セッション! 〜ヒミツのキケンなアイドル〜
雨蕗空何(あまぶき・くうか)
🎺
女子中学生である。
そりゃ好きなアイドルの一人や二人くらいいて、キャーキャーするっていうのは分かる。分かるんだけど。
「ねぇねぇイブキー、イブキは推しのアイドルっていないのー?」
振るな。あたしに振るなっ。
教室。ランチタイム。きゃいきゃい騒ぐクラスメートたちと机を囲んで、あたしは――
あたしは笑顔を保ちながら、なるべく自然に返した。
「あーあたしさー、アイドルよく分かんなくてさー」
「えーもったいないよー! ご当地アイドルですらこんなかっこいいのいるのにー! ほら見てよーほらほらー!」
押してくる。推すんじゃなくて押してくる。雑誌をぐいぐい。いや中学校になんで雑誌持ってきてんの。没収されても知らないよ。
ひとまず話を合わせるためにそれを見て――ぴくり。ほっぺが引きつった。気づかれてないと思いたい。
「ねーかっこいいでしょリュームくんー! このベビーフェイスがたまんないよねー!」
雑誌を突きつけながらしゃべるから、ページに印刷されたアイドルで腹話術してるみたいだ。
彼の魅力を語り続けるクラスメートの言葉が、耳の上を上滑りする。話を合わせながら、ちょっとくらいトゲ吐いてもいいよね?
「でもさー、そういう人に限って、プライベートでは乱暴でカワイくなかったりするもんじゃん?」
クラスメート、きょとんとして。
「そういうの最高じゃーん! 外ではカワイイけど二人のときは肉食系! 誰も知らない私だけの秘密! きゃー!」
一人で勝手に盛り上がる。頭お花畑かよ。くそ、かわいいなこいつ。頭なでくり回したろか。
横から別のクラスメート。
「今日、ヒマだったら遊びに行かない?」
あー、マジごめん。
「あたしはトランペットの練習するからさー」
「また自主練? よくやるよね。吹奏楽部は今日はお休みでしょう? 全然マジメな部活じゃないって聞いたけど」
「ははは……」
あいまいに笑ってごまかして、あたしは昼ごはんをかき込んだ。
放課後。帰宅。
ただいまーと一軒家の自宅に声を響かせる。
音楽好きの父親のこだわりで、防音室を備えている立派な家だ。そのこだわりのせいで、職場まで二時間かかる土地に家を建てるハメになったんだけど。おかげで平日は全然家にいないし、防音室は使い放題だし、トランペットも買ってくれたし、あたしとしては言うことない。
「おっかえりーイブキー! 待ってたよー」
ぴくりと、あたしのほっぺがまた引きつる。
出迎えてきた、童顔だが見てくれのいい男は。
「あれーイブキ、機嫌悪い? 学校でなんかあった?」
「……友達がアイドルのあんたのことほめてた」
「えーうれしいなー! でもそれでイブキが怒るって、嫉妬? ねぇ嫉妬なの? 友達に俺がちやほやされて、イブキ、嫉妬してるの?」
「しーてーまーせーんー」
そう。この男は
なんでそれが家にいるかって、実はこいつはあたしのいとこで、しかもなんと恋人だからだ。
ちなみに付き合ってることは誰にも言ってない。アイドル関係の人にも、お互いの両親にすらも。
だって、ねぇ? アイドルで、いとこで、ついでに十三歳と十八歳だよ? 言ったら絶対めんどくさいじゃん?
「じゃーイブキ、防音室行こうぜ。もうセッションしたくてしたくてたまんなくてさー」
「せめて制服くらい着替えさせなさいよ」
「そう言って、イブキだってすぐにやりたいんだろ? トランペットかかえちゃってさぁ」
「うっさいなぁ」
文句を言いながら、あたしはさっさと着替えてくる。
そうだよ、やりたいよ、セッション。そのために友達の誘いを断って帰ってきたんだ。
防音室。最低限の物だけを置いた機能的な部屋だ。
あたしはトランペットの調整をしながら、ちらりとリュームをうかがう。リュームも楽器の調整中。部屋に堂々と鎮座する楽器セット。大小の太鼓やシンバルが組み合わさった。つまり、ドラムセットだ。
リュームは調整に満足して、にんまりと左右の手でスティックを振った。半袖から伸びる腕は、顔つきに反して骨ばっている。
「んじゃ、いくよ、イブキ」
ちらりと目配せ。カン、カン、スティックを打ってリズムを取って。
ドラム。腹に響く打撃音。その圧を乗りこなすように、あたしはトランペットを吹く。吹奏楽の吹き方じゃない、これはジャズトランペットだ。
ジャズドラムを叩けることを、リュームはアイドル関係者には言っていない。理由は「加減ができないから」。力いっぱいやりすぎてしまうのだ。いろんなことを。スポーツで変な動きになるのも、理由は同じ。
リズムが伸びる。軽く、しかし強く。あたしも合わせる、軽やかに、しかし鋭く。
リュームのドラムは独学だ。別にプロレベルとかそんなんじゃない。ただ叩いているときの、人でも殺してしまうんじゃないかってくらい鬼気迫る迫力は、カワイイ系アイドルとして売ってる身にはあまりにもそぐわない。だから、封印。この部屋に。
リズムを刻む。強く、熱く。ドラムとトランペットだけのジャズセッション。上等だ。あたしとリュームだけ楽しめば、それで充分!
吹く! 高らかに。肺をふくらませ、体から蒸気でも放出されるんじゃないかってくらい体が熱を持つ。リュームのドラムに押し上げられる、この音圧、気持ちいい! それで充分!
(クライマックス!)
最高に高める! このまま一気に音の波に乗り上げる、リズムを合わせる、あたしはタイミングを見るためちらりとリュームを見て。
――まさか、イブキ、これで満足しないよね?
ぞくり。リュームの冷たく細められた視線が、そんなふうに言っていた。挑むように。
(ちょっ――)
ほんのちょっとのあせりすら取り残されるように、ドラムの圧! 高まる! ここまでのセッションはお行儀よくしていたとでも言わんばかりの、ひたすら強くて速くて感情をむき出しにするような音のアタック!
ついていく! ほとんど反射的に、あたしも音を高める。ピストンバルブを押す指が、空気を送り込む肺が、くちびるが、そして体を支える足や腰すら、きしんで破れてしまうんじゃないかってくらいに!
(やばい、これ――)
苦しい。酸素が足りなくなる。チカチカする。
音と光が混じり合う。どこまでが音で、どこまでが光か分からなくなる。
必死で、それでも半分無意識でトランペットは吹き続ける。旋律を作り続ける。
消し飛びそうな意識の中で、視線をやった覚えはない、でも見えた。リュームの、にやりと吊り上げる危険な笑み――
(ッ負けるかあァァ!!)
吹く! 力いっぱい!
床を全力で踏みしめる、まるでバズーカ砲でも構えている気分だ。
体重を支える、床から反発力を受けるようだ、上に跳ね上げられる、音だ! それは音だ! ドラムと打ちつけ合うように音を絡ませて、でもそれがセッションになる! ひとつの音楽になる!
スピードは上がる。ひたすら上昇していく。汗が散り、音は引き絞られ、肌を切り裂くようだ。
スピードは上がる、指がついていかない、音が、外れた!
(だからどうしたァァ!!)
吹く! 外れた音の引っかかりを、ロッククライミングの足がかりのように基点にして、外れたまま練り上げる! 旋律として成立させる!
ドラムが押してくる。外れた音を肯定する。暴力的なほど。あたしが間違えようが何をしようが、なんの問題もないみたいに。
(ナメんなァ!!)
吹く! 主張を強める! ドラムに主導権を渡したままにはさせない!
ぶつけて、そうしたら同じだけ強く音が返って、ぶつかり合って、結局それは上を向く。上がっていく。セッションとして完成していく!
(これで……フィニッシュ!!)
互いのタイミングを合わせて、エンディング! 最高に気持ち良く、締め!
音が、引いた。
さざなみのような残響が鼓膜に残りながら、防音室は、無音になった。
両肩が、酸素を求めてオートマチックに上下する。
音と一緒に上がってしまったみたいなふわふわした意識で、あたしはリュームを見た。
リュームも肩で息をしながら、したたる汗を手の甲でぬぐって、でもその口は楽しそうに笑っていた。
リュームはペットボトルを一本取って、それを一気に飲み干して、それからもう一本を取ってあたしに手渡してきた。
「いやー、最高。楽しい。やっぱイブキとのセッションはめちゃくちゃいいよ」
「はは……」
疲れ切った頭と体で、あたしは乾いた笑いを上げるしかできない。
リュームは屈託のない笑みで、しれっと続けた。
「ホントにさぁ、アイドル活動でドラムやらなくてよかったよ。アイドルは外聞とかスケジュールとかあるからさぁ、せっかく
「え?」
一瞬、ちょっと、意味が分からなかった。
目の前に、リュームは立っていた。
汗が蒸発する熱気が伝わってきて、少しだけ距離はあるのに、抱きしめられてるみたいな感触がした。
頭ひとつ以上高い、十八歳の男の背が、そこにあった。
あたしは見上げた。
「さぁイブキ。次の曲、行こうか」
背筋があわ立つ。
こいつの顔にベビーフェイスとか、愛くるしいとか、そんな形容詞をつけたの、どこのどいつだ。
「まさか、イブキ、断らないよな?」
こんな、笑顔が、まるで牙をむくような。
「ここから息が切れるまで鳴らして、響かせて、ぶっ倒れるまで演奏してさぁ」
こいつをカワイイとかカッコイイと思ってるやつは、バカだ。
だって、こんな。
「そしたらさぁ、最高だぜ」
ゾクゾクする。
無意識に口角が上がるくらい。
「トブから」
ここは防音室。
どんなに騒ごうが音を立てようが、外に聞こえることはない。
こいつがこんな顔をするなんて、誰にも言ってないし、言う気もない。言ってやるもんか。
この表情は、あたしだけのものだ。
セッション! 〜ヒミツのキケンなアイドル〜 雨蕗空何(あまぶき・くうか) @k_icker
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