第五話 賑やかな夏祭りの夜

 天井には蜘蛛の巣が張っていて、そこには大量の誇りと一匹の蛾が捕まっていた。蛾は既に死んでいるようで、ピクリとも動かない。

 山のふもとから少し歩いたところの、田園地帯。360度見渡す限り田んぼが広がっており、畦道が十字に伸びている。

 そんな畦道の一本に、僕がいる電話ボックスがあった。長いこと使われていないようで、中はたばこの吸い殻や虫の死体が散乱する、酷いありさまであるのだが。

 連絡手段を何よりも欲していた僕にとっては、この薄汚い電話ボックスは天国のように思えた。

「―――今、調べたことだけど」

 ガムのこびりついた受話器を、僕はぎゅっと握りしめる。聞こえてくるのは、僕が一縷の望みに賭けて電話をした相手。

「君が今、林間学校で訪れている折干山おりほしやまの付近で、過去にある事件が起こっていたことが分かったんだ」

 僕は息をのんで、相手の言葉を待つ。電話の向こうで、ページをめくる音がした。

「十年前に、この山の付近にある集落で、一人の女児が行方不明になったんだ。行方不明になる直前、彼女は見知らぬ青年と一緒に歩いているのを目撃されており、警察は事件に巻き込まれたとして捜査を続けていたが、結局犯人も女児も両方見つからなかった」

「女児の、行方不明事件……」

 視界が急速に広がり、明るくなっていくような気分だった。

 行方不明になったという女児は、恐らく死んでいる。最後に一緒にいるところを、目撃されたという青年。恐らく先生なのであろう、その青年に殺されたのだ。

 そして。死体が見つかっていないということは、今もこの山の中に……。

 道理で、先生が運命を感じていたわけだ。過去に少女を殺し、その遺体を隠した場所へ、全くの偶然によってやってきてしまったのだ。

 運命を感じ、自らの率いてきた児童を殺したくなることもあるだろう。もっとも分かったところで、理解はんしたくないのだが。

「……それにしても、一体どうしてこんなことを調べるんだ?」

 頭の中で思考を巡らせる僕の耳に、通話している相手の声が聞こえてくる。

「もしかして、何か危険なことに巻き込まれているんじゃないのか」

「……」

「おい、大丈夫か?おい!」

「……大丈夫、大丈夫だから、叔父さん」

 若干遠のきそうになった思考を引き戻すため、僕は受話器を持ったまま、自分の背中についた傷に手を伸ばす。

 彼女の包丁で刺された傷を刺激し、痛みによる呻きを飲み込む。血が出るのが分かったが、電話ボックスの汚れた内部は、既に自分の血液で赤黒い水たまりになっているため、もはや気にする必要もない。

「ありがとう、叔父さん。もう時間がないから切るね」

「待て、本当に大丈夫なのか?今からそっちに……」

「ううん、もういいから。母さんに『ごめん』って伝えておいて」

 返事を待たずに僕は受話器を置くと、そのまま電話ボックスの床の上に倒れ込んだ。体の芯から、熱が消えていくのがはっきり分かった。

 調べ物を頼んだ図書館司書の叔父さんは、きっと今頃心配していることだろうが。もはや何をしたところで、手遅れなのは明らかだった。

 あと少しのところで、彼女に外部と連絡を取ろうとしていることに気づかれ、背中を刺されてしまった。何とか逃げ切り、この電話ボックスまできたものの。みんなのところへ戻ることは、不可能だろう。

 呼吸が浅くなって、頭も回らなくなってきた。死が近づいているのが、はっきりと感じられる。

 今頃先生は、彼や彼女を含めたクラスメイトを惨殺している頃だろう。この場所に運命を感じ、欲望の赴くままに。

 今回も駄目だったが、貴重な情報は得られた。次こそは、惨劇を回避して見せる。薄れていく意識の中で、僕は何度目かの決意を固め直す。

「……ああ」

 電話ボックスの壁にもたれ、ぼやけた視界の中で僕は呟く。

 彼はまだ、生きているのだろうか。

 呟いたはずの言葉は、口から出てくることなく。僕の意識はそこで途切れ、三度目の終わりが訪れた。


 八月、夏休み。

 照り付ける日差しの中、汗でべとつく夏服のシャツを肌から剥がしながら、弓也は校門をくぐり、静まり返った校舎を見上げた。

 宿題はさっさと片付けて、残りは友達や家族と一緒に、遊びまくるというのが弓也のスタイルだったが。

 今年は宿題を片付けることまではいつも通りだったが。片付け終わった直後、さっそく遊びに、とはいかず。普段なら絶対に参加することのない、学校の夏期講習に参加することにしたのだ。

 樽見第二中学校では、夏休みの間自由参加のサマースクールを開催しているが。一、二年生は花の夏休みに必要以上な勉強をしようと思わないだろうし、三年の受験生は参加するぐらいなら塾に行った方がよほどいい。

 弓也も出来ることなら参加せずに、友広たちと冷房の効いた室内でゲームでもしていたのだが、今回ばかりはそうはいかない。

 どうしても、会いたい相手がいる。そしてその相手は、所属している科学研究部の活動で、夏休みでも登校していることは分かっているのだ。

 だから、だから、だから。

 この夏休みの間に、自分は琴峰千早に想いを伝える。好きなのだと、愛してしまっているのだと。

「……よし」

 内心の覚悟を改めて確かめた後、弓也は唾を飲み込むと、校舎の中に踏み込んだ。サマースクールや部活で登校している生徒はいるものの、通常時に比べてずっと、校舎の中は静かで閑散としていた。

 まずは一応、教室でしっかりと勉強して。帰り際に、千早を探して告白する。

 それが弓也の目論見であったのだが、そう簡単にことが上手くいかないのが、現実という者であり。

「……マジか」

 下駄箱で上履きに履き替えて、廊下に踏み込んだその瞬間。右手から大判の書籍を抱えて歩いてきたのは、他ならぬ琴峰千早だった。

「こ、琴峰」

 突然の遭遇に驚いたのは、向こうも同じだったようで。目を見張って立ち止まり、息をのんで何か言おうと口を開きかけてから。くるりとこちらに背を向けて、足早に立ち去ろうとする。

「ま、待て、待ってくれ」

 去ろうとする千早を足早に呼び止めながら、弓也は大急ぎで背負っていたリュックサックを開くと、中から折り畳み傘を取り出す。あの雨の日に日千早に借りて、そのままになっていたものだ。

「これ、返すから。ありがとう」

 振り向いた千早に、弓也が折り畳み傘を差し出すと。千早は差し出された傘を数秒間見つめてから、手を伸ばして受け取った。

「どういたしまして、弓也くん」

 受け取ったものの、距離を詰めてくることはしない。いや、物理的な近さよりずっと、お互いの心の距離が遠い気がする。

 原因は分かっているのだ。自分が千早の想いに気づけなかったせいだ。だから再び、彼女に近づくには。

 今度はこちらの方から、距離を詰めていかなければいけない。

 傘を持った千早の手を、弓也は掴む。強引にならず、かつ決して弱くない力加減で。そのまま一気に千早に近づき、彼女の顔を真っ直ぐ覗き込む。

「話がある、琴峰」

「……」

 千早は再び驚いた様子だったが、何も言わず、また抵抗もしなかった。きりっとした瞳が、一切臆することなく弓也を見つめ返してくる。

 お互いの視線がかちあって。弓也は鼓動が急速に早まっていくのを感じていた。

 脳内ではあれだけ練習してきたというのに、いざ本番となると言葉が出てこない。「好きだ」「愛してる」の簡単な言葉が、ずっしりと重みを帯びて口から出てきてくれないのだ。

「……話って、何だい」

 促すように、問いかけた千早に。弓也はやっと、緊張で乾ききった唇を動かしはじめる。

「その……なんというか」

「なんというか?」

「お、お前のことを……」

 好きになったんだよ。そう言ったつもりだったのだが、声は出ずに擦れてしまう。自分意気地なさが悔しい。

 とりあえず誤魔化すように、もう一度唾を飲み込んでから。弓也は再び口を開く。

「夏祭りに、誘おうと思って、たんだ」

 途切れ途切れに出てきた言葉は、一時しのぎの妥協策に過ぎず。情けなさを感じながらも、弓也は続けて言葉を紡ぐ。

「傘を貸してくれた、お礼に。ほら、今週末に近くの神社でやるだろ。だから、その」

 自己嫌悪の中に、少しだけ恥ずかしさが混じるのを感じつつも。これ以上後手にまわることは、もはや許されないだろう。

 だから一瞬だけ短く息をのんでから。弓也は千早から一度手を離し、彼女の両肩にそっと触れる。

「お、おお、俺と一緒に、夏祭りに行ってくれないか?」

 若干声が震えてしまった気がしないでもないが。妥協したものの言うべきことはちゃんと言えたのだ。あとは千早が、どう答えるかだが……。

 恐る恐る、弓也が千早の様子を伺うと。やや俯いていた千早は、静かに顔を上げた。

「そんなに、緊張することはないさ」

 それは。あの雨の日の前と同じ。単なる同級生にしては、やけに親しく魅力的な口調と声だった。

「僕が君からのデートのお誘いを、断ると思うのかい?」

 どこか嬉しそうに、恥ずかしそうに。微笑み返す千早が眩しくて、このまま気を失ってしまいそうだった。

 だから弓也は千早の肩から手を離すと、背を向けてリュックサックを背負い直す。

「そ、それじゃあ今週末、夜の六時に神社前で待ち合わせな。じゃあ、俺は授業があるからッ」

 耳まで真っ赤になっているのを、誤魔化せるとは思っていないが。逃げるように立ち去る間、胸の中の自己嫌悪が煙のように立ち消えていくのが分かった。

 代わりにふわふわした気分が浮かび上がってきて。教室にたどり着く頃には、自分が浮かれているということに気が付いた。

 サマースクールを担当する先生には申し訳ないが、これから受ける授業の内容は、まるで頭に入ってこないに違いない。

 想いこそ、伝えられなかったものの。琴峰千早と、夏祭りに行くのだ。これで浮かれない男なんて、この世に存在しないだろう。


 何か楽しみなことを待っている時ほど、早く流れて過ぎるものであり。

 琴峰千早を夏祭りに誘った週末、約束の日と時間。

 豆電球の入った提灯で祭り仕様に飾り付けられた鳥居の前で、通り過ぎる人々をそわそわと眺めながら、弓也は千早を待っていた。

 約束の時間より、三十分も早く来てしまったのは分かっているが。生まれて初めてのデート、しかもあの琴峰千早とのデートなのだ。緊張しない方がどうかしている。

 薄暗くなってきたとはいえ、夏の夜はゆっくりと訪れるものであり。薄闇の中で提灯の光は、逆に浮いてしまっているように思えた。

 並んで揺れる提灯の下を、浴衣姿の男女が腕を組んで通り過ぎていくのを見やって。弓也は千早の浴衣姿を見たいと、淡い期待を抱いてしまっている自分に気が付いた。

 千早の浴衣は何色で、どんな柄なのだろうか。髪の毛は結っているのだろうか、浴衣に合わせて、薄っすら化粧でもしているのだろうか。

「……弓也くん」

「わっ」

 なんて。考えていたら、背後から名前を呼ばれて、弓也は思わず飛び上がってしまった。

「こ、琴峰」

 慌てて振り向くと、そこには約束通り、琴峰千早が立っていた。残念ながら浴衣姿ではないが、シンプルなTシャツにジーンズ、そこにキャスケットと斜め掛けのウェストポーチを合わせている千早も、なかなか悪くないものだ。

「待たせてしまったか、すまない」

「い、いや、そんなことはない。全然、ぜーんぜんっ」

 弓也が顔の前で勢い良く手を振ると、千早はにっこりと笑って見せた。

「そうか。だったらさっそく、祭りを楽しむとしようか」

「……ああ」

 繰り返し自分の心を奪ってきた、千早の笑顔に。いつもの恥ずかしさと緊張がやってくるのを感じながらも、弓也は頷いて、千早と共に並んで鳥居をくぐった。

 色とりどりの暖簾が下がった、出店が建ち並ぶ境内は、大勢の来客で混んでいた。並んで歩けないほどではないが、はぐれないように手をつないだいほうがいい、だなんて。簡単に言えれば苦労はない。

「夏祭りに来るのなんて、いつぶりのことだろうか。何から行こうか、弓也くん」

 一人悶々とする、弓也をよそに。千早は興味津々と言った様子で、建ち並ぶ屋台を見回していく。わたあめ、焼きそば、チョコバナナ、フランクフルト。金魚すくい、輪投げ、射的。多くの人が、「縁日」と聞いて思い浮かべる屋台は、一通りそろっているようだ。

「そ、そうだな……とりあえず何か、食べないか」

 何とか絞り出した弓也の言葉に、千早は素直に頷く。

「賛成だ。ついでに飲み物も買おう」

 ウェストポーチから、小銭の入ったケースを取り出して、千早は焼きそばの屋台に向かっていく。

 手際よく、焼きそば2パックとラムネ2本を買って。ぼんやりと突っ立っていた弓也の元に戻ってくると、片方を差し出した。

「ほら、君の分だ」

「え……あ、ごめん」

 自分の分の代金を、渡しておけばよかったと後悔しつつも。弓也は差し出されたラムネと焼きそばを受け取る。

「いいんだ。向こうに休憩スペースがあったから、そこで食べよう」

「そ、そうだな」

 促されるまま、弓也は千早と共に休憩スペースへと向かう。休憩スペースは混んでいたものの、幸いにも二人分の席が空いていた。

「いただきます」

 席に座って、千早は焼きそばのパックを開いて割り箸を割る。細かく刻まれて強火で炒められた、ソースの香る面を何の躊躇いもなく口に運び、ラムネを空けて一口飲む。

「美味しいな、これ。弓也くんもほら」

「う、うん……」

 思ったよりも豪快に食べる、千早に見惚れていたなんて。やっぱり口に出すことが出来ず、誤魔化すように、誤魔化すように、弓也は温かい焼きそばを頬張った。焼きそばは千早の言う通り、とても美味しかった。

 食べ終えた後のパックは設置されたごみ箱に捨てて、残ったラムネを飲みながら、弓也と千早は再び境内を歩き出した。

「さっき焼きそば奢ってもらっちゃったから、次は俺が出すから」

 ポケットから小銭入れを取り出しながら弓也が言うと、千早は嬉しそうに頷いた。

「お言葉に甘えさせてもらうとしよう。なら、次はあれだ」

 そう言って、千早が指さしたのは。ルーレットダーツの屋台だった。

 ぐるぐる回る円形の的に、マグネットのダーツを投げて、当たったところに書かれていた景品を貰えるらしい。店番の中年男性に、プレイ料金と引き換えに四本のダーツを貰って、弓也は的の前で待つ千早の元に戻る。

「はいこれ」

「ありがとう……と、四本か。だったら私と君で二本ずつ、どちらがより良い景品を獲得できるか勝負しないか?」

 差し出されたダーツのうち、二本を手に取って、千早はにやりと笑う。挑発的なその笑みに、応えないわけにはいかないだろう。

 空になったラムネの瓶を置いて。弓也と千早は順番に、ダーツを的に投げていく。

 結果は両方とも、一発ずつ命中したが。弓也の方がわずかに、内側の方に命中していた。

「ほら、これ景品な」

 的を確認した店番の中年男性が、安っぽいビニールバックとメモ帳を差し出して来た。弓也のダーツがビニールバックで、千早がメモ帳だったようだ。弓也は景品を受け取ると、千早にニッと笑って見せた。

「五十歩百歩な気がしないでもないけど……ビニールバックの方が、レアリティ高いよな」

「そうだな、残念ながら私の負けだ」

 ちょっとだけ悔しそうに、だが満足したように。千尋は弓也の差し出したメモ帳を受け取った。ダーツ勝負のおがけで、少し緊張が紛れてきたかもしれない。

 礼を言って屋台を離れ、空になったラムネをごみ箱に捨ててから。弓也と千早は再び並んで歩きだす。

「次は何する?」

「そうだな……」

 考え込む千早の横を、家族連れらしい一団が通り過ぎ、話している声が聞こえてきた。

「もうすぐ、花火始まるってよ」

「ほんとに?楽しみ!」

 花火。そういえば夏祭りの告知チラシに、七時半から八時までの三十分間、花火の打ち上げが行われると書いてあった気がする。

「……花火、見ようぜ。一緒に」

 弓也がぽつりと呟くと、屋台を見回していた千早は振り向き、少し意外そうな顔をしながらも頷いてくれた。

「構わない、が。ただ見るだけというのもつまらない、あれを買っていこう」

 そう言って指さしたのは、りんご飴の屋台であり。大小のりんご飴が屋台の照明に照らされて、きらきらと輝いていた。

「いいな、それ」

「そうだろう。じゃ、買ってくるから少し待っていてくれ」

 言うが早いが、千早はりんご飴の屋台に駆け寄ると、姫リンゴの小さなりんご飴を二つ買って戻って来た。

「はいこれ、君の分だ」

 また奢ってもらってしまった、なんて思いつつも。弓也は差し出された片方のりんご飴を素直に受け取り、歯を立ててかじりつく。姫リンゴの甘酸っぱい味と、飴の柔らかな甘味が溶け合って、とても美味しかった。

「美味しいな、これ」

 弓也と同じく買ったばかりのりんご飴を、味見している千早に。弓也はりんご飴から顔を上げて言った。

「花火、見る場所なんだけどさ」

「うん?」

「いい場所知ってるんだ、ついてきてくれ」

 千早を連れて、弓也は花火を見るための「とっておきの場所」へと歩き出す。

 神社の周辺は森になっているが。森の中に一か所、開けた場所があるのだ。

 円形の小さな広場になっているその場所には、小さな祠と石造りの腰掛けが設置されていて。ここならゆっくり座って花火を見られる、という魂胆である。

「よく、こんな場所を見つけたな」

 腰掛けに座る弓也の前で、千早は設置された祠をまじまじと見つめる。

「分社、なのだろうか」

「さあな。それよりもほら、早く座れよ」

 千早は社から祠から視線を離すと、大人しく弓也の隣に腰かけた。同時に、空に色とりどりの閃光が散って、心地よい破裂音が響き始める。

 夜空に輝く花火は綺麗で。三十分で終わってしまうことが、惜しいとおもえるぐらいだった。

「弓也くん」

 なんて。りんご飴を舐めながら思っていたのだが。耳元で囁くように名前を呼ばれ、忘れていた緊張が再び蘇ってくる。

 気が付くと、すぐ傍に思いを寄せる相手がいて。今ここには、自分と彼女の二人きりで。

 千早はぐっと、弓也との距離を詰めると。赤くなる弓也に、優しく微笑んで見せた。

「今日は、誘ってくれてありがとう。とても、とても楽しかった」

「あ……いや」

 言うなら今だ。今言わなければ、いつ言うというのだ。このために千早を誘ったのではないか。いい加減、尻込みしている場合ではない。

 心の中で何度も、自分に発破を掛けつつも。いざとなると言葉はなかなか出てこず、口は酸欠の金魚のようにパクパクと動くのみ。

 告白、しなければ。好きだと、言わなければ。それなのになのに、どうして言葉が出てこないんだ。

 頭上で花火が散って、破裂音が響いた。音の余韻が消え去るのを待って、弓也はごくりとつばを飲み込む。

「こ、琴峰……」

「ん?」

「い、いやその……その……」

 駄目だ。どうしても口ごもってしまう。告白した恭二を陰で賭けのネタにしていたくせに、いざ自分がするとなるとこの様である。

「……」

 目を白黒させて、もごもごと口を動かす弓也に。千早はしばらく黙っていたが、やがて眼を閉じると短く息を吐く。

「弓也くん」

 落ち着いたその声に、失望させてしまったのではないかと、一気に恐怖が広がっていく。こんな意気地のない男なんて、愛想が尽きたのではないかと。

 だが。千早はゆっくり目を開くと、全てを見透かしたように笑う。

「私が君からの告白に……『YES』以外の返事を返すと思うのかい?」

「あ……」

 その一言で、胸の中でもやもやしていたものが、すっと消えていくような気がした。

 お互い好意を持っていることは、もはや明確なはずなのに。自分は今までどうしてこんなにも、躊躇ってしまっていたのだろう。

 ただ、ただ純粋に。胸の中の想いを、愛を伝えればいいだけなのに。

「好きだ。千早、お前のことが好きだ」

 あれだけつっかえていた告白の言葉が、あっさりと口をついて出てきた。ただ愛し愛される相手に愛を伝えるだけなのに、どうしてこんなにも苦しかったのだろうか。

 頭上では火花が散って、数秒後に破裂音が響く。そろそろ打ち上げもクライマックスで、より大きく派手なものが上がって行った。

「……私も」

 一呼吸おいて、千早も口を開いた。頬が微かに、赤くなっているのが分かった。

「私も君のことが好きだ。前からずっと、ずっと」

 弓也は何か言おうと、口を開きかけたが。言葉は何も出てくることはなく、その代わりに開いた唇に、千早の唇が重ねられる。

 初めてのキスはレモンの味、なんて聞いたことがあるけれど。言葉の代わりに交わされそのキスは、甘い甘いりんご飴の味がした。

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