第四話 薄暗いゲームセンターの店内
山鳥の鳴く声と、降り注ぐ日差しと、心地よい爽やかな暑さ。
「は……はぁ、はぁ」
鍋の煮立つ音に、野菜や肉を刻む包丁の音、それらの作業をするクラスメイトの話し声。
我に返った僕の周囲に広がっていたのは、またあの日あの時の、キャンプ場の炊事場の風景だった。
予想はしていたことであるが、どうやらまた戻って来たらしい。やはりあの惨劇を阻止するまでは、この繰り返しは続くということなのか。
額に浮かんだ汗を拭って、僕は呼吸を整えるために息を吐き出す。前回よりも受け入れるための覚悟は出来ていたものの、やはり自分の死というものは精神的に来るものがある。
「……おい」
呼吸を落ち着けている最中、目の前から声がして僕は顔を上げる。同じ班の「彼」が、心配そうに僕の顔を覗き込んでいた。
最初の惨劇では、先生にバラバラに解体され。二回目の時は「彼女」と相打ちになった彼が生きている。
何事もない彼の様子に、思わず熱いものが込み上げて来そうになるが。内心の想いを押し殺し、僕は顔に笑顔を貼り付けた。
「大丈夫、何でもないよ」
「そうか?体調悪くなったらすぐに言えよ。初日から熱中症で倒れられるのも面倒だからな」
「うん、分かってる」
頷く僕を彼はしばらく見つめていたが、やがて背を向けると、自身の作業に戻っていった。
ぶっきらぼうなところはあるが、僕のことを心配してくれている。そんな彼が僕は好きだった。
だが。彼が背を向けると同時に、少し離れたところでじゃがいもの皮を剥いていた「彼女」が、顔を向けて苛立たし気に言った。
「何事も無いなら、ぼさっとしてないで早く手伝ってよ」
「……」
時間が巻き戻ったことにより、彼が生きているということは、当然彼女も生きているということ。
僕たちを裏切り、僕を殺そうとし、庇った彼を包丁で刺して、最後は先生に殺された彼女。
死に際の先生との会話から、彼女は先生の内通者だったのだろう。それも脅迫などによるものではなく、根っからの狂信と忠義による内通。
惨劇を回避するには、みんなの団結が必要だが。彼女がいる限り、それはほぼ不可能だろう。先生を崇拝する彼女を説得するのは困難であるし、無視しても他のクラスメイトが団結するのを、陰から妨害してくるだろう。
彼女はガン細胞だ。僕たちの中に何食わぬ顔をして混じり、知らず知らずのうちに蝕み、手遅れになったところで正体を現す。
確実に障害となりえる彼女を攻略するには、何らかの手段を以って先生への狂信を捨てさせるか、あるいは。
(あるいは……殺される前に、先に。僕が、僕が彼女を、殺すか)
心の中に冷たいものが広がっていくのが分かった。大人の男性である先生を殺すことは難しいだろうが、同い年の少女である彼女を殺すことなら、あるいは。
無意識に、僕は近くのまな板の上に置かれた、包丁に視線を落とす。が、すぐに浮かんだ邪悪な考えを振り払い、包丁の近くにあったピーラーとニンジンを手に取った。
慣れた手つきで皮を剥きながら、僕は先ほどの考えに上書きするように、体験した二度の惨劇を回想することにした。
僕たちのことを殺しながら、先生は繰り返し「運命」だと呟いていた。林間学校にこの山が選ばれたのも、自分が先生を裏切ったのも、全ては運命だと。
この山が、選ばれたことが運命。ぴたりと、僕は手を止める。
そういえば最初の惨劇の際にも、先生は同じようなことを言っていた。いや、それだけじゃない、「我慢していた、このところずっと調子が良かった」とも言っていた。
つまり、つまり、つまり。先生は過去に同じような事件を起こしたことがあり、その事件は今林間学校で訪れているこの山に関係があるのではないか。
だとしたら、この山に関する過去の事件を調べれば、先生の正体について何かわかるかもしれない。
アテはある。何とかして連絡さえ取れれば、大抵のことは調べられるアテはあるのだ。
問題はその連絡手段であり、学校行事である林間学校では、スマートフォンをはじめとしたあらゆる電子機器の携帯を禁止されている。ログハウスは基本無人であるため備品などしか配備されておらず、唯一スマートフォンを所持しているのは、生徒の監督者ですべての元凶である先生のみなのだ。
考えろ、外部と連絡を取る手段を。警察に通報するにしても、何か決定的な根拠がなければ、未来で起こる大量虐殺の話なんか信じてもらえないだろう。
まずは何とかして、先生のことを調査しなければ。たとえこの身を、犠牲にしようとも。
「……痛ッ」
なんて考えながら皮を剥いていたら、ピーラーの刃で指を切ってしまった。
「どうかしたのか」
隣で肉を切っていた彼が、再び声をかけてきた。本当に、彼はよく僕のことを機にかけてくれる。それが嬉しくもあり、同時に悲しかった。
「指を切っただけだ。問題ない」
ポケットからハンカチを取り出し、指の傷口に巻き付ける。痛みはあるが血はすぐに止まるだろう。
後で荷物の中にある絆創膏を巻いておかなければ。ハンカチをしっかり結びながら、僕はぼんやりとそう思ったのだが。
荷物。そうだ、電子機器こそないが、荷物の中には帰りの電車賃が、つまり小銭が入っている。
だとしたら、公衆電話さえ見つければ、電話を掛けられる。確か来る途中の道で、電話ボックスを見たような記憶がある。
少なくとも、先生からスマートフォンを盗むよりはずっといい。電話ボックスに向かうには、一人で集団から抜け出す必要があるが、それだってクラスメイト全員を説得するよりは容易いことだ。
頭の中で、今回の計画を練り上げながら。僕はハンカチを結んだ手を軽く振った。まだ、痛みははっきりと感じられる。
期末テストが終わった打ち上げも兼ねて、三人で遊びに行く予定だったのだが。
直前になって恭二が、「彼女とデートがある」なんて言い出したせいで。
仕方なく、弓也と友広の二人だけで、地元の学生には馴染みのたまり場となっている、ゲームセンター「ラヴ&ピース」へ遊びに来ていた。
夏真っ盛りな眩しい日差しの照り付ける、外の世界とは裏腹に。店内は薄暗く空調が効いて肌寒いと思えるほどだった。
「とりあえず、何からやる?」
最新のものからレトロなものまで、各種筐体の取り揃えられた店内を見回しながら、友広は隣の弓也に声をかけてきた。
「あー……何でもいいや」
「なんだよ、つれないな。じゃ、いつも通り『STAR LIGHT MUSIC』の対戦やるってことで」
弓也の気のない返事をなかったことにするかのように、友広はポケットから電子マネーカードの入った定期入れを取り出した。
音ゲーの中では比較的ライト寄りといえる、「STAR LIGHT MUSIC」の筐体の前に並んで立ち。友広は電子マネーでプレイ料金を支払い、二人対戦用モードを選択する。
曲はいつものインストゥルメンタル。緩急のある譜面に従って、弓也と友広はプレイボタンを操作していく。
といってもお互い何度もプレイした曲であるため、ミスすることはそうそうないのだが。だからこそ軽い妨害も兼ねて、ボタンを叩きながら友広が口を開いた。
「なあ、弓也」
「なんだよ」
「お前、最近元気ないよな。なんかあったの」
鈍い効果音と共に、弓也のプレイ画面に「MISS」の文字が表示される。一度ミスしたからといって、焦ってはいけない。出来る限り平常心を保つことを心掛けつつ、弓也は譜面に集中する。
「別に。何もないさ」
「そう?ならいいけど」
思ったよりもあっさり食い下がった友広は、しばらくの間弓也と同じく、画面を注視していたが。
ラストスパートが終わって、終了まであと少しというところで、友広が再び口を開く。
「ところでさ。お前と琴峰千早って、どんな関係?」
鈍い効果音と、「MISS」の文字。画面が遠のいていくような気がした。
「な……なんで、琴峰千早が出てくるんだよ」
答えたものの、声にあからさまな動揺が滲みだしてしまった。画面にはいつの間にか、「MISS」の文字だらけ。
「いやあ、なんか前にお前と琴峰が、一緒に帰るところ見たってやつがいてだな。お前ら幼馴染みらしいし、なんかあったんじゃないかと思って」
ミス、ミス、ミス。譜面がろくに追えていない。
「何にもない、何にもないから。ただ……」
「ただ?」
「俺が傘を忘れたから、折り畳みを借りたんだよ、それだけだ、ホントに」
「ふーん……で、その折り畳みは返したのか?」
「……」
最後のメロディがびっしっと決まって、曲が終わってリザルト画面が表示される。友広の方には「PERFECT」が表示されている一方、弓也の方はやりこんだ曲にしては残念なスコアが表示されていた。
「返せてないってことは、なんかあったってことだな」
リザルトが消えた後の「WIN」の文字を前に、友広はパチンと指を鳴らしてから、弓也の方に顔を向ける。
「もしかして、惚れたのか?」
「……」
「沈黙で返すってことは、マジなんだな」
別に肯定するつもりで黙ったわけではないが、図星を突かれて言い返す言葉に困ったというのも事実だった。とりあえず、いいネタを得たとばかりにゲスい笑顔を浮かべる目の前の友人を、思い切り殴りつけてやりたい。
「いやあ、弓也って他人にあんま興味ないタイプだと思ってたけど、落ちましたか。やっぱり幼馴染みだからですかねえ?」
「……うるさい」
「まあいいじゃないの。勝ったのは俺なんだしさあ」
これ見よがしに画面を指さす友広。非常にむかつくが、勝負に負けたのは事実であることがとても悔しい。
数秒間、何とかできないか考えてから。弓也は短く息を吐いて肩の力を抜いた。無理だ、例え誤魔化したところで、友広が諦めるとは思えない。なら素直に吐いてしまった方が傷は浅くなる。
「……距離が、近いんだよ」
「なんて?」
「距離が近いんだよ、やたら。小学校の時も、別に大して親しくなかったはずなのに。やたら距離を詰めてくるというか、なんというか」
「なるほど。要するに可愛い女の子に詰め寄られて、くらっと行っちゃったってわけか」
「……まあ、そんな、ところかな」
「うーん、青春」
達観した様子で頷く友広がまたむかつく。このまま永遠に童貞ならいいのにと願わずにはいられないぐらいに。
「で、その様子ならまだ告ってないんだよな?いつ告白するんだ?」
一転して興味津々といった様子で、目を輝かせて聞いてくる友広。恭二の告白を覗き見、賭けの対象としていた手前、これもまた反論できないのがこれまた悔しい。
どうせ今度は恭二と二人で、賭けのネタにするつもりなのだろう。だが生憎、友広の期待通りにはいかないのだ。
「……告白は、しない」
「……は?」
「お前も知ってるだろ、琴峰千早には好きな奴がいる。俺が告白しても、玉砕するだけだ」
弓也としては、至極真面目に言ったつもりなのだが。友広は信じられないというように、弓也を二度見する。
「いや、お前それマジで言ってんの?」
「普通にマジのつもりだけど……俺、何かおかしいこと言ったか」
筐体にもたれかかって首を傾げる弓也の前に回り込んで、友広は勢いよく顔の前で手を振った。
「だって、別に親しくもない女の子がやたら距離を詰めてきて、雨の日に傘まで貸してくれたんだろ?」
「……」
「それって完全に惚れてんじゃん。他ならぬ、お前にさあ」
びしっと、指を突き立てて断言する友広。なんでこんな簡単なことも、分からないのかというように。
惚れている。琴峰千早が、自分に惚れている。
ありえない、なんて脳内で否定しようとしても。一秒、二秒と時が経つにつれて、まるで真実であるかのように思えてきた。
本当に、惚れているというのか。今まで恭二を含めた多くの男子を泣かせてきた、あの琴峰千早が自分に。
でも、だとしたら。一つおかしいことがある。決定的に、おかしいことが。
「でも、幼馴染みと言っても、小学校の時にたった一年間クラスが同じだったぐらいだぜ。しかも友達でもなんでもない、ただのクラスメイトだったのに、他の優良物件を
押しのけて、俺なんかに惚れるってあり得るのか?」
「知らん。お前が忘れてるだけで、なんかあったんじゃね」
あっさりと言い切って、友広は鼻をほじってから、何かに気づいたように顔を上げる。
「恋ってそういうものなんじゃないの、知らないけどさ」
どや顔がむかついたものの。正直、目から鱗かもしれない。
誰かを好きになるのに、理由なんて必要ない、なんて。何百年も前から囁かれてきたことじゃないか。理不尽でも、意味不明でも、それが、それこそが「恋」というものなのだからと。
「……ありがとう」
気が付いたら口にしていた、心からの感謝の言葉に。友広は事もなげに頷いて見せる。
「ん、どういたしまして。その代わり告白するときは、必ず教えてくれよな」
「ああ。忘れてなければな」
あの雨の日から、ずっと心に被さっていた雲が、綺麗さっぱり晴れていくようだった。
千早が自分に恋しているというのなら、今までの彼女の行動がすべて、好意からくるものだったとしたら。
自分がやるべきことは一つ。琴峰千早に想いを告げる。俺も彼女が好きなのだと、はっきりと言ってやることだ。
「じゃ、次は何やる?」
再びポケットから定期入れを取り出し、白い歯を見せる友広に、弓也は改めて向き直る。
「そうだな……」
対戦格闘ゲーム、ガンシューティング、レーシングゲーム。ここには様々な筐体があるが、今なら何をやっても、楽しいと思える気分だった。
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