第7話 贋作屋

 ビリーがくれた地図には、間違いの箇所があった。それも、街を実際に歩けばすぐにそれと気付く小道が3箇所も。私は街を走り回って、それを確認したのだ。数年前に補修されたという城壁の具合や、裏路地の形状、追跡者の把握なども同時に行ったが、主たる目的は、その間違い探しだったのだ。その間違えの箇所を正確に知りつつ、私はそれをそのまま転写した。そっくり、そのまま忠実に書き写した。わざとミスをミスのままに、印刷屋に大量製作を依頼したのだ。

 何のために?

 それは、ある場所に行くために。

 諸君らが日本人と仮定するならば、著作権は知っているはずだ。地図にもやはり、これはある。この世界で、この帝国で、それがどの程度認知されているのかは不明だったが、しかし、私には確信があった。その理由は、明確であり、確実だった。何故ならば、ヴェリーヌ出版は、故意にミスを犯していたからだ。道の記載ミス、あれは正しい情報であるかどうか、製作者側が内部で確認する校正作業の段階で生じた指摘漏れ、または修正漏れではなく、意図的にわざと違う道を描いたものだったのだ。それを確信するために、実際に間違えている箇所を現場検証したのだ。

 なぜ、間違える?

 それは、類似する存在の中から、複写されたものであるか否かを見抜くためだ。

 見抜いて、それを証拠に突きつけ、金をふんだくるためだ。その意図は、あのミスを見れば明確だった。明らかに確実な意図が見て取れた。著作権うんたらを知るまでもなく、ヴェリーヌ出版はそのための罠を張っていたのだから、私はそれに絡め取られに、あえて飛び込んだ。

 なんて私は物知りなんだろう!

 学校にはろくに通っていなかったけれど、学校ではおよそ教えてくれない世の中の何たるかを知っている!この世の中は、人々の欲の集合で動いている。一人ひとりの欲望は、日常の中の些細な幸福であったり、国家規模の陰謀であったり、その内容や規模こそさまざまに差はあれど、その全ての人々の欲–良く言い換えれば願いが、大河となってこの世界全体を前進させているのだ。時に岩に衝突し、互いの流れがぶち当たり白波を立てたり、澱みに停滞したり、浅瀬や滝の急流となったりしながら絶えず渦と激流とを生み出しながら。その人々の欲の裏側にこそ、渡世術の極意が潜んでいると断言しても過言ではないのだ!これはもう、天性の感というか、類まれな嗅覚の成せる業と言えよう!

 そうして、私は今、魔法省の牢獄に入れられているのだ!


「どぉ〜して、貴方様は私の経歴にキズをお付けになられることばかり、秀でておいでにやがるのでしょうね!まったく、そこには素直に関心すらなさいます」

 ライラは仁王立ちの姿勢のまま、牢屋越しに私を見下ろした。

「前科持ちの亡命者の異邦人。タダでもご厄介なこの案件を、私の監督のもと立派な労働力へと変換してみせる事こそ、魔法省本部が私にご期待しやがる内容でございますですのに・・・貴方様と来たら、盛大に私のご期待を裏切りやがりますことで、至極、感謝いたしますわ。心より、愛を込めて、申し上げやがります」

 ライラのヘンテコ言葉はいつもの事だが、慣れ親しんだそれよりも幾分か抑揚がなく、そのくせ数段ねちっこさを増していた。やれやれ、どうやら相当にお冠のようだ。

「スミマセン、罪になるなんて知りませんでした」

 あまりのおこ具合に、私も正座で対応する。

「いっそ暴力沙汰でも起しやがれば、私もご決意が固まりやすいものでありますよ」

 あい、スミマセン。私もそれが分かっているから、面倒な手段を選択したのだですよ。二徹した努力をどうか、無駄にしないでいただきたいことですよ!

「ま、お約束でいらっしゃいますから、数日の独房入りはご勘弁しやがりなさい」

「ご飯が、出るのなら・・・」

 ダーン!と格子がサーベルの鞘で打ち鳴らされる。

 び、びびった・・・ちょっと漏れたかも。

「怠惰で卑しい家畜面には、ほとほとお反吐がでやがりますわ!とっとと働けるように、慈悲深いライラ様がお骨をへし折って差し上げますから、ご期待なさりやがれですわ」

 ライラは踵を返すと、鞘をベルトに納めながら音もなく立ち去った・・・と思いきや、バーン!と閉鎖された牢獄の音響効果を最大限に引き出しながら、この区画の出  入り口となる分厚い鉄の扉を叩き閉めた。

 私は足を崩して、考え込む。

 さて、この先に何があるのか・・・あとは待つことしかできない。

「勘弁しろ、野うさぎ人間。北方出は気性が荒いんだ。こっちの身にもなってくれ」

 牢番が身を屈めながら、格子の前にやってきた。

「どっかで会った?」

 いかにもうだつが上がらなそうな、とは失言か。特徴のない、冴えない顔と言えば、いくらか丁重だろうか。しかし、確か・・・そう、この顔はどこかで見た覚えがあった。はて・・・どこだったか?その疑問は、当の本人が語ってくれた。

「お前、メンテ作業員だろ?管財課の窓口で、魔封結晶をお前に渡したことがあるぞ。きっとその時だ」

「なるほど、思い出した!で・・・なぜ、ここにいるの?魔法省は、人手不足なのかしら?それとも、お役所にありがちな定期的な異動?」

 男は両手を開いて、異議を唱える。

「俺だって、知るか!突然の人事異動だ!だが、普通の異動じゃないのは、俺にだって分かる。時期が違うからな。でも、どこでどうしくじったのかが、分からねぇよ!お前が知っているのなら、ぜひ、教えて欲しいね!それが、あの女の下で働くってもんなのさ!」

 この男は何なのだ?自分の愚痴を聞いてもらいたくて、囚人に話しかけているのか?

「災難だね、気持ちは分かるよ。私の事は、バニーガールとお呼びいただきたい。で、あんたのお名前は?」

「スチュアートだ」

「アイ、コピー、スチュアート。何か、別の本題があるんじゃないのか?例えば・・・そうだな、黒い奴からの伝言・・・とか?そんなワードに心当たりがあったりしない?」

 そうだった、と呟きながら、彼はズボンのポッケを弄った。取り出したのは、小さな紙切れだった。

「白いうさぎに会ったら必ず渡せ、と言われている。いいな、確かに預けるからな、おっと、だが、今は渡せない。出る時にその囚人服を脱がされて、もう一度、身体検査があるからな。俺の方で、お前がとりあげられた所持品のどこかに隠しておく。いいか、俺はちゃんとお前に渡すからな!黒い奴にしっかり伝えておいてくれよ!絶対だぞ!・・・あぁ・・・これでようやく、安心して寝られるぜ」

 一体、何と脅されていたことやら。

「ところで、それは何なんだ?」

「鍵だと言っていた。イカれてるよな、タダの紙切れなのに」

「ここの牢獄の鍵じゃ・・・無いわよね。そもそも、ライラはすぐに私を出したがってる・・・なぁ、他に牢獄はないの?ここ以外に」

 スチュアートは胸ポケットに紙を仕舞いながら、眉間に皺をよせた。

「魔法省の牢獄は、ここだけだ。全部で20部屋あって、お前の他にも6人捕まってる」

「その紙、無くさないでよ?で、その6人の中に、金髪の女性と、白銀の少女はいる?高貴な身分なんだけれど・・・」

 彼は斜め上をしばらく眺めてから、首を振った。

「他に、誰の目にもつかない場所で、誰かを閉じ込めるとしたら・・・覚えのある部屋はない?」

「そんなん、支部長の執務室とかじゃないか?」

「執務室なら、常に誰かに見つかるリスクがあるでしょう。隠し部屋でもあるなら別だけれど。もっと、考えて頂戴。ほら!」

 スチュアートは何だよ、とぼやきながらあぐらをかいて考え始める。

 こいつ、人がいいのか、アホなのか。ちょっとだけ面白い。

「隠し部屋といえば・・・」

「なによ?マジで心当たりがあるの!?」

「その昔、広大な領土の所有権を持った、気の強い女貴族がいたんだ。で、その女貴族はある地方の領主と恋に落ち、結婚して三人の男子をもうけた。しかし、やがて領主の浮気が発覚して、騒動になる・・・」

 私は手のひらを差し出してそれを制した。

「ちょっと待って、その話は長くなるの?」

「すぐ終わるから、最後まで聞けって!」

 咳払いを一つして、喉の調子を確かめると、スチュアートは話を続けた。

「女貴族は離婚を宣言したが、そうなると領主はせっかく手に入れた女貴族の領土を失うことになると危惧した。すったもんだの挙句、浮気相手とは絶縁したが、気の強い女貴族の癇癪が治まる兆しは一向にない。領主もその頃には、女貴族のヒステリーにほとほと愛想を尽かしていた。そこで、領主は悪だくみを考えた。城にある塔の一つ、その最上階に女貴族を幽閉したんだ。もちろん、厚い毛皮を敷いて、暖炉も使用人も付けてだ。そこでしばらく暮らすうちに、頭が冷えてご破算となれば、これ幸い。己の無力さを悟って従順になれば願ったり、叶ったり。最悪な場合には・・・死ぬまで出さない目論みだった。だが、それを知った三人の息子たちは、母親を自由にするよう、領主に懇願した。けれど、領主の意思は固く、息子たちの願いは跳ね除けれられた。そこで三人はある夜、長男の屋敷に集まり、母親を救出するために父親である領主に対して、戦争を挑むことを決意したんだ!そして・・・」

 再び私は手を突き出した。

「何だよ、これからだってのに!」

「突然に流暢なおとぎ話が語られて、正直驚きを隠せません。人それぞれに才能ってのはあるもんだと、心底関心させられたわ。で・・・要は、その塔が怪しいと言いたいのでしょう?どこにあるの?その塔は?この近く?」

 機嫌を損ねたのか、スチュアートは腕組みをして、しばらく私を睨みつけた。

「さ、さ。もったいつけないで。遠いのかしら?」

 スチュアートは鼻でため息を流し、口を開いた。

「この魔法省は、その領主の居城を改築したものだ。塔のある区画は、倒壊の危険があると言われて、ずっと放置されていたんだが、つい先日リノベーション工事の業者が入って、夜遅くまで明かりをつけて作業していた」

「何の目的でリノベーションされたんだか分かる?」

「知らない、知らされてもない。でも、貴族の女性を監禁するなら、塔の上がお似合いだ」

 至極、ごもっとも!

「ありがとう、感謝するわ!最高よ、スチュアート!で、その塔の位置は?」

「この区画の南側だ。渡り通路は封鎖されているから、一旦外に出ないとそこへは行けない。役に立ったなら、俺はもう、お前のことは忘れて、日常に戻る。いいか?くれぐれも・・・」

「あぁ、しっかり伝えておきますよ。どうぞ、ご安心召されませ!」

 スチュアートは見えない場所まで移動し、何かごそごそと物音を立ててから、扉の外へ出ていった。きっとさっきの紙片を私のツナギにでも隠したのだろう。

『手詰まりになったら、魔法省の牢番からマクガフィンを受け取れ』

 時計塔で寝泊まりしていたある晩、私が彼女から聞いた言葉だ。

 だから、私は牢獄に入らねばならなかった。

 だが、今思えば・・・別に牢番に預けなくても良くなくない?

 私はあいつの性格を知っていた。助け舟を出すとしても、泥の船に乗るか、崩れかけの筏に乗るかを選ばせるタイプなのだ。ギリギリの親切心。それが、最大限の彼女なりの良心。


 時計塔にいた時、私はライラの監視から逃れることに成功していた。

 仲間たちとの情報共有や分析のため、監視のない時間を作る必要があったから、ビリーの過失を装って、それが可能となる状況をつくったのだ。魔法省の管財課からの依頼は本物だったが、ビリーはずっとそれを公開せずに温めていた。時計塔勤務の依頼は、それだけ利用価値の高い案件だったからだ。

 その時計塔に、彼女が現れたは、3日目の晩のことだった。


 土師たちは暗くなるのを待ってから、時計塔から帰宅していった。

 師匠は、弟子ができたことをいいことに、戻ってくる気配もない。どうやら娼館に通い詰めているらしい、とは土師が関係を持つ、連絡役からの情報だった。まったく、男というものは幾つになっても盛んなものだと呆れてしまう。

 私は、木片に刻んだ正の字を改めた。

 武装をした、あるいは荷物の中に武具や槍などを所持した者の数。それらが、街から出ていった数と、街に入った数。この時計塔はその実、正門から続くメインストリート上に建設された凱旋門である。故に、人の出入りを調査するにうってつけの立地だった。その調査の結果からするに、後者の方が圧倒的に多い。入るばかりで出て行かないのだ。そして、その数は日に日に増していた。

「今宵を楽しんでおるか?ワシの片割れよ」

「うひぉっ!」

 通りの喧騒も収まり、めっきり静かになった夜半に、頭上から突然話しかけられれば、きっと誰だってキテレツな声をあげるはず。そして、人知れず悪だくみを働いている最中の者ならば、その反応が顕著となるのは自明。

 定期的な機械音を奏でる滑車たちを支える、数十本の梁の一つに、彼女は座っていた。

 暗闇に溶け込むような、漆黒の毛皮。闇にいてもなお、赤々と燃えるような眼光。

 しかし、こうしてマジマジと見ると、他人事ではないのだけれど、不気味を通り越して滑稽ですらある。

 漆黒のうさぎ。

「ワシのことは、ブラックバニーと呼ぶが良いぞ」

 う、人から聞くと何ともハズいセリフだ。

「皇女の成人の日まで、もう幾許もないのう?それに合わせて、不審者の数も増えておろうよ?」

 床の木板を眺めて、そう言った。彼女には、この暗さで見えているのか。

「にしても、すごい数じゃの。ざっと三百か」

「身落としているものあるだろうから、実際にはもっと、ね・・・てか!あんたが、一番の不審者だわ!一体、どこから入ってきたのよ。ゴキブリか!薄気味悪い!」

「ヌシ様はいつもそうやって、ワシにはつれない態度よのぉ。それは同族嫌悪というやつか?」

 私はあぐらをかいたまま胸を張り、腕組みをして睨みつけた。

「あのね、人の住処に深夜コソコソ入り込んでおいて、歓待される事を期待したというのならば、それはあなたの神経がどうかしている証拠だわ」

「だから、同族と申しておるのじゃ、ヌシ様もそう、変わらんじゃろ?」

 黒うさぎの指には、2本の金属棒が光っていた。それは、私が土師から受け取った“おまけ“の品だった。

 いつの間に!?

「返しなさい」

 黒うさぎは、ポイとそれを後ろに投げやる。柱や滑車にぶつかりながら、鍵開け棒は時計塔のどこかに落ちていった。

「きっと、もう、いらんじゃろ。それに、こんな物を持っていたら、捕まった時に申し開きに苦労しようぞ」

「また、私の邪魔をしに来たってわけ?」

 口角をくいっと上げて、黒うさぎは楽しげに答えた。

「邪魔とは、幾分生ぬるい。いつか、ヌシ様を殺す。それがワシの生きがいじゃと、いつも申しておろう」

「その恥ずかしい口調は、いつも通りね」

 私は心の平静さを保つため、一瞬だけ目を閉じてそう返した。ほんの一瞬、しかしそれを私は瞬時に後悔した。

「じゃが、ヌシ様はいつまで経っても剣術を学ぼうとせぬ。格闘術でも何でも良いのじゃ。空手とか、柔術、テコンドー、カポエイラだって、何だって良い。せっかく優れた強化義体を有しておりながら、なぜ活かさぬのじゃ?宝の持ち腐れと言えよう?」

 先ほどまで彼女がいた梁に、その姿はなく、声は私の後頭部から発せられていた。そして、首元には細く、尖った短刀があてられている。それが10センチも横にスライドすれば、私の気管はスライスされた蓮根のようになるだろう。

「自分の姿を鏡で見たことあるの?テコンドーやカポエイラに向いている優れた身体とは、お世辞にしても、同意しかねるわね」

「ははっ!くるくる回る毛玉に見えるじゃろうな!最もなご意見じゃ」

 首元から切っ先が消え失せ、声が少し離れていくのを確認し、私は座ったまま向きを回転させる。黒うさぎは、飾り窓から差し込む月光の隙間、そのどこかにいるようだ。数メートルしか離れていない筈なのに、その姿を捉えられない。

「こうして近くにいると、ヌシ様の思念が溶け込んで来よる。夢を見ているような、何度経験しても不可思議な気持ちになるよの?」

 双子や兄弟とも違う、同じ魂を持つホムンクルス・・・複写された2枚のコピー紙。

 魂のシンクロ。

「傭兵たちは、自らの生き様に誇りを持つと同時に、より確実な生存のために、何より合理性を尊ぶものじゃ。かつての大戦の悪夢のような記憶を一刻も早く忘れ去りたいローズたちは、刃物を嫌い魔法の力に傾向しがちじゃが、傭兵たちはそのどちらも習得しようとするものじゃ。つまり、ヌシ様の狙いは正しいよ。武装した者たちは、貴族同盟が送り出した傭兵たちじゃ」

 貴族会議から分離した、急進派閥、武闘派による貴族同盟は、執政官の失脚を画策している。

「あなた、貴族同盟と関わりが・・・?」

 頭の中に、ゆらりと緑色の瞳を持つ、赤毛の女性の姿が浮かんだ。

「!?ちょ、ライラとも連んでいるのね!?」

「あはははっ、愉快よのぉ、ワシらは敵同士じゃ!今度、機会を設けて、チュシャ猫を紹介してやるぞえ」

 こいつ、どこまで正気なのか。

「ライラはハートのクィーンで、チュシャ猫はあんたじゃなくて?一体、何が狙いなの?」

「狙い、じゃと?ヌシ様を殺すこと以外の、ワシの狙いとな?そんなもの、どうでも良かろう。何より、ワシ自らがそう思っているくらいじゃから、これは真実じゃ。それよりも、ワシの興味はヌシ様の狙いの方じゃよ」

 飾り窓の明かりに影を生み出しながら、黒うさぎは屋根裏部屋の壁づたいに歩み始める。

「ライラと連んでいる人に、言えるわけないじゃない」

 だが、黒うさぎは朧げな記憶を探り当てるように、ゆっくりと少しずつ語り出す。それはまるで、探偵が答え合わせをするかのような。

「このツインテールは、ドードー鳥か・・・誕生日?そうか、女子の成人は12歳じゃったな。さすれば、エルベアトの立場が微妙となるのぉ。確か、かの者は軍を率いて、この地方を目指して南下中じゃ。そして、執政官位の任期延長についてかの者と対立する一派が、ワシの雇い主である貴族同盟・・・おや?この紙片は、血判状か?・・・そうじゃったか、猫が作戦時期を早めた原因は、やはりヌシ様がらみなのじゃな」

 私は天を仰いだ。脳内の情報を守る手段は、この戦闘マシーンを気絶させるか、この場から私が離れることだが、前者は絶望的、後者は一旦は成功したとしても、この街から完全に逃亡でもしないことには、再び見つかる可能性が高い上、街の城門と城壁には、ラベラーを封じる結界がある。そもそも、私はまだ街から出る訳にはいかない。

 説得しかない。

「あははっ。ワシがヌシ様の言葉に心を動かすとでも?その真意を感じ取りながら?ややも、愉快な案を思いつくものじゃ」

 ・・・。やりづらい。

「城壁の補修が終わっていない、という噂を信じておるな?宿屋の食堂で誰かが話ていたのぉ。そうじゃ、思い出したかや?補修されていないのは、外側のカーテンウォールのことじゃよ。内側の工事は完璧じゃ、結界も十全に機能を発揮しておる。ん?そうか。街を外から眺めたことがないのじゃな?」

 ノートンさん、私の頭の中にもファイアウォールを設置しておくれ。

「国境で捕まり、この街まで連行される時には、窓のない移送車に入れられたからね」

「呆れたのぉ、この街の情報すらろくに仕入れておらぬとは・・・さりとて、真正直にワシの言葉を信じようともせぬか。嘘だと思うのならば、自分の瞳で確かめることじゃ。城門を破壊でもせんことには・・・」

 やや間があった。

「あははは、愉快、愉快、お主は三月うさぎではなく、アリスじゃな。ワンダーランドの破壊者、まさに主人公とするに相応しい!」

 お前と一緒にするな!私は常識人で、人徳者だぞ!

「ちょっと、ずるいわ!あなたの方が情報を取得する速度が早い!何でよ!?」

「ヌシ様の方が、オツムがマトモじゃからじゃろ?」

 さもありなんとばかりに即答された。こいつの記憶は、いつも揺らいでいて、まるで嵐の海のようだ。麻薬でもやっているのか?それに答えるかのように、黒うさぎの思念から、一つの言葉が伝わってきた。

「二度目・・・?」

 どういう意味?

「記憶のシンクロは吐き気を催す、もう止めじゃ。気も萎えので、今晩はお暇するぞえ。いつまで待っても、茶の一つも出んようじゃしな」

「あら、残念だけれど、ささ、どうぞ、お構いなく」

「それは、こちらのセリフじゃ」

 いつの間にか、声の発生源は梯子口まで移動していた。

「そうじゃ、牢番にマクガフィンとなる物を預けておくで、受け取りに行くが良い」

 マックの新スイーツ?

「・・・なワケなかろう?」

「なんで牢番なのよ、今頂戴よ」

「今は持っておらん。預けるには、相応の立場を選ばんとな。赤毛はあれで、用心深いやつじゃて・・・」

 気配は消えていた。

 何なんだ?私を助けたいのか?いや・・・アイツは自分の快楽を優先させる輩だ。私を適度に巻き込んで、自分の演出したステージ上で弄んでやろうという魂胆なのだ。

 享楽と殺戮。

 それを粘土玉のように固めたのが、アイツの本性なのだから。他の誰が理解できなくても、私だけは、正確に理解しているという自負がある。同じ魂を持つ、私だけが、真に彼女の理解者なのだから・・・。

 ブラックバニー(苦笑)の言葉は、その記憶で裏付けされていた。現在の立ち位置は、貴族同盟に雇われた傭兵の一人。ライラとも面識がある事からして、連絡役を買って出たのだろう。隠密行動に長け、私と違って結界を自由に跨いで通ることができる彼女は、間者や暗殺者としては一級品であることを自負している。

 ラベルを持たないラベラー。

 ラベルを消した、ローズとラベラー双方に対する裏切り者。

 ・・・アイツの事はさておくとして、私も確信を得た事がある。

 ライラは、魔法省のために動いているのではない。貴族会議から離脱した急進派勢力、貴族同盟と結託して、執政官に反旗を翻すつもりだ。

 では、どうやって?

 皇女殿下クラーラを手中に収め、正統派を謳う。

 それは、いつ?

 執政官の到着の時、隙を見て彼を捕らえる。それは、クラーラの誕生日よりも前になることは必須。皇女の存在を隠し、ラベルの呪紋でヴェリーヌに封じたのはエルベアトだ。必ず、成人する前に何かを仕掛ける。彼は今、軍勢を連れて南下し、国境視察の行軍を続けている。だがそれはフェイク。ヴェリーヌ城市に向けて、東に進路を変えることは、間違いがないだろう。繰り返しになるが、政権の続投を宣言しつつ、皇女の存在を伏せたまま、その皇女を隠しているこの街に軍を連れてやってくるのだ。その意図は、自明というものだ。

 だが、それを阻止しようという貴族同盟の計画は、ライラの進言によって早められたと、黒うさぎは言った。

 いや、待て待て、私。

 エルベアトは、2万なんぼの兵力を連れているはずだ。ヴェリーヌが最新仕様の魔法城塞都市と言っても、貴族同盟たちが反乱を起こした末に、残った兵力だけで街を守り通せるものか?・・・そうか・・・だから、アイツも計画が早まった理由を私の脳から引き出したのだ。もしかすると、あの接触の狙いはそれだったのか?まぁ、それは置いておくとして・・・いくら皇女を擁し正統派を謳おうが、エルベアトの身柄を抑えることができなれば、帝国を掌握できるはずもないことは、貴族同盟だって百も承知のはず。思想に燃えた熱血漢の騎士たちならまだしも、それぞれに帝国内に領土を持つ貴族たちで、政権奪取を目的としているのだから、玉砕覚悟の独立紅蓮隊のような存在になることを望むわけがない。

 エルベアトの企てを白日の下に晒し、貴族連合と市民たちに一斉蜂起を促すつもりだろうか?

 エルベアトの身柄だって、そう簡単に拘束はできないから、そちらの方が確実?

いや、ライラのことを鑑みると、皇女の存在を知る魔法省上層部が、エルベアトに反感を抱き、貴族同盟と呼応している可能性は十分にある。だとすれば、エルベアトを出し抜くことはそう難しくはないだろう。

 ライラの真意はなんだ?

 あの赤毛だって、オツムは回る方だ。何か、秘策があるに違いない。

 魔法省側の立場に立って、整理してみよう。

 魔法省の上層部は、執政官の指示に従っている振りを見せつつ、その実、貴族同盟側であると仮定する。

 すると、皇女の身柄をわざわざ確保したのは、私の動きを警戒したからとなる。

 それでも、まだ私を泳がそうとするのは・・・執政官とは別ルートである可能性を探っている?

 では、今後、貴族同盟と魔法省はどのように執政官の軍と対峙するつもりだ。貴族会議と市民たちの一斉蜂起を待つだけでは、ないはずだ。それまで、街を防衛するためには、少なくとも数千人の兵力は必要だ。

 アルタイアとの軍事同盟?

 ラベラーたちの強制徴用?

 この街は、ラベラーたちによって革命が成されたアルタイアとも隣接し、また、それによる情勢不安に伴い各地に散在していたラベラーたちを一極集中で管理しようと結界封鎖を施した街の一つだ。数は公表されていないが、この街に収容されているラベラーたちの数は、千ではきかないはず。政治の天秤において両極端ではあるが、そのどちらかとも有り得る。

 だが、ブラック何がしの言葉では、ライラが計画を早めた、と言っていた。皇女の捕囚は常套手段としても、エルベアトの到着前に行動を起こす事は、どう見ても貴族同盟側にとっては不利益の方が大きい。そんな決断を彼女の一存でできるとしたら・・・貴族同盟の計画を指揮しているのは、あの赤毛であるということか?

 どうにも、きな臭くなってきた。

 火中の栗を横からかっさらう事で、軍事衝突を避けることが、私の役目だったというのに。

 皇女を捕囚された今、未来の選択肢には内乱勃発しか見えてこない。

 ならば、私の選択肢はもはや無し、一択のみ!

 何重も策を用意する時間もない、調べた情報と用意した道具だけで勝ちをもぎ取る!

 最後の鍵は、二つの塔だ!





 ライラは牢獄の外で待機していた青年将校に語りかけた。

「あの者は、できれば泳がしておきたいと考えやがります。なるべくお早く出られるように調整してくださりませ」

 やや狼狽え気味に、将校が答える。

「しかし、奴はこの神聖な計画の支障になります。間違いなく、あちら側の工作員。我らの転向を察知し、小鳥を逃がそうと目論んでいるに違いありません。それをみすみす、野に放ってしまって、大丈夫なのでしょうか」

 赤毛の下から緑色の瞳を輝かせて、ライラは将校を睨み返した。

「大丈夫、とはどういう意味の大丈夫でやがりますの?あれはタダの雇われ人、いえ、使い捨ての野獣無勢でやがりますわ。本当のお雇い主を突き止めなければ、いつまで経っても大丈夫と言えることはございませんですよ」

「本当の・・・」

 布で額の汗を拭いつつ、将校は失言を詫びた。

「計画を即時、お実行に移す。リーベンスブルクに伝令を出して、お伝えやがりなさい。あなたのご忠言をたまには聞き入れやがらないとですね。尻尾を掴むのは、事のついで程度にお考えを改めますでしょう」

「た、直ちにですか!?・・・いえ、かしこまりました。あの、伝令の役は、例のブラックラビットとやらに任せてしまえば良いのでは?」

「奴か、奴はよろしいです。アレは使えるようで、お使えできない奴ですから。大事な役は、お身内だけに」

「初見の時から気になっていたのですが、以前からお知り合いで?」

「大戦でな。あの頃はまだ、幾分マシでいやがりましたが」

 将校は首を捻った。

「しかし、長官殿は以前、10年前に学位を得たと・・・」

 顔を上げると、赤毛の上官と目があった。

「し、失礼いたしました!レディの年齢について詮索するなど、どうか若輩者の無礼にお許しを!」

 慌てて将校が立ち去った後、ライラは締め閉ざした鉄扉を振り返り、日本語でつぶやいた。

「なぜ、二歩戻るような真似をするのだ?時間が無いのは、お前も同じだろうに・・・」

 眉間に深い皺を刻みながら、緑色の瞳をしばし閉じ・・・そして再び歩き出した。

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