第15話 どんな宝石にも洗っても落ちない汚れはあるもの
ここに来てから毎日出歩いているのに、毎度新しい店に遭遇するのが楽しい。通りに沿う家屋は高く、大通りをつなぐ小道は両腕に足りない程度の幅しかない。街を細かく区切る水路を跨ぐ橋を渡り、近道をしようと小道を通ったら明後日の方向に進んでいる、といった具合に気の向くまま歩いていた。エスコートを頼んできたフラウレットは時折足を止めては周りの景色を観察していた。建築様式が故郷と大分違うらしく、買い物よりも街を見て回りたいらしい。夜番の時もそうだったが、彼女といるときは気が休まるので、僕もあてのない散歩を楽しんでいた。
改めて人間と街の観察に勤しむと、初日に受けた印象とはまた違う情景が見えてくる。往来は景気が良いが、少し道を外れるとやはりというか、貧困層が住まう通路があったり、見るからに堅気ではない男が立つ門があったりする。それ自体はどこの街でも同じなので気にもならない。僕らだって、男衆は一般人から見たらごろつきとそう変わらないのだろう。そのうちの一角を通り過ぎようというところで、扉の一つから軍服の男が数人出てきた。
「あの狸親父、買い叩きやがって。こっちはわざわざ東から持ってきたってのによ」
そのうちの一人が口を開いた。
「もう没落した貴族だししょうがねぇ。酒代にはなったろ」
相方らしき男が答え、若い男が聞いた。
「買取り断られたモノどうします」
捨てとけ、と言われてそのまま路面に落とし、その3人組は大通りへ消えていった。
「どこの街もこういうところはあるよな」
僕は捨てられた燭台を拾った。もの自体は悪くなさそうだが、ありふれているものだから買取を断られたのだろうか。
争いは常にどこかで起きていて、そのために方々の土地や住民は脅かされている。軍人や傭兵、盗人や土地を追われた農民までもが、機会さえあれば手が届くものは全て掠め取っていく。愉悦感を求める者から、その日食うものと交換するために盗むものまで様々だが、目的や趣旨を問わず略奪品はここのような店で買い取られる。一般向けに売れそうなものは往来の店へ、それ以外のものは路地で売られる。他国の良質な装飾品や刀剣類が流入する交易路とも見れるため、買取を取り締まる国もない。先日大立ち回りをしたあの店も、ここから卸しているのかもしれない。両手を上げて認めるわけではないが、市場を盛り上げるにはこのような商売もなくてはならないモノだというもの理解しているつもりだが。
「往来で豪奢な格好をしている人たちが付けてる装飾品は、そのうちのどのくらいが『戦利品』なのかしらね」
フラウレットが僕の疑問を言葉にした。僕の手から燭台を取り土台に刻まれている紋をなぞると、目を細めたがそれ以上は何も言わなかった。
人が思慮に耽っているときは静かに待つのが紳士たるもの、最低限守るべきマナーである。彼女が動き出すまで木にでも雑草にでも扮しているのも吝かではないが、目のやりどころがなく、先ほどの店の扉が開いたままなので中をなんとなく観察していた。どんな『戦利品』があるのか、単純に気になったのだ。不謹慎ではあるのだが、他文化への興味というのはなぜこんなにも抗い難いものなのだろうか。そっと店内に入ろうとすると、フラウレットもついてきていた。
「私も、買うものがあるかもしれないから」
そういうと、心なしか強い足取りで彼女は店内に進んで行った。
買取りが主なためだろう、店の中は雑然としていた。店の奥で雑多に積まれた『戦利品』を選別している小太りの中年が振り返る。なるほどこれは狸顔だ、先日の店の店主そっくりじゃないか。
「っていうかあのおっさんじゃねぇか」
つい声が出ると、フラウレットが見上げ、店主も仰け反った。
「お前この間の!」
「いやぁその節はお世話になりました」
一瞬で憤る店主に対して、ふにゃふにゃとした挨拶で牽制した。喧嘩なんて、言い争いになる前に空気を壊しちまえばあとはどうとでもなる。店主も豆鉄砲を食らったような顔をしたが、すぐに睨みつけてきた。
「気にくわねぇが金は金だ。売るもんあるならとっととだしな」
この店主、やってることはさておき商いには真面目な男のようだ。
「この紋の付いているものを一通り見せてちょうだい」
フラウレットが先ほどの燭台を差し出した。それを見た店主は顎に手を当て、にやついた。
「そうかアンタ、この家の出だな?まとめて買ってくれるなら値引きも考えるぜ。何せ今回の遠征で寄港してる軍の奴らが何人も持ってくるんだが、没落貴族の遺品なんて買取り手が見つかるかわからねぇ。売れなきゃ鋳潰すしかねぇが、アンタが買ってくれるなら俺も損はねぇしな」
待て待て。情報量が多いので整理しよう。驚くのはそのあとだ。いいとこの出身なのだろうとはなんとなく察してはいたが、貴族のご令嬢だったとは予想を超えてきた。さっきの軍人が『東から持ってきた』って言ってたからには、東の紛争地域のことだろう。それが最近没落したということは、もしかしなくてもフラウレットは実家が無くなったことを今ここで知ったのだろうか。それを踏まえた上で彼女は、店主に実家の遺品を陳列しろと言ったわけだ。全く、肝が据わっているとはいえ、度が過ぎていないだろうか。ここで紳士たる僕は何をすべきなのだろうか。わからないから、壁の飾りにでも扮しておくべきか。おっと、驚くのを忘れていた。
「ゑーーーーーーーーーーーーーーーっ」
1オクターブ高い声が出た。
「毎度うっるせぇな、黙って待ってろ」
店主が次々と出してきた『戦利品』は、食器から服、書籍から武器、果ては家財まで多様だった。フラウレットは一つ一つを手に取り、確かめるように指でなぞった。その中の一つに、宝石入れの小箱があった。中身は空だが箱だけでもそれなりに売れるだろう。これも紋が刻まれていた。フラウレットは優しく、慈しむように手に持っていたが、しばらくしてからそっと戻した。
「これで多分全部だ。あと嬢ちゃんならわかるかもしれんからこれも見てくれ」
がしゃっと乱雑に、いくつかの鍵が置かれた。
「家の中にあった鍵を掻き集めたみてぇだが、どれが何に使われるのか確認するのが手間でな。扉の鍵とかだったら売りようもねぇ」
「解るわ。この辺りは扉、これは洋服箪笥ね」
ちゃっちゃと説明しているフラウレットの背中からは、家を失ったばかりのはずの悲しみは感じ取れない。
「ありがとよ、んで、全部でこれくらいでどうだ」
「買えないだろうし買うつもりもないわ。最後に一目見たかっただけなの、ごめんなさいね」
店主がそろばんを弾いたが、フラウレットが制し、踵を返して扉に向かった。違和感のあまり、僕はつい口を出してしまった
「いや待てよフラウ。いいのかよ、鋳潰すって言ってるぞ!?おっさんも引き止めろよ」
フラウレットは応えない。店主は頭を掻きながら答えた。
「まぁそんなこったろうと思ったぜ、普通はわざわざ買い取らねぇさ。没落した貴族の紋付きの遺品なんて縁起が悪すぎるしな」
「いや待てよ、なんか色々おかしいだろ!なんでフラウもさっきから平然としてるんだよ!」
語気が荒くなった僕を今度は店主が諌めた。
「状況考えろよ坊主。その嬢ちゃんはどう考えても関係者だろ。こないだのオルゴールにしたって、あんな装飾付けられたのが侍女の持ち物なわけねぇ。大方、没落前に亡命させられたお嬢さんなんだろうが、事情を知ってる護衛の一人も付けてねぇってことは独りなんだろ。そんな奴が船に実家の家財持ち込めるとも思っちゃいねぇさ」
このおっさん、むかつくが観察眼は大したものだ。
「あんたが買ってくれてもいいんだぜ?色男」
「ああわかった、買ってやるさ。いつか金持ってくるからそれまで潰すんじゃないぞ」
店主の提案は明らかにこちらを煽るものだったが、こちらも腹の苛つく虫が収まらない。売り言葉に買い言葉という奴だが、さっきの小箱は多分彼女が持つべきものだということはわかった。他のものはわからないけど、どうせなら全部買ってやる。鼻息が荒くなっている僕を見て店主は真面目な顔をした。
「まあ待て。ここは取引といこうじゃねぇか。俺はここの在庫を捌きたいけど売る相手がいない。あんたらは買いたいけど金がない。俺の条件を飲んでくれたら、全部ってわけじゃねぇが、いくつかなら欲しいものをくれてやる」
店主の提案にフラウレットが振り返った。僕も勢いに任せて先を促した。
「なんだよ、言ってみろ」
店主は顎に手を当てて口角を上げた。
「その東の国に持っていって欲しいものがある」
ようやくこの時になって、うまく口車に乗せられたのだと気づいた。
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