第3話 黄金掘り

 この国の名は、ローザモンド帝国という多数の同盟国と属領を内包する、かつて隆盛を極めた覇権国家だ。住民たちは魔法を行使し、料理をしたければ指先で火を起こし、道が夕闇に翳れば杖の先に明かりを灯し、狼の遠吠えが聞こえれば遠くを見通し、家の改築ともなれば重いレンガを難なく持ち上げた。日常生活で魔法は随所で使われていたが、不思議なことに街並みは中世の西洋と酷似していた。魔法は生活を少し便利にする程度のもので、主に医療と建築においては専門職の力が重宝されていたが、魔法が存在しない世界から来た私が、理解に苦しむほどの奇想天外な世界構造となるほどまでには、その力は万能ではないようだ。

 小さな村がやがて王国となり、法を整備して民の生活を安全で豊かなものにし、一千年の歴史を経て帝国となった現在、民を束ねる者の名は、執政官エルベアト・アレスタ・ベアナード。先帝の戦死後、選挙によって皇帝代行を仕る官職についた。皇帝の戦死の理由と、先にかつて、と述べた二つの起因は、世界を襲った戦乱と、その後の荒廃からの復興が遅れたことによるものだ。覇権は、人々の安全と安定した食の確保、周辺国への安全保障が成されてようやく維持される。要は、人々の拠り所して国家が十二分に機能してこそなのである。ミレミアムの誉れ高い帝国を襲った戦乱は、苦戦を強いられ、周辺各国を巻き込んだ世界大戦へと発展し、この世界を荒廃の時代へと追い込んだ。いわば、中世の到来だ。

 襲来した者たちは、黒い布で全身を覆った異種族、北海の彼方より来訪した彼らは、古来よりカルニフェクスと呼ばれてきた人々だと言う。通称“黒い処刑人(エリミネーター)“たち。その出立ちが、民からの恨みを買い、報復を避けるために顔を隠す「首切り役人」に似ていることから誰かが名づけたそうだが、正確な種族の名称などは不明なままだ。あまりに排他的な呼び名なので『黒の民』としておく。彼らは、ローズの民とは異なる言葉を話し、古よりローザモンド帝国民、通称“ローズ“たちと敵対していた。

 当時のローズたちは、剣や槍など鉄製の武器を持ち、それら武術と同じように、殺傷力のある強力な魔法も訓練によって習得できた。その力で、森に住む野獣や山賊、蛮族たちの猛威を退け、文化圏を順調に拡大していたのだが、人類の絶対的優先性を象徴する魔法が、黒の民たちには通用しなかったという。それは、何故か。詳しい事は解っていないが、ローズたちが口を揃えていう言葉に“魂の座位“が異なる、という説がある。その詳細について理解するには、異世界の住民たる私たちにとって到底及ぶところではないが、確かなことは黒の民たちの前には、ローズたちの魔法が効力を示さないという事だ。生まれた時から慣れ親しんでいた魔法の効果がない、というだけでも、劣勢は免れないものだ。加えて“悪夢“がローズたちを苦しませたという。

 白昼夢、幻覚、そして死後の魂の安寧を失うかのような謂れのない恐怖心。深淵へ落ちるような絶望感。正直、それらがどんなもので、どんな苦しみなのかは、両者が分かり合えないのと恐らく同じ理由で、私にも理解し難い。しかし、ローズの民たちはそれを本能的に実感するのだという。

 40年前のある日、黒の民たちは大規模な侵攻に出た。北の海岸線沿いにある集落を次々と蹂躙し、根こそぎ奪い、火をつけた。その後の戦乱で、帝国とその周辺地域の主要都市は焦土と化し、耕作地を失い、文明は衰退した。数多の血が流れ、輝かしいはずであった未来が失われ、人々から笑顔は消え失せ、涙は枯れ果てたという。子どもたちは将来、戦士になる事だけを目標とし、殺意と使命感に瞳を染める・・・そんな悲しい時代となった。

 反抗の狼煙は、しかして、戦乱の狂気によって急発展を遂げた魔法の力によるものだった。

 命を差し出した戦士の身体に、異界から召喚した魂のコピーを宿すことにより、ローズの精神を苛む悪夢が無効化できることを発見した。数知れずローズの生命を犠牲にしつつ、異世界人が無差別に召喚され、魔法によって支配の呪いをかけられる。その後は、強制的に決死隊として最前線へと動員された。

 魔法の行使こそできないが、悪夢の影響を受けない異世界の戦士たちは、黒の民たちに対し、圧倒的な破壊力を示したという。私たちには想像することしかできないが、この世界の住民たちには、私たちが認知できる物質的なものとは何か違う、精神的な存在が付随しているのではないだろうか。まるで、相性でもあるかのように、戦況は一変することになるのだった。

 大戦末期、ローズたちの犠牲の上に成り立っていた召喚技術が刷新された。今までは魂の上書きとでも言うようなやり方であったのだが、人造人間への魂の“焼き付け“に成功したのだ。生物の一部を培養して作り出される人造人間は魂を持たず、故に人道的と判断されたのだ。焼き付けされる魂は、異世界から吸い上げた“複写“であり、これによりローズにも、異世界人たちにも犠牲を出さずに済む、平和的かつ人道的、そう結論づけられた。だが、それは大きな誤認であり、故に以降、この世界に大きな歪みを広げ続けることになるのだが。

 やがて、人造人間の身体は義体と名づけられ、魂を焼き付けられた者をホムンクルスと呼ぶようになった。全てのホムンクルスは、その魂を制御するために、例外なく呪紋の魔法を施された。うっすらと光る呪紋の刻印は、ホムンクルスたちにより“ラベル“と名づけられ、その通り名はローズにも広まることとなる。ラベラーたちと、それらを使役するローズの図式が誕生したのだ。

 魔法によって特殊な強化を施された義体は、類まれな戦闘力を発揮した。そして、黒の民たちの北海への撤退でもって、大戦は終結。奪われた地を取り返したローズたちは戦勝の喜びを享受した。しかし、その喜びの時も束の間、次に訪れた地獄は疫病の蔓延だった。帰還した軍団兵たちから世界各地に病は広がり、戦役で悪化した都市の衛生環境を席巻した。

 大戦終結後の調査で、ローズの総人口は半分以下にまで減っていた事が判明する。この調査結果により、ラベラーたちの新たな役割が生まれた。過疎化した都市部の復興作業だ。戦える人材から、インフラ整備のエキスパートへと魂の需要もシフトすることになるが、ローズたちは決定的な事柄において無知であったと言わざるを得ない。その真因となるものは、これまでの彼らの歴史に、奴隷という制度が生まれてこなかった一事にあると思う。同族同士の魂の繋がりを認知できる神秘性故なのか、あるいは、彼らのもつ本来の性善さ故によるところなのかは定かではないが、種の絶滅手前まで追い込まれた社会不安の渦と、低迷した文明レベルの危機の中、新たな未知の火種をその体内に抱えたまま、生理的な病のみならず、社会的な病に犯されつつある事に気づかぬまま、大量の奴隷を召喚して、復興は世界同時進行で、始められる事となった。





「へっぷしッ!」

 全身を覆う体毛が乾かぬうちに、煙突掃除屋を飛び出した私は、哀れにも凍えていた。労働基準監督署があれば、泣きついているところだ。

「あらやだ。変な流行病を感染さないでよね」

 マッチョな黒い肌の男、ビリーが鼻を摘みながらしっし、と私を遠ざける。ピンク色のツーブロックで、伸ば

した髪をポニーテールに束ねている。カウンターの中にいるこの妙ちくりんな奴は、異邦人就労支援宿舎、通称『冒険者の宿』の主人だ。この世界に召喚されて8年目、手の甲には“0310C“の文字が光っている。つまりこ

いつもホムンクルス。奇抜なデザインが特徴の義体は、個体識別が容易ではあるのだが、いかんせん、外見から

は年齢や性格が全く判らない。本人に聞けば良いのだが、こいつは25歳だと抜かし申した。従って、話し言葉

の内容から察するしかないのだが、25歳は断じて虚言である。私の人生経験で養った確かな人物観察眼は、40

手前と告げていた。

「差別的発言、誠に遺憾です」

「何よ、初仕事を初日の、しかもまだ日のあるうちに辞めて来ておいて、随分ご立派な口を叩くじゃない?」

「この道筋に伏兵ありと分かれば、大損害を出さないうちに直ちに撤退するのが名軍師の仕事というものです」

「名軍師ならば、挽回する算段もつけないとね」

「その前に、腹ごしらえをば」

 どん、と板を束ねたメニュー表がカウンターに投げつけられた。

 ここは、ホムンクルスたちへの仕事の斡旋、宿泊、社会適応のための教育のほか、食堂も兼ねている総合支援施設だ。1日働いたホムンクルスたちは、仕事先が住み込みでない限りは必ずここに戻る決まりとなっている。路地で寝たり、不穏なコミュニティを形成させないための施設でもあるのだ。ホムンクルスは慢性的な人手不足を解消するための労働力であり、個体によっては先進的な異界の専門知識を有するブレーンでもあるが、一歩踏み外せば、容易に社会不安の元凶と成りかねない危険な存在でもある。常に目を配り、管理されてこそ、帝国再興の礎となり得るのである!という訳だ。

 で、あるからして。主人は有料の食事メニューを我に与えたもうた。

 私は興味なさげにメニューの木板をパラパラとめくる。

 “三角牛フィレ肉のポワレ〜ルクレ茸のソテーを添えて〜200RB“

 慌ててメニューを閉じる。

「初日から離職した私に、金がある訳ないでしょうが!官給品を寄越して」

 ビリーはやれやれ、と腕を伸ばしてメニューを下げる。

「まぁ、そうでしょうね。しかし、官給品とはレトロな言い回しね。ここの支援食は、甘草粥よ。用意するから、ちょっと待ってて」

 人造人間の義体とはいえ、生理現象は人間と同じだ。腹も減れば、眠りもする。食が断たれれば、力を出せず、病にもなる。通常の現地人たちと違い、調整が成されている所為で身体は丈夫で、ある程度の怪我も自己修復できる。だがしかし、一度病にでもなれば、この世界の医療では半ば運に天を任せるようなもの。魔法の力で体内を浄化し、活力を増進させるらしいが、その効果がどれほどまでに論理的なものかは正直、眉唾だ。宿舎で病人を出して、流行病の病巣にされても困るから、労働力として最低限の機能を維持できるよう、私のような不出来な輩には最低限の栄養源を摂取させる。つまりは食事が用意されているのだ。不出来な輩を対象にしているのだから、当然無料だ。そして、宿代も掛からない。これも当然、宿賃がかかるのならば、ここには戻って来れなくなり、スラムの路上で屯するしか無くなってしまう。

 この、誰が名づけたのか冒険者の宿の運営費といい、ビリーのような働き手の人件費は、一体どうやって賄われているのだろうかと疑問が湧くものだ。それは、食堂経営や生活雑貨販売などの独自財源の確保だけでは、到底追い付かない。帝国市民たちからの人頭税、各自治体にかける1%の売上税、そしてホムンクルスたちが受ける仕事の報酬の一部が、自動的に運営費に充てられているそうだ。

 気にならない奴は気にならないのだろうが、私は違う。自分が置かれた周囲の、こういう背後関係を知っておいて損はないと思うからだ。それを知っているのと、知らないのとでは、判断基準を誤る可能性だってある。

「はい、どうぞ。特製ライススープよ。いつかはちゃんとお金払って、美味しい私の料理を食べて頂戴ね、うさちゃん」

「うさちゃん、言うな。バニーガールだ」

 ビリーが目を丸くしてから吹き出した。

「そこは、冠城玲遠だって、返すくだりが正解よ。しかも何よ、バニーガールって!うさぎ人間とか・・・そうね、それじゃぁ、あんまりだから気を遣って・・・時計うさぎあたりが落とし所じゃなくて?」

「バニーガールのどこが間違えだって?そもそも、落とし所なんていう妥協と馴れ合いの折衷案は、私には無用なの。バニーガールが、私の本名よ」

 木を丸く掘り抜いた器には、白いお米の粥が並々と注がれていた。鮮やかな色の葉物も一枚添えられている。ビリーのやつ、態度は些か愚痴っぽいお節介焼きだが、気は優しく繊細な感性の男と見える。

 私は心の中にあるランキングボードで、彼の順位を一つ上げてやりつつ、カウンターの上にある粥を木のヘラですくい、そして頬張る。

 すると、なんということだ!丁度良い熱さと、絶妙な塩加減にやられ、唾液が一気に吹き出してきやがるわ!

 彼のランキングを二階級特進させてやらねばなるまい!しかし、一方で「男のくせに生意気な」と僻む自分も抑え込み難い・・・乙女心は複雑なのである。

「働かざる獣に餌を与えべからず、ですわ。というか、家畜でいやがりましたわね」

 悪意と高慢さをレジンで固めたような、飛び道具にも似た声色が、私の後頭部に突き刺さった。ビリーが磨くグラスに歪んで映るその姿は、中世の貴族衣装にフライトアテンダントかホテルのコンシェルジュの衣装をミックスさせたような、どこか日本のアニメを彷彿とさせる奇抜なコスの女性だった。

 赤毛の前髪をサッと払い、その手は豊満な胸の下にクロスされて収まる。

 芝居がかった嫌な女だ。

 私は食事を続ける。

「あなた様のハンドラーがまかり越したのに、ガン無視なさいますの!?」

 ラベルに込められた自動翻訳機能の調子が怪しくなる。

「もぐもぐしながら、ほ相手するのも失礼かと思い、急いで掻き込んでるんふよ」

 私の口調が変なのは、口に粥が詰め込まれている所為だ。

 高慢ちきな女ハンドラーは、腕を崩さずにカウンターに後ろ向きに腰を引っ掛ける。

「もしもし、うさぎさん?仕事をお辞めになられたのならば、まず先に、何はともあれ、いの一番に、担当ハンドラーのこのライラさんにご報告を申し上げるのがキマリでやがりましてよ?ご存知でいらっしゃらないのか?このクソうさぎ様!それを、何をチンタラのうのうと味わいやがりながら、メシ食ってやがりますの?」

「うはじがげぇ」

「あん?」

 せっかくの絶品粥がもったいないが、一気に呑み込んで言い直した。

「うさぎ、じゃねぇっつたんだ」

 ライラは器用に眉を〜の字に曲げて、不機嫌さを全面に押し出して応答した。

「では、なんだと?小動物型ホムンクルスさん?」

「バニーガールだ!そもそも、この身体はお前らが勝手に用意して、私を閉じ込めたんだろ!」

「ぷっ、なーんだ。メスなのね。カブラギ・レオンは、男の名前だと伺っていたのもので、これは大変失礼をいたしやがりました。メスうさぎさん」

 恐らくだ、私の想像では、この女、これでも正常な丁寧語を現地語で話しているはずなのだ。ハンドラーは役人であり、この国の官職は気品であったり、モラルや規律にうるさい。目に余る者は出世コースから即座に除外される、下克上の激しい世界なのだと聞いている。だから、態度は無礼で横柄でも、表向きは穏やかな丁寧語を話しているだろう、と私は推測しているのだ。だから、問題は、翻訳機能の方にある。話し言葉ならばリアルタイムに翻訳して、直接脳みそに届けてくれる便利な魔法の回路なのだが、こいつはどうやら精神と直結している。複雑怪奇で多様な文体を持つ日本語のリアルタイム翻訳を、異世界の人間たちが可能としたのも、そういうカラクリ所以であろう。つまり、意識の架け橋をしているのであって、正しい言語に置き換える作業は、個々の脳に任せているのだ。よって、機嫌や蔑みなどの感情がそのまま脳に伝達され、如何に丁寧な言葉を選んでいようが、微妙な匙加減で持って、翻訳に影響を及ぼすのだ。

 よって、冠城玲遠という日本人の魂である私や、本名不明だが日本人であるビリーには、チグハグな日本語として認識されている事になる。それを、当の本人はおろか、恐らく全てのローズたちは知らない。故に、数十年、仕様を変更されずに現在も利用され続けているのだろう。

 だが、これは鏡のようなものだ。だから、私は彼女と話す際には、なるべく侮蔑の感情を排して接せねばならない。

「ガタガタ曰うな、おっぱいゴリラがっぶはっ!」

 ビリーが彼女の為に水の入ったグラスをカウンターに置くや否や、光速のスナップで、その中身を私の顔面にぶちまけてみせた。恐るべしは、ハンドラーの手首の強靭さよ。鼻腔の奥まで、鉄砲水が襲来だ。

「この世界では、獣よりも人間の方が上位でありますので、ご承知おきくださると良いですわ」

 そう言いつつ、音もなくグラスを置くとこれ見よがしにフレアスカートの脚を組み直す。

「それと、もう一つ。この世界では不祥事や暴力沙汰、器物破損につきましては、損害賠償責任がご発生します事をお伝え申し上げやがりますわ」

 胸ポケットから、一枚のパピルス紙を取り出して、私の眼前に突き出してきた。

 近いと、見えない仕様なんですが・・・。

 どれどれ、と顔を傾けて右目で見てやると・・・読めない。ビリーの店の品書きは日本語訳がついているが、これはローズの言語だけで記されている。

「ビリー、何て書いてるの?」

「あなたも読み書きを覚えないとね、何かと不便よ。『請求書 ランタン修理費 5RS』とあるわね」

 この国の通貨は住民の通称と同じくローズの名で呼ばれ、10000ローズ銅貨=100ローズ銀貨=1ローズ金貨

となる。つまり、5銀貨は銅貨に換算すれば500枚に相当し、その貨幣価値は日本円でおおよそ5000円。

「ちょっと、待って。高いでしょ!?あんなボロボロで、元から壊れかけていたひしゃげたランタンが、5000円もするわけないわ!新品が二つは買えるわよ!」

 ライラは眉一つ動かさずに答えた。

「ゴセンエンがどんな価値かは存じてねぇですが、使えるモノを使えないモノにご変換なされた責任について、この書類は貴方様に問うていやがるのです。問答は無用、呪紋からさっ引かせて頂きやがりますので、どうぞご承知おきを」

「うがっ・・・」

 慌てて左手の甲を見ると、光る文字で−500RBの数値が表示された。ご丁寧に不勉強な日本人にも識別できるよう、ラベルの表示文字は、日本語仕様だ。ちなみに、RBはローズ銅貨の略。

 所持金ゼロから始めた、この国でのアルバイト生活は初日からいきなり借金をする羽目となった。

「反論するお暇があれば、どうかあちらの掲示板をご覧あそばせやがれですわ」

 思わぬ打撃に目の下にクマの私は、ライラが親指で示す方向を亡者の気力で見つめた。

『こんにちワーク掲示板』

 もはや、今日の事なのか、ハローの事なのかも気にならない。

「そうそう、貴方のランクでも出来る仕事が入っているわよ。誰もやる人がいなくて、丁度困っていたのよ」

 ビリーがカウンター横の押し戸を開き、掲示板に掛けられた蝋板の一つを外して帰ってきた。

『求む!急募!対象職能ランク:不問、支給額:一日500銅貨、制服・昼食支給、内容:黄金堀り』

「ぷっ、あははは!これは、とても貴方様向きのお仕事が舞い込みましたことですわね!まさに天佑!どうぞ、全身全霊で持ってお励みあそばせですわ。また明日、お仕事のご報告を伺いに来てやりますので、今度こそ勤労に目覚めやがりなさい」

 態度の豹変ぶりに、不安しか感じない。

「誰も、やるとは決めてないわよ!」

「辞めでもしたら、外におっぽり出しますわ。貴方のような獣姿のホムンクルスの亡命者など、このヴェリーヌの他を置いて、どこにも受け入れ口など無いことをよぉく胸に刻んでおくが良いですことですわ!さて、明日の楽しみもできた事ですし、お忙しい私はこの辺でお暇させやがりますわ」

 まるで愉快で仕方がない、といった軽やかな足取りで、クソ鬼ハンドラーのライラは店を出て行った。

「ねぇ、ビリー。これって、相当やばいヤツなんじゃないの?」

 ビリーは何かを思い出した風に、ポンと手を叩いて奥に行こうとする・・・のを空かさず、エプロンのリボンを掴んで止まらせた。ビリーは困った表情を見せつつ、私に耳打ちする。

「お察しの通り。でも、必要なステップよ」

「私を弄んだら、後が怖いわよ?」

「離して頂戴」

 ビリーはウィンクして、奥に引き下がった。

 私は残りの粥を啜りながら、砂金採りの仕事内容を想像していた。


「おぅえええええーっ!」

 翌日。

 私は、今朝方食した官給食のパンとチーズを全て下水道にリリースした。

「サ・イ・ア・クだっ!最も悪だ!バッド オブ バッズ!」

 涙と鼻水と唾液を同時に噴き出しながら泣き喚く私を、雇い主である個人事業主、長谷川メンテナンスサービスの社長が困り顔でなだめた。

「返す言葉もないよ・・・本当に申し訳ないけれど、今日中に5箇所の清掃を終わらせないといけないんだよね。後生だから耐えてくれよ?明日からは、別の仕事を用意してあるからさ」

 長谷川は面長垂れ目の温厚そうな人物だった。丸縁メガネがその印象をより強調している。身体は人造の義体であるから、人相学はアテにはならないのがラベラーなのだが、彼の場合はその口調や腰の低い態度から違和感なくそう感じられた。義体にもメガネが必要な場合があるのは、初耳だったが。

「ほら、こうやって下水管の周りにこびりついて硬くなったモノをスコップで削ぎ落とすんだ」

 翠色の光を放つランタンで照らしながら、生真面目に作業のコツを素人の私にご教授いただく。

「これを適当に済ませると、モノが上に向かってどんどん溜まってしまって、そりゃ一大事になる。想像すると笑えるけどね。あ、それと菅は焼き物で出来ているから、割らないように注意してくれよ?」

 モノとは、ストレートに言ってしまえば、人糞だ。これを黄金に例えるなんて、なんてナンセンス!

 人前で『ジンプン掃除』なんて言うのもはばかれる故の隠語なのだろうが、せめてこんにちワーク掲示板には正確な情報を記載して頂きたい!

「ファンタジー世界の裏側、恐るべしだな・・・」

 少し作業をしただけなのに、スコップを杖のようにして腰を労わる長谷川。

「うーん。義体なのに、腰が痛くなるって初期不良なんじゃないかなって思わない?」

「それは、引きの問題じゃ?そもそも、私なんてご覧の通りニンゲンですら無いですけどね!」

「あぁ、なるほど。自分が恵まれている事に今になって初めて自覚できたよ。この掃除の話だけれども、実は日本でもある仕事だよ。古代から現在まで続いている、歴史ある大事なインフラ整備なのさ」

 言い方をちょっと変えただけで、存在意義が高まるのだから言葉って不思議だ。

「に、してもですよ・・・」

「うん。に、しても、だね」

 長谷川と場所を変わり、スコップでカッチコチになった糞を崩し、下水に放り込んだ。空気に触れていなかった部分が顕になると、素材本来の持つ新鮮な香りが漂い、私の鼻腔を秒で破壊した。


 早朝から始まった作業は、昼前に終了した。何でも、午後になると臭いがキツくなるので早い時間帯か深夜に済ますのだそうだ。いや、もう二度とやらないから、そんなトリビア要りませんが。

 長谷川メンテナンスサービスの事務所には、資材置き場を兼ねた中庭があり、ありがたい事に井戸を備えていた。そこで私は支給されていた作業用のツナギを脱ぎ捨て、体毛にこびり付いた臭いを丹念に洗い流す。

「嫁入り前なのに・・・汚されてしまった・・・」

 今日の作業1日で、私は何か大切なものを失った気がした。

「嫁入り前なのに、人前で素っ裸になれるなんて、体毛があると不便だね。ほら、お湯を用意したから、温まるといいよ」

 湯気をあげる桶を脇に置いてくれた。社長の優しさが、傷心の乙女の胸には沁みるものがある。

「下水の様子は、大体掴めたかな?どこも同じような作りで、中央の溝の両側に犬走りのように側道があって、移動は容易だ。高さも2メートル以上は確保されている。この街のほぼ全てを網羅していて、まさに、地下迷宮だよ」

「地図はあるの?」

 長谷川は使い古されてボロボロになった羊皮紙を広げた。

「下水道庁から支給される地図だ。複製は禁止されているよ」

 彼から大きな布を受け取ると身体を拭った。男性の隣で全裸でいるわけだが、今まで出会った男性は誰も妙な目つきで私を見てきた事は無い。自然と私も慣れてしまったのだが、慣れとは怖いものだ。

 地図を広げると、複雑に入り組んだ簡略された線と、さまざまな記号で構成されていた。

「この端に幾つもある×印は?」

「侵入禁止のマークさ。鍵がかかった格子があって、先には進めないんだ」

「ふーん。なるほどね」

 私は羊皮紙を丸めると、社長に返した。

「あれ、もういいのかい?」

「複製できないんでしょ?覚えたからダイジョーブ」

「本当かい?すごいね、君。着替えのツナギを置いておくから、着替えたら事務所に来てくれ。雇用契約なんかの提出書類を作らないといけないんだよね。それと、ツナギはそのまま来て帰るといい。着替えも無いのだろう?」

「感謝です」

 太めの人用に作られた青いツナギの胸元には、HMSの刺繍が施されていた。長谷川メンテナンスサービスの略なのだろう。はたして『サービス』は社名に必要なのだろうか。

 手足をぐるぐると巻き上げて、自分のサイズに調整すると、沢山の書類棚で整頓された事務所に行く。

「綺麗にしていますね」

 打ち合わせ用のソファーに腰をかけると、ご丁寧にお茶を運んで来てくれた。

「日本茶とはいかないけれど、まぁ似たようなものだよ」

「ありがとうございます。お仕事はお一人で?」

 お盆を戻した彼は、代わりに数枚の書類を手に戻り、私の向かいにゆっくり腰を下ろした。

「痛てて・・・。今日は本当に助かったよ。腰が弱くてね・・・以前にも二、三人雇ったけれど、今の義体はパワーが無くてね、それに中身も現代っ子だし。長続きしないのよ」

 書類を広げる彼の左手の甲には、『1108』の数字が光っていた。11はサービス・メンテナンス・清掃・運搬に関連する職能適正を表し、08は貢献度の評価を示す。労働力として、まずまずの信用度がある事を意味していた。

「もう、長いのですか?」

「うん、まぁ、かれこれ10年かな」

「そう・・・ですか」

「はは、まぁ、あれだ。一念発起というやつだね」

 個体差はあるが、一般的に義体の稼働時間の限界は10年と言われている。彼の腰の痛みや、メガネの理由は彼の身体の寿命が近いという知らせであるのかも。

「最後に、貢献したい」

 彼は声をひそめて、私の目を見た。

 私は人差し指の爪の先で、机をトン、と叩いた。

「君の目は、なんかあれだね。どこ見ているのか判らないね」

 と言って長谷川が笑った。

「よく言われます」

 私も前歯を見せて笑い返す。

「さぁ、書類を書こう。まったく、こういうところまで日本を真似なくても良いだろうに。この世界の人たちは、妙に律儀だよね。勤労意欲は薄いくせに、組織運営だけは真面目なんだから」

 パピルス紙の書類には、魔法省の箔押しがされていた。

 ラベラーたちの勤務先、勤務態度、職能評価を報告する事は、雇用主に義務付けられている。賃金の一部を納税する仕組みなのだから、賃金が正当な対価であるのかも判断されるのだ。ラベラーが従順に勤労に励むように、手の甲には魔術回路が施されているのは、前述した通りだが、『呪紋』と名付けられ、当事者である私たちは自虐を込めて『ラベル』と呼んでいる。それを操作する者は、ローズモンド帝国の住民の中でも、魔法を使う事を仕事にしている魔術師たちだ。故に、私たちの情報を管理するのは『魔法省』となる。何に関しても魔法で対応するローズたちにとっての魔法省は、いわば役所と同義でもあった。さまざまな部署を内包し、ローズたちを対象とした行政も執行する。皇帝不在の現在、執政官を頂点とした帝国の支配体制は、貴族会議が内閣の役割を果たし、魔法省が行政執行を担っている。皇帝不在の理由は後述するとして、今は、外の通りが何やら騒がしくなってきていることに注視したい。

「おや、懲りないね・・・」

 色彩豊かな髪の毛と瞳の色の集団。一見して判る人造の義体に魂をコピーされたホムンクルス、ラベラーたちだ。その小集団が、プラカードを掲げて、しかし静かにゆっくりと、通りを歩んでいた。

 無言の抗議。

『送還実行』

『行動の自由』

『人権の確立』

 大人しめに書かれたプラカードの文字。

 通りがかったローズたちが、慌てて距離を置く。封建社会を営む彼らローズたちにとって、親しみの薄いそれらの言葉は、ある種の宗教染みた猜疑の眼差しで受け止められていた。召喚された魂の複写を元の世界へ還す手段は、まだ存在しない。考えてみれば、その実現の可能性は極めて低いものかも知れない。なぜなら、データに例えるならば、コピーしたものは戻すのではない。消去するものだからだ。もしもそれが可能になったとしても、魔法省はそれを公表するだろうか?毎年十数万人という労働力を得て、ようやく文明社会を復興しつつあるこの世界の住民たちが、同じ手間を用いて還すとでも?

「アルタイアの影響は、やはり大きいね。きっと、もう収束でき無いんじゃないかな」

 私は窓の外を冷めた目で見つめる長谷川を見た。

 人権を掲げて帝国の同盟から脱退した、ラベラーが治める国。その領土は、ラベラーたちを集めて管理するために魔法省によって改修されたこの街、ヴェリーヌ城市に隣接する。この街は、ラベラーに対する政策において保守派の最前線とでも言える位置にある。城市には城壁沿いに結界が張られ、ラベラーたちの外出を許さない。行動の自由を認めようものなら、こぞって隣国に駆け込むであろうことは誰の目にも明らかだ。まずもって、事の本質はその『誰の目にも明らかな』状況に蓋をしている事なのだが。

「ソーサラーたちだ」

 長谷川が両手で顔を覆った。

 デモ行進の終結は、いともあっけないものだった。

 治安部隊に位置するソーサラーという組織は、強力な事象介入の魔術に長けている者たちで構成されている。雷や炎といったファンタジー世界の魔法らしい魔法を使える者たちだ。だが、ホムンクルスには元来それらの耐性が与えられている。戦闘用に端を発しているからなのだが、それでは魔法に長けている者にとっては管理するに支障がある。その問題を、ラベルの呪術回路の中に彼らが一言唱えるだけで、影響を与える事ができる仕組みを事前に施すことで、解消させた。ラベルの番号はある程度の距離ならば認識が可能で、決めれたワードを一言唱えるだけで、対象の身体は硬直し、その場に倒れ込む。後は、石畳に転がった身体を担ぎ上げて、荷車に投げ入れれば鎮圧完了、という寸法だ。

 日常を取り戻した通行人たちは胸を撫で下ろし、安心して晩餐の買い出しを続けることができた。

 私は自分の手の甲に光る文字を見た。

 −500RBの数字は、念じるだけで『1104D』と変わる。

 11は長谷川社長と同じ職能適正を表し、04は彼よりも劣る評価。Dは彼には無かった別の意味を持つ。

「例外評価があるなんて珍しいね、確かDは・・・」

「不具合よ」

 適合不良、記憶障害、身体機能リンク不全、とにかく不具合。

「それで、うさぎなんだね・・・」

 妙な形で納得をされた事には誠に遺憾であるが・・・まぁ、あえて訂正する必要もないだろう。

「アルタイアからの亡命者で前科持ち、しかもD評価とくれば、ハンドラーも気が気じゃないだろうね」

 彼はどこかぬるっとした明るさを取り戻したように、そう言いながら笑った。

「ヘンテコな言葉遣いの鬼ババァが担当よ。もう、最悪!」

「翻訳機能に異常があるんじゃない?一度、調べてもらった方がいいよ。ラベルの術式は精神に直結しているからね、回路に異常があると魂が焼けてしまう可能性だってある」

「うわ、なんかひどく痛そう・・・」

「はは、そうだね。まぁ、僕も良くは判らないけれど、そんな事を聞いた事がある、というだけさ」

 コピーされたり、ペーストされたり、消去されたり・・・魂って何なんだろう?

 荷車に積み込まれ、まるで市場に運ばれる冷凍マグロのように扱われるデモ行進の参加者たち。最後の一台が通りから移動していくと、街は何事もなかったかのような平穏な空気を取り戻した。

「彼らはどうなるの?」

 私の問いかけに、社長は再び表情を濁らせた。

「魔法省に独房があるから、そこで反省を確認されるまで監禁されるだろうね。僕たちはあくまで寿命の短い労働力だから、実のところ矯正とかに手間をかけられる事は無い。最近、召喚されている日本人たちに、そこまで激しく反抗する気概がある者も少ないしね。さっきのも、おとなしいデモ行進だったろう?そうやって、互いにバランスを取っているのさ。ローズたちからすれば、たまに反抗しても良いけれど、分を弁えるように、とね。だから、きっと、近いうちに保釈されるだろう。罰則金はラベルの口座から差っ引かれるけどね。そんなところは、クールで嫌いじゃないけどさ。ささ、早く書類を仕上げてしまおう」

 ローズたちは、デモ行進をラベラーたちのガス抜き程度にしか考えていないのかも知れない。ソーサラーたちが住民の前でその存在意義を示し、労働対価を罰則金で回収する。彼らは、バランスが取れていると本気で考えているのかも知れない。だとしたら、紛争の火種はゆっくりと膨張するばかりだろう。

「今日は、これで終わりにするから、帰りに近くのお店を見ていくといい。仕事の後に食事を買ったり、余暇を過ごしたりして、お金を使う事は健全な消費活動だ。それにここらはきっと、君にとって快適な地区だよ。何せ日本人たちが多くのお店を出しているからね」

「ぜひ、見ていきます。おすすめはありますか?」

「そうだな・・・カラオケとかタピオカとかもあるけど。そうそう、君は時計を持っているかい?ローズたちは時間を魔力で感じられるようだけれど、労働を強いられる僕たちには時計が必須だ」

「そんな精密な物、あるんですか?まさか、腕日時計とか?」

「あははは、いいね、それサステナブル。でも、ちゃんとした時計だよ。寄っていくといい」

「はい。ぜひ、そうします」

 何と言っても、うさぎには懐中時計と相場が決まっているじゃないか!


『カラオケパブ』『メイド喫茶』『寿司』『にこにこローン』『イタリアン』・・・朝には見なかった立て看板が、通りにちらほら現れていた。日の出から昼すぎまでが労働の時間とされているこの国では、サービス業のゴールデンタイムは昼過ぎから日没までなのだ。しかし、どこかで見たことのあるような店名で、その一部を別の言葉に置き換えている店が多いのは、日本人の倫理観なのか、ギャグのつもりなのか、あるいは望郷の想いを馳せているものなのか。

 ひときわ大きな猫のイラストが描かれたカラオケ屋の横を通ると、中からアニソンの熱唱が聞こえてきた。どうやら個室ではなく、スナック方式とでも言えばいいのか、大部屋で食事をしながら歌う方式らしい。興味本位で窓から中を伺うと、客は派手な髪の色や、さまざまな瞳の色のラベラーたちが大半だった。窓から覗く姿は、中からは目立つようで何人もと目があった。大きなうさぎの姿にびっくりしてから、手をひらひらと振って招かれるが、流石に一人で乗り込む度胸もないので、愛想笑いとお辞儀をしてスルーする事にする。この容姿をいじくりたいのだろうが、私はそこまで社交的な人間ではないだ。愛想笑いをした時に、若干、引かれていた気がするが、そこも含めてスルーしておこう。当初の目的通りに、隣にある質素な鋳物の看板が吊り下げられた、金物屋の扉を開いた。

 店内は鉄と油の臭いで満ちていた。

 ずらりと並んだ棚には、無数の小箱が並び、何種類ものネジや釘、何に使うものだか分からない金具までさまざまな金属製品が詰め込まれている。例えれば、ホームセンターの金具コーナーみたいだ。

 だが、レジの周りの雰囲気は一変して、大小様々な壁掛け時計が並んでいた。

「お、モンスターじゃないよな!?」

 短髪に刈り上げた若い男が、レジの奥で腰を上げていた。

「だとしても、ご覧の通りスライムレベルの強さですから、どうかご安心を」

 男は目をぱちくりさせながらも、どうやらラベラーだと察したようだ。

「いや、あれだ。済まなかった。初めてみる義体だから、度肝を抜かれたぜ」

 机にはバラバラになった時計らしき物体があり、その部品を皮布で磨いている最中。時計のレストアでもしていたようだ。その部品がポロリと手から落ちるのも気づかず、まだ私の顔を眺めていた。

 意外にすんなり受け入れた長谷川社長の方が、レアケースだったのだ。

「いや、しかし。すげーな、リアルだ」

「それほどでも・・・」

 リアルだからね!でも一応、謙遜してみせる。

「しかし、どうしてうさぎなんだ・・・しかも、なぜ、二足歩行・・・」

「何なんでしょうねぇ〜。私もホムンクルス技士の趣味趣向を疑うばかりですよ」

「だ、よな・・・すまん。君に聞いてもはじまらない事だ。でも、不快じゃなかったら、もっと良く見せてくれないか?うさぎは昔、妻が飼っていた事があってね」

 ほぅ、所帯持ちか。

 レジカウンターに近寄ると、両肘をかけて身体を持ち上げた。

「こんな私でお役に立てるなら」

「うぉぉぉ、耳、フッカフカだな!耳かきとか大変じゃないか?」

 うわ、こそばゆい!

「すっごい、細かいですね」

 カウンターの上には、皮のシートの上にびっしりと金属部品が広げられていた。店内のランタンの光を反射してキラキラと光るその部品たちは、くしゃみでもすれば飛んでしまうのではないかと思えるほど微細で精緻なものだった。

「あぁ、腕時計の部品だ。分解して磨いていたんだよ。君も時計に興味があるのか?」

「えぇ、もちろん!せっかくうさぎに転生したんだから、時計は必須じゃないですか!?」

 耳をモミモミしながら、男は相槌を打った。

「不思議の国のアリスか。概要しか知らないが、君は好きなのかい?アリスが?」

「枕の脇にいつも置いて寝るほどには、好きでした。で、ちなみに私は女です。是非とも、ここは一つ、バニーガールとお呼びください」

 男は慌てて手を戻して、頭を下げた。

「そ、それは失礼した!レディの耳をなんの遠慮もなく揉んでしまった!面目ない!」

 お、まともな性格。

「いえいえ、お気になさらず。そんなことよりも、懐中時計もあるんですよね?」

「あぁ、もちろん!待ってくれ、おすすめを用意するよ」

 皮のシートを部品ごと包むとそれを脇に寄せ、男は若干慌てた様子でカウンターの奥にある部屋に下がった。私はカウンターから降りて、しばらく店内の様子を伺うことにした。

 決して広くはない店内には、金具や道具類のスペースが7割、時計に関するスペースが3割、といった感じだ。今の店主の印象からすると、生活のため金物を扱い、時計は趣味というか夢の範疇か。時計に関しては生活基盤となり得るほどの売り上げは無いだろう。その内情はレイアウトにも現れていた。金物は脚立が必要なほど高い棚に、小分けに整理された箱がずらりと並び、綺麗に整頓されており、利便性を重視している感がある。それに比べて、時計の展示は形状に合わせて壁に掛けたり、飾り棚に並べられたり、あるものは天井から吊り下げられたりして、全体が被らずに一望できるよう工夫が施されている。演出重視、とったところだ。おそらく高価なのであろう、腕時計などは綿を詰めた小箱に収められ、ゆったりとした間隔を開けて優雅に展示されている。単に値段や、特別感を醸す演出というだけではなさそうだ。そこには、時計に愛情を注いでいる、店主の情熱ぶりが伺い知れる。

「お待たせしたね。どうだろう、君・・・じゃなかったね。えっと、バニーさん?」

「バニーガールですが、別に君でもおかしくは無いと進言します」

「よくしれっと言えるね、こっちがなんだか恥ずかしいよ・・・えっと、じゃぁ君には、レトロな大ぶりの懐中時計が似合うと思うよ。これなんて、どうだろう?」

「頭のパーツとか、何気にデカいですからね、私」

「いや・・・別にそういう意味じゃぁ」

 私は彼の差し出した銀色の懐中時計を見て、心が華やいだ。

 それは、高級ブランドショップの曇りのない輝きを放つ、キラキラした時計では無かった。むしろ、手作り感すら残した鈍い光沢と、オリーブを模した飾り彫刻の太く力強い素朴さが私の心を打った。

「すごぃ、すっごくいいと思います!ルイス・キャロルの世界から飛び出したかのようなロマンを感じます!」

 ご当地キャラの如く、むっくりとした私の手にも納まりがいい!そして、しっかりと重みのある存在感も、むしろ私の琴線をシャウトした。

「気に入ってくれたようだね。嬉しいよ」

「これ、もしかして、一品物ですか?」

「あぁ、そうだよ。工房に特注した部品をここで組み上げた物だ。そもそも、時計屋なんて、この世界では珍しいから、ほとんどが一品物だよ」

「じゃぁ、作者って、もしかして・・・」

「あぁ、俺だよ。何だ、そんなに好反応だと、逆に恥ずかしいな」

 時計文化のない異世界でこんな物を創造するなんて、すげぇ!神か!?神なのか!?

「だが、全部特注だから、値段は張るぜ?」

 値段なんて、需要と供給の理念からすれば、お高いのは当然でしょう。だがしかし、私は手書きの値札を読んで、思わず吹いてしまった。

「5金貨!?金貨!?」

 男はすまんね、と言いながら頭を掻いた。

 いや、ハイブランドを念頭に置けば、決して高すぎるという物ではない!で、あるのだが・・・休みなく糞尿をこそぎ落として100日分!

 妥当なのか・・・妥当なような気もして来た!

「おぃ、呼吸が荒いぞ、大丈夫か?」

「ろ、ローンで・・・」

「いやいや、無理するなって。こう言っちゃ悪いが、どう見ても、それほど稼ぎがあるようには見えないぞ?な、一度冷静になれ。深呼吸するんだ、ゆっくり、スー・・・ハァ・・・時計は逃げない。金が出来てから、また見に来ればいい」

「オナジモノハフタツトナイ」

「おぃ、それは俺のセリフだ!気をしっかり持て。時計が無くても生きてはいける!」

 男は私の肩を掴んで、揺さぶった。

「懐中時計の無いうさぎなんて、ただのうさぎですよ」

「ゴメン。それは俺には理解できん闇だ」

 男は別の小振りな懐中時計を取り出して、私に見せた。

「すまんな。それは自信作だったんで、ぜひ見て欲しかったんだ。ちゃんと安めの物もチョイスしてある。これなんてどうだ?小振りだが、正確だぞ?ローズたちにも、数人の買い手がついた人気の品だ」

「いえ、いいんです。お金は入る予定なんで。それに、ローンがあった方が、何かと都合が良くて」

「本気で言ってるのか?何回払いで払うつもりなんだよ」

「・・・24回で」

 男はしばらく私の目を見てから、自答するようにつぶやいた。

「・・・まぁ、俺は構わないけどな。むしろ、ふさわしい貰い手が見つかって、こいつも本望だろう。よし、24回払いでローンを組ませてもらうぞ」

 会計用の虫眼鏡のような器具を取り出した。現金を持たないラベラーに対する支払いは、特殊な魔道器を介して呪紋を書き換える作業で行われる。

「名前を教えてくれ」

「バニーガールですぞ」

「・・・いや、魔法省に登録されている正式名称なのか?だったら問題ないが」

「説明が複雑なので、紙に書きます。ペンを所望します」

 私はツナギの懐中から紙片を取り出し、そこ余白に自分の名前を書いた。

「その・・・文字は・・・」

「カブラギ レオン読みます」

「いや、その赤黒い文字だ。血文字なのか?」

「とある貴族の暖炉の中から拾った、単なる切れ端ですよ。燃えカス、といった方が正解でしょうか。燃やすくらいなので、要らないものなのでしょう。しからば、窃盗とは言えません」

「そんな事じゃ無く・・・」

 男は唸るように小声でつぶやいた。

「それにしても、解しません。生活基盤もあり、趣味もお持ちで、どうやら夢もおありのご様子。だのに、こんな危険な橋を渡ろうとは・・・昨今の義体の寿命は短いと聞きます。異世界での生活を謳歌しても、誰もあなたを責めたりはしないのでは?」

「お前・・・」

 男は鋭い視線を店の外に送った後、顔を伏せて、口元を覆いながら私にだけ届く声で問いかけた。

「見張られているのか?」

「どうでしょう?気配は掴めませんが、慨然性としては、ほぼ100%です」

「なんで、そんなナリなんだ?目立つだろう?」

 私はペンで耳を掻きながら、答えた。

「こればっかりは、私の自由意志の賜物では無いもので。でも、これはこれで、表情も読まれにくくて重宝はしてますよ?兎に角、です。今はここまでしか判っていませんが、辿る糸口には成ろうかと?」

「解った。追ってみるさ」

 男は分割払いの契約書を作成すると、魔道器でスキャンした。

「って、所持金ぴったりゼロじゃねーか!?よくこれで店に入って来れたな!?」

 長谷川社長は、早速本日のお給金を振り込んでくれたらしい。なかなかに、誠実なお方でいらっしゃる。

「また、ちょくちょく顔出しますので、どうぞご贔屓に!」

「それも俺のセリフな。てか、自己紹介がまだだった。俺はこの金物屋の店主、土師 暁(はしあきら)だ。これからも、ご贔屓に頼むよ。時計の話をまた聞かせてやる」

 短髪の時計職人土師は、屈託のない笑顔でそう返してくれた。

 彼は懐中時計を木箱に梱包すると、それを巾着に入れて渡してくれた。

 受け取る時に、カチャリ、と袋の中で金属音がした。

「おまけ付きだ」

 この日から、私は仕事帰りに足繁くここに通うことになる。

 店主の名前は土師 暁。年齢33歳、男性、黒の短髪、茶色の瞳。長身で均整の取れた肉体。ラベリングのナンバーは0107、珍しく軍事関連の適合者だ。元自衛官で厚木基地第4航空群所属、3等空尉。哨戒機P1機上整備員の前歴。妻子あり。子どもは二人おり、現生では6歳の長男と3歳の長女。召喚歴2年と11ヶ月、趣味は時計いじり。工房から部品を仕入れ、工務店へ卸す金物屋として独立。いずれ時計職人として事業の成功を夢みる。

 この世界に召喚された時、下の娘さんはまだ、生まれたばかりだったという。




 一方その頃、魔法省の地下深く、人の出入りが無くなって久しい、暗く湿気を帯びた廃棄区画にて、ライラは陰気な表情で腕組みをしていた。

 人の気配に気づき、指を鳴らすと、狭い部屋に魔法の明かりが灯った。

 眩しそうに片手で目を覆う人物が照らし出される。

「このような場所があるとは、知りませんでした」

 男の声には、尊敬の影に、少しの怯えが含まれていた。

 彼は、召喚儀式の執行官も務めたことがある、魔法省のエリート幹部。青年将校の中でも、頭脳ではピカイチの出世頭だ。以前の副官を見限ったライラの有能極まる新しい腹心。

「この街は、古い遺跡の上に建てられているから、地下にはこういった廃墟が無数に存在してやがるのですよ。知らないでございますか?反抗的なラベラーたちや、貴族同盟の穏健派が根城にしているのも、こういった空間なのでございます。さて、人払いは完了済み、さっさとご報告を聞かせやがりなさい」

 腹心は緊張を隠せず、どもりがちに応えた。

「あの、お言葉を返す非礼をお許しください。私のセンスでは、人払いの術式の気配は感じられません。極秘任務との事ですので、もう一度お試しいただいた方が・・・」

「私を誰だと思ってやがるのでございますか?感知できるような人払いなら、それこそ本末転倒でございます」

「そ、そうですね。おっしゃる通りです。お見それいたしました。どうか、無礼を重ねてお許しください」

 年の頃なら二十歳そこそこの腹心は、姿勢を正して非礼を詫びた。

「良いですわよ。例の義体の出どころは判明しましたですか?」

「召喚術師の記憶に潜入して得た情報があります」

「ほぅ、随分と危ない橋を渡ったもの」

「気絶させてからの潜入ですので、夢も見ませんから足は付きません。そこは保証します」

「承知。で、ローズの召喚士は帝都にいやがるはずですが、まさかそこまで?」

「いえ、アルタイア王国からの亡命者で、今は魔法省の記録管理課で冷や飯を食っている小役人です。保護プログラムによって身分は改ざんされていましたが、その痕跡さえ見つけて仕舞えば、対象はごく少数に絞られます」

 ライラは両手をかざして、その努力と成果を誉め讃えた。

「流石でやがります。ホムンクルスの知見に長じていると、見込んだだけの甲斐があったというもの。私は現場の人間ですので、研究については素人同然。早く聞かせやがれです」

 上官の北方訛りに、どうにも調子が合わない様子の部下は、何度も湿気を帯びる額を布で拭い続けた。

「はっ。結論から申しますと、件の人物はアルタイアが開発した第3世代の義体のようです」

「第3世代?」

「は。エリミネーターに対して有効な戦力として製造される強化義体の開発は、当初アルタイア王国がその先陣を切っていました。昨今、帝国でも運用されている技法は、アルタイアが公表した第4世代以降の技術をベースとしたものです」

「まずは、義体についてさらにお詳しく知る必要がありやがりますね・・・続けよ」

「は。では、まず第1世代から順にご説明いたします。これは、アルタイア人の身体を投薬と魔術付与によって強化するものでした。しかし、犠牲の割に効果薄として、次世代型の開発が促されます。その第2世代目で義体が初めて開発されたようです。魔術刻印を十全に施した義体は魔術耐性が高く、障壁もパッシブに機能しており、黒の民相手にもその有効性が証明されました。しかし、義体に定着できる魂のマッチング率は低く、アルタイア人の魂を相当数、消費したようです。次に開発されたのが第3世代です。第3世代は、義体の強化も著しいですが、何より画期的な改良が施されました」

「異世界人の魂を召喚する方法・・・」

「は、ご名答です。異世界人の魂ならば、エリミネーターの魔術、悪夢の干渉を大幅に緩和できることが分かり、魂だけをこちらの世界に複写する技法が考案されました。魔術付与で強化された肉体に、座位の異なる魂により、対エリミネーター兵器が完成したわけです」

「しかし、どうすれば、そんな事ができやがりますの?」

「ぇ、それは・・・大気中の魔法素粒子を隔離してから、プラス因子とマイナス因子に分解します。プラス因子だけを異世界に移送させると、残されたマイナス因子は元の形を取り戻そうと働きます。この作用を利用して、魂を吸着させるのです。実務的な手法については機密とされていますが、この概要論は、魔術学院の高等教育課程の1年目にご受講なされているはずです」

 若者は言ってから、しまったと口を摘むんだ。自分の能力に自信があり、失敗経験の少ない若者にありがちなミスだった。

「お調子をこいたと、反省しやがりまして?気にしないで結構、私は飛び級ですので、もう10年も前の事。現場では使わない知識ゆえ、もう忘れてやがってもお仕方ないでしょう?にしても・・・複写と言うよりも、魂の一部を乖離させて、引き剥がすような印象があるのでございますが、異世界の本体には影響は無いもの?」

 青年将校は、淡々と答える。

「確か、無気力や自殺願望といった精神負荷が現れる可能性について、述べられた研究論文がありましたが、私もそれ以上は存じ上げません」

「ま、所詮は別世界のお人のこと、良心の呵責があっては奴隷はお扱いづらいというものでやがりますわね」

「いえ、戦乱期については弁明もできませんが、現在では決してそのような扱いでは無いものと認識しております。帝国もアルタイア王国の経緯に敏感になっているところですし・・・あの、お聞きしづらい事ですが、今後のためにも、長官のスタンスを確認したく存じます。ラベラーたちの処遇について、改革派・・・なのでしょうか?いえ、私はどちら側にも重きをおいてはおりませんが、念のため真意をお伺いしておいた方が、お役に立たせていただく上で賢明かと思いまして・・・」

 青年は人払いの呪法だけでは不安になったのか、あたりを見渡しながら、声をひそめて問うた。

「私もどちらでもいいと思っておやがります。ただ、利用できる状況があれば利用するだけのお話。正直、保守派も改革派もどうでもよろしいのでございます。むしろ犬に食わせろ、でやがりますわ。だから、気にせず、話を戻しやがりましょう。ホムンクルスは、労働力として年間10万体を超える生産ラインが敷かれてやがるはずですが、その寿命は年々短くなっているとお聞きやがりますね」

「は、その通りでございます。労働力として活用できる最低限のスペックを目指して、安価な生産を目指して以来、その稼働時間は短くなる一方で、今や5年を切るケースも多発しているらしいです。これに対しては、研究者たちも難儀をしているようで・・・それに対し、件の第3世代は最も長寿であると言われています。ですが、そのほとんどは大戦で破壊されておりますので、実質的な検証は成されていないのが実態です」

「つまり、どれだけ生きやがるかも分からない、と?」

「なんとも・・・正確な情報は、記憶を探った研究者の頭の中にもありませんでした。私の知る情報で補足するならば、第3世代では、異世界の住民の容姿が不明であったため、精神を解析して映像化されたさまざまな生き物を模して製造されたそうです。並列に接続したそれら義体の中で、最もマッチングした義体に魂が自動的に定着するシステムであったようですが、マッチングした形状はどれも我々と似た形状の人型であったため、第4世代からは人型のみの製造に絞られたとのことです。よって、動物型の義体は第3世代にしか存在せず、そこから察するに件の義体の稼働年数はすでに・・・」

「レディの歳を推測するとは、甚だ無礼ではないのかの?」

 突然の第三者の声に、地下室に緊張が走った。

「ほぉ、人払いの術式をお破りいただくとは、なんとも奇異な」

「術・・・?」

 殺気を帯びたライラの言葉を、青年将校は聞き逃さなかった。

「今宵を楽しんでおるか?このような辛気臭い場所で密会とは、些かムードに欠けるがの」

「貴様は・・・」

 ライラが呟いた。

 青年将校が杖を構えて、何者だと誰何する。

 気配は、音もなくゆっくりと近づき、魔力の明かりの中にその姿を現した。

「見ての通りじゃよ。ワシもその者を追ってこのへんぴな街までやってきた。ま、雇われの身じゃがの」

 背丈は10歳前後の子どもほど、全身を黒い毛に覆われ、大きな二つの耳を持つ、それは二足歩行のうさぎだった。

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