第9話 秘密工作員

 倒れているソーサラーの顔をフエルト張りの軍靴の底で乱雑に回転させて、その人相を確認した女は、冷静な口調を、蝋のように蒼白な表情で小刻みに震えている青年将校に投げつけた。

「ソーサラーの分隊長のご死亡が、まだ確認できてやがりません。あなたは傭兵を率いて、省内の残敵掃討を指揮なさるがいいでございます」

 いつもは即答の将校が躊躇している事を見てとった赤毛の支部長は、その緑色の瞳に陰鬱で鋭利な眼光を宿し、ゆっくりとした口調で付け足した。

「皇帝の復権をお望みなので、やがりませんの?今さら後悔したところで、もう後のお祭りでいらっしゃいます」

 この時、将校の瞳に一欠片の嫌悪が浮かんだ事に、この女は気が付いたかどうか。打って変わって今度はまるで、猫に語りかけるかのような、優しい声色で続けた。

「ご心配めさりますなでございます。ちゃーんと、魔法省を復興したそのお暁には、希望通り長官の座をお譲りしやがりますわ。お約束は、守ってこそ・・・」

「報告!申し上げます!」

 一人の伝令が駆けつけた。

「皇女の姿はすでに無く・・・」

 言い終わるのも待たずに飛来した雷のようなフックを顎に受け、伝令は白眼をむいてその場に崩れ落ちた。

「探すぞ!」

「・・・はっ」

 命令が上書きされた事を理解した青年将校は、裏庭に向かうライラの後を追いかけた。


 闇を切り裂かんばかりに、少女の悲痛な叫びが、下水道に木霊した。

「くっさー!おぇぇぇぇぇ!わ!なんか、動いた!なんかいるぞ!ネズミか!?でっかいのがおったぞ!カブラギ、今、すっごくでけぇネズミがおったぞ!」

 騎馬戦の大将のごとく、私の背中におぶられたクラーラは両手を振って暴れ続けた。

「落ちるから!やめ!背中にいれば、虫もネズミも、うんちも大丈夫だから!大人しくしなさい!」

「う、う、うんちなのか!?この臭いはうんちなのか!?うんちだらけなのか!?」

「うっさい!黙れ!」

「カブラギの脚は、うんちまみれなのか?」

「ははは、でも下水に流れるものの大半は雨水だから、うんちばっかりじゃないよ。それに、あまり大声を出すと、通りの怖い大人に声を聞かれてしまうよ?下水の入口は、通りに沢山開いた穴なんだからね。深夜なんだから、静かにしないと、流石にヤバいよね」

 長谷川社長が指で耳栓をしながら、作り笑いでフォローする。

「・・・うんちマーン」

 大人の男性の言う事なら聞くのか、クラーラは小声で呟いた。

「こら、そういう言葉を使わない!大人しくしていないと、落とすわよ」

 言うと、急に両手でしがみついて来て、首をぎゅっと絞められる。

「こうしたら、臭くない・・・」

 首元の毛に顔をうずめ、スーハースーハーし始める。

 私の毛並みは、不織布マスクか。

「社長、下水地図の×印は、全部調べたの?」

 翠色に輝くカンテラをかざしながら、面長、長身の男は頼りない笑みを浮かべた。

「いやぁ〜、流石に・・・頑張ったんだよ?でも、仕事も無いのに公然と下水道を調べる訳にもいかないからさ。深夜しか調べられなかったんだよ。でもね、君の睨んだ通り、この下水網が内壁の外まで伸びている事実は確認できた。そして、確実にアタリだと分かる場所も見つけたよ。そこへ、これからご案内するわけさ。正確には、その手前まで、だけれどね。あぁ、それと、これを渡しておくよ」

 青く鈍い光を発する小石を、1つずつ受け取り、順にツナギのポッケに仕舞う。

「これでおしまいだよ」

「3つだけ?」

「ごめんよ。それでも、帳簿を誤魔化すのに、2ヶ月かかったんだ」

 常夜灯に使われている小粒の魔封結晶だった。社長は、これを交換するフリをしながら、長持ちしそうなものは交換時期を遅らせ、かと言って本当に消えてしまえば、ちょろまかしを疑われかねないので、消えそうになったものは消える前に人知れず交換する・・・その繰り返しで確保した地道な成果。

 彼が覇気に欠け、いつもどんよりと眠そうなのは、そういった深夜作業の積み重ねと、一歩間違えば、この脱出計画を台無しにしかねない、というプレッシャーのせいなのかも知れない。

 私がこの街に到着するよりも、2ヶ月も前から、長谷川は土師と共に、この『皇女救出計画』のお膳立てに心血を注いできたのだ。

「ねぇ、なんで社長は、この計画に協力したの?」

「そりゃ、小さな女の子が、僕たちのようにラベルを付けられて、街に幽閉されてるって話を聞けば・・・ね。そうして政治利用しようという大人たちの思惑に、良識ある大人の一人としては、思うところもあるってもんだよ」

「帝国のラベラーたちを解放するためじゃなくて?」

「あぁ、そうだね!それもあるよ、もちろん。じゃぁ、流れで聞くけれど、君はどうなのかな?なぜ、皇女の逃がし役を引き受けたんだい?」

 背中のクラーラを横目で見ると、すでに寝息を立てていた。足枷をかけられて、塔の上に閉じ込められていたのだ。この数日は、ぐっすり寝られなかったに違いない。

「あなたたちと同じよ。フジノに頼まれの。いろいろと交換条件をつけてね」

 石をセメントで固めた歩道は、ヘドロやゴミでぬかるんでいる。足を取られないよう気を配りながら、私たちはいくつかの角を曲がる。もうすぐ、この街を二重に囲むカーテンウォールの内側を抜ける頃だ。

「続きを聞いてもいいかな?」

 社長に促されて、私はなんのオチもない、くだらない身の上話を続けた。


 私が召喚されたのは、アルタイア王国だった。翠色の光に満ちたマッチングルームで気を失い、再び目を覚ました時は椅子に身体を括り付けれていた。他にも多数の人間たちが同じように並べられ、教官と称する大人たちの話を聞かされ、頭の中にこの世界やら戦闘の様子などが映像として送り込まれ、それが苦痛で、めまいがして、何度も嘔吐した。ご指南が終わる頃、私は教官の一人から言い捨てられた。

「どうやらお前には、エラーがあるようだ。まぁ、そのナリではどの道、役には立たんがね」

 他の者たちが鎖に繋がれ、戦場へ向かう装甲車に収容されていく姿を小さな格子窓から眺めながら、私だけは留置場にとどめ置かれた。いつまで待っても、私の出番は回って来なかった。そのおかげで、私は生きながらえ、大戦の終結と同時にラベルを施されてから解放された。今度は、労働力として、王国に貢献しろと言うのだ。

 帝国と同じように監視役が割り当てられたが、私は早々に逃げ出した。

 逃げ出して分かったことは、誰も私の逃げ足に追いついて来れない、ということ。

 空腹に悩まされ、空き巣やスリを繰り返しながら食い繋いだ。そして、闇夜に紛れて通行人を捕らえては、元の世界に戻る術を知っているかを問いただした。

 答えは、全てNOだった。

 何年経ったのかは、よく覚えていない。

 ある時、街がお祭り騒ぎのように賑わった。ラベラーたちが、大手を振って街を走り回り、自由を叫んでいた。ラベラーたちはその象徴であるラベルを手から消し去り、かつての監視役を務めていた役人たちをリンチにしていた。彼らが恐れられていた能力、一言命じただけで身体を硬直させる魔法の恐怖から、ラベラーたちは解放されたのだ。この国ではラベラーが支配者側となり、ローズたちは彼らの報復を恐れて縮こまっていた。


「それでも、私のやることは同じだった。急にまともな仕事にありつける訳じゃなかったのよ。治安は最悪だったわ。幸いな事に、私を指名手配していた警邏組織は刷新されて、しばらくの間、蓄えを切り崩しながら平穏に暮らせたわ。だから、一念発起してラベルの解呪をしてもらいに、役所へ行ってみたの。でもそこで、私の顔を覚えている役人たちと出会ってしまった。彼らは政権が交代したにも関わらず、恩赦を受けて街の役人として復権していたのね。二級市民からは解放されても、犯罪者は犯罪者のまま。私の居場所は無かったから、アルタイアから逃げ出すことにしたのよ」

「そこで、富士野氏に出会ったんだね」

「会った、と言うよりは、荒野を飢えて彷徨っていた時に捕縛されたのよ」

 そういえば、その時、彼はうさぎを捕まえるのは二度目だと言っていた。

「彼は、言ったわ。お主に丁度良い仕事がある、と」

「それで、交換条件なんだね、君もつくづく災難続きだね。その後、帝国の同盟から脱退したアルタイアなんだから、帝国に対して罪を償う必要も無くなったかも知れないのにね」

「まぁ、犯罪は犯罪なんだし、身から出たサビよね。彼は、ラベラーなのに様々な魔法を使えたわ。復調した私は、計画を教え込まされた後、帝国への亡命者を演じるため再びラベルを施された」

 長谷川社長は、再び角を曲がったところで足を止めた。ここで、話しは終わりだ。

「先に小さく、明かりが見えるだろ?君は、あそこに向かうんだ。その手前に、例の×印の一つ、錠前で閉じられた格子がある。でも、錠前は気づかれないように僕が壊しておいた。その先は、さっきの石を使えばなんとかなるはずだ。これから先の出口は、内壁の外になってしまうから、僕はここまでだよ。この階段を登って、土師君に合流する」

 地上につながる梯子にカンテラの光を当てながら、彼は神妙な表情で別れを告げた。

「この子の誕生日は恐らく祝えないけれど、目を覚ましたらよろしく伝えておいてくれよ」

 私は、手を伸ばして、彼と握手をした。

 ランタンを私に預け、梯子を登り始めたところで、動きを止める。

「そうだ、君が正直に話してくれたんだから、僕も本音を言うことにするよ。僕は・・・他人のことなんてどうでもいいんだ。ラベラーの未来なんてのも、ね。ただ、元の世界に娘を一人、残していてね。今はちょうど、その子の年頃なのさ。ただ、それだけの動機だよ・・・あ、それと君にも謝っておくよ。最初は、正直・・・君のその姿、キモチ悪かった。てへ!」

 私が拳を上げるフリをすると、彼はニッコリと微笑み。

「じゃぁね、バニーガール。無事にその子を逃がしてくれよ」

 そう言って、階段を急いそと登っていった。


 手前の格子の先には、もう一つの格子があり、外の月明かりが見えている。下水道内部に結界は施されていないとは言え、二重の格子とは念が入っている。だが、これは外敵の侵入から街を守るための防御柵だ。元々、下水道は出入りができない構造なのだ。それだけに、わざわざ臭い思いをしてまで、迷路のような広大な下水道網を結界封印して回ろう、という結論に至らなかったのだろう。

 長谷川社長が言っていた錠前は、暗がりで一見しただけでは、まるで異常がない様に思えた。よく触って調べてみると、太い留金は金鋸で切断されており、スライドさせるだけで難なく開くことができた。だが、格子扉を抜けた時、湿った石畳の上を歩む、何者かの足音が聞こえた。

 わずかな音だ。

 私は時計塔のじぃさんの接近も許すほど注意力が散漫なところはあるが、それは個人の精神的な問題であり、私の両耳は向きを変え、集中して聴き取る事で、本来の動物並みの性能を発揮してくれる。私は扉を閉め、錠前を元に戻しておくと、足音を忍ばせながら、突き当たりまで急いで移動した。

 夜の田園風景が広がり、腐臭のない新鮮な冷たい空気が吹き込んでいる。

 格子は、扉の物よりも頑丈で、完全なはめ殺しになっていた。

 その一本の付け根を挟むように、青い小石を二つ置く。

 そして、外の明かりからの死角になるその影にまぎれた。

 気配がした。

 突然、格子扉が激しく叩かれ、背中でクラーラが悲鳴を上げた。

「ひゃっ!なんじゃ?」

「ここに座っいて、出て来ちゃダメよ」

 ふむと返答する彼女の声は、下水道に反響する女性の高笑いによってかき消された。

「聞こえたぞ、白うさぎ。かくれんぼはお終いだ」

 夜の帳を背に、私は背の低いうさぎの輪郭を表す。格子扉の先には、まるでファッション雑誌のモデルよろしく、サーベルを片手に尊大な立ち姿をキメるライラがいた。

「イーリカ殿下をこちらに渡すのだ。悪いようにはせぬ」

 どの口が!

「少女に足枷を嵌めるような、非道な人物の言葉とは思えませんね」

「ほぉ、私と対等のつもりか?良いだろう、私も本音で話す。何も悪いようにはせぬよ。その者を玉座に据え置いて、傀儡政権で使い倒そうなどとも思ってはおらぬ。ただ、今しばらくの時間稼ぎをしたいだけだ。貴族どもと、執政官の軍が数ヶ月、いや、数週間睨み合ってくれるだけで良い。その後は解放しよう。どこにでも行かせてやるよ。白いの、その時には、お前も自由にしてやる。このライラ・フォン・シュターツェンが約束しよう」

「あんたの約束など・・・待って、あんた言葉が普段と違うわね?標準語を話せるの?」

 赤毛の女が微笑んだを感じた。

「話せるとも、私たちは勤勉でね。日本語も、習得したのさ」

 日本語・・・翻訳機能を介さずに、直接会話しているのか。

「敵を知り、己を知れば百戦して危うからず、とはお前たちの言葉だろ?いい言葉だ。さぞや文明が発達しているのだろうな、この世界の住民どもと違い・・・」

 私は格子扉の前に、手にしていたカンテラを滑らせた。

 翠色の光に照らし出されたライラは、懐から一枚の札を取り出していた。

 口角をくぃっと引き上げる。

「相変わらず、勘がいいな」

 札、陰陽道で使われるような、呪符。

「足枷の術式を解除した方法についても、教えてもわらないとな。アレは、ホムンクルスの拘束を目的に開発した次世代呪法だったのに。お前には、ほとほと手を焼かされる」

 ライラが片手で印を切ると、札は消え失せた。格子扉と錠前もまた、消え失せた。

「クラーラ、合図をしたら私の元へ・・・」

「無駄なことは止せ。私たちに対するホムンクルスの優位性は、すでに失われつつある。20年以上も経つのだから、当然だ。私たちだって、それほど馬鹿じゃぁない」

「その20年もかけてやったことは、魔法省の幹部に昇ること?それで、この帝国を牛耳るまで、あと何年かけるつもりなの?皇女を追放して、執政官選挙で当選でも狙っているってわけ?それには、まず貴族にならないとね、あぁ、それで貴族同盟に媚を売ったってわけね?」

 ライラは、扉を開き、ゆっくりと進み出る。

「お馬鹿ね。私の正体には、もう気づいているのでしょ?ハショムの民だと知れれば、いくら執政官になったとしても、誰も従わない事くらいわかるでしょ?」

「じゃぁ、なんで上層部に入り込もうとするのよ。敵情視察なら、官位はいらないんじゃない?」

「最後の望みをかけましょう・・・これは、お前の命にとっても、最後の望み」

 ライラは足を止めた。

「お前が今、手に握っているもの、それは魔封結晶でしょう?私を引き付けてから、それを私に当てるつもり?それとも、格子の柱を破壊するつもりなの?どちらでもいいわ。私にはそんな企ては、どうにでもできる。だけれども、その前に話をしましょう。ご安心召され。お互い、時間はないから手短に済ませるわ」

 手を組んで、遠くから私を見下ろすように、彼女は続けた。

「その石は、どうやって作っていると思って?」

 もう、隠しても仕方がない。私は光る小石を宙に放って、掴み直した。

「魔法使いさんたちが、丹精込めて、マナを注ぎ込んでいる?」

「昔はね。今は、オートメーション化が進んでいるわ、お前たちが好む生産技法だったわね。今では、一度に大量の石を瞬時に生産できる」

 最後の望みと言った。それは、恐らく・・・いや、確実に、そして明確に、私を説得するための最終交渉であることを意味する。説得できなければ、交渉は決戦という文字に据え変わるであろうことも。

「方法は、魔法を使うのと一緒だそうよ。大きく違うところは、魔法を再放出するのではなく、封じるところ。大気中の魔法素子を取り込み、石に封印したままにする。でも、ある時、事故が起きた。誰も予想していなかった、予想だにしていなかった衝撃的な事件・・・がね」

 緑色の瞳に、水面から反射する月光を帯させ、赤毛の女は仁王立ちのまま話しを続ける。

「お前も見たはずだ。時計塔の巨大な結晶体を。『時計塔の沈黙』と呼ばれるその事件は、その結晶体を錬成した直後の30分間に起きた現象だった」

「日本語だと、随分、饒舌になるじゃない」

 この話が終わる時、私は決断を迫られることになる。

「30分間、この地方全ての魔法が静止した。誰も、魔法を使えなくなったのよ。大戦に続いて、記憶から消し去りたい、恐怖の時間、その記憶。だから、時計塔はあの一つだけしか造られなかった。誰も、それ以上を望まなかたのよ」

「まるで、学園七不思議ね」

「ははは、七不思議か、そういうのをオカルトと呼ぶのだな?そうであろう?だが、魔法を使えぬ間、魔法使いの民どもは、心底恐怖し、混乱したそうだよ。その恐怖は、まさにオカルトじみていた。何せ、料理の火種も、風呂のお湯も、荷物運びも天気予報だって、魔法に頼っていたのだからな。よって、魔封結晶の生産は厳しく管理され、その量を、その流通を制限した」

 話のオチは理解した。

「だからと言って、ほんの30分の間だけで、この地方全ての支配が完了するわけないわ」

 ライラは、両手を広げて首を振った。

「失った素子の補填は、日々それを内部に蓄積した生物、木々や河川、海から成される。でも、それはあくまで浸透圧の要領であって、本質的に改善されるまでは、宇宙からの相当数の飛来を待たねば成らない。私たちの科学者の意見では現状ですら、実際には回復したわけでは無いという者すらいるわ。失う量が多ければ、回復にはさらに時間がかかる。では、例えば・・・時計塔の石を同時に100個造ったらどうなる?では、例えば・・・それはこのヴェリーヌだけではなく、他の複数の魔法省支部でも、同時に生産したらどうなる?」

 私は、この女の表情に、緑色の瞳の奥に、虚言を語っているのだという根拠を見出さねばならなかった。

「これが、私たちの20年の成果よ!各地方の魔法省には、それぞれ魔封結晶を生産する設備がある!政治家になることが、私たちの狙い?とんでもない!各地の魔法省に潜入できさえすれば、それで良いの!あとは、一斉に生産ラインを操作するタイミングを合わせるだけ!」

 彼女の言葉には、歓喜が含まれていた。

「北の島とやらから、軍勢を呼んで、また長年かけて戦争をやろうってこと?」

 ライラは、再び腕を組み直し、片足をピンと伸ばし、重心を横に移動してから、髪を跳ね上げた。

「魔法の静止は、数年から数十年、もしかするとそれ以上かも知れない。私たちの想定では、ローズたちは抵抗する気力を失う・・・そうして、私たちだけでなく、異世界から拉致されたお前たちも、ようやく自由になる日が訪れるのだ。もしも・・・お前たちが私たちに協力できない、というのであれば、抗う力もある。まだ完全に私たちの術式に対しての優位性を失ったわけじゃぁない。対等な立場で交渉したければ、それも叶うだろう。でも・・・もし、お前がいう戦争を、ローズたちが望むとあらば、20年前の大戦の延長戦をご所望だとあらば、私たちは自らの生存域を確保するために戦う。その時は、かつてのように苦戦を強いられることは、最早ない!」

 私は喉の奥が乾くのを感じた。

 私は今、何を話している?

 帝国に潜入した秘密工作員と交渉しているのは、ヴェリーヌに封じられた一千人とも二千人とも言われるラベラーたちの未来でもない。年に数十万と召喚され続けた帝国全土のラベラーたち・・・いや、数で言えば遥かにそれを上回るローズたち、そしてアルタイアなどの周辺国の住民、この世界の全人類の行く末なのか?

「あんたたちが、この世界の主権を諦め、島へ帰るって選択は・・・?」

「無いわ。私たちの星は、もう人が住めなくなってしまったから」

 頭の奥が、くらくらした。

 黒の民は、異世界からの侵略者だ。

 島に住んでいる地方の部族ではない。

 では、ラベラーたちの運命は・・・両者の争いを火種として生じた、いえ、巻き込まれた私たちの苦難、苦境から、私たち自身が救われる未来への正しい選択とは・・・。

「カブラギよ、あの者は、一つだけ嘘をついておるぞ」

 クラーラが暗闇から語りかけた。

 幼気な少女の声で、あどけない幼女の声色で。

「お主らの身体は、マナによって維持されておる。人造の肉体が滅んでしまえば、そこに吸着した魂は霧散するだけじゃ」

 ・・・。

 静かな水の流れと、外界からの虫の声が坑道に響いた。

 事実だとしても、ライラがそれを知らないだけという可能性がある。

 クラーラが続ける。

「この話は・・・」

 それが、クラーラの憶測でしかない可能性も・・・。

「フジノから聞いたのじゃ」

 赤毛の女は、懐に手を差し込むと、下水を巻き上げながら疾走した。

 私は背を向け、手を振り上げた。

 闇に閃光が走り、連鎖反応を起こして爆縮した3つの小石は、太い格子の柱の根元をすっぽりとこの世から消失させていた。

「クラーラ、来て!」

 義体の出力を目一杯稼働させ、私は柱を押し曲げる。

 駆け寄るクラーラを抱き寄せ、私は外界を見下ろした。

 地面に広がる水田までは、ゆうに10メートルはある。

 少女を抱いたまま、彼女の安全を確保して着地できる保証は・・・。

 振り返ると、手にした札に雷光を纏わせたライラが眼前に迫っていた。

 私の身体は宙空に舞った。

 汚物を吸ったフエルト靴は、急停止を望む履き手の意に反し、残された柱列に頭から激突させた。

 深夜の下水道で行われた秘密工作員と逃し屋の交渉は、『訣別』で幕を閉じた。

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