第6話 地図屋

「足跡は見つかりません」

 窓が閉められた暗がりの邸宅に、幾つもの魔法の明かりがうごめき、床に飛び散った灰を照らしていた。

「プロの仕業、という事でやがりますわね」

 赤毛の女が、不機嫌そうに大熊の毛皮を踏みにじる。

「それにしては、荒っぽい仕事のように思えますが・・・」

 青年将校が、床にかがみ込みながらつぶやいた。

「煙突掃除屋に、依頼を出したのは誰でござりますの?ここの家主は、しばらく避暑地に引きこもりやがったままのはずですが、そこから依頼を出しやがりましたの?」

「それですが・・・掃除屋は駅伝で書簡を受け取ったと申していましたが、調べたところ、蝋封印がされておりませんでした。筆跡については、調査中です。本人に確認を取りに行かせましょうか?」

「駅伝ならば、封印は関所でチェックしやがるはずですね」

「掃除屋は、駅伝の書簡を受け取るのは初めてのようで、不審には思わなかったようです」

 再び目線を降ろした青年の膝下に、サッとサーベルの切っ先があてがれ、魔法の明かりを鋭く反射した。

「ひ・・・」

 魔法省の腕章を付けた役人たちの中で、彼女だけがこの野蛮で古臭い武器を身に帯びている。

「それは、何の毛でやがりますの?」

 言葉の意図を理解するまで、少しの時間を要した。熊の毛の中に、白くて細い毛が混じっていたのだ。青年はそれを拾い上げると、上官の女性に手渡した。

 受け取った女はサーベルを仕舞うと、玄関口まで移動する。横板で封印されていた扉は開け放たれ、外の日差しが埃っぽい玄関ホールを照らしていた。

 女は細微なその一本の毛を陽光に掲げ、にんまりと笑みを浮かべた。

 それは年頃の美女にはおよそ似つかわしくない、挑戦的で不敵な笑みだった。

「掃除屋の雇用記録を、お調べくださいませな」





 呼び金が叩かれることもなく、扉がこじ開けられたかと気づくや、ハンドラーたちが一人また一人と梯子を登って押し寄せて来た時、私は飾り窓から差し込む午後のひだまりの中、優雅に一人まどろんでいる最中だった。

 寝ぼけまなこのまま、彼らに担ぎ上げられ、まるで引っ越しの荷物のように浮遊魔法を使って梯子から投げ降ろされ、冒険者の宿で仁王立ちで待ち構えるライラの元へと連行された。

 ライラはキョトンとした私に言い放った。

「ハンドラーへの報告義務を怠りいただき、加えて単独でお仕事場に寝泊まりしやがった事について、審問をお始めしてやります!」

 彼女はいつにも増して、上機嫌のご様子。鞘に納めたサーベルで肩をポンポンと叩きながら、食堂の客たちが固唾を飲んで見守る中、私が犯した法について、一つずつご説明を垂れてくれた。

「以上で禁固刑、5年に相当しやがりますわ。でも、ことこの件においての過失の真因は・・・ビリーとやら、あなた様にありやがります。あまつさえ公開前の仕事を斡旋していただき、その結果報告を怠りくださいましたわね」

 いつもはクネクネ動く関節の持ち主のビリーが、珍しく直角に起立して鬼監督官の御言葉を静かに拝聴している。その耳元へ、さぞや楽しげなご様子の赤毛の女が唇を近づけて囁いた。

「どういうご意図が、あったのやら・・・」

 ビリーは唾を呑み込んでから、弁明を試みようと口を開くが、紅のネイルで飾った指先がそれを制した。

「でも、ご安心しやがれ。私は初犯の相手には寛大なお心で接するのが心情でございますのです」

 なんだ、これは彼女の政治的アピールの場なのか?

「あなたには、罰金刑で勘弁してやがりますので、どうぞ感謝してくださりませですわ」

 ビリーが、ふぅと息を吐いた。法を重んじる国柄とはいえ、この帝国においてラベラーは所詮、2等市民に過ぎない。高級官僚の匙加減で、如何様にもされてしまう。私は、彼女のこの処遇について、訝しんだ。

「そして、うさぎ人間」

「バニーガールな」

「カブラギ・レオン、かっこおメスについての処遇でやがりますが・・・」

 紅い口紅が私の頬の白い毛を染めてしまうのもお構いなしに、顔を近づけながらまくしたてた。

「さっさと次の仕事を見つけやがれ!ホムンクルスの本懐は、労働でございますですよ。その存在理由を魂に焼き付けて、可及的速やかに!勤労の義務を全うすることで、帝国臣民としてのお価値を示しくださいやがれ!」

「これは、恩赦というやつかしら?」

「ワタクシの、個人的な恩赦であると思っていただけたら、ご幸いでいらっしゃいます。でも、二度目は即、投獄でやがりますので、お脳に忘れず叩き込んでおくがよろしいと忠告申します」

 うさぎの嗅覚を持つ私には、彼女の口臭が何よりも堪えた。

 自尊心を充分に満たしたのか、事の次第を見守っていたハンドラーたちに向けて撤収を命じると、彼女は振り返ることもなく立ち去って行った。

「命拾いしたわね、まさかこんなにも早く見つかるとは思ってもみなかったわ」

 ビリーは冷や汗をテーブルふきんで拭いながらも、九死に一生を得たかのような安堵の表情だった。

「なーんか、臭うのよね」

 私はライラの対応が気に入らなかった。彼女の本来の性格ならば、きっと激怒していたはずだ。

「ライラの口臭、キツかったわね。何を食べてるのかしら?」

「なんか、あの女らしからぬ、寛容ぶりじゃない?」

「そうかしら?私はキッチリ罰金なのよ、得したのはあなただけじゃない!きっとあれよ、事が大きくなると、彼女のキャリアに傷が付くと思ったのでしょ?只でも、北方出身の官僚は煙たがられてるみたいだし」

「北方?」

「あのヘンテコリンな訛りと、一人だけ剣を振り回してるのに、違和感覚えないわけ?あれは、北方出身者だけのトレンドよ」

 あの訛りは、誤変換じゃないのか・・・。

「ねぇ、ビリー。私の話し言葉は、ライラのような変なのじゃない?」

「何?変な事を聞くわね。私もあなたも日本語で話してるから、きっとそのままが聞こえているはずよ」

「そっか、そうだよね」

「まぁ、考えてみれば確かに、うさぎの口でちゃんと日本語話せているのかって事なら、もしかすると翻訳機能でなんとかそう聞こえているだけっていう可能性だってあるのだけれど」

「いやいや、悲しくなるからその話はもう終わり!次の仕事を探すわよ」

 ビリーはカウンターに肘をついて、脱力した。

「そう言われてもね〜、流石にこう立て続けじゃ、お膳立てする側の身にもなって頂戴よ」

「スマセン」

「因みに、次のオーダーは決まっているの?」

「んー。街の通りを隅々まで調べておきたいのだけれども?実は、まだ街の全容が頭に入っていないの」

 ビリーが水を差し出しながら、それに答えた。

「そうは言っても、難しいわよ。きっと、今まで以上に警戒されたわよ、アナタ。下手をすれば、この食堂にだって、スパイがいても可笑しくないくらいよ。仕事の用事でも無いのに動き回れば、怪しまれるわ」

「むぅ。この格好、悪目立ちするからなぁ・・・」

 ふと、カウンター脇の印刷物に目がいった。

「何、ビリー、ショップカードなんて作ってるの?」

「そりゃ、あたしだってちゃんと収益上げないと、異邦人就労者向け保養施設の運営から外されちゃうじゃない。誰かさんが、いつまでも有料メニュー頼んでくれないから、商売あがったりよ!」

 あ、そう言われてみれば、ケータリングばかりでここで有料の食事はまだ、していなかったっけ。

「さっき、貴方が自分の様子を悪目立ちするって言ったけれど、顔黒マッチョでピンクの髪の毛のあたしだって、そりゃぁ相当なものよ?他にどこで働けっていうのよ。やーよ、クリーニング屋とかお弁当屋で割烹着着るのは」

 割烹着の胸元から、はち切れんばかりの胸筋が覗く図柄は、流石に公衆衛生上ふさわしくはない。

「そっちの印刷物は何が書いてるの?そ、その大きめのやつ」

 ビリーは隣に山積みにしてある、リーフレットを手渡してくれた。

 二つ折りを開くと、さらに蛇の目に折られていて、それを開くと大きなMAPが現れた。

「あげてなかったかしら。街の地図なんだけど、ローズたちが作っているものだから、文字読めないでしょ?それに、ところどころ間違えてるのよね。ローズって仕事が雑なのよ。信じられない」

 おぉぉぉ?街の地図か!もしかして、コレじゃないか?

「一部もらえるのよね?いいの?じゃぁ、ペンとインクと大きな紙も欲しい!ペンは細いやつで、紙は羊皮紙じゃなくて、なるべく上等なパピルス紙でね!大部屋に持ってきて」

「ちょ、簡単に言うけど、高級品よ?」

「当然、私のラベルから支払ってくれていいから、お願い!それまで、私は町中を調べて回る必要があるのよ。今晩までにはお願いね。じゃぁ、私は情報収集に行って来ます!」

「何、あなた、地図を作るつもりなの?」

「そーよ!地図を作って、販売するの!これはきっとヒットするわよ♪」

「ヒットするわよって・・・本気なの?もぅ、なんだか問題しか起こらない気がするわ!あなたが働きに出るたびに、私の立場が危うくなるんだから、もぅ・・・あたしも次の仕事を探しておくべきかしら・・・」


 MAPを片手に、私は街を走り回った。

 気になるお店をチェックしつつ、数年前に補修されたという城壁の具合や、裏通りの構造、番兵の詰所なども確認しながらだが、本当の目的はさらに別にあった。ごろつきが居座る、不穏で複雑な構造の裏通りを辿りながら、私はいくつかのチェックを地図に記していく。いたいけな少女ならば兎も角、バニーガールたる私の姿に、声をかけてくるごろつきは幸いにも皆無だった。

「なんだ、こいつ食えるのかな・・・」

 唯一、私を恐怖させたのが、そんな呟きだったのだが。

 街中を移動しながら、何処にいても視線を感じずにはいられなかった。まずもって、私の姿はローズたちからは奇異の眼差しの対象だけに、それが姿なき監視者のものによるものか、ただの興味本位の眼差しなのか否かまでは、察知しようもない。もしかすると、ライラの部下が、裏路地の何処かで私が誰かと接触するのではないかと、網を張っていたのかも知れない。しかし、私の目的は人との接触ではない。街を駆け回った二日の間、自由行動が維持できたのは幸いだった。

 それから丸一日、大部屋に敷いたござの上で、私は街のMAPを転写した。これには長時間の集中が必要で、何度も飽きては、ストレッチをしたり、魚の燻製を食んだりしながら、気を紛らわせた。しかし、仕舞いには吐き気を覚えて離れの厠に飛び込んだ。地図を見るだけで、嫌悪感を覚え始めたが、しかし時間をかける訳にはいかないのだ。日が高くなる頃には転写作業を終え、ビリーから聞き出した印刷所へそれを持ち込んだ。


「へぇぇぇ、こりゃぁすげぇ。うさぎさんが、これを描いたのかい?」

 多彩なインクで現代アートを表現したかのようなエプロン姿のおっちゃんが、私の原稿を見て感動してくれた。

 なんだか、素直に嬉しい。

「バニーガールとお呼びください。その通り、日本人による、日本人のためのヴェリーヌ城市生活便利MAPでございますですよ!」

「お店情報、こりゃいいね!お薦めメニューと予算まで書いてあるよ!あはは、こいつは便利だ!」

 いかにも仕事人といった、太くて曲がったままの指先で、ぴしゃぴしゃと気に入った箇所を叩く。その手の甲には、ラベルの呪紋が光っている事を確認する。

 にしても、原稿は大切に扱っていただきたい・・・。ま、実際のところ適当だがね・・・流石に正確な情報をリサーチする時間は無かったんよ、内緒だけれど。

「しっかし、字きったねぇな」

 ぐさっ!だって、私の手・・・うさぎなんだもん!

「まぁ、でもこれも味かぁ。あれだな、ヘタウマってやつだ」

「いいから、これを印刷して頂戴よ、それも大至急で!」

「何枚?」

「ん〜200枚?」

「紙は何がいい?」

「え〜オススメで」

「印刷は単色でいいよな。色はどんなのがいい?印刷はシルクでいいか?」

 なんだ、その上質感・・・。

「プロに任せるから、兎に角、時間最短で!おなしゃす!」

 印刷屋のおっちゃんは、少しの間、困ったような顔で髭を撫でながら私を見下ろしていたが、最後は広角をくぃっと持ち上げた。

「おし!日本人向けのMAPとありゃ、仕方ない!特別だぞぉ!?」

「おっちゃん、最高!愛してる!」

「なんだよ、お前、女なのか?」

「バニーガールっつてんだろ!?」

「オーケー、オーケー。冗談と思って流してた、すまんかった。じゃぁ、先払いで20銀貨な」

 えっと、ラベルの表示を所持金に移行させる。

 1,862RB。

 ビリーに筆記道具と紙代を支払ったのだった。

「お前、その全財産でいい根性してるな!?」

 私は手を顔の前に組み、とびっきりいたいけな表情で瞳をうるわせた。

「・・・うさぎ顔の哀願なんて、伝わんねぇよ!」

 伝わってんじゃん!

「分かった、分かったよ。かわいそうな愛玩動物のために、少し残して15銀貨で手を打とう。日本人たちの為だ。俺も少しは被ってやるぜ!」

 あ、ちょっと心が痛い・・・そんなに役には立たないのだよ、実際。

「ありがとぉ〜、あんた、いい人だよぉ〜。で、今日中にできる?」

「無理だ、どんなに急いでも明日の昼だな」

「え〜、朝は?」

「湿度の問題なんだ。これからすぐに取り掛かって、夕方には終わらせるが、インクが乾かないうちには動かせねぇんだよ。こっちは、他の仕事おっぽって最優先で作業するんだ。どんな理由にせよ、そこは我慢しろ」

 オーキードーキー。

 電子マネーもどきの決済を行い、明日の昼前に再訪する約束をして宿に引き上げた。


 いつものカウンターに座ると、昼飯の仕込みの合間を縫ってビリーが応対に現れた。

「あら、今日は早いじゃない?お昼を食べに来たのかしら?」

 大あくびを一つ。

「もう、限界。慣れない作業ばかりで、疲労コンパイラ。これで何か頂戴」

 362RBの表示を提示する。

「あんた、ギャンブルでもやってんの?絶望的にお金を貯められない性格なのね」

「必要経費だっちゃ。それより、初めてここでお金使おうってんだから、はずんでよね?」

「それは、こっちのセリフでしょ。いいわ、待ってなさい。病みつきにしてやるんだから」

 優雅なウィンクを一つ残して、オープンキッチンの厨房へと移る。ぜひ、長谷川社長にもその秘技をご伝授いただきたい。

 カウンターに突っ伏し、腕の間から店内を眺める。

 まだ、3人しかいない。どの顔も、いつもの常連だ。

 少なくとも、見た目だけは。

「随分と頑張っている見たいだけれど、仕事は順調なの?」

 調理を進めながら、ビリーが問いかけてきた。

「まぁね、街中駆けずり回ってる。テンテコ舞いよ、ビリーの方は?」

 突然、行動範囲を広げた私に対し、監視するハンドラーたちは、相当数動員されているはずだ。願わくば、他のマークが手薄になっていて欲しい。

「駐車場に車は停まっているのに、客は少ない・・・そんな感じかしら?」

 なんだ?妙な言い回しだ。車はある、けど客は少ない・・・と言う事は、客がいるはずなのに、数が合わない・・・という意味なのかにゃ?

 私は続ける。

「長谷川社長たちも頑張っているんだから、私も頑張ろうってもんだわ」

 ビリーは私をチラッと見て、フライパンを火にかけながら応対した。

「彼らもここんところ、仕事が進んでいないみたいよ。働きたくても働けない、どこも大変なのよ」

 長谷川メンテナンスサービスの仕事は、スケジュールの空き待ちの状態のはずだ。仕事が進んでいない、動きたくても動けない状況、という意味か。それに、彼らとは、全員を指すものか。

「私が抜けて、時計塔のおじいさんも大変じゃないかしら?心配だわ、様子を見に行こうかしら?」

「迷惑だから、止めておきなさい。一人いれば充分なんだから、心配いらないわよ」

 一人いれば充分・・・確かに、私がどれだけ監視の人員を誘引しても、時計塔の監視なんて一人付いていれば充分というものだ。どうして、なかなか、計ったようにはいかない。

 ライラめ、意外に役職高いのか?どんだけ動員してやがる・・・。それとも、もっと上の誰かが私たちをマークしている?

「そういえば、このところライラに出会わないわ。彼女も彼女なりに、忙しいのかしら?」

「そうね、このところこの店にも来ていないわ。でも、あなたが会わないのは、動き回っているからじゃなくて?」

 ビリーが湯気が上がる、ペンネアラビアータをカウンターに出してきた。

 うっわ!旨そう!うっわ!ベーコン、いい匂い!

 ビリーが皿を置くときに、小声で告げる。

「マットの足跡はいつも監視しているけれど、変装している可能性もあるわ」

 私は彼の目線を追う。どうやら玄関マットの事らしい。

 なるほど。

 出入りする人の後について、姿を消した何者かが店内に入っていないかチェックしているという事だろう。宙に浮いていたり、背中に抱きついていたりすれば、それは看破できまいが、ビリーだってそれは知っているだろう。だから、さっきから会話にも気を使っているのだ。彼がここまで配慮している、ということは、今はそういう空気感だってこと。

「で、彼女は何なの?うっま!何これ?えっとつまり、ハンドラーたちの役職的には、どんくらい上なの?」

「お気に召したかしら?ベーコンのカリカリ具合が、絶品でしょ?何でしたっけ、ライラの役職?知らないの?ちょっと、本気?呆れた!このうさぎさんは、肝心なところが抜けているのね。ヴェリーヌ支部の支部長よぉ?この街では、ハンドラーとソーサラーの両方を統べる親玉なんだから。そんなのが担当なんだから、あなたもVI Pよねぇ〜」

 ペンネが2本ばかり、口から吹き出した。

 あ〜たぁ〜・・・不覚も不覚、むしろ迂闊。

 前科持ちで亡命者、そこまで警戒するか?・・・したのか・・・なら、仕方ない。

 敵を知り、己を知ればなんとやら。先人の教えは、大事にしよう!これからは。

 私がまた一つ賢くなったその時、食堂に駆け込んで来た者がいた。


「ここにいたか、バニーレディ!クラーラたちが消えた!」

 う〜ん、アダルト・・・て、え?

「ちょっと、大声出さないでよね、他にもお客がいるんだから」

 ビリーが慌てて静止に入る。飛び込んで来たのは、土師だった。血相を変えた彼は、今までの私たちのやりとりを無駄にしかねない。

「て、三人しかいないだろう、それよか一大事なんだ」

「よしよし、落ち着こう。それはつまり、子連れデートのつもりでランチを約束したのに、反故にされたのだね?気が動転するのも無理はない(小声で話せばかちん)、かわいそーに」

 良い子だよ、と頭をなでなでしながら、片手で首根っこを抱き寄せた。

「あ、ぁ、ああ、そうなんだ!11時の約束だったのに、2時間も待ったんだぜ!ひどくねぇか?」

 客たちが、耳だけこちらに向けながら、口元はにやけていた。

「まぁ、話だけなら聞いてやるから(隠れ家を用意したんじゃないの?)」

 土師の耳元で私が問いかける。

「シクシク・・・(集合場所に現れないので、連絡役に屋敷を偵察に行かせた)」

「そうか、そんなにあのオッパイが忘れられないのか!(先手を切られたわけ?それで?)わかる、わかる」

 土師は、芝居に乗ってきた。

「今は、少しだけお前の胸を貸しくれ(玄関が空いたままで、人の気配がないらしい)」

「逃したオッパイは大きいって言うからな(今はこれ以上、動かないで)」

「本当に、少しだな(しかし・・・)」

 ゴツン!と私は土師の顔面をカウンターにぶち落とした。

「あぶゅっ!痛ぅ〜(何でだ?芝居だろ!?)」

 ビリーが首を傾げて忠言した。

「今のは、失言よね」

 両手を広げて無言の抗議をする土師の顔を抑えて、私は立ち上がった。

「私が!何とかする!バニーガールにお任せあれよ!」

「・・・何とかって、できるのか?」

「泥舟がね・・・一艘だけあるのよ」

 再び席に座り、ペンネを頬張る私の姿に、客の誰かが「頼もしい」と呟き、談笑を促した。

「だから明日は、あなたも私の仕事、手伝ってよね」

「仕事?どんな仕事だ?」


 私は時計を確かめた。

 時刻は昼、昨日約束した通りの時間に、土師は冒険者の店に現れた。

「自衛官ってのは、みんな時間に正確なの?」

 私の素朴な疑問に、彼は挨拶の手を挙げながら答えた。

「藪から棒だな。まずはおはようだろ」

「おそよう、じゃない?」

「その日、初めて会ったんだからおはようでいいんだ」

 何、そのローカルルール?

「俺は、防衛大出だからな、集団行動、時間厳守、前向き発言は、常日頃から叩き込まれた」

「あはは、私には絶対、無理そう」

 印刷所に出向き、ドヤ顔のおっちゃんから、成果物を受け取る。

 綺麗に化粧断裁の上、三つ折りまでされた立派な印刷物だった。紙は少しゴワゴワするが、全てがジャパンクォリティとはいかないのは仕方がない。印刷屋のおっちゃんも、さぞや精を出してくれたのだろうと、その意気込みが伝わってくる丁寧な仕上がりだった。

「MAPか?これを配れって言うのか?今?何のため?」

「疑問符が多いウチは、まだ大勢を俯瞰できていない証拠ですぞ、土師くん。大局観を養いたまえよ。大巨漢を養うのとは違うから、そこは気をつけたまえ」

「何の話だよ(何だ、やけに絶好調だな?俺は昨晩、まるで寝られなかったぞ)」

「渡世術の極意さ!自慢じゃないが、学校もろくに通っていない私は、これ一本で生きて来たのさ!(私はぐっすり)」

 なんせ、二徹明けだ。

「さぁ、ぐだぐだ言わずに配りたまえ(準備はできてるの?そろそろ始めるわよ)」

「とにかく、通行人に配ればいいんだな?(お前がケツをしくじった場合に備えて、俺たちが大口を開ける手筈だ、時計塔の監視さえ排除できれば・・・可能だ)」

 前提条件が厄介だわね。

「じゃあ、私の真似をしてね」

 私たちは大通りを中心に、手配り活動を始めた。

「日本人向けの観光ガイドMAPをお配りしています!お試し用の第一版は無料配布です〜よかったらどうぞ!より詳細でタイムリーな第二版は有料で刊行予定です」

 土師がおどおどしながら、訪ねる。

「第二版どこで、売るんだ?」

「えっと、冒険者の店で売る予定なので、ぜひお立ち寄りください〜」

「いつ、売り出すんだ?値段は?それも言わないと」

 私は土師を肘で小突く。

「うっさいわね!いつでもいいのよ、そんなん!それより、時計塔の見張りは?」

「働き盛りの男が二人、ベンチに座って雑誌を読むフリをしながら、時折こっちを見ている。やっぱり、狙いは読まれているな、どうする?」

「今日は何もできないわ。二人を取り返してからよ。じゃぁ、あなたは全部配ったら、自分の仕事に戻って頂戴、私は別に行く場所があるから」

 何か言いたげな土師を残して、私はとある雑居ビルまで向かうことにした。

 土師の背中を見た際、中央広間に設置されているサイネージに浮かんだ文字が目に飛び込んできた。

『執政官の4期目続投宣言に対し、貴族会議は紛糾!内部分裂の様相深まる!』

「いつの世にも、どの世界でも、公共放送ってのは情報が古いものなのね」

 この街の建物はコンドミニアムが基本で、ポストもちゃんと並んで設置されている。そこへ、次から次へとガイドMAPを放り込みながら、目当てのポストを確認し、残りを全部ねじ込んでやった。

『ヴェリーヌ出版』

 文字が読めなくても、この程度の名詞ならば図柄で記憶できる。

 それは、冒険者の宿で見つけた、あのローズ語で書かれた地図の発行元だった。

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