第8話 逃がし屋
牢屋の床に体育座りした姿勢で、私は、些か自らの行いを後悔していた。
牢番と話した私は、ブラックバニーが彼にマクガイアなんとかを持たせたのは、ライラに対して反抗心を顕に出来る数少ない人物だからだと理解していた。だが、本当にそれだけか?あの紙は何だ?まったく意味のないものだったら・・・?私が貴族会議急進派たちが密会に使っていたとされる、あの館から紙片を見つけた記憶を、ヤツは時計塔で出会った時に知ったはずだ。確か、そう呟いていた。同じように紙片を見た私が、何らかの意味のあるものだと、自身の経験を関連付けて、経験則に引っ張られて、これはさも重要なものであると勝手に解釈して、独り合点することを誘導されているのでは?そう、仕向けられていたとすれば?
たった、紙一枚で済む罠ということになる。
今の私は、魔法省の牢獄に、わざわざ入りに来た。自ら進んで、のこのこと、罪状を設て、二徹までして犯罪が暴露される演出までして、やって来たのだ。いや、街に来た当初から姿の見えない監視をつけられ、街の裏通りなど、何も下調べする猶予を与えられていなかった私にとって、それはとても重要な情報収集の機会でもあったのだけれど、そんな努力だってここに至っては、この牢獄の中に居ては、取り越し苦労に終わるのだ。
もしかして、私はとんでもなく、アホなのか?
ライラが、私を早く出所させたいと考えているのは、おそらく本当だろう。労働力としての本懐を全うさせることこそ、ラベラーがこの帝国にできる唯一の貢献。その考えが、建前であることは流石に見え透いている。彼女は、私を泳がせて、関係者一同、できればその首謀者ごとヴェリーヌ、または帝国に張った根っこを引っこ抜きたいのだ。その一方で、安全策として皇女を捕囚し、計画の実行時期をどれくらいかは不明にせよ、早めた。
それはいい。
では、ブラックバニーが私の動きを封じたいとする理由があるとしたら・・・それは何?
端的に言って仕舞えば、邪魔だからかな。
どこまで私の脳内をフィッシングしたかは知らないけれど、貴族同盟による政権転覆劇の出演者としては、私の配役はどう見積もっても悪役でしか有り得ない。なぜ、敵側だと明確に理解していたにも関わらず、彼女の進言をそのまま実行に移したのか、今となると自分でも自分が理解できない。記憶がリンクした際に、感化されたのか?それとも、同じ魂を持つ者同士、私たちは二人で一つなのだろうか。個々の思考で個々に判断して行動しているように思えても、実際のところは二人の結合体である第三者たる『私』の行動でしか無いのだろうか?私たちは、より上位の『私』によって操られているとしたら・・・。
いかん、ちょっと眠っていた。
思考が勝手に空想活劇し始める。
「やっぱ、罠だったのかな〜?」
両膝に頬を埋めた。
「誕生日まで、あと9日ある。執政官もまだ到着しない。皇女の身柄はすでに抑えていて、懸念材料である私は捕らえている」
私なら、皇女捕囚の情報は秘匿しつつ、執政官の身柄拘束のタイミングまで待つ。
なーんだ、貴族同盟は準備万端じゃないか!
胃が痛くなってきた・・・。
とは言え、ここに来て、収穫はあった。ツインテール姫と巨乳メイドの囚われている場所を、まだ憶測にしろ特定できた。これから君主と仰ぐ予定の皇女を、ネズミとシラミの湧く薄汚い牢獄に入れておく訳にもいかない、という理由も自然だ。憶測であるにしろ、この可能性に賭けるしか、他に持ち札がない。
執政官と貴族同盟、両者が軍事衝突を繰り広げる前に、皇女を連れ去る。
私が勝ちを掴むには、それしかない。
誘拐犯言うなかれ、それを言うならば、逃し屋だ。もっと言うなれば、平和維持を目的としたヒーロー・・・もとい、ヒロイン。ん?ヒロインが助けるのか?まてまて、確かヒーローの女性形がヒロインだから、それで正解なハズだ。まぁ、いい。お共は土師、長谷川、巨乳・・・。
猿に扮した土師と、犬の着ぐるみの長谷川社長、バニーガール姿のレーアさんに、桃太郎姿のリアルうさぎという、まさかのうさぎ被りの一行が小舟を漕いで鬼ヶ島に到着したあたりで、私は夢から目が覚めた。
私だけ、本物のうさぎだった事について・・・何かの暗示だろうか。
目が覚めた原因は、臭いだった。
煙の臭い。それも、焚き火のような、目にしみて困ったぁ〜!という生半可なレベルではなく、身体に悪い、いやぁ〜なものがいっぱい混ざったような悪臭の類。
そして、バイオニックなバニーガールイヤーは、鉄扉の外から聞こえる喧騒も捉えていた。
そうだ、女性だってヒーローになれる。バイオニックなジェミーさんのように!
いや、そんなこと言ってる場合じゃない!まさか、これは・・・。
「また先手を打たれた!?」
私は格子をバンバンと叩いた!
「おい、看守!牢番!誰かいないか!?」
「うるせー!てめぇ、何時だと思ってる!?」
他の囚人だ。私は構わず続ける。
すると、都合良い塩梅に、寝ぼけまなこのスチュアート氏がやってきた。
「おい、今は、深夜だ。他の囚人も寝ているんだから、騒ぐなよ。刑期が伸びるぞ?」
「心配するなら、自分の首が切られん事を心配しなさい!火事よ!」
スチュアートはまだ目が覚め切らないのか、ぽやん、としていた。
「何だって?」
「カ・ジ、燃えてるの!この魔法省が火事なのよ!」
耳をほじくり、小指にふっと息を吹きかけ、うだつの上がらない小役人ぶりを全身全霊で体現しつつ、スチュアートは私を小馬鹿にするように笑って見せた。
「よりによって、魔法省が火事になるワケないだろ?魔法使いのエキスパートたちが集結してるんだ、火山が噴火したって、きっとどうにかするさ」
「・・・なら、見てきなさいよ。いい事?見たら、必ず戻る!約束よ!」
「めんどくさいな・・・あれ、なんか、そう言われてみれば、何だか変な臭いがするな」
「いいから、早く確かめて!そして、戻る!」
背中を丸めてトボトボと歩いていく。
「扉を触ってみて、熱かったら開けないで!」
「ん〜だよ、細いなぁ・・・」
内鍵をガチャガチャと開き、鉄扉をギィーと押した牢番は、今度は風のように走って戻って来た。私の牢の前に滑り込み、両手でガッシと格子を掴む。
「なんか、燃えてるぞ!?どうする!?どうしたらいい!?」
「指示待ち人間!」
「武器を持った奴らもいたぞ!何があったんだ!?」
きっと、想像できる中で、最低最悪のケース。
「マニュアルがあるでしょ?思い出して!火事の時、囚人をどうするの?」
「手動で?何だって?」
「もぅ、落ち着いて聞いて頂戴。牢に入ったままじゃ、囚人が火事に巻き込まれちゃうでしょ?外に出さないと!」
スチュアートは狼狽した。
「俺の権限でか?上司に確認を取らないと、勝手に囚人を出すわけには・・・」
「スチュアート!しっかりしなさい!ここには、あなたしかいないのよ!」
子を叱る母とは、こんな気持ちか?
ポカンとする牢番。
「囚人を外に移送するの、あなたのシ・ゴ・ト」
「わ、わかった。できる。やるよ!よしっ」
不慣れな手つきで私の牢の鍵を選ぶと、ガチリと重厚な音を立てて鍵を開けた。
「まだ、出るなよ、声をかけるまでそこで待機だ!いいな!出るなよ!」
他の囚人たちも騒ぎ出し、スチュアートはしどろもどろに移送する事を説明しつつ、一つずつ順に牢を開いてゆく。全部であと4つ。それまで待っている道理は私には無い。さっきのがフリだと思ったことにして、ささっと牢を出る。囚人の荷物を保管している棚からツナギを取り出し、それに着替えた。
こんな時、ツナギは一瞬で着られるから便利だわ・・・おっと、レディのお着替えは映さないでね!
「おぃ、まだ行くなって!」
時計を確認し、カチャリと蓋を閉じる。
「チャオ〜♪」
別れの挨拶に、投げキッスをくれてやり、私は鍵の開いたままの鉄扉から省内に抜けた。
時間は、深夜2時を過ぎたばかり。この決起が2時ジャストを目処に開始されたと仮定すれば、まだ始まったばかり。
一筋の電光が頭上を掠め、壁のタペストリーにヒットしてそれを黒焦げにした。
背が低くて助かった!
以前、長谷川社長と訪れた事のある役所の大広間には、熱線と電光が激しく飛び交い、さながら宇宙戦争のラストシーンを彷彿とさせる大乱戦の真っ最中だった。争っているのは、銀河帝国の兵士と惑星同盟の勇者ではなく、マントを羽織った武装集団と、夜の当直勤務中だった省のソーサラーたちだ。人数においては両者とも決して多くはなく、互角のように見えたが、その戦いぶりにおいては特徴的な差があった。前者においては、ある者は槍の穂先に電光を纏わせ、ある者は剣の刃を灼熱の炎で覆い、近場の相手を切り伏せては、時に手から電光やら熱線やらを放ち離れた相手を攻撃していた。後者の方は、魔力障壁らしき光の盾を出しながら、ライフルのような筒を構えて光弾を打ち出していた。あれは、除夜灯に使った魔封結晶だろうか。威力としては、筒から飛び出す光弾の方が幾分か優っているようだが、連射ができないようで、隙をつかれて一気に間を詰めた敵に武器を叩きつけられていた。数カ所に固まり、遮蔽物を使って侵入者に応戦するソーサラーたちがだ、全体的な戦況は侵入者有利と見て取れた。
突然、私の足元に、頭をまるっと吹き飛ばされた侵入者の身体が滑り込んできた。
マント姿のこいつらは、貴族同盟側の傭兵だ。
巻き込まれるのはごめん被りたい・・・顔を上げると、ソーサラーたちと傭兵たちの双方が、私の珍妙な姿に目を凝らしていた。この不可思議な生き物は、はたして敵か、見方か・・・という心境であろうか。
「ど、どぉ〜も〜」
首筋に手を当てながら、挨拶をした。
こんな時、どんな対応をしろと!?
「うわ!戦闘してるのか!?」
ドヤドヤと、広間の端から囚人たちが現れ、私に集まっていたスポットライトを掻っ攫った。
今だ!
両手を挙げて、敵意のない事を示しつつ、私は猛ダッシュで広間を後にした。
まずは、塔があるという南側の区画へと続く、渡り廊下を目指す。お役所らしく、階段の脇には構内の地図が貼り出してあるおかけで、難なく目的地は判明した。途中、上階から応援に駆けつけようとするソーサラーの集団を、身を隠してやり過ごす。
魔法省の上層部は、貴族同盟側、という私の見込みだったが、間違いなのだろうか?あるいは、転向を期待できない従順な下っぱには、知らされていないのだろうか?
どっちでもいいや。大変だろうけれど、頑張ってね〜。
冷やかし言う勿れ。彼らの頑張り如何によって、私の持ち時間は変わるのだ。
侵入者側が、皇女の捕囚先を知っている可能性は極めて高い。故に、急がねばならない!
貴族同盟の頼みの綱が、アルタイアとの軍事同盟にしろ、ラベラーたちの強制徴用にしろ、皇女を盾に使うことで、争いは泥沼化する。それに、どっちにせよ、その戦争の先頭に立たされるのはラベラーたちなのだ。そんな内乱を許すわけには行かないのだ。
私は鼻を大きく膨らませながら、階段を駆け登り、その目的地に到着した。
ここで余談だが、うさぎは汗腺を持たない動物だ。人造物と言えども、そんなところまで、律儀にしっかり、忠実に再現された私もまた、汗をかけないでいる。強いて言えば、耳が涼しいくらいだ。その為、ピッチピチのうら若き乙女たる私であっても、長時間の運動は熱が溜まって苦しくなる。そして、苦しくなっても、何故だか口で息が出来ない・・・なんだ、この謎仕様!?
「やっと、着いた」
しかし、連絡通路と言うのか、渡り廊下と言うのか、目的地の通路は、そのどちらの役割も果たさない状況だった。ガッチリ、壁で覆われ塗装まで済ませてある。バイオニックキックで持ってしても、ビクともしなかった。
オーキードーキー。
「ま、そんなこったろうとは思ってたけどね」
近場の窓を開き、外を確認する。
塔があった。
確かに、閉ざされた最上階の窓から灯りが漏れている。
窓から連絡通路の屋根までは、およそ4 メートル。通路の長さは8メートルほど。そこから直接最上階まで登るのならば、5メートルほどの登攀で済みそうだ。だが、地面までは20メートルほどの高さがあった。花壇が、ちっちゃく見える。
流石に、落ちたら両脚骨折か内臓破裂。
やっぱり・・・やめようかしら・・・て、まさか、ね。
ヒロインを気取った私だったが、ここに至るまで、ライラ相手に完全に後手に回されている。この状況を一気に挽回するためには、なんとしても塔の最上階まで到達しなければならない。しかも、今すぐに!
窓枠に両足を乗せ、一気に通路の屋根に飛び移った。
忘れておいでだろうか?私は、第3世代型身体機能ゴリゴリ強化ホムンクルス、コードネーム『バニーガール』なのだ!フィジカルならば、誰にも負けない!
しかし、屋根の形状は三角型で、平らな部分は20センチほどの幅しか無かった。
昼間の日差しは暑いのに、夜の風はひんやり涼しかった。
「風、こっわ!」
こんな時、綱渡りの映像で良く見るように、両手を広げてゆらゆらと身体を傾けたりしつつ、バランスを巧みに調整しながら、慎重にゆっくりと進むのだろう・・・人間ならば。しかし、私は四足歩行もいけるクチなのだ!
と、いうわけで難なく、塔まで到着。
で、次は・・・出ました!バイオニックネイル!バニーガールの爪は常に出っ放しなのであった!
「行けそうかしら?」
風にビクつきながら、石壁の隙間に爪を当てて体重を乗せてみる。
ガリリリ・・・。
滑るじゃん!(><;)
何度試しても、二歩目の足を踏み出せない。
そうこうしている内に、バランスを崩しかけ、両手をくるくるとぶん回して、なんとか通路の屋根からの20メートル落下を免れた。
「怖ぇ〜よぉ〜」
恨めしき、この石壁!
私はガリガリと猫のように石壁を掻きむしり、爪が摩耗すればより困難になることを悟って大人しくなった。
どうしよう・・・上にある窓枠にここから飛び移るか?距離的には可能だが・・・。
建て付けの甘い窓枠からは、部屋の中の灯りが漏れている。隙間はあるのだ。問題はそこに、爪を引っ掛けられるだろうか?それは、一発勝負になる。落ちれば即、ゲームオーバーで私に予備機は無い。
いや、黒いのは、私の予備機ではないのでアシカラズ。
行くか・・・それとも、引き返して、通路の封鎖を破壊できる道具を探すか?剣や槍では心もとない。大きな斧かツルハシでもあれば・・・あるいは、ソーサラーの銃を奪えば、確実に穴は開けられるだろう。あれ、待てよ、長谷川社長の話では、超射程の射出兵器は無かったはずだぞ・・・そうか、そもそも火薬音は無かったから、魔法で飛ばしているのだ。到達距離もそれほどではないのだろう。いや、じゃぁ、やっぱりだめだ!魔法が使えない私に撃てる仕様とは思えない。斧が見つかったとしても、深夜にバキバキと大きな音を立てながらの30分ばかりの作業になるだろうか・・・いや、レーアさんがギリ抜けられれば良いのだから、そんなに大きな穴は必要ないかも知れない。幼い頃に見たTVのヒーローならば、こんな時、どうしただろう?
「よし、戻ろう!」
私が意を決して勇気ある撤退を決意したその時、雲海が割れて天界からの光りが差し込むが如く、塔の小窓が開け放たれた。
「ほら、やっぱりカブナリじゃぞ!助けに来てくれたんじゃ!」
後ろに控えているのだろう、レーアさんに向けて、元気な声ではしゃぐクラーラだった。
「ずいぶん豊作だなって、いや、カブラギさんな!そして、助けが欲しいのは、むしろ私の方だ!」
夜風に煽られながら助けを求める私の手に、タペストリーを繋げて作った一筋の即席ロープが届いた。
情けないついでに、そのまま二人に引き上げてもらう。
あ〜、助かった。
汗ばむ頬を擦り付けるようにして、クラーラが私に抱きついた。
「モフモフ、久しぶり〜♪コレを夢みて、日々がんばってきたのじゃ!」
「ありがとう、クラーラ、おかげで助けに来たのに、助けられたわ」
まぁ、ほとんどレーアさんのお力のおかげだが。
「怖かったぞ、ひもじかったぞ〜、もっと、モフモフさせるのじゃ!」
部屋を見渡すと、小さな暖炉と、何重にも重なった毛皮の敷物。壁にも毛皮とタペストリーが掛けられ、底冷えしないように気を使われている様子が伺えた。そして、敷物の上に散らばる、大量のぬいぐるみたち。スチュアートが語った、かつての塔の上での幽閉生活の光景を彷彿とさせた。
「実際、言うほど辛くなかったろ?」
「何を言うのじゃ!妾は辛うて辛うて、妾の流す涙で、レオンは危うく溺れかけたほどじゃぞ。あ、ちなみにレオンはこの子じゃ!かわいいのぉ、よしよし」
小さなライオンのぬいぐるみを私に紹介してから、クラーラはそれをぎゅっと抱きしめた。
少し、幼児退行した気がする。小さな子が外に出られないまま、この小部屋で1日を過ごすだけでもストレスは相当にあるか。これから、自分がどうされるか分からない恐怖もあったろう。
「うそうそ、さっきのは冗談。さ、早くここから出ないとね・・・で、どうやって出るかだけれど・・・え、ちょっと待て!暖炉があるってことは?そもそも食べ物とかどうしてるの?」
レーアさんは、部屋の隅にあるカラフルに塗られた扉を指差した。
「番兵さんが、届けてくださります」
「え?扉って、どこに繋がってるの?」
「カブラギは間抜けか?ここは塔なのじゃから、下に続いているに決まっておろうに」
一階から登ってこれた!オーアールゼット・・・ぐはっ!
「なんじゃ?レーアよ、カブラギの白さが一段とアップしたぞ?」
それを言うなら、驚きの白さ!
さて、何はともあれ、まずはここから早いところ脱出しなければならない。ソーサラーたちが敗北すれば、貴族同盟がこの街を占拠し、皇女を盾に、いや擁立し、政権交代を宣言する事だろう。そうなれば、この街は執政官の軍に包囲され、さらに戦火が拡大するに違いない。将軍フジノの妻たるレーアさんだって、いいように利用されるだけだ。
「さ、行くよ」
私は、クラーラの手を引いて、扉まで誘導しようとしたが、少女は動かなかった。
「だめじゃ、カブラギ、妾は動けぬ」
え、どういう事?彼女の瞳を見て、それが切実な事情であると悟った。
チャリ・・・彼女の足元で、鎖の音が聞こえた。
「クラーラ、見せて」
彼女のふんわりと広がったスカートを捲ると、鯨のひげで作られたクリノリンが見えた。問題はその更に内側、白く細いその足首を拘束する鉄の輪を発見した。黒い足枷からは鎖が伸び、鉄球に繋がっている。
華奢な足首が赤く鬱血しているのが、痛々しい。
「なんて事を・・・皇女に対して足枷をはめるなんて」
レーアさんが、悲痛な声で詫びる。
「すみません。抗議を試みたのですが、支部長を名乗る赤毛の女性は聞き入れませんでした」
「レーアは悪くない、あの女が悪いのじゃ!」
「何、これ、鍵穴も無いの?え?いったい、どうやってはめたのよ!?」
鉄球を持ち上げようとしたが、まるで動かない。義体の私の力を持ってしても、1ミリも上がらない。おかしい、こんなに重っかたら、床が抜けちゃうんじゃ・・・。
「赤毛の女性は、それを取り付ける時、鉄球を持っていませんでした。恐らく、実体は無く、精神に影響を及ぼす概念系の魔法だと思うのですが・・・」
「妾にも解除できぬ、強力なやつじゃ。制限がかかってなかったら、いけるやも知れまいが」
クラーラの魔力を受け付け無いというのは、まぁ、ローズの囚人に対しての魔法ならば、そういうのもあるのだろう。何せ、この世界の住民はこぞって魔法使いなのだから、そう簡単に魔法で脱獄されては敵わない。私は、部屋の明かりを調べた。
「ここの明かりは、油と暖炉の炎です」
レーアさんは、私の意図を悟った。そりゃ、そうか。魔封結晶なんて、囚人の手に届く場所に置くわけがない。
これは、手詰まり・・・なのか。
ここで一つ、嫌な考えが頭に浮かんだ。
「どんな魔法だったか、分かる?なんて言うか・・・普通の魔法だった?」
「私からは、死角でしたので・・・クラーラ、何か見えた?」
問われた少女は、う〜んと小さな手を頬に当て、愛らしいポーズで首を捻る。
「そうじゃなぁ、妾も初めて見た仕草じゃった。紙を出して、指先で何か紋様を描いておったぞ、あれは、妾も習ったことがない」
はっ、とレーアさんが私の目を見た。
それなら、コレはどうだろう?
「消え失せろーーー!」
ぎゅーっと強く念じつつ、思い切り鉄球を殴りつけた!
ゴツ・・・。
私は右手を抱えて、毛皮の上を転がり回った。
なんで、存在していないのに痛いんだ・・・。
「そんなんで、鉄の塊が割れるワケ無かろう、ばかちんか?」
クラーラは頭を抱えて、呆れ果てた。
痛みが治るまで、しばらくかかった。
「いや・・・可能性はゼロじゃ無かったと思うんだけれどね・・・もしかしたらってさ」
私は指が折れていないのを確かめつつ、涙を拭う。
対黒の民専用に魔改造された私たちなら、という訳。
・・・まぁ、じゃぁ、アレの出番はココってヤツだな。
ツナギのポケットを一つずつ漁ると、胸から紙片が現れた。それは、暖炉で見つけた血判状では無く、牢番が入れたものだ。表面には、安倍晴明あたりが使いそうな、クネクネとした紋様が描かれている。
足枷にその紙を充てがうと、まず紙が消え失せ、続いて足枷と鎖、そして鉄球とが音も無く消滅した。
庁舎の騒ぎを聞きつけたのだろう、塔を守るはずの番兵たちは一人も残っていなかった。侵入者の狙いが二人だと解っていれば、そんな状況にはしなかったろうが、番兵たちも二人が高貴な身分とは知れても、まさか先の皇帝の血筋を引く者だとまでは説明されていなかったのだろう。当然、説明も出来ないわな。
そんなこんなで、目の回るような思いをしながらも、誰の妨害もなく細い螺旋階段を降り切った私たちは、無事に夜の裏庭に出ることが出来た、ワケだが・・・。
「皇女が逃げるぞ!」
早速、傭兵たちに見つかった。
「クラーラは私が!レーアさん、走れますか!?」
脱いだヒールを持ちながら、両手でちょいとスカートを摘み上げ、レーアさんは力強くうなづいた。
「毎日の散歩で鍛えていますから!」
健康維持は完璧だ!
クラーラを背中に担ぎ、私たちは走り出した。
「モフり放題じゃ〜♪」
深夜に起こされて、妙なテンションで元気ハツラツか!?
「カブラギ、早いな!早いな!楽しいのぉ♪逃げよ、逃げよ!」
キャッキャウハハとはしゃぐクラーラには悪いが、これでもレーアさんの脚力に合わせて走っている。召喚者であっても彼女の身体はローズ人の生身の肉体。武装の重量差があるとはいえ、武器での反撃を想定していない傭兵たちは、鎧を着ていない。正直なところ、鍛えた男たちとの脚力勝負では、些か分が悪い。
魔法省の南の区画は昔のまま、修繕も疎かなままで外壁の一部が崩れていた。その合間から、街区へと抜け出す。なるべく角を多く曲がりながら、私たちは夜の街をひた走った。幸い、日本人向け観光ガイドMAP作成の際、裏通りまで記憶済みだ。街の中でもソーサラーやハンドラーたちと、襲撃者との戦闘が繰り広げられていたが、貴族同盟が差し向けた傭兵たちは、数的不良な状態で私たちに構う余裕は無く、魔法省の人間で私たちの素性を知るものは少ない。追手さえ巻いて仕舞えば、こっちのものだ。
とは言え、長時間の走破は私にとって不利になる。なんとか追手との距離を一気に広げたい。しかし、気がつくと、レーアさんとの距離が離れつつあった。一階にパン屋のテナントが入った大きなコンドミニアムの角を曲がった時、ついに彼女が転倒した。
「カブラギ、レーアが転んだ!」
振り返ると、石畳の一部が月光を反射してヌメ光っている・・・石畳の表面を液状化したのか!?
「私に構わず、クラーラを!早く!」
「レーアを置いてゆくのか!?許さんぞ!離せ、妾は降りる!もう、追いかけっこはおしまいじゃ!」
傭兵たちは5人。靴音を街に響かせ、瞬く間に距離を詰めてくる。
私はクラーラを制しきれずに、背中から降りられてしまう。彼女は、レーアの元に走り寄った。
「あぁ、クラーラ、どうして・・・」
レーアが絶望と愛情とが入り混じった表情で、駆け寄る少女をやさしく抱き寄せた。
「レーア、膝を怪我しておる。痛むか?」
「優しい子。大人は、これくらい平気なのよ」
傭兵たちは、二人の元に到着し、長剣を抜き放った。
「さぁ、怪我しなくなかったら、大人しく着いて来るんだ。素直に従えば、丁重にもてなしてやる」
髭を蓄えた男が、剣を肩に担いで、左手を倒れたままのレーアに差し出し、二人を立ち上がらせた。足元の石畳は、溶けた形のまま砂状に変化し、レーアのスカートからパラパラと落ちた。髭はくいっと、あごを動かし、残る四人に合図を出すと、その者たちは私の方へと距離を詰める。もはや、殺気を放つ事さえ、隠そうとはしない。私は、彼らにとって必要のない、邪魔者なのだ。
私は、胸を張って言い放った。
「クラーラ、こいつらは、私を殺す悪い奴らだ。やってしまいなさい!」
少女は、レーアに抱かれたまま、キョトン、と彼女の顔を見上げる。
レーアさんは、力強くうなづいた。
「おぃ、待った!抵抗す・・・ぶッ!?」
クラーラの攻撃に対し、反撃できない立場の傭兵は反射的に盾状の防御結界を張るが、少女の魔法は戦士たちが使う洗練され、殺傷力の高い攻撃魔法の類ではなく、ごく単純な念動力だった。結界を張ったままの身体ごと、一人ずつ順番に吹き飛ばれ、コンドミニアムの壁に背中から激突して気を失う。最後の一人は全速力で離脱を図るが、それすら間に合わなかった。いかに単純で不器用な使い方であっても、クラーラの魔力は大人のローズ人にも劣らぬ威力を示した。
「ふぅー!」
クラーラは、おそらく生まれて初めての暴力を人に振るったのだろう、毛を逆立ててまだ興奮している。私が近付くと、レーアさんは腰を降ろし、私に高さを合わせて迎えてくれた。私は少女の頭を、そっと撫でた。
「クラーラは、私のヒロインだね!」
クラーラの大きく見開かれた瞳が、月光を反射してキラキラと美しく輝いた。
夜の街角で散発している戦闘は、まるで花火が打ち上げられたかのように、ドンドン、と腹に響く炸裂音と同時に、明るい七色の光を街並みに反射させた。人々の反応は、窓から身を乗り出してその様子を伺ったり、それとは真逆に鎧戸を閉ざして貝になったりと様々だ。異民族の略奪ならば、徹底抗戦する必要があるが、同じローズ人同士の争いならば、それは政治抗争を意味する。熱狂的な支持者でもなければ、市民の出番は無い。
長谷川メンテナンスサービスの店の前で、社長はモジモジしながら私たちの到来を待ち侘びていた。
「ああああ、良かった、良かった!無事だったんだね!お嬢ちゃんも、怖かったねぇ〜、さぁ、事務所の中で温かい物でも飲んで、一旦落ち着こうか?」
「そんな暇ないでしょ!」
社長の頭の高さまでジャンプして、チョップを食らわした。
「あいた!ひどい仕打ちだね、君。もぅ、本当に心配したのさ!でも、そうだね、時間はかけないほうが得策だ。脱出ルートは、プランAかな?」
「逆に、選択の余地があるの?」
「土師君が、混乱に乗じて時計塔に向かっているよ。プランAに備えて、僕はここで待機していたんだけども、君がBだと言うのならば、それを手伝うよ」
「Aで行くわ。調査は済んでいる?」
カクカクと首を縦に振る社長・・・何よ、甲斐甲斐しい。
「なら、道案内をお願いするわ。あ、その前に、クラーラとレーアさんの靴の替えをお願い」
「承知したよ、ちょっと待っててね、すぐ取ってくるからさ」
長谷川社長が事務所に入っていくと、レーアさんが私の元に近付いて小声で話しかけた。クラーラに聞かれないように、だ。
「私は、残って土師さんを手伝います」
「いや、ダメよ。プランBは見込み薄だし、危険すぎるわ」
「それでも、陽動にはなるはずです!」
声が強まった。
「なんじゃ、ヨードーとは?レーアは妾と一緒に行かぬのか?」
「猊下、私には別のお役目がございます」
レーアは膝をついて、臣下の礼を表した。
クラーラは、息を呑み、唇をへの字に噛み締める。
「なんじゃ!そんな真似は止せ!妾は許さぬぞ!レーアも一緒に来ないと、妾はここを動かぬ!」
ライオンのぬいぐるみで、レーアの頭をポンポンと叩いた。
「クラーラ・・・」
私が言いかけた時、レーアは激しく感情のこもった声で、少女を叱りつけた。
「クラーラ!あなたは、もう大人になるのです!いつまで、ぬいぐるみ遊びをする子どものフリを続けるのですか!?さっきは、あんなに大きな男の人を吹き飛ばしたじゃありませんか?クラーラ、良く聞きなさい。私に役目があるように、あなたにも、お役目があるのです。大人になるあなたには、私などよりも、もっと重責あるお役目が回ってきます。そこから、あなたは逃げてはいけない、逃げることが許されないお立場なのです」
「嫌じゃ!それなら、大人になんかならなくて良い!レーアと一緒じゃなければ、一生子どものままでおる!レーアは、妾の母じゃ!たった一人の、肉親なのじゃ!」
二人は、血が繋がっていない。それは、クラーラも概知のはず。それでも、レーアは母なのだろう。そして、こんな時、かける言葉を見つけられない私もまた、いつまでも子どものまま・・・なのだろう。私は、レーアがクラーラを引っ叩くのかと思った。自分の命が、そして帝国の命運がかかった大事な時に、わがままを言う一人の子どもに対して、私ならそうしていた・・・しかし、彼女は両手を広げて、少女をそっと抱き寄せた。
「クラーラ、私の可愛いクラーラ。口だけ生意気で、気弱なクラーラ。でもね、私だけのクラーラは、今日でお終いよ。明日からは、みんなのクラーラになるの。あなたは、半身を自分のため、そして残る半身を、臣民のために捧げるのよ。その中に、私もいるの。私もいつも、あなたと一緒なのよ。忘れないでね」
意識せず、私の口から言葉が出ていた。
「私は、半身を母に捧げ・・・やがてその母に他界されたわ。半身を失った私は、その後に生きる目的を失った。クラーラ、あなたは私と違い、失い切れないほどのたくさんの人たちが、その半身を支えてくれるわ。そして、もう半身である自分自身の事も、大切に思って頂戴。今のことだけじゃなく、未来を常に考えて・・・自分の未来を大切に・・・それが、他人も幸せにして、自分も豊かに生きる秘訣よ。一人の人間として・・・」
私は両手を広げて、自分の身体を示した。自虐的だし、上手く言えたとは思えない。けれど、彼女には、幸せな人生を歩んで欲しい。例え、普通の・・・誰もが願う、ささやかで、当たり前の幸せを願える立場で無かったとしても。それは、私の本心だった。
「カブラギは、人間じゃ。妾も、レーアも、皆んな人間じゃ。ずっと、子どものままの人間などおらん。人間ならば、人間の生き様を歩まねばならんのじゃな・・・」
束の間の静寂が訪れた夜の街角で、一人の少女が、さなぎの殻を破らんと葛藤していた。
「でもの!妾の誕生日は、8日後じゃ!まだ、レーア一人のクラーラじゃ!そこは間違っておるぞ!訂正せい!」
「あらあら、お耳が敏い事で・・・」
レーアは銀髪のつむじあたりの匂いを嗅いでから、口付けした。
「一緒に誕生日を祝ってくれると約束せい・・・」
ふっ、と微笑んでから、イーリカ・レーア・フジノは「はいっ」と手を挙げた。
ついで私も手を揚げ、いつの間にか話を聞いていた長谷川も手を挙げた。最後に、クラーラがレオンの手をちょいと摘んで上に挙げる。
「みんなで、お祝いしましょうね」
レーアの一言で意を決したかのように、クラーラは両肩に力を込め、元気よく声を張り上げた。
「妾は、カブラギと共に、先に街を出る!すぐに合流するのじゃ!良いか、これは命令じゃぞ!」
「アイアイサー!」
レーアが額に手を当てて答えた。クラーラの大きな声が、流れる涙に負けて、幾分揺らいでいたのが、私の胸を締め付けた。
「さ、軍令が下ったよ!軍靴は用意できないけれど、この作業靴に履き替えて、すぐに出発だ!」
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