第26話


「さて。身体の調子はどう?治したけど、おかしなところはない?」


 地に伏したアイルくんは警戒の色を失くし、それと同時に感情も仕舞い込んだ。

 脱力してその場にうつ伏せになり、背を丸める。


 これは会話をするのも大変そうだなぁ。


 生気のない、物みたいな空気を醸し出すことが、彼は得意なようだ。

 生きている人間に当たり前のようにある呼吸や動きを限界まで押し殺し、しかし、思った通りに出来なかったのか、震える自分の手を見つめていた。


 私だったらどうだろう。

 起きたら知らない場所にいて、身体の怪我が治っていたとして、現われた人からどうしてもらえたら心が安心するだろう。


 はじめ、間違って森の中に転移させられたとき、どうしたらいいか分からず呆然としてしまった。

 神様が迎えに来てくれて、理由を説明してくれた。


 よし、パクろう。


 私もあれでだいぶ飲み込めたし、神様が何もせずただ話していたことで、今は落ち着いて話せる時間なんだと認識出来たような気がする。お茶とか淹れて勧めてみるかな。


「紅茶は飲める?他に好きな飲み物があったら、言ってくれればそれを用意するけど」


 返事がない。

 しかばねみたいに死んだふりをしているようだ。


「うーん、困ったな」


 ビクッと身体が動いた。

 それでも、顔は上げてくれない。


 今の動きはなんだろう。

 困る、に反応した?ため息に反応した?

 お茶の誘いには無反応だったな。


 あー、地雷を踏んだのかな。

 アイルくんを傷付けた人がそう言ったことがある?

 ため息をつかれて、嫌なことをされたことがある?

 もしそうなら悪いことをしたね。


 それにしても、うーん、ちょっとめんどくさい!


 私は実は図太い方で、繊細な心を持っているかもしれない傷付いた男の子に掛ける言葉を一つも知らない。

 何を言われたら嫌で、何を言われたら嬉しいか、そういうことがパッと出てくる方じゃない。


 面倒くさいけど、その言葉は口にはしなかった。

 傷付きそうだから。


「まず、ここは私のおうち。モモという超絶かわいいフェアリーと三匹のおはなしダケと暮らしている、私のおうち」


 聞いてるかな?次に行っていい?


「きみはこの家を囲んで入る森の外側で倒れていて、散歩をしていた私とモモがきみを見つけて保護しました。怪我がたくさんあったから、そのままにしてはおけなかった」


 ここまでいい?ほんとに聞こえてる?


「私は自分の持っているスキルを使って、きみの身体を回復させました。怪しい道具とか怪しい薬とか、そういうものは使ってません」


 あとは何を言ったらいい?

 難しいなぁ、警戒心を解くって。

 モモとおはなしダケさえ攻撃しないでくれたら、そのまま警戒してても良いんだけど。


「質問などがあればどうぞ。私はきみのことを攻撃するつもりも、いじめるつもりもありません。出て行きたいならそれでも良いし、旅支度も手伝うよ」


 こんな感じで良いかなぁ。伝わったかなぁ。


 返事がないのって不安になるよね。

 モモはいつもきちんと返事をくれたし、相槌も打ってくれる。それがとても有り難いことだったんだなぁと身に沁みてきて、胸がじんわりした。

 モモ〜いつもありがとうね。


 たっぷり時間を掛けてから、アイルくんは顔を上げた。楽しいとか嬉しいとか悲しいとか抜け落ちてしまったような、そんな顔をしていた。


「ダァギ」


 なんて言った?もしかして言葉が違う?


 モモの組んだ学習スケジュールで現地の言葉を覚えたので、暫らく使っていなかったスキル【通訳】を常時使用にする。


「お、俺は……」


 喉がガサガサやないかい。


 水を置いておいたはずなんだけど、この様子じゃ飲んでないな。

 めちゃくちゃ咳き込んでるし、飲みなさいって。


 コップに【注水】で水を入れて、【座標転移】してアイルくんのそばに届ける。

 距離を縮めないほうが良さそうだなと思ってこの手段をとった。


 アイルくんはまたたっぷり時間を掛けてから、コップの水を前に覚悟を決めたような瞳を向けて、水を飲んだ。


 ごめんね、本当に何も入ってないよ。

【注水】で出したから栄養も毒もないよ。


 この調子だと日が暮れるなぁ。

 まぁ暮れても良いか。


 言葉が違うということは、これまでに話したことが伝わっていない可能性が出てきた。なので、再度同じように説明する。

 説明を終えたらちょっと疲れたので、ビーズソファを出して座った。

 その光景を黙ってアイルくんは見ていた。


「喉、大丈夫?」


 ひとつ、頷く。

 レスポンスが早くなってきた?

 あ、言葉が通じるようになったからか。


「聞きたいこと、何かある?」


 もう一度、さっきの続きを話してくれたらなと思って尋ねる。言い掛けたのはどんな言葉だったんだろう。


「俺、いや、私、は、アイル、です」


 うん、アイルくんだね。


「私はサイトーです。よろしくね」

「……」


 あっ、黙ってしまった。


「アイルくんね、覚えたよ、大丈夫。名前を教えてくれてありがとう」

「俺は、いや、私は」

「俺でいいよ、そっちが楽な方なんじゃない?」

「……」


 浅い呼吸を繰り返す。

 なんでそんなに動揺してるんだろう。

 ちょっと怖いな、その感じ。

 過呼吸にならないかな?


「落ち着いて。ごめん、きみが……アイルくんが、何が嫌で何が怖くて何が不安なのか、私はまだうまく汲み取れてないの。怒ったり、意地悪したり、えーと、叩いたりとか?そういうのはしないよ」


 頼む〜、伝わってくれ。


「俺は、おま、あなたの、ものを壊した」

「お前でもいいよ、怒らないよ」

「……壊したから、そいつらの、こと」


 おはなしダケを見た。

 うん、そうだね。殺したね。


 蘇生が出来なかったら、つらくてたくさん泣いたかもしれない。

 かわいいし、もう家族みたいなもんだし。


「うん、見たよ。びっくりしたよ」

「……だから」


 猫のポーズ?

 なんだっけ、ヨガであったよね。

 額を床にピッタリつけてるからちょっと違うけど。


『マスター、首を差し出しています』

「首?」

『命で償うということかと』

「こっわ」


 おはなしダケを殺しちゃったから、自分の命をどうぞってこと?

 ええ〜いやまぁ、おはなしダケはうちの可愛い家族だけど、人間の身体でそうやってどうぞって命を前に出されると怖いし引くよ。

 殺人させようとしないで。


「えーっとね、うちにおはなしダケは三匹いて、水色の子が海、ピンク色が桜、緑色が緑って名前なんだけど、この子たちは確かに私の大切な家族で、三匹を殺したきみをさっきは嫌だなぁって思った」

「……どうぞ」

「うん、だからね、首はいらなくて。命もいらなくて。いらないって言うと言い方が悪いな、うーん。私は命を奪われたから命を奪おうって考え方を、基本的にはしないというか」


 説明が難しいな。

 確かに、大切なひとが殺されて、殺した人を殺せるとなったらそうしてしまいたいと思うときが来るのかもしれない。

 絶対にはないと言えないが、今はそうは思っていない。

 だけど、それを伝えるには長い説明が必要そうで、今言うと話がややこしくなる気がする。


「アイルくんは」

「アイルで」

「アイルくんは」

「アイル」


 ああ〜敬称つけられるのが嫌なんだね。

 そこは言ってくれるんだ。

 もっと他に言うことあるだろ!


「アイルは私の家族を殺したけど、私はアイルが傷ついていたところを見ていて──スキルで今は治っていても、ぼろぼろだったことを知っている。だから、アイルの命を簡単に奪うことが出来ない、って言ったら分かるかな」


 同情って分かるかなぁ。

 そういう気持ちになってるって伝わるかなぁ。

 はっきり言ったほうがいい?


「哀れんでる、のか」

「あっ、それだ。そういうこと。ちょっと言い難いけど、端的に言うとそういうことになります」


 可哀想って言うの、何様だよって感じがしてあまり好きじゃないけれど、感じている気持ちはそうだ。


 ボロボロになったアイルが、知らない場所で目が覚めて、恐怖を感じてあちこち探って、たどり着いたログハウスで魔物を見つけて攻撃した。

 それは理解出来る。

 おはなしダケは攻撃して来ないけど、魔物が室内に居ることに動揺したのかな。


「ここは、どこだ」

「私のおうちだよ」

『マスター、地名の事かと』

「あっ、そういうこと。大陸の名前?国の名前?」

「……」

『おそらく全てを知りたいのかと』

「はい。私も実は曖昧なんだよね。【歴史書】」


 大陸名はフェルミニア大陸、最寄りの国はシリタリナ王国、アキサルの町とシュレト村はシリタリナ王国の土地にあるね。


「フェルミニア大陸のシリタリナ王国です。ここは王国の端っこの方でシュレト村の近くの森。ここからずっと西の方に行くと国境があって、メザイア連合王国があるね」

「……アガスティアじゃ、ない?」


 アガスティアって所から来たのかな。

 アガスティア、アガスティア。

 えーっと、うわぁ遠いなぁ。


 スキルの【ランダム転移】って恐ろしいな。

 そんなに遠くから運ばれてきたのか。


 帝国アガスティアは、ずっと離れたところの大陸にある大きい帝国だね。

 軍事国家なのかな。

 あちこちの戦争に首を突っ込んだり支援したり武器の提供をしたり、かな。


 詳しく見ないほうが良さそう。

 この国のことは忘れることとする。

 神様が神罰下してる過去がやたら多いから。


「アガスティアとここには、一生掛けても辿り着けないくらいの距離があるみたいだね」


 冗談ではなく本当の話だ。

 海を超えなくてはならないし、平坦な道では辿り着けない。

 高速で空を飛べたらまぁ行けるかもねってくらい。

 私ならすぐに行けるんだろうけど、全く行きたくない。


 一生掛けても辿り着けない、と聞いたアイルは茫然として固まった。


 帰りたいのかな。

 帰りたいなら手伝うけど、私は行きたくないな〜。


「アイルはおうちに帰りたい?」

「……自分のうちなんか、ない」


 そうかぁ。ないかぁ。


「どうしたい?」

「どう、って」

「これからどんなことしたいか、とか」

「そんなのは」


 うん、なになに。


 待っているけれど、続きが来ない。

 お茶を飲んで、落ち着くのをひたすら待つ。

 モモも落ち着いてきて一緒にお茶を飲んでいる。

 三匹はいつもの遊べるスペースに行って、仲良く順番に滑り台を滑っている。


「考えたこと、なかった」


 考えられる状況にいなかったってことなのかな。


「俺は、性奴隷だ……」


 なんですと?


「も、モモ。どうしよう」

『マスター、落ち着いて下さい』


 怖いよ、めちゃくちゃ怖いよ。聞くのが怖いよ。

 でも話したがってる感じ?話さなくてもいいよ?

 どちらかと言うと聞きたくないよ。

 聞いて欲しいならそりゃ聞くけど、言わなくてもいいんだよ?

 アガスティア怖いよ〜滅ぼしたいよ〜嘘です、ごめんなさい。

 神様、今のは嘘です。


「知らないのか」


 いや、知らないわけじゃないけど、その言葉からもう想像がつくけど、私の生きてきた世界にはいないし、シリタリナ王国にもいないし、シュレト村にもいない。だから、そんな怖いキーワードが出てきたことは一度もない。


「性奴隷っていうのは、寝所に」

「待って、止まって、ストップ、タイム」

「……」


 落ち着いて、私。

 心を落着けて。深呼吸しようね、すーはー。

 よし、覚悟を決めて聞こうね。


「その説明は大丈夫、なんとなくは伝わったから、うん。アイルがそうだったってことはわかった」

「……だから、どうしたいとか、わからない」


 そりゃ分からないよね。

 こうしなきゃいけないって決まっていた事が丸ごと無くなったから、途方に暮れるよね。いきなりだもんね。


「どうやってここに来たのかも、俺は、知らない」


 まさか、怪しまないで欲しいって思ってる?

 怪しんでないよ、大丈夫だよ。


「それは私が知ってるよ。アイルは転移してきたんだよ」

「転移?魔法は、使えない」

「うん、スキルのほうね」

「スキルも使ったことは、ない」


 あれ?そうなの?


「モモ、アイルのスキルって」

『後天的に出たものかもしれません』

「アイル、これまでに転移した事は?」

「ない」


 スキルの発現が、死ぬ直前だった?


「あ〜」


 私がべちん!と額に手を当てたので、モモがびっくりした。


 ごめんね、モモ。


 頭がグラグラする。

 神様を責めるのはお門違いだ。

 それは、分かってる。


 だけど、どうしてもっと早くに発現させてあげられなかったのか、とか、どうしてもっと安全なスキルにしてあげられなかったのか、とか、罰当たりなことばかり考えてしまう。


 アイルは死んだ。

 蘇生したからいま生きてるだけで、死んだんだよ。


 スキルが発現して逃げ出せても、その先でアイルは死んじゃったんだ。


『マスター、あの』

「うん、はい、ごめんね、モモ」

『違います、マスター。謝らないでください。わたしが自分で思ったことをマスターに伝えてもよいか、お聞きしたかったのです』

「なんでも言って」


 モモが真面目な顔をしてこっくり頷く。


『神様はおそらくマスターのスキルをご存知です。わたしを作ってマスターにお与えになったことから、マスターのスキルもそのときに把握している、とわたしは予想しています』

「……その可能性は高いよね」

『ですが、これまでの歴史から、神様は大量の命が失われる危機に神罰を下すことはしていても、小規模な争いや一個人の人生に殆んど深く関与しておりません』


 言いたいことが分かってきた。


『マスター、神様は、マスターなら』


 救えると思って、アイルをここに飛ばしたのかな。

【ランダム転移】に干渉して、ここに連れてきた?


「危うく、神様に失礼なことを考えるところだったかも。もう考えちゃったか……」


 ごめんなさい。取り消します。

 アイルの転移先を私にしてくれてありがとうございます。って言うのもなんか変だけど。


 神様の本当の考えなんて私には分からない。

 それでも【ランダム転移】が与えられたということは、彼には与える必要があると神様が判断するほどに、アイルが酷い目にあっていたということなんだろう。


 脳裏に焼き付いてなかなか消えない、アイルのボロボロになったあの姿。


「アイル、言葉を覚えよう。この大陸の共通語を覚えて、ご飯をたくさん食べよう」

「……俺はどこに、行けばいい」

「どこに行くにしても言葉がまず分からないといけないよね」

『マスター、おそらく住む場所のことを言っているんだと思います』

「あっ、そうか。ここに住んでも良いけど、そうだな」


 村のほうが人が多くて楽しいかもしれないな。


「近くに村があるんだけど、そこで生活してみようよ。言葉を教えるし、色んな人と話したほうが身に付くかも」


 不安そうに揺れる瞳。表情はなかなか出ないね。

 出せない時期が長かったのかもしれない。


 ゆっくり時間を掛けて笑えるようになればいい。

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