第19話:なぜ、多様な価値観を認めないのか? ①

最近、さまざまな分野の論文やコメントなどをよく見ているのだが、1つ引っかかることがあった。それは、その人の価値観がそのまま社会通念に様変わりしてしまっているのではないか?という疑問だ。


 これは、有名な人がコメントや総評のような形で出したメッセージや投稿によって一般人である私たちが「こうあるべきだ!」という過剰反応を起こすことで、その価値観が社会通念のように第三者に振りかざされてしまうのだ。まして、有名な人や権力のある人など社会的影響力が大きい人が発言したことが正しいとなってしまうとこれはこれで問題が生じてしまう。


 私は“自分で考える力”を持って欲しいと思っている。もちろん、有名な芸能人、著名人などの身近な人から学ぶことや歴史上の偉人などこれまで成功者から学ぶことでも良い。しかし、その人の価値観をそのまま自分に当てはめてしまうと頭の中で次第にエラーを起こすようになってしまうのだ。


実は私たちの脳は協調性や整合性など周囲と合わせられるように設計されていて、他人の言った言葉や書かれた言葉、発言された言葉と細かく分析し、その中で自らの視点や価値観と合う部分を吸収するように出来ている。そのため、他人の価値観をそのまま習得しようとするとエラーを起こす場合があるのだ。たいていは、段階的習得をしていくことで相手と自分の価値観を融和出来るようになっていくが、最初はどうしても難しい。なぜなら、日本の場合は目上の人を敬う文化が古くから浸透し、定常化しているため、その人の言うことが正しいという固定概念がすり込まれてしまっているのだ。


 その結果、最初から自分の意見を言える人が海外に比べると格段に少ない。これでは、本人もかなり苦しい状態になってしまうことは否めない。まして、目上の人の言っていることが正しいとなると、仮に間違っていても従うしかなくなってしまうのだ。


 これは、社会的構造改革が必要になってくる部分の1つだと私は思っている。なぜなら、上司も部下も同じ人間でかつ同じ会社の協力者であるからだ。しかし、上に行くと上に行くだけ板挟み状態になるため、上司の言うことだけを聞いていることで、相手に好印象を与えることが出来て自分がどんどん上に上がっていけると勘違いをしている人も少なくない。


 仮に私が社長ならそのような人はあまり昇進させたくない。なぜなら、上司の価値観だけを受け入れ、部下の価値観は受け入れないという状態になると今度は部下を潰してしまい、貴重な価値観を持った別視点を失うことにつながりかねないからだ。

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