第10話 ヒロイン

「月が明るすぎるな」

 アダルウォルフ、リヒマン、レイナードの3人は斥候のため、街へと向かって歩いていた。

 丑三つ時を過ぎた空に浮かぶ満月は、まるで空の支配者を気取るが如くその威光を誇示し、満天に輝くはずの星々の光を蹴散らして喜んでいるかのようだった。

 リヒマンの杞憂に、隊長のアダルウォルフがうなづいた。

「ここら一体は、水田地帯だ。隠れる場所もない、マントを閉じて、金属を光らせるなよ。フードも深く被れ。顔が月光が反射して、目立つ。魔力を絶やさず、感覚を鋭敏に保つんだ。相手よりも先にこちらが見つける、そうすれば、何も問題は無い」

 れんげ草が満開の地面を歩き続けるうちに、粘土質の土がブーツの底にこびりついて足の運びを重くする。その土を革手袋を嵌めた手でむしり取りながら、レイナードは毒づいた。

「くそ、ナイフを使えれば・・・隊長、もう畦道を行きましょう。どのみち、この先の水田は、水が張られています。土肌を選んで進むのは、不可能ですよ」

「では、二手に別れよう。お前は、真っ直ぐ。俺とリヒマンは畦道をゆく」

「海水パンツが必要ですよ!」

「今度、将軍に支給するよう申請しておくから、今日は我慢しろ」

 リヒマンが鋭く割って入った。

「隊長、今、光が!」

 アダルウォルフのハンドシグナルで、一行はその場に身を伏せる。3キロほど離れたヴェリーヌ城市の影は、緩やかな丘陵に似た形状で、それはまるで巨大な亀の甲羅を思わせた。

「ほら、また・・・」

 城市は、破損の激しい外壁と、完璧に整備された内壁の二重のカーテンウォールで守られている。その内壁の中から、時折パパッと光が生まれ、街の尖塔や屋根の影を夜空に浮かび上がらせた。

「戦闘が起きているな。小規模のが、複数箇所で」

「報告に戻りますか?」

 アダルウォルフの言葉に、リヒマンが指示を仰いだ。

「いや、あの光り方なら、本隊の位置からも確認できているはずだ。もっと近づくぞ、速度を上げろ」

 三人はマントの裾を靡かせながら、畦道を進んだ。

 視界一面に崩れかけた古いカーテンウォールが広がる頃、首筋にはびっしょり汗がこびりついてた。それを泥だらけの手袋で拭ってしまった事を後悔しつつ、レイナードが魔瞳の魔法を発動させる。

「戦時特例級の魔術反応を複数検知。隊長の見越し通りですね。局地的ですが、戦闘が継続中のようです」

「位置は特定できるか?」

 隊長の言葉に反応し、リヒマンがマップを広げてレイナードに見せる。

「奥行きは把握できませんが・・・特に反応が多い箇所は・・・恐らく、ここと、ここ、それにここも」

「魔法省、貴族街、中央広場か。突入口を見つけるぞ」

 リヒマンが水を差す。

「内壁はラベラーを封じるため、完全に補修されているはずですが」

 レイナードがリヒマンの鼻を指先でチョンと突いて、泥を付ける。

「隊長なら、こう言う。なければ、つくるまでだ、とね」

 本人が続ける。

「少なくとも、部隊が安全に外壁を越えるルートは調べておきたい。それが、本来の俺たちの任務だ。この状況をすぐに報告したいところだが、そんなにすぐに状況が変わるようであれば、どうせ俺たちが本体に戻った頃には一段落している。焦らずに行こう、だが、迅速に済ませる!いいな?内壁は、門の様子を見るだけでいい。最新の魔法技術で補強されているとしたら、ウィザード級の力でも、どうにかできるもんじゃないからな。矢狭間の歩哨に気をつけろよ、今のところ姿はないが、俺のように生真面目な奴がいるかも知れん」

 アダルウォルフはそう言って、身をかがめながら城壁沿いに隊を進めさせる。

「隊長はお前のように、脳筋じゃないってさ」

 リヒマンがレイナードの鼻を指差そうとして、それを掴み取られる。子どもの喧嘩が始まろうかという時に、隊長から「遊んでいるな」と声をかけられ、互いにひと睨みをしてから仕事に復帰した。

 カーテンウォールの周囲には、3メートルほどの堀が巡らされ、所々、壁に開いた穴から雨水やら生活排水やらの水がチョロチョロと流れ落ちている。

 先の大戦の傷跡を色濃く残す外壁は、たとえ崩れかけているとは言え、そこは流石にアルタイアとの国境の街だ。大戦後の治安の悪化による野党たちの襲来も決して珍しくない昨今でもあり、最低限の補修は行われていた。壁に開いた穴を全てチェックして回るが、どこも頑丈そうな鉄格子がはめられいる。その外壁を堀を挟んで左手に見ながら、水田の畦道を踏破しつつ、侵入できそうな糸口を探し続ける。

「このまま行くと、一周しちまうんじゃないか?」

「まだ、6分の1くらいのはずだ。さっき地図を見たろ」

 レイナードとリヒマンが小声で小突きあっていると、いつの間にか止まっていた隊長に追いつき、揃ってゲンコツを食らった。

「歩哨に気をつけろと言ったろ?あそこを見ろ!」

 この水田一体に隣する城壁は高く、20メートルは下らない。だが、城壁の一部が崩れ落ち、低くなった場所に梯子がかけられていた。梯子は如何にも即席のもので、心もたない代物に見えるが・・・。

 草をかき分けて覗き込むと、堀には岩が投げ込まれ、足場がつくられている。

「罠じゃ・・・ないですか?」

「この区画は、スラムですね」

 訝しむレイナードを尻目に、リヒマンが地図を確認する。

「ひとり行って、様子を見て来い」

 二人は、ローズ風のじゃんけんをして、それはレイナードの役に決まる。

 魔瞳の魔法に加えて、身体能力では自信のあるレイナードであったが、堀から顔を出した岩の先端をひょいひょいと渡る途中、異様に揺れる岩がひとつあり、あわや、と肝を冷やす。

「ふぅー」

 なんとか声を上げずに堪えた彼は、壁際の犬走りに到着し、木材を麻紐で繋ぎ合わせただけの、細い梯子に手をかけた。崩れた場所までとはいえ、高さは10メートルを優に越える。振り返ると、草むらに潜んだ隊長がGOサインを送って来た。

「やれやれ・・・」

 梯子は足を乗せるたびに揺らぎ、ギシギシとやけに大きな音を立てた。

「頼むから、誰もそばにいるなよ」

 梯子を7〜8メートル上がった時、汗が目に入った。レイナードは目を泥手袋で拭う過ちを犯さず、梯子に左腕を絡ませて掌を自由にし、それで右手の手袋の端を掴んで脱がそうとかかる。苦労した甲斐あり、綺麗な右手で目と額を拭ってさっぱりしたのも束の間、その右手が酸っぱい臭いを放っている事に気づき、激しく後悔した。

 パッパーン!!

 連続した破裂音が、夜の静けさを貫いた!

 身体が勝手に反応し、思わず腰を落として身構えた。

 次の瞬間、急な重心移動に耐えかねた梯子の横棒は、あっさりその役目を放棄して逃げ出すと、乗り手を支える仕事を一本下の横棒に押し付けた。それは瞬く間に連鎖し、バキバキと木片を撒き散らしながら、梯子は分解を続け、蒼白のレイナードを堀の水に叩き落とした。

 幸いな事がひとつ。堀に沈められた岩に激突することは避けられた。

 不幸な事がひとつ。堀に落下するその姿を二人の仲間は見ていなかった。

 アダルウォルフとリヒマンがその瞳に映していたものは、下水口から飛び出した一匹の白いうさぎと、少女の姿。まるでスローモーションのように、勢い良く飛んだ二人の身体は月光にきらめく水飛沫を散らしながら、ゆっくりと回転し、そして、10メートルは下にある水田に落下した。まるで隕石が落ちたかのごとく、盛大な水の王冠を巻き上げて。

 リヒマンが身を上げようとするのを、アダルウォルフは制した。

「待て、まだ上に誰かがいる」

 激突した鉄格子を掴み、立ち上がる人影がいた。その者は頭を抱えながら、今しがた落下した者たちを確かめるように見下ろし、しばし考え、そして反転して中の暗がりに消えた。

「今にも飛び降りそうな感じだったな」

「隊長、早く助けないと!」


 二人が走り寄ると、泥だらけの少女が、上半身ごと水田に顔を突っ込んでいるところだった。

 息が続かず、ぶはッと顔を出し、また再び黒い水の中に飛び込もうとする。

「そこにもう一人いるんだな!?任せろ!!」

 マントを投げ捨て、畦道から水田に飛び込んだアダルウォルフとリヒマンは、膝まで埋もれる泥に苦労しながら駆けつけた。

 水の中を弄ると、泥に埋もれたブーツを掴んだ。

 すっぽん!

 とブーツが抜けて、勢い余って手から離れて飛んでいく。

「リヒマン、そっちの脚を掴め、せいので行くぞ!」

 泥の中深くまで埋もれた何かは、両手で力を込めてもなかなか上がって来なかった。たまらず少女も加勢する。

「上がらない・・・膂力を強化するぞ、俺に合わせろ」

 自分の両足も埋まっていくのを感じながら、リヒマンは歯を食いしばりつつ答える。

「関節が・・・外れちゃいますよ・・・」

「それでも稲として・・・余生を送るよりかは・・・幾分マシだろ!」

 瞬間、二人の身体が一回り大きくなった。胸のボタンが2つ、3つ弾け飛ぶ。

『抜けろ・・・!』

 二人が声を揃えて歯を食いしばると、まるで今この瞬間に生誕した赤子のように、一匹の泥うさぎが夜空高くに飛び上がった。

「ゲホッ!ゲホッ!ウゲ・・・臭っせ・・・死ぬかと・・・おぅえぇぇ・・・思った」

 うさぎは人語を話して、座り込んだ。

 水飛沫をあげながら駆け込むと、少女はうさぎに抱きついた。

「あはははッ、妾もじゃ!絶対、死んだと思ったぞ!あはははッははははッ」

 水田の中で、壊れたおもちゃのように笑い転げる二人の姿を、やってやった感で心を満たして、満足気に眺めていたアダルウォルフは、リヒマンにバンバンと背中を叩かれた。

「なんだ、リヒマン、お前も良くやったな・・・ちょ、強ッ(怒)」

「痛たたたッ、じゃれないでください!隊長!関節をキメないで!チガイマス!少女の手のラベル!」

 部下のタップで、アダルウォルフは腕挫十字固を緩めた。

「んだ?ラベル?結界の無いところから逃げ出したんだろ?まぁ、固いこと言うな、俺たちはハンドラーでもソーサラーでもない、生粋のソルジャーだ!大事の前の小事として・・・」

「皇女殿下です!ラベルを認識してください!」

 隊長は顎が外れるほど、大きく口を開いた。





「どこ行ってたんですか!?俺は死ぬトコでしたよ」

 九死に一生を得た私は、アダルウォルフとリヒマンと名乗る、二人の兵隊に連れられて水田を抜け出した。すると、びしょ濡れの三人目が現れる。

「そりゃ、こっちのセリフだ!大事な時に役に立たんな」

「うわ!ひど!そりゃ、あんまり・・・だ・・・その二人は?」

「作戦変更だ。本隊へこのお二人をお連れする。殿下、この者はレイナードです。斥候はこの3名で全てとなります」

「へ・・・殿下?このヘンテコな生物が?」

 レイナードと呼ばれた男は、アダルウォルフにゲンコツを食らってうずくまる。

 パワハラ上等だな・・・。

「その者は・・・従者か、何かだ!皇女殿下はこちらのレディだ!失礼な」

「なっ!」

 白銀のツインテールが逆立った。

「カブラギ!妾、レディなのか!?そうか、もう誕生日も近いしな!そうかそうか、レディの階段を登っておるのかぁ、妾に残された階段は、もう残り僅かしかないのぉ、さらば少女時代、ウェルカム、レディ!」

 さっきのアクティビティの影響で、可哀想な少女には、変な脳内物質が出ているらしい。発育に悪影響があるやも知れぬので、年齢制限を設けるべきだな。

「出発だ。殿下の足並みに合わせて進め!」

 マントを羽織り、号令を飛ばすアダルウォルフに、レイナードがリヒマンにぼやく。

「いつになくキリッとしてるな、隊長」

「黙れ、状況を理解しろ」

 その時、ドッボーン!と背後の堀に水柱が上がった。

「何事だ!?」

 短剣を抜いて身構える隊長に、レイナードは腰に手を当てて、さもありなんと答えた。

「人が落ちたんですよ、きっと」

 経験者の直感というやつか・・・?いや、待て、嫌な予感しかしない!私はクラーラを背中におぶって走り出した。

「逃げて!相手が悪いわ!」

 兵士たちは私の言葉に困惑しながらも、状況に適応した。そこは流石と言ったところか。しかし、水が張られたばかりの水田は脚をとられるので、畦道を進むしかない。水田の角をジャンプしてショートカットしながら、私は全力で疾走する。

「うほぉぉ・・・ぶしッ」

 ジャンプする度に、背中でクラーラが喉を鳴らし、着地で舌を噛む。

「落ちないでよ?」

「兵士が攻撃しておるぞ?」

 私は十分距離があるのを確認しつつ、束の間、成り行きを見守る。

 レイナードとリヒマンが光りを放つ矢をつがえ、その間に立つ隊長が、追いすがってくる女性に声を張り上げ静止を命じていた。

「敵だ!撃て!」

 私は口に手を当てて怒鳴った。

 弦が鳴り、2本の弓が放たれる。

「あれは、フジノが開発したソルジャー専用の徹甲矢じゃ。障壁も効かんぞ」

「こっちの世界の魔法なら、ね」

 2本の光の矢は、ライラに到達する寸前に消え失せた。防ぐというか、届きもしないらしい。

「無駄だわ!逃げて、逃げて!」

 私も疾走に移る。

「全速で走るから、口を閉じて、振り返らないでしっかり捕まっていて!いい!?」

「よいぞ!」

 私たちは、夜風を切り裂いて疾走した。

 どれくらい走ったろうか、気がつくとアダルウォルフとリヒマンの姿は無かった。レイナードの背中に、紫色の不吉な電光を放つ札を手にしたライラが迫る。彼はその一撃を喰らう前に、一筋の矢を天に向けて放った。

 開けた水田地帯に、鏑矢の甲高い音が響き、やがて宙空で七色の光となって広がった。

 水面に光の花が反射する中、赤髪を乱したライラが立っていた。

 足元には、レイナードが倒れている。

 50メートルは離れているはずだったが、私にはその緑の瞳が、夜の闇にも負けることなく、怒りを湛えて爛々と燃えていることに気がついてしまった。

 フィジカル勝負では負けない自負はあるのに、距離を離せない。アイツも肉体を強化しているのだろうか?すでに私の身体は、燃えるように熱かった。大きな耳に数千と張り巡らせられた微小血管は、必死に熱を放出しようと熱い血流を循環させるが、身体中の筋肉の熱と、凝り固まり重くなっていく疲労感は稼働限界が近い事を告げている。

「カブラギ、辛そうだ。頑張れ、頑張れ!」

 背中で少女が励ましてくれた。良い子よ、クラーラ、ここで妾を置いていけ、なんてほざいたら、引っ叩いてやらないといけないところよ!

「おぅよ!ハァ、ハァ・・・あの森まで行けば・・・なんとかなるわ!」

 20分は走ったろうか・・・自慢じゃないが、この身体に根付いてから、これほど長く走ったことはない。いつも私の住処は複雑に入り組んだ路地裏で、隠れる場所はいくらでもあったのだ。どんな大人数に囲まれようと、一足跳びに屋根に飛び乗り、一瞬で追手を巻いて来た。だが、どうだろう。今は30メートル先の森の暗がりまでも、どうやらたどり着けそうな気がしない。

 視界が暗転し、私はついに倒れ込んだ。

 私はまるで壊れた機械のように、肺に空気を送り込むことしかできない。

「・・・走って」

「立て、カブラギ!立つのじゃ!」

 首の皮が引っ張れるのを感じた。まだ、視界は開かれない。

「・・・走って」

 レーアさんのためにも・・・あぁ・・・気が遠のく。

「嫌じゃ!お主は・・・もう、誰も!置いて行かぬ!」

「走るのよ、クラ・・・お願い」

 クラーラは私の身体をひっくり返し、とても少女の力とは思えない強さで、胸ぐらを引き上げた。

「お願いするのは、妾じゃ!立ってくれ!」

 丸い水滴が、ポタポタと私の鼻の上で弾けた。

 私は、片目を開く・・・怒りながら涙を流す、少女の姿があった。

「ここは、あなたの世界でしょ!走るの!クラーラ!」

 私の絶叫が星空に吸い込まれる。

「それは違うぞ、カブラギ、全然お主はわかっておらぬ!まるで、ばかちんじゃ!」

「その通りね。まったく、勘違いされては困るわよ。ここは、“私たち“の世界なのよ」

 赤毛の女は、肩で息をしながらも、勝者の笑みで私たちを見下ろした。

「まるで、赤の女王ね。ついこの間までは、少しは可愛げのあった猫だったのに」

 呼吸が整ってきた。流石は、戦闘マシーンの義体だ。

 ラストマッチと行きますか・・・。

 私はプルプルと震える太ももを手で押さえつけながら、ギクシャクと立ち上がった。

「ごめんなさいね。弱いものイジメをしてるみたいで、心が痛みますわ」

 言葉とは裏腹に、月光に輝くサーベルを手にした彼女のその口角は、感情を隠し切れずにニンマリと引き上がっている。

 私の視界を遮って、クラーラが、凛然と立ちはだかった。

 涙を不器用に拭うと、赤の女王に向き直って少女は言った。

「この者は、妾の保護下にある!手出しは許さぬぞ!」

 凛として、言い放った。

 2本の脚をしっかりと地に突き立て、ほんの数日にしろまだ12歳にも満たない少女の、それはささやかで、そして精一杯の勇気を込めた抵抗だった。

「その言葉は、大人になってから言って頂戴ね、お嬢さん」

 少女の身体は一度、ビクンと震え、そのまま動かなくなった。

「何をした!?」

 私の問いに赤の女王は、こともなげな仕草で手をヒラヒラと振った。

「大した事ではないわ、ラベラーの自由を奪うなんて、ハンドラーには容易いこと、でなくて?」

「黒の民のはず・・・」

 硬直して立ち尽くす少女を迂回して、私の前に長い両脚を突き立てた。芝居ががった仕草で、腰に手を当て上半身だけを私に近づける。

「ラベルは、ローズの民にとっての安全保障なの。でも、魔法は技術と素養を要する。だから、誰でも同じ魔法を使えるわけではないの。でも、誰でもラベラーの反乱から身を守れるようになっていなくては、同じ街で一緒に暮らすなんて、到底許容できないでしょ?だから、魔法ではなく、ワードに反応するよう仕込まれているのよ。あなたも随分と長く生きているようなのに、そんな事も知らなくて?ちなみに、当然ながら、今すぐにでもあなたも硬直させられるわ。この距離ならね。それは容易いことよ?でも、しない・・・」

 サーベルの切っ先が喉元に当てられ、私は天を仰ぎながらつぶやいた。

「私の肉が、うさぎのように美味いとは限らないわよ」

「冗談のつもり?それとも、命乞いかしら?退屈だわ、囀るならもっと美しく。鳴くのならもっと女々しく狼狽えなさいな!」

 赤の女王は、自らの勝利の瞬間を、私の最期の様を、血湧き踊るエンターテイメントとなるようご所望らしい。無論、彼女にご満悦いただくよう取り計らう義理は無い。そして、今、まさにこの瞬間に、月夜に一筋の希望を私は見出していた・・・演じることができるか?いや、きっとできる、私なら!この姿に生まれてから、初めて自分の容姿に感謝した。私の表情は、あの黒うさぎでない限りは、読み取ることはできないのだから。

「私の過去を知っているのね?でも、それも驚かないわ。あなた方が関係を持っている、あの黒うさぎとは私も、因縁があってね、この姿を見れば分かるでしょ?あなたの知らないところで、私たちは連絡を取り合っていた。だから、私もあなたの情報を持っているのよ」

「ダメね、退屈だわ。さっき下水道で、私の正体と目的を知ったあなたは、確かに動揺していた。それくらい、私にも分かってよ?命乞いをするならば、もっと、そう、もっと私を楽しませてくれなくては!」

 切っ先に容赦ない力が加わり、体毛の下の地肌に侵入し始める。

 おっしゃる通り・・・あと、ほんのひと時でいい!もっとマシな事を言うんだ、私!

「私の!雇い主を・・・教えるわ、あぐッ!」

 顎先を靴の踵で蹴り上げられ、後頭部から地面に倒された。

「阿呆ですか?あなたが向かっていたこの方向・・・執政官の軍に逃げ込むつもりだったのでしょう?その判断は、確かに、一見すると常識的なものに思えますが・・・かねてよりの計画ともなれば、それはまったく別のお話ですわよね?あなたは、最初から、皇女を街の外に連れ出すつもりだった。となれば、街で合流すれば良いだけの執政官ではない・・・しかし、今あなたはそこへ・・・そこにいる、他の誰かの元へと確かに向かっている」

 ライラは、ぬめ光る唇を近づけて、耳元で囁いた。

「あなたの雇い主は、フジノ」

 私の手持ちのカードが無い事を悟りながら、その全てを見抜いていながら、しかし、彼女はそれを私と共に再認識することで、悦にいっていた。心底、心の奥底から、絶対的な勝利の味を、その美酒を享楽していた。

「災いしたのは、お前の、その、高慢さだ」

 ?小首を傾げたライラだったが、その反応は素早かった。緑色の瞳がカッと開かれ、胸元に手を滑り込ませる。

 次の瞬間、天空から自由落下してきた巨大なそれが翼を広げると、叩きつけるような爆風を産み出し、私とクラーラはまるで埃カスのように飛ばされた。赤毛の女が立っていた場所には、隕石の如く重く、鋭い鉤爪が襲った。

 コロコロと畦道から水田に転がり落とされて、ようやく自由を取り戻す。

 はじめ、月光に出現した小さな点であったそれは、差し渡し20メートルはあろうかという、巨大な翼を持った竜だった。その背に跨るは、白装束の鎧武者。

 まるで、バンダースナッチに跨った白の騎士の風態で、富士野 寿は現れた。

「ライラはッ?」

 翼竜は長い首を伸ばし、暗闇に向けて形容し難い不快な咆哮をあげた。

 その先には、水田から這い上がるライラの姿があった。

「ひぃ、蛇ッ」

 蛇?

 赤毛の女は、私に追い縋った脚力を全開に稼働させて街の方向へ去って行った。

 あまりに呆気のない撤退だった。

「・・・追わないと!?」

 私の言葉を無視し、富士野はゆっくりと騎竜を降り、尻餅をついたままの少女の元へと向かう。面を外し、側にひざまづき、手を差し伸べた。

「術はもう解けたか?しばらく見ないうちに、また大きくなったな!」

「父よ!」

 ぶはッ!クラーラはこの男を父と呼んでいるのか?レーアさんをまるで母のように慕っているのだから、それもアリなのか?そういえば、クラーラの血縁は残されていないと聞いただけで、詳しい事情は知らなかった。その話を聞いていた当初は、その頃の私には、それを知る必要はないものと思っていたからだ。必要以上に関わらない、踏み込まない、情を持ち込まない、そう努めていたのだった。

 クラーラは武者に抱きつくと、堰をきったかのように泣き出した。


「しかし、いつ見ても猿顔ね」

「それを言われても、君にだけは腹が立たんよ。不思議と言わざるを得ん」

 まさか、猿を掛けた訳じゃないわよね。

 宿営地まで戻り、私とクラーラは怪我がないか確認され、水を与えられた。

 今は富士野のテントで、二人してラベルの呪紋解除の施術を受けている。

 富士野の身体は、いわゆる昔の義体の一つ、一見人間だが、残念なことに顔だけが猿っぽい。往年のS氏が演じた○遊記を連想していただければ、話が早いのだが、諸君らには分かるまいか。妙に表情が豊かなだけに、どうにもコミカルだ。レーアさんは、これのどこら辺がお好みだったのだろう?この世は、摩訶不思議。

「富士野、私の呪紋だけれど、結界と拘束の効果だけを削除できない?」

 クラーラのラベルに手を当て、なにならを念じている猿顔親父に声をかける。

「愚問・・・私にできないことなど無きに等しい・・・それが心情だが・・・なぜだ?」

 他所から見ると、まるで痛いの痛いの飛んでいけ、とでも言い出しそうな仕草だが、魔法を念じてどうのこうのしているようだ。集中が必要なのか、返答も片言。

「クラーラと私、二人のラベルが消えちゃうと、互いの言葉が分からなくなるじゃない。それは、私にも生活上、不便はあるし」

「そうだったな・・・よかろう。そのように計らうとしよう」

「父よ、さっきの兵隊さんたちは、無事かの?」

「うむ・・・残念だが、助からなかった。だがな、クラーラよ。これは大事な事だから、よく覚えておくのだ。彼らは自らの勤めを果たすため、全力を尽くした。まさに、全身全霊を注いだのだ。誠に尊敬すべきは、彼らのような魂よ。墓をたてたら、一緒に参ろう。お前の命の恩人であるのだから」

 クラーラは大きく、しっかりとうなづいた。自分を守るために、人が死んだ。そして、これからもそれは続くのかも知れない。子ども頃の私なら、それをどう感じただろう?そして、その一生の中で、どれほどの墓を参ることになろうか。この子には、すでにとてつもなく、大きなものが背負わされている事を知った。

「終わったぞ。さて、バニーガール、お主の番だ」

 あれ、何だろう?すっと言われると、なんだかむず痒い!

「痛くしないでね」

「黙っておれ」

 彼の手に包まれると、手のひらの温かさに加え、針の先でくすぐられているような、痛痒さがあった。

「ところで、執政官はどうなったの?幽閉したの?」

「これ、この軍の最高司令官は、エルベアト殿だ。滅多な事を言うでない」

「あれ、じゃぁ味方になったの?政権の継続は諦めた?」

「自明だな、また道理でもある」

「でも、皇女がやって来たってのに、姿も見せないなんてある?」

「後方に控えていただいておる」

 ほほぉ。その一言だけで、随分と良い立ち位置を勝ち得たことを知れた。基地に残さず、連れ回している理由は、離しておいては、また誰かに説得返しを喰らう危険があると言うわけね。

「あなたの子飼いの国境警備兵団と、障壁徹甲弾だっけ?そこらへんで脅したってわけ?」

 手を止めて、富士野は猿顔を私に近づけた。

「良いか、後学のためによく聞くのだ。これは大事な事だぞ。血が流れれば、後世に遺恨を残すが、説得が成せれば、良好な関係は続くものだ。多少の意見の衝突は、交流をより深めるための好機とも成り得る。それに、説得に当たっては“材料“が必要となる。それがなければ、言葉も重さを欠くのでな。覚えておけ」

 戦力を伴った相手には、それに相応する戦力を背景にすることで、初めて対等のやりとりが可能となる・・・というお言葉かしら。

「カブラギよ、人の上に立つ者にとって、必要なことは何じゃか教えてやろう」

 施術が終わり、手持ち無沙汰のクラーラが好機とばかりに教義に参加してきた。

「情報、分析、予測、意志力、健康、そして最後に説得力なのじゃ!」

 ビシッと指差した。

「よい生徒をお持ちのようで」

 富士野の大きな口元が、ふっとほころんだ。

 その後、私は施術を受けながら、黒の民による潜入工作員たちの企てを説明した。

「その話によれば、今宵はまさに青天の霹靂をみる前夜といったところか。願わくば、先ほど逃した女を捕らえておくべきであったな。さすれば全容も解明できたであろうに。それを知ってもどの道、クラーラの安全確保を優先したが、まさか、それほどの敵だったとは・・・」

「きっと、単独でも魔力を封じる手に出るわ。それが、防衛戦の要になるのだから。でも、実行にはまだ数日はかかるはずよ」

「ふむ。ならば、今宵のうちに捉えるぞ。すぐにでも出立し、城門を破壊し、城市に突入する。貴族同盟の方も、歴史と因縁関係をその基盤をするが故、広く深く、帝国全土に根を張り巡らせておる。長引けば、全土を巻き込んだ内乱と発展してしまうだろう」

「それについては、物申したいわ。一体、今まで何をしていたの?貴族同盟の方は、どうなっているのよ?土師から連絡が行っていたはずだけれど?」

 ため息を一つ。

「それについては、まずは感謝しよう。発見された血判状から、芋づる式に6名の貴族を拘束した。だが、それだけでは、奴等の動きを封じるには至らなかったのだ」

「つまり、大した打撃にもならなかった、というわけね。同盟には、どんだけの貴族が参加しているのよ」

「エルベアトの失策だな。任期延長の法案をごり押しした反動なのだから。だが、今となっては協力者だ。ケツは我々で拭いてやらねばならん」

「ま、もうこの段階でそれを言っても仕方ないわね。今夜なら、敵の戦力は傭兵ばかり、数は4百前後、負傷者は多数よ。お金があっても、秘密裏に集められる兵数は限界があったのね。初期消化で完全に鎮火させましょう。でも、城門は破壊できるの?魔法で結界を張られているのに」

「金槌程度では傷ひとつ、つかぬだろうが・・・物理干渉も完全に無効というわけではない。それに、忘れたか?我らの軍はローザモンド帝国の正規軍だ。兵役特性のラベラーもおるが、ローズ人の方がむしろ多い。合体魔法で、より強力な魔法攻撃を仕掛けられる。どこの世界でも、“合体“は力だからな」

 合体、というワードに力を込める猿男。そこに、妙な信奉すら感じるのは気のせいだろうか。

「城門が破壊されれば、結界にも穴が開く、その解釈でいいのよね?」

「結界呪法は精神に作用する。空からの侵入も許さぬが、物理的に破壊されれば概念的に効果は消え去るのだ。故に、城門が破壊されれば、城門からの侵入は可能となる」

「禅問答のようでよく分かんないけど、まぁ保証してもらえるなら、それでいいわ」

「ふん。そもそも、これはお主が先に教えてくれた話だぞ。忘れたのか?アルタイア国境の不毛地帯で出会った時に、我がお主に尋ねたのだ。どうやって、結界から抜け出したのだ、とな」

「そうだったかしらね。私は脱水症状で死にかけだったから・・・」

「下水道に潜り、泳いで出た、と言っておったぞ」

「そんな気もするわね。どれだけ続くかも分からない下水に潜って、死にかけたことも思い出したわ」

 彼は緊張を解いて、私から手を離した。

「・・・良し、少々手間のかかる施術だったが、さすがは我、実にスマートな術さばきだった」

 意外にあっけなかった。散々と私たちを苦しめ、貶め続けたラベル。その光はまだ私の手の甲に光っていたが、呪縛からは解き放たれたはずだ。例えるならまるで、ぐらついた乳歯を抜きに、恐怖に苛まれながらもなけなしの勇気を振り絞りいざ歯医者に臨んだものの、あまりに呆気なく抜けてしまったので、拍子抜けした子どもの心境、といったところだ。

 私はお腹が空いたので、簡易な食事を所望した。安心したら、というやつだが、栄養を補給する必要もあった。差し出されたのは、水で薄めた葡萄酒と、焼き締められた硬いパン。これぞ『ザ・中世の携行食』というやつだ。パンを前歯でちぎり、葡萄酒の追い討ちで柔らかくしながら飲み込む。

「ありがとう。じゃぁ、私は戻るわ」

『はぁ?』

 二人の声がリンクした。さすがは、義理の親子、良いハモリング。

「まだ、逃し足りない人がいるでしょ?行ってくる」

「レーアのことか!?ならば、妾も行くぞ!」

「足手まとい!」

 ツルピカおでこにチョップ。

「ダメじゃ!妾も行くぞ!ラベルを解除してもらったから、魔法の制限も無くなった!絶対、役に立つのじゃ!良いだろ?父も、良いだろ?」

 猿男は、クラーラの肩に手を当てて、首を振った。

「自分が何であるのかを、そろそろ知る時だ。街では、多くの人々が戦い、傷ついておろう。何のために、彼らは戦っている?三人の斥候たちは、何をするために命を失ったのだ?それは、決してお前の所為ではない、しかし、お前は彼らにそういう行動を起こさせる存在なのだ」

 クラーラは、はっとして静かになった。少女には、あまりに酷な話しに思えた。しかし、富士野はオブラートに包むこともなく、はっきりと事実だけを認識させた。

 自分の命が、自分の行動が、他の命を無くすことになるかも知れない。

 私は、少女の頬を両手ではさみ、優しく告げた。

「お願い、これは私のケジメなの。一人で行かせて」

 うなづいてから、幼い皇女は言った。

「口、臭い・・・」


 天幕を出ると、外は無数の兵たちで溢れかえっていた。

 歓声をあげ、皇女殿下の名を連呼する。掲げられたその拳には、ラベルの光を持つ者も混ざっていた。

 それを富士野が片手で制し、兵たちの前で私に告げる。

「よくぞ、皇女殿下奪還の任を果たしてくれた。礼を言う。また、妻のこと、頼んだぞ」

「いいわよ、あなたの今後に期待してのことだから。でも、ラベルの解除のほか、現金での報酬も約束通りいただきますからね。忘れないでよ?空腹に堪えながらアルバイト漬けの毎日からは、もう本当に、いい加減、おさらばしたいの。せっかく異世界で始めた第二の人生なんだから、そろそろエンジョイしたいじゃない?」

「次は、勇者として活躍を綴る、最終章なのだな」

「そんなに、尺は取らないわよ。チャチャっと済ませてフィナーレと行きましょう」

「勇者に道を開け!」

 兵たちはざざっと、一斉に道を空けた。

 何、これ、超気持ちいいんですけども!

 兵隊の間を歩きながら、反射的に恐縮してしまう、自分の世帯じみた性格がさもしい。

「これをお使いください」

 立派な軍装を着飾った兵に、たいそうな銘品と思われる短剣を差し出されたが、丁重にお断りした。

「大丈夫、私、剣技は苦手なの。あなたに使われた方が、きっとその剣も喜ぶわ」

 兵たちの敬礼で見送られながら、私は夜の小道を逆戻りに走り始めた。

 離れた後、出立の号令を受けた兵士たちは、勇ましい声で司令官にその覇気を伝え返していた。

 いよいよ、最終決戦だ。

 執政官の正規軍と合流した富士野の国境警備軍、およそ3万が、反旗を翻してヴェリーヌ城市を占拠した貴族同盟の軍に攻め寄る。城門を破壊すれば、その時点で勝ちは決定的。でもその前に、市内を埋めているであろう狂気と混乱、略奪と殺戮から救い出さねばならない人たちがいる。住民に混ざって上手く潜伏してくれていれば良いが、クラーラを連れた私を逃すため、プランBの実行と、それによる揺動効果を狙った彼らにそれは期待できようはずもない。

 私は水田地帯を駆け抜け、崩れた城壁の割れ目に飛びついた。

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