第2話 煙突掃除屋

 ここは狭い暗闇の中。

 どれくらい狭いかと言えば、極端に短い私の両手両足が辛うじて届き、爪と四肢の筋力でもって、その身体を落下しないよう支えていられる程度。本来、天井となる雨除け屋根は外され、四角くトリミングされた青空が見える。下をのぞけば、カンテラの明かりでも、底が見えない深さがある。

 では、そんなところで何をしているのか、と問われれば、私は今、この縦穴を健気にも掃除しているのだ。

 それを始めて15分ほど。しかし、すでに後悔しかない。

「チンタラしてんなよ〜、今日は他に2本の煙突掃除が待ってるんだ」

 煙突の中が暗くなったかと思えば、雇い主が顔を覗かせて作業の進行を急かし立てた。

「やってますってばよ!そう急かすと、適当な仕事になっちゃいますよぉ〜?」

 口元を布きれで覆い、鉄の箒でブロックの間にこびり付いた煤を払い落とす。

「け、口だけは立派だな。ごたくばかり並べやがると、上から唾吐くぞ!とっとと、済ませろ!」

 な・・・デブでハゲなだけでなく、怠惰な上に人使いの荒いクソ野郎ときた。まったく、この世界の住人ときたら・・・労働意欲のカケラもありやしやい!

 瞬間、足を滑らせた私の身体は、一気に暗闇の底に落下した。

「おい!うざけんな!落ちるなと言ったろ!」

「うげっ・・・ゲロ出そう・・・」

 お腹に巻かれたロープがぎゅっと締まり、私の身体を落下から救ってくれた。この命綱は、屋根にいる親方が握っている。まったくもって、ゾッとしない。落ちるな、という言葉は、私の身を案じての慈悲深い優しさからではない。支えるのが大変だから面倒をかけるな、の意味だ。やつは、そういう男なのだ。

 四肢の爪をブロックの隙間に当てがい、安定を確保してから腹のロープを緩めた。

 あぁ、上まで上がって続きからやり直すのも面倒だから、この位置から続けよう。せっかく始めた仕事は、できるだけ完璧にこなしたくなる気質だが、ここは自己満足を脇に置いて、ペース配分を優先すべきだわ。でないと、夕方まで無事に過ごせる気がしない・・・。

 ジャリジャリ・・・げふっ!げふ!

 ブロックの隙間に、こんもりと山を成す煤の塊をこそぎ落とし、一周終われば少し下がり、また同じ作業を繰り返す。

 ジャリジャリ・・・おぇ!

 煤は髪やら鼻の穴やら、服の中まで入り込む。防塵用に渡された布は、かつて慣れ親しんだ不織布マスクのような高性能なシロモノではなく、容赦なく気管に煤を送り込んでくる。

 この仕事を続けていたら、じきに肺をやられる・・・。

「まったく、小柄で軽そうだからと期待したが、とんだ見込み違いだぜ」

 聞こえてるぞ!ハゲデブ!・・・痛たたた・・・。

 普段、使い込んでいない、股間周りの筋肉が限界を迎えていた。

 あぁ、もう辞めたい・・・。

 それでも20分は頑張ったか、いや、実際は5分程度かも知れないが、プルプル震える脚が再びブロックを踏み外した。

         どすっ!

 盛大に噴煙を撒き散らして、暖炉の底に落着した。

 ゲホッゲホッゲホッ!おぇーっ!

 煤で息を吸えず、溜まらず暖炉の外に這い出す。

「くっそ!マジで死んだかと思ったぞ!おい、こら!」

 返答はない・・・どうやら死んで・・・いるなずもない。恐らく、居眠りをこいているか、出かけ側に売店で購入していた質素なパニーニでもって屋根の上での昼食を洒落込んでいるかだ。

「くっそ、痛てぇ。信じられない・・・命綱の意味ないし!」

 体毛で覆われた柔軟な身体とはいえ、よくぞ無事で済んだものだと感心する。

 念のため、身体に傷がないか確かめると、ケツに一枚の燃カスが張り付いていた。

 手のひらサイズのパピルス紙だ。

「あらら・・・」

 腰にぶら下げていたランタンをかざそうとして、フレームがひしゃげている事に気がついた。しかし、中に収められた角張った小石は無事なようで、翠色の光を放ち続けている。

「紙は貴重なはずだが・・・?」

 色の判別は定かではないが、黒っぽい色で短文が羅列されている。文字は私の生まれた世界のものではなく、この国の言語で書かれていた。

 ひとまず、これはポッケに仕舞い、あたりを見渡す。

 暖炉の外は、広い居間のような造り。窓は閉ざされ、真っ暗だ。ランタンの明かりに照らし出されるものは、高価そうな調度品の数々・・・親方の話によれば、なんでも、長期不在中の貴族の館らしい。この世界の貴族は大概、避暑地に別荘を所持しており、公務や家業のない時期にはこぞって別荘暮らしと洒落込むものだという。まぁ、エアコンがないのだから大目に見てやらんこともない。

 この街は帝国の端に位置し、温暖な気候と豊かな水に恵まれている。その昔は治安も良く、長閑な街だったらしいから、もしかすると、本邸ではなく、ここが別邸なのかも知れない。その証拠に、部屋の隅々まで綺麗に片付けられており、本来ならば高価な絵皿や陶器の工芸品が並び、家主のセンスの良さと懐具合の温かさを誇示するであろうガラス張りの戸棚の中身も空っぽだった。

 隣の部屋を覗くと、大きなテーブルの上には、蝋燭立てすらなかった。

 テーブルの表面を指で拭うと、埃がつく事はなく、逆に煤で汚してしまった。慌てて綺麗な部分の毛で拭う。

「つい最近まで住んでいた・・・か」

 妙な違和感だ。清掃が行き届いているくせに、盗む物すら見つかりゃしない。まさか、飾り彫が施された上等な戸棚を背負って持ち出すわけにも行くまい。流石の親方でも気付くってもんよ。足元を見れば、底冷え防止のための大きな毛皮が敷かれていたが、隕石の如く落下した私の所為で、無惨にも煤まみれになっていた。足跡だけでも消さないと、私の仕業だとすぐバレそうだ。

「・・・問題になる前に、このバイトは辞めときますかね?」

 私はロープを引っ張り、大声で叫んだ。

「終わりましたー!親方ぁ?生きていますか?終わりまーしたよー?」

 返答があるまで、やや間があった。

「ん?そーか、じゃ、とっとと上がって来い!」

「えー?ドアから出ちゃダメですか?」

「鍵はどうするんだよ?バカが!さっさと上がれ!引っ張ってやるから!」

 げ、マジか・・・。


 煙突掃除屋の事務所は、街外れにある掘立て小屋だ。側に石壁で囲われた川が流れており、帰りつくなり服を脱いで、飛び込んだ。川の水は冷たく、ちょっと臭うが、全身にこびり付いていた煤から一刻でも早く逃れたかった。黒い煤が川の流れに沿って、私の体毛からお別れしてゆく。爪を拡げて、毛の隅々までわしゃわしゃと掻きむしると、面白いように煤が出てくる。

「どんだけ煤だらけなの?もぅ、耳の中まで入っているじゃない?耳掃除とか、マジで面倒なんだよな〜」

 昼間っから素っ裸で身体を洗う私のことを、通行人たちは物珍しそうな目で見る。

 子どもが私を指差して、親に言う。

「見てみてー、大きなウサギが泳いでるよ?」

「本物じゃないわ、あれはホムンクルスよ。これ、指差さない、噛まれるわよ」

 噛まねぇし!

 私の身体は、小学3年生ほどの背丈のある、白い体毛に覆われたうさぎだ。動物のうさぎそのものではない。ルイス・キャロルの代表作で有名な、あんな感じのやつと言えば分かるだろうか?二本足で歩くし、服も着るし、ブーツも履けるし、ランタンも手に持てる。だが、自然界の生き物ではない。ウサギ型のホムンクルス、人工的に造られた義体だ。

「この野郎、もう水浴び始めてるのか?次の現場に行くぞ!」

 私は川から上がり、身体をブルブルと震わせて水を切る。

「すみません、その話の前に、タオルないっすか?」

 親方は面倒臭そうに眉を歪めながら、首に巻いていた小汚いタオルを投げて寄越した。

 思わず受け取る。

 うげぇぇぇ、マジっすかぁぁぁ?

 何となく拭いたフリを見せて、タオルを手渡しで返品することにする。

「あと、私、仕事、辞めます」

 はぁ?という呆れ顔の親方。

「な、ふざけるな!次の現場に行くぞ!服を着て、とっとと着いて来い!」

「いや、マジなんで」

 ぬぐぐ、と唸りながら頭皮を真っ赤に染めた親方だったが、私が身支度を進める様子を30秒ほど睨みつけているうちに、やがて諦めたように両肩を落として嘆きはじめた。

「おい、ラベラーのくせに、不真面目な事を言うな。何のためにこの世界に呼ばれたんだ?俺の身体じゃ、煙突に入れねぇーんだ。気を改めて、次の現場に着いて来いって。金にも困るだろう?」

 体毛に覆われた身体にすっかり慣れ親しんだ私は、公衆の眼前であることに少しも気を咎めず、一枚一枚、服を着ながら言い返した。

「本来ならば、待遇の改善を要求するところですが・・・まぁ、期待できない事は承知しています。この仕事は、もとより私の身体には不向きであったようなので、誠に恐縮ではありますが、拗れる前に早々に退職させていただく方が、お互いのためにも良いと判断しました。次のご予定に支障がある事も重々承知の上ですが、どうか寛大なお心でもって、ご容赦願います。あ、日当に関しては、時間で割っていただいて結構です」

 心もとない毛髪を逆立て、茹蛸のような顔になった親方は、ツバを撒き散らして怒鳴った。

「日当は1日働いた分の金だ!1日も働けない小僧にやる金はない!」

 まぁ、この世界ではそれが最もな見解なのだろう。だが、私には一つどうしても訂正したい案件があった。

「一つよろしいでしょうか?私は、野郎でも小僧でもありません!冠城玲遠(かぶらぎれおん)、少々勇ましい名前ですが、列記とした女性です!」

「はぁ、なんだ、お前、メスだったのか?」

 何だとぉー!?

「メスと呼ぶな!いいか、ハゲデブ?私は、女子だ!うさぎの女子!故に、バニーガールだ!」

 思わず蹴り飛ばしたランタンが、クソ親父の額にクリーンヒットしたのを合図に、独身中年男性と毛むくじゃらの獣との骨肉を分けたルール無用、時間無制限の取っ組み合いが幕を開けたのだった。


 戦いとは、いつの世も不毛なものだ。

 私は身体中を揉みクシャにされ、毛をむしられた。セクハラも甚だしいが、暴力の前にはもはや言語は役に立たない。対話が成立するとしたら、それは反撃しかない。私は絶滅寸前の希少な頭髪を20本ほどむしってやった。本数では私の負けは認めざるを得まい。だが、与えたダメージ量では、圧勝であった。

 頭を抱えながら涙し、今すぐ消え失せろと怒鳴る親方の業務命令を忠実に守り、私は帰路についた。

 人の世は数奇なもので、出会いあれば、別れがある。

 今回の場合は、それが逆の順ではあったが・・・。

「モフモフだぁー!」

 背中から突然、抱きつかれ、思わずよろめいた。

「クラーラったら、自重してください」

 私の剥き出しの腕に顔面を押し当てているのは、白銀のツインテール少女だった。

「ちょ、あれ、あなたどこかで・・・?」

 ヨーロッパ系の美女が慌てて、少女を引っぺがそうとするが、ガッシと腕を包ませて私から離れまいと抗う。

「悪い子ですよ!」

 ちょっといたずらっ子のような笑みを浮かべた美女は、指先をくねくねと動かしながら、少女の両脇を襲った。

 突拍子もない高い声でゲラゲラと笑いながら、少女は瞬殺される。

 私の目は、暴れる少女の二の腕に光る呪紋を捉えた。

 0301S

 帝国魔法省のキャリアマップによるところの、管理業務・人事・ロジスティクス関連の適合者であり、業務能力評価は最低ランク、例外評価は・・・S。略字は、おそらくSpecial。陳腐な記号だが、その意味するところは絶大で、貴族階級並みの特別待遇者である事を意味する。いわば、素質的に国家運営の中枢に従事する官僚候補生というわけだ。しかし、なぜ義体が子どもの姿なのか?

「あなた方は、冒険者の宿に?」

 少女を制した美女は、姿勢を正して丁寧に会釈をしてくれた。

「レーアと申します。この子はクラーラ。冒険者の宿には、散歩コースでよく利用させてもらっています。スイーツがとても美味しいので!貴方のお姿を一度拝見し、いつか抱きつきたいと、この子は常より申しておりましたの」

「ついに本能の衝動に駆られ、決行したのですね。まぁ、私は構いませんよ。私も猫の毛に思い切り顔を埋めたい!なんて思ったことがあるので」

「毛が口に入ったぁー。なんか湿っぽい?」

「水浴びしたからね」

 レーアと名乗った金髪ウェーブの女性は、いかにも高貴な身分の出立で、立ち居振る舞いにも品があった。そして、目に見えるところには呪紋の痕跡が見つからなかった。瞳は薄い水色で、まるでトパーズのようだ。玉に瑕なのが、透けるような白い肌に、グラマラスなトコロか!反則だろ!

 一方、クラーラという少女の方は、白い肌に金色の瞳、よく動くぷっくりとした唇がチャーミングだ。フリルをあしらった可愛らしい洋服は、やはり高貴な家に『仕えているから』であろうか。

 一見、親子のようにも見えるが、この子がラベラーだとすれば、レーアはお目付役か家庭教師といった関係なのかしら。いずれにせよ、クラーラの出立を見れば、ローズと区別がつかない完成度の義体、つまり最新鋭の後期型を意味する。だが腑に落ちないのは、労働力としてはその小さな身体はあまりに不都合だということだ。方針転換か、新発想でもあったのだろうか?例えば、頭脳労働を主眼に置いたピンポイント召喚。能力はあっても、従順であるとは限らない。だからどうしようもなく反抗的であった場合でもリスクを減らせるように、小さく非力な身体にペーストする・・・とか?

「お仕事の途中だったのでしょうに、お邪魔だてしてしまい、申し訳ございませんでした」

 わざわざ私の目線に合わせて、腰を下ろしてのお詫び。かえってこちらが恐縮する次第だが、その胸の谷間が目の前に現れ、ガールであるところの私でも思わずドギマギしてしまう。

 いかん、何かの魔力だ。あの丸く柔らかそう二つの球体の中には、きっとローズの魔力が込められているに違いない。

 思わず、目線を逸らしてしまう私・・・やばい、意識しているのが丸わかりじゃないか!

「ぜんぜん、構いません。良かったら、いつでもモフってくださいまし」

 むほぉー!何を言っているのか!?顔面に毛がなかったら、赤面していたところだわ!こういう社交辞令的な要素のある会話ってば、幾つになってもどうも苦手なんだよなぁ。

「じゃぁ、また遠慮なくモフモフされるが良いぞ!次に会うまでに、毛を乾かし、しっかりグルーミングしておくのじゃな!」

 何、そのおじゃ言葉!かわいいーじゃない!

「今度と言わずに、今すぐにでも〜」

 私が襲い掛かろうとすると、クラーラはレーアの周りをぐるぐると逃げ回った。

「今は良いのじゃ!毛がベタベタじゃから、今度で良いのじゃ!」

 二人とは、冒険者の宿で今後も話をするようになる。この国に来て、初めての友人となった。お恥ずかしながら、この時点でまだ私は、二人の正体を知らなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る