第4話:なぜ、人は間違った判断をするのか? ②
例えば、急いでいるからといって車間距離を詰めるのはあおり運転ではないという人がいるとする。しかし、先行車の運転手は恐くなってなんとか走るのがやっとという状態では健全な判断が出来なくなる。それらが要因となって信号無視を誘発する、追突事故を誘発するなど良いことはないのだ。しかし、田舎ではあまりこれらの光景が珍しくはない。
これは、自分だけかもしれないが、毎回車に乗ると必ずと言っていいほど煽られることが多い。もちろん、相手は急いでいるのではなく、早く行きたいだけの可能性も有るが、自分は自分の感情に流されてはいけないと思っている。そして、田舎特有なのか分からないが、距離感が近いだけかもしれない。ただ、煽られているかもしれないという認識が生まれる可能性も有ることからこれらの行為は避けなくてはいけないだろう。
今は“いい大学=好人材”や“大手勤務=安定”というようにイメージが定着してしまっているような印象がある。その結果、そうではない人たちが苦しむことになって、活躍の場を失ってしまい、引きこもりになってしまう人が増えるのだ。もちろん、いい大学を出てもひきこもりなど社会参加をしない人が増えていく。その他にも独立する人、スカウトされる人とさまざまな判断をされる。しかし、それらの土台にあるのは全てその人の価値ではなく、そこに何を求められているかの違いだろう。
現在は社会においても間違った判断をすることが多い。その1つが“労働権の侵害だ。”私自身その場面を何度か見てきたし、体験したこともある。そこで感じたのは“バレなければいい”といういわば私利思考による他者を軽んじる行為だ。それらの行為による被害等の数は多くないとは思うが、これらの問題に対する一定以上の精神的苦痛やストレスは起きている可能性がある。
そのため、間違っている判断が無意識のうちに正しい判断であると考えてしまう場合も少なくない。そのうえ、自分の立場を利用して好きに人事改編をする人もいることから日本というのは正しいと間違いは紙一重なのかもしれない。そして、彼らの中にある間違いは他の人からすると非常識的な考えなのかもしれない。もちろん、個人によって考え方の差があるため、全員が統一的な基準を持っている訳ではない。もちろん、法律など既定基準が存在している部分はそれらの考えが尊重されることにはなるが、それらの壁すら越えてしまう場合もある。
考え方の癖というよりもきちんとした考え方が出来るよう、法律や環境を整備する必要があるように感じる。例えば、最近増えている詐欺や不正出金など金銭面に関する対応としては相手の逮捕等がなくとも一時金として被害額を補償し、その間にどの程度の被害が出ているのか、未然に防ぐ手立てはなかったのかなど被害発生の状況と第三者機関(信販会社・銀行)での調査・審査等は十分に行われていたのか?など過失割合というよりも本人が詐欺と気がつかなくても信販会社等は顧客情報を持っているため、相手の信用情報や犯罪歴などは分かるはずだ。そして、相手が契約期間に必要な契約を履行していない場合には全額払い戻すことが大事ではないだろうか?
現在、日本では「詐欺に遭わないように気を付けてください」とは言われているが、実際に詐欺に遭ってしまってもお金が戻ることも解決に向けて一緒に行動してくれると言うこともない。しかも、信販会社によっては「それは個人の責任です」という対応をしてくる場合もある。これでは詐欺行為が減る訳はなく、むしろ増えていくだろう。
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