第16話 交易艇員は気疲れする

 店主は店の奥に向かい、誰かを呼びつけた。すぐにでてきたその「モノ」は僕が考えていた類のものではなかった。

 返事もせず、足音も立てずに女性が現れた。二十歳くらいだろうか。質素だが真新しい服を着ている。なにかを持ってきたのか、と首を伸ばしてみても、彼女の両手は不安げに指を絡めるばかりでそこにはなにもなかった。モノがないってことは?いやいや、そんなまさか。

「こいつを東の王国まで連れ帰ってもらう。国境を越えるだけでいい」

「人身売買にまで手を染めているなんて、手広いことね」

 店主の予想通りの言葉に、フラウレットが強めの語気で応えた。怒気に慄いたのか、少女は目線を地面から外さない。


「おいおい、俺だってそこまで好きでやってるわけじゃねぇぜ。戦利品を扱う商いをやってんだ、奴隷はどうやっても避けられる商品じゃない。事前の相談もなしに連れ込まれる奴隷を選り分けて引き取るのは結構労力も金もかかるんだぜ?」

 店主の物言いに、僕は一瞬にして顔が熱くなった。この間の件もあるが、どうにもこの類の人間は好きになれない。あの顔を歪めてやりたい。他人の尊厳とかは考えないのだろうか。目の前の机を殴ろうと振り上げた腕に、フラウレットがそっと手を添えた。横目に見えた彼女の眼差しから、宥められていると気が付いて腕は下したが、握った拳が開けない。

「それで、わざわざ引き取った女の子を元居た場所まで送り届けろなんて、どういった了見なのかしら?明らかに普通じゃないわね」

 さっきからこちらはココロに矢が雨霰と降っているかのような気分なのに、なぜ彼女は冷静に会話を続けられるのだろうか。鼻息が荒ぶるあまりになにか飛び出そうだ。そんな僕を無視して、店主はフラウレットに答えた。

「学があって躾ができてた娘だったから引き取ったんだ。売りに来た奴らが間違えて攫っちまった上に、まともに話を聞いてやらなかったんだろう。改めて話聞いたら、東の内戦で勝って隣接する領地を接収した辺境伯領のご令嬢だっていうじゃねぇか。てっきり負けた側の家の娘なんだと思ってたら、気が付いたら現役貴族の誘拐の片棒担がされてたってわけだ。勝った家の娘を負けた家の娘に預けるってのも変な話だがな」

 店主の言葉に、フラウレットと少女の両方が目に見えて動揺した。女性がはっと顔を上げ、フラウレットと視線を合わせた。

 静かに、掠れそうな声でフラウレットが呟いた。

「タチアナ、貴女なの?」


 女性は少し震えながら、ゆっくりと返答した。

「テューラ?まさか、あの中で・・・生きてたの」

 女性はフラウレットを聞いたことのない名前で呼んだ。二人はお互いの存在を疑うかのように見つめあったまま動かないでいた。もしかして、戦火で引き裂かれた親友の感動的な再開・・・なのだろうか。


「確証も得られたな。とっととこの娘連れてってくんな」

 店主は速やかに空気をぶち壊してくれた。

「まてよ、引き受けるなんていってないぞ」

 ようやく口を挟むことができたが、店主は早くも話を畳むつもりだ。

「この娘は俺のところでは扱えん。他国とはいえ現役の有力領主の娘を攫って売ったなんて知られたら俺の店の評判が地に堕ちる。国際的にお尋ね者になる気もない。それに、知った時点でお前らも共犯だ」


 まだ状況が完全には飲み込めていないが、これは巻き込まれる前に逃げるが勝ちってやつだ。

「よくわからないけど、断らせてもらう。行こうぜ、フラウ」

 彼女の腕を掴んで足早に退店しようとしたが、後ろから店主が声を上げた。

「お前らが持ち込んだって軍に報告してもいいんだぜ」

 僕に引っ張られていたフラウレットがいきなり踏ん張ったので、僕は転けそうになった。

「ずいぶんと必死ね」

 フラウレットが睨みつけるが、店主は今までで一番悪い顔で笑った。

「そりゃそうだ。こっちだって店の生死がかかってる」

「私たちが憲兵に密告するとは思わないの」

「だから取引だって言ってるんだろ」


 二人のやりとりが熱を帯びる傍らで女性は微動だにせずフラウを見つめていた。まともな服装をしているし肌も綺麗だが、硬く握られた両手は荒れている。


 しばし言い合った後、痺れを切らした店主に、対価はちゃんと出すからさっさと行け、と三人一緒に閉め出されてしまった。扉を閉めるや、わざとらしく大きな金属音を立てながら閂(かんぬき)がかけられた。店主の、女性に敷居を跨がせまいとする決意は固そうだ。

「まったくとんでもない奴だ。どうするフラウ、俺らじゃ決められないぞ」

 フラウレットは応えない。

「あー・・・君も大変だな」

 女性に話を振ってもなしのつぶてだった。

 二人は言葉少なに佇んでいる。友人だったならもっと泣いたりとか抱き着いたりとかあっても良いような。


 これはもしかしなくても、微妙な間柄なようだ。

「と、とりあえず、艇に戻ろう。艇長に相談しないと」

 詰まって、ようやく出た言葉が他力本願だったことに情けなさを覚えつつも、二人がついてきてくれたことに安堵して艇に向かった。せっかくの休暇のはずが、最後になってとんでもない厄介ごとを拾ってしまった。店主との取引について、艇長はまだしも実務を束ねる堅物の副長が認めるとは思えない。そもそも人物の護送なんてするのだろうか。女性を見ると、俯いたまま着いてきている。

「親が断るのわかってて、捨て猫拾って帰る子ってこういう気分なんだろうなぁ」

 誰にも聞こえない様に呟いたつもりだったが、フラウレットに頭を叩かれた。僕らは誰も物言わず、ただしずしずと艇に帰った。

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