第11話 白と黒

 先刻までの市内の混乱はどこへやら、散発的に遠くから炸裂音が響き、コンドミニアムの屋根を束の間、明かりで照らしはすれど、捕虜の移送と負傷兵たちを看護をする傭兵たちの姿を時折見かける程度で、住民たちは固く戸を閉め息をひそめ、翠色の常夜燈で照らされた夜の街角はいつもの静けさを取り戻しつつあるかのようにさえ思えてしまう。

 ライラが堀に飛び込んだ城壁の隙間から、外壁を飛び越え、再び下水道に潜って内壁エリアに侵入した。マンホールの蓋を開き、安全を確かめると中央広場にある時計塔へと向かう。

 プランBを実行するために、土師たちはまず、時計塔を経由したはずだからだ。

 月は西に傾き、その威光に影を差し始めている。

 常夜燈の一つのカバーを開き、魔封結晶を一つ拝借しておく。

 建物の影を伝いながら、時計塔に近づくと次第に喧騒が聞こえ始めた。

 植え込みの影から、時計塔の出入り口を覗き見ると、そこは閉ざされたままだった。広場に明かりが見え、傭兵たちが集合しているのがわかる。周囲を警戒しつつ、扉まで近づく。

 その途中で、異変に気づいた。

 時計塔の中心部、凱旋門をくぐる際に見上げる天井部分に、大きな穴が空いていた。

「随分、派手にやったな・・・」

 穴の奥を見上げると、動きを止めた巨大な歯車と、その上部に光っているはずのものはなく・・・。

 不意に飛びかかった者に、私の小さい身体は抱き上げられ、そのまま植え込みの影に連れ去られた。

 お姫様抱っこですよ、これ。

「何をしているのですか!?あんな目立つところにいたら、見つかっちゃいますよ!」

 鼻元をくすぐる金髪のウェーブと麗しの香り。

「レーアさん、こんなにあっさり会えるとは!ミッションコンプリートです、私!」

 喜び勇む私の口元に、白く長い人差し指がぎゅっと、当てたれた。

「まだ、終わっていません!大変なんですよ、お二人が!」

 私たちの側を、街の住民たちが駆け抜けていった。次々と家を飛び出し、荷物を抱え、赤子を抱え、中には台車に家財を積んで広場から遠のく人たち。皆、恐怖に駆られた顔で逃げ出している。

 はて、どこからどこへ逃げようというのか?

 家族連れの男性が、私の姿を目に止めて、意外な反応を示した。

「ひぃッ、うさぎだ!」

 蜘蛛の子を散らしたように、家族は逃げていった。

「何!?超、印象悪い!」

「カブラギさん、こっちに来てください!」

 私はレーアさんに手をつかまれ、植え込みに潜り込む。二人して大小の尻を突き出しながら、植え込みの隙間に頭を突っ込んだ。広間の突き当たりにある正門に、傭兵たちはわらわらと群れている。とびきり長い梯子を2本かけ、矢狭間の上まで登ろうとしているようだ。そして、その行先には・・・巨大な魔封結晶を盾に抵抗する土師と長谷川の姿があった。

「うわ!マジか!あのHコンビは、どうやってあそこまで岩を運んだの?」

「知りません、私が見つけた時には、すでにこの騒ぎでした。それよりも、早くお二人をお助けしないと!」

 いやぁぁぁぁ、そうはいっても・・・。

 二人は、城門を破壊するのが目的だが、至近距離にいては石の爆発で自らも助かりはしない。一方、近づく傭兵たちの目的は、城門の破壊阻止。だが、二人を煽りすぎて自暴自棄にさせてしまっては、城門は破壊され、自分たちも爆発に巻き込まれる結果となるのは、火を見るより明らか。そのこう着状態が、二人の狙いだったのかも知れない。事実、ライラたった一人を別として、誰も追手は来なかったのだから。

 プランBの目的は、城門破壊による援軍の侵入路確保と、その騒動によってクラーラの脱出を援護する揺動にあった。安全圏まで退避して破壊を敢行するゆとりが、二人には無かったのだろう。いくら魔法省をはじめとする各署への攻撃による混乱に乗じたとはいえ、あそこにアレを運ぶ段階でバレバレだろうに。城門の下とか、他の目立たない場所の壁でも良かったのでは?とはいえ、岩を抱えて逃げ回っているうちに、あの場所に行き着いた可能性もある。いや、今はそんなことを勘繰っている状況ではないか。

「いや、でも、うぅ、あれは無理じゃない?」

 人差し指と顔をシンクロさせて、可愛く傾げて見せた。諦めてくれないだろうか、レーアさん。

 傭兵たちはざっと20人強、梯子の上に到達して、二人の衣服を掴んで引き下ろそうとしている。城壁の左右からも数名の姿が見えた。

 喧騒に混ざって、長谷川社長の甲高い声が弱々しく聞こえてきた。

「掴んじゃだめ、落ちちゃうよ!離さないと、この岩、割っちゃうよ!?いいのかい!?爆発するよ!?それも、こんな大きいんだ、もぅそりゃ、大惨事になるよ!いいのかい!?僕、知らないよ!?」

 対する傭兵たちも、必死だ。

「頼むから、早まるな!俺たちはただの雇われだ!こんなとこで、お前たちと心中するために来たんじゃない!家には家族もいるんだ、ただ、家族のために金を稼ぎに来ただけだ。お前たちに恨みもない、俺たちのためにも、冷静になれ!悪いようにはしないから、な、安心しろ!大丈夫だから、梯子に移れ、安心しろ!」

 強面のごろつき供が集まって、必死に二人を説得していた。

「カブラギさん、あぁ、もうハセさんが、捕まっちゃう!」

 土師の方は、持ち前の格闘術を活かして殴る蹴るで応戦していたが、一度に数人がかりでは抗しきれない。

 私は、時計塔で寝泊まりしていた日を思い出した。土師は、あそこで私に作戦に参加する動機を教えてくれた。

『俺は自衛官だ。日本人を守るのが、俺の使命だからな!』

 夜風に乗って、彼の清き魂が昇天していくのを見た、気がする。

「ありがとう、土師3等空尉!君の勇姿と心意気は、決して忘れない!」

「まだ、死んでいません!」

 首を掴まれ、ぐりんぐりんとこねくられる。

「レーアさん、落ち着いて!脱出ルートを教えるから、レーアさんは・・・」

「いいえ!私が敵を引き付けます!カブラギさんは、その隙にお二人を!」

 うっわ!めんど!めんど!も一つ、めんど!

「じゃぁ、ひとまず、私と来てください、二人は必ず助けますから!」

 レーアさんの返答には、やや間があった。

 人間とは付き合いが長くなると、うさぎが幻滅する表情までも、読み取れるようになるのかも知れない。

「・・・どうやって?」

 うっ・・・。

 私は冷や汗をかけない体質であったことに、この時初めて感謝した。

 ポッケから、先ほど常夜灯から抜き出した魔封結晶を取り出して、彼女にみせる。

「まず、二人が岩から離れるのを待ってから、この結晶を投げて、岩を爆発させます。結界が破られたとなれば、貴族同盟側も大混乱でしょう。その隙に・・・」

「わかりました!でも、投げて届かせるには・・・そうだ、あそこから投げたら、届きますか?」

 いや、その混乱でも二人が逃げられる算段は希薄なのだが・・・。

 レーアさんの目は、すでに“やり遂げる奴“の目だ。

 指差したのは、広間に面するコンドミニアムの屋根だった。一番城門に近い端まで行けば、10メートル程まで近寄ることが出来そうだ。

「一緒に、屋根まで登ってください」

「げ?」

 げ?

「わ、私も一緒に・・・ですか?」

「今の私にはあなたが、一番の重要人物なんです。旦那さんに約束しましたので、無事に連れて帰ると」

「そうだったのですか。では、建物の影に隠れておりますので・・・」

 さっきまでの勇ましさはどうしたのだ?

「爆発の規模も何も、想像できません。建物が崩壊する危険だってあります。ぶっちゃけ、そばに居てくれた方が、なんとかしようもあるので。私のフィジカルならば、レーアさんを担いだまま、バルコニーを伝って瞬時に降りることもできます。知りませんでしたか?私は、スーパーバニーガールなんです!」

「スーパー、なんですね・・・わかりました!お供いたします!」

 両手をぎゅっと握り締め、レーアさんは決意を固めた。

 何の?

 二人して共用階段を登り、レーアさんを背中におぶると、屋根に飛び移る。

「きゃッ」

 なんともしおらしいお声。女性として、私も見習うところアリか。

 あ、そうか・・・もしかして・・・これは。

「瓦が・・・滑って・・・」

 背中から下ろした途端、レーアさんはガクガクと震えながら、その場に四つん這いになってひばりついた。

 まるで、生まれたての子山羊のごとく。

 ガクガク・・・ブルブル・・・。

 いろいろ追い詰められて、うっかりして気が回らなかった。どうやら、彼女は高いところがダメな感じ。

 屋根の頂上まで手を引いていくと、お馬さんに跨った格好のまま、石になってしまった。

「やびゃい、やびゃい、やびゃい・・・」

「目をつぶって、そのままでいてください」

 ま、逆に動き回られても危険なだけだし。

「さて・・・」

 私は下の様子を伺った。

 Hコンビは、傭兵たちに両腕を掴まれた状態で、広場まで連行されていくところだった。現場指揮官らしき者の前に、引き出され・・・!

 私は、両耳を手でたたみ、屋根の影に身を忍ばせた。

 指揮官の姿は、アニメコスのような軍服に、赤毛の持ち主、ライラだったのだ。

 さぞや楽しげに、二人を出迎えようとしたその時、傍に居る若い兵隊が私の方をまっすぐに指差した。

 ライラと目が合う。

 驚き、そして湧き起こる復讐心、続いて歓喜へと、緑色の瞳がうつろいゆく様をまじまじと観察してしまう。

「くそ、なぜ、簡単に見つけてくれる!?」

「はへぇ?」

 今、何か、言いました?とばかりに、レーアさんが片目を開けて私を見た。

 この人だったわ!

 ライラが指揮棒を振るい、コンドミニアムの屋根に登るように兵士に指示を出している。もう、時間がない。私は石を握りしめると、屋根の上を走り出した。

「今宵を楽しんでおるようだの?白き片割れよ?」

 戦慄が背中を襲った。

 振り返ると、ビクビク震えるレーアさんの首元に、ナイフを当てる黒い獣がいた。

「先へは行かせぬよ?分かるだろう?」

 のどぼとけを裂かれ、淡い鮮血を噴き出しながら、屋根を転がり落ちる女性の幻影。一人の女性の死など、歯牙にも掛けないその心情が、私の心に流れ込んでくる。これは、黒いうさぎの心にある、これから成すつもりの行為に対する固い意志の現れだ。

「ライラの狙い・・・黒の民たちの反抗計画を知ったわ。今なら、あなたにも私の頭の中を読み取れるはず」

 黒いうさぎは、闇をさらに黒く染めたような、漆黒の輪郭の中に、その紅の双眼を輝かせた。

 まるで、殺意だけを丸くこねて焼き締めたような瞳だと、そう思った。

「勘違いされては、些か心外じゃ。ワシはヌシ様と同じだけの思考ができるのじゃぞ、はらかたよ。ワシの考えはこうじゃ。フジノのやり方では、時間がかかりすぎる。雨は激しく降った方が、翌日の空が美しく澄み渡る、とな」

 黒の民たちの再侵攻、強力な術式による各都市の破壊、支配体制の崩壊の後に訪れる長きにわたる無秩序と荒廃・・・それは先の大戦を上回る悲劇の再臨。

 頭の中に流れ込む、悲惨な光景からかぶりを振って逃れた。

「政治論争ならば、いずれサロンでゆっくりと交わしましょう。熱い紅茶でも飲みながら、アフタヌーンティーと洒落込んだっていいわ。でも、今は、目先の優先事項に目を向けるべきよ」

 考えろ、私!こいつの興味はわかっている!

「続けるが良い」

「時間を稼げば、ライラの応援がやって来て、私は捕らえられるわ。貴族同盟の雇われである、あなたの出番はそこでお終い、終幕よ。私の身柄は、きっとライラ自身が抑えるわ。そして、きっと殺されるでしょう。では、ここであなたがその女性を殺した場合はどうなると思う?私がここに留まる理由は、その時点で無くなる。追いかけっこをしたい、というのがあなたの望みならば、それもいいでしょうけれど」

 余計な事は考えるな、私。今の事だけ、強く念じるんだ。

「ふむ、良かろう・・・この場が、ワシらのラストステージに相応しいと、ヌシ様は言うのじゃな?つまりは、ここで腐れ縁のケリをつけたいと?」

 こいつの性格はわかっている。誰よりも、私が一番知っているのだ。

「そうじゃな、はじめから、実のところ、他人などどうでも良い。増してや、この世界はどこに存在しているのかさえあやふやな、異世界じゃ。ワシはヌシ様と遊びとうて仕方が無かった。それだけが、生き甲斐だったと言ってしまっても良いくらいじゃ」

 黒うさぎは、レーアさんを飛び越え、屋根の上に音もなく着地した。

 身を低くして、ナイフを構える。

 その黒い輪郭がゆらゆらと波打ち、徐々に膨張してゆく錯覚を覚えた。さっき、こいつは私と同じ思考、と言った。だが、それは違う。こいつの義体の中身に占めるものは、私の邪気だ。

「ワシらだけの、特設ステージの開幕じゃ。さぁ、今宵を楽しもうぞ!」

 私の目には、前足がすっと消えたように映った。次の瞬間、頬肉を金属の刃でスライスされる。返す刃が、私の下顎を分解しようと軌道を変える。左手でナイフを持った手を弾き上げ、その斬撃を交わしながら、私は右手の突きを喉元に放った。

 屋根の上に転がされたのは、私の方だった。

 右脇腹に拳を喰らい、同時に足を掛けられていた。

 転がり落ちないように、爪で瓦をつかみながら、立ち上がる。

「ヌシ様はのぉ、反射神経だけなのじゃ。スキルもエクスペリエンスも欠けておる。じゃから、再三に渡り、剣術を学べと忠告したのじゃ。せっかくの見せ場が台無しじゃぞ?」

 星々がその光を弱めつつある夜空を背景に、二匹のうさぎが屋根の上で舞い踊る。

 ナイフは、手首、肘裏、膝裏と腱を狙って立て続けに繰り出される。

 その一瞬のラッシュを紙一重で躱し切ったつもりだったが、私の白い体毛は赤く染まっていた。

 体育の授業で、素人の生徒が全国大会を目指す剣道部員の相手をさせられるようなものだ。

 分かってはいたが・・・まるで歯がたたない!

 下手に手を出せば、伸ばした手を裂かれる。私にできることは、ジリジリと後退しながら、避けに徹することばかりだった。そもそも、こいつの狙いが、私を瞬殺することであったら、それはすでに、初手の一撃で達成されていたのだ。少しでも、楽しみを長く味わいたい、それがこいつの狙いだからだ。

 私の耳が、土師と長谷川社長の声援を捉えた。

「嬉しいのう、皆の歓声が聞こえるじゃろ?ワシらは今宵の主役じゃ!それ、隠し玉があるのじゃろ?そろそろ、見せてみよ!」

 私の白い体毛を散らしながら、黒うさぎは痺れを切らしたようにねだる。

 あるとも!確か、マクガイアと言っていたか。

 肩を狙った突きに対し、私は左手を突き出した。

「バカなっ!それは!?」

 黒うさぎはナイフを止めようとしたが、私の突きに追い縋られる。

 光、そして爆発。

 私の左の掌にあった魔封結晶は、ナイフの刀身と、私の指全部とを消し去りながら、その爆風で二人を引き離した。強烈な痛みの情報が、互いの魂を行き交い、それは瞬時に何度も交差し眩暈を誘う。

「正気か!?」

 私は、後ろに転がってから立ち上がり、そのまま背を向けて全速力で走り出す。

 落下を免れた黒うさぎも体勢を整え、すぐさま追い縋る。

 だが、フィジカル勝負なら互角なはずだ。まさか、こいつが毎朝のランニングで汗をかくのが趣味だとは言い出すまい。このステージの勝利条件は、あくまで城門上に据えられた魔封結晶の破壊、そしてレーアさんの救出だ!

 次々と瓦を割りながら、二匹のうさぎは四本足でコンドミニアムの屋根を疾走する。

 20メートル先の先端まで、一気に走り抜けて、それから・・・。

「ヌシ様よ、実はワシにも秘策がある、聞きたいかえ?」

「見て分かんないの?今、忙しいから、後にして頂戴!」

 私の頭の中に、黒の民が使う呪符のイメージが浮かんだ。

「ホムンクルスが魔法を使えん、という通説じゃが、あれはのぉ、嘘じゃ!」

「知ってるし!」

 前方の空中に、黒い塊が生まれた。

 術を使うための必須要項なのか、黒うさぎが強烈に念じたがために、私の頭にも術式のイメージが鮮明に伝わった。

 瞬間転移、短距離、その次はスローイングダガー。

 3枚の呪符は鋭利な刃物となって、黒うさぎの手から放たれた。

 2枚は逃げ場を封じるため、本命は額を狙った1枚!

 両肩を抉った2本の刃は瓦屋根を貫通し、額に命中するはずの刃は、甲高い金属音を立てて右手の平に収まった。

「なッ、それがマクガフィン、か・・・」

 黒うさぎが屋根に着地する直前の隙間を、私は勢いを殺さずその股ぐらを潜り抜け、最後の一歩を力強く踏み出した。

 残す距離は、約6メートル。私は、右手でそれをぐるぐると回しながら、大きく振りかぶった。

「これで勝ちだ!」

 夜の街にこだまするほどの叫びを上げて、それから手を離す。

 土師も、長谷川も、レーアさんも何かを叫んだ。

 バイオニックなパワー全開で放たれた、銀色の懐中時計は、ライラをはじめとする兵士たち、そして仲間たちがその軌跡を目で追う中、勢い良く巨大な魔封結晶に当たり・・・そして、二つに割れた。

 私は石畳に落下して行きながら、蓋がはずれ、ガラスが割れた懐中時計が、キラキラと輝きながら落ちてゆく様を認めた。

 岩が割れるような事は、無かった。

 近づく地面・・・あぁ、痛そう・・・。

 私は目をつぶった。


「パワー全開!魔法少女クラーラの参上じゃー!」

 天から飛来する白銀のツインテール。

 ぐぎぎッ!

 首がへし折れるほどの衝撃を感じたかと思うと、私の落下は方向を縦から横へと90度、変えられた。

「重いぃぃぃやっぱ、無理かも!」

 ほうきに跨り、空を滑空するクラーラが、私の足を掴んでいた。

 と思ったのも束の間、石畳で後頭部をすりおろされる。

「痛だ痛だ痛だだッ!」

 クラーラは気合を入れ直し、私をぶら下げたまま高度を上げた。

「二度死ぬかと思ったわ・・・」

「ごめんなのじゃ、重いものはちと、無理なのじゃ」

 豪速球でデッドボールを食らわすような、お見事なデスワード!

「魔法で空を飛べたなんて、初耳よ」

「へへん!妾の自慢の芸じゃ!ラベルで封じられておったがの、今は全開クラーラなのじゃ!」

 自分の右手でほうきの柄を持ち直した時、2センチ右の柄に、鏃が掠めた。

「あぶな!何するんじゃ!」

 思わずクラーラ語をラーニングしつつ、下を見ると傭兵たちが弓矢を構えていた。そこへ、黒い肌の男が乱入し狙撃の邪魔をしていた。あのピンク色の髪、ビリーだ。

「クラーラ!あなたに何かあれば、本末転倒よ!一旦、城の外に逃げて!」

「じゃがカブラギ、岩が・・・」

 岩が・・・?

「割れるぞ?」

 城門の上の魔封結晶は、縦に二分するかのように、ゆっくりと光の筋が伸びたかと思うと、その隙間から七色の光線を放ち始めた。その幻想的な光景はまるで、中世の面影を色濃く残す、世界遺産都市を演出するプロジェクションマッピングであるかのごとく。

 なんて、言ってる場合か!

「屋根の上、レーアさんを拾って!」

「了解じゃ!ハセとハセガワはどうするのじゃ!」

 傭兵たちも、結晶の変化に気づき、弓を捨てて逃げ惑っていた。ライラは、私に向けて両手を上げて、何かを怒鳴っているが、この距離では術式も届かないらしい。若い部下に両手で押されながら、退散を余儀なくされている。私は彼女に、手を振りかえすが、噴き出す血で弧を描くエグい挨拶になってしまった。

 だから、代わりに私は彼女に向けて、ウィンクを飛ばした。

 見えているか、ライラ。

 ソルジャーでもエリミネーターでもない私の、『異世界アルバイト』の、これが“勝利宣言“だ!

 屋根の上、最後に見た時と同じ姿勢のままでへたり込むレーアさんの元に、クラーラのほうきがゆらゆらとたどり着くと、私の身体に抱きつくように指示した。生身の女性であるレーアさんの握力よりも、彼女の体重を加えても私の片手の握力の方が信頼できるからだ。

「にゅぅぅぅ〜重いじょぉぉ〜」

「クラーラ、屋根より落ちてるわ!頑張って!」

「おーい!大丈夫か!?レーアを預かるか?」

 コンドミニアムの裏手で、土師に呼び止められた。長谷川社長とビリーも一緒だった。クラーラの力は頼りないが・・・とはいえ、傭兵たちの追手を気にしながらの逃亡だ。爆発後、ライラが追手に加われば、レーアさんはまた逃げきれないかも知れない。

「ビリー、あなた腕力に自身あるでしょ?女性一人、抱えて走れる?」

「えぇ!?あたし、こう見えて軽作業用仕様なのよねぇ」

 もぅ!

「三人は、プランAで逃げて!爆発の規模が分からないから、早く!」

「分かった、後で落ち合おう!」「気をつけてね〜」「じゃぁね、クラーラちゃん!みんなをよろしくね!」

 高度が上り、屋根の向こうから七色の光の筋が、まるで天を突かん勢いで伸びている。

「街の人は逃げたかしら・・・」

 ずっし、と脚に重りを感じた。

「ちょぉぉぉ!重いぃぃぃ!」

 クラーラが眉間に皺を刻んで唸り、一気に高度が下がった。

 理由は明らかだ。私の脚に、黒うさぎがぶら下がって来たのだ。

「てめッ、うざけるな、自分で走れ!」

「揺らすでないぃぃ!」

「皇女殿下に迷惑をかけるものでないぞ、大人しくしとれ」

「誰か、下にいるのですか?この声は、もしや、さっきの怖い方のうさぎさんですか!?」

「揺らすなと・・・むぅぅぅ!」

「住民はおらぬ。ワシが逃げるように、伝え回ったのじゃ。周辺の一軒一軒の窓をぶち割っての!ははッ!これを慈善事業というのかえ?何気に楽しかったわい。ヌシ様が来るまで、興味も湧かぬで・・・丁度良い鬱憤ばらしであった。なんじゃ?そんなワシを蹴落とそうとするのかえ?」

 こいつ・・・残念ながら、真実だと悟った。殺すも救うも、気分次第、というわけか?しかもこいつ、ここまで来て、まだ邪魔になることをして楽しんでるな。

「ふむ・・・ヌシ様、もう、爆発するぞ?」

「しゅーちゅーぅぅぅ!」

 クラーラが口を尖らせて力むと、綺麗なおでこに七色の光が反射し、キラリキラキラと輝かせた。大人ひとり、子どもひとりと、ペット二匹を連れた空飛ぶほうきは、急上昇を遂げて、内壁の上空を突破した。初夏の夜風を受けながら、上空から見下ろすヴェリーヌ城市は、七色の光に包まれ、まるで打ち上げ花火の夜を思わせた。

 白光。

 そして、衝撃波。

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