サイラスさんも寝不足だから。

 券はいらないけど。

 それはアイル自身のことで使って欲しいよ。


「サイトー様」


 こそこそサイラスさんが話しかけてきた。


「手間をかけさせてしまって、いや、なんとも」

「大丈夫ですよ。アイルが出てきて良かったです。あとのことはお願いしても良いですか?」

「ああ、しっかり話すつもりだ」



 せっせとセレナさんを気遣っているアイルを見て、サイラスさんが目を擦る。アイルが泣けるようになったのは、サイラスさんがたくさん泣くからかなぁ。

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