第13話 無い袖は振れずとも

 当初は予定外の休暇に湧いた艇員たちは、一週間も過ぎる頃には皆艇の自室に戻っていた。艇長は予定通り、できるだけ値段を釣り上げられる客層を見極めて出品しているようで、商品が捌けるまでが僕らの休暇ということになっている。通常は艇の損傷箇所の補修や資材の調達など細々した作業が僕らにも充てられるのだが、今回はそれすらない。日常的に業務に忙殺されているストレスを発散するべくこぞって散財し、そして見事に金を使い切った。つまり、宿に泊まる金すら無くなり、部屋でぐうたらする以外に選択肢がなくなったのだった。そんなわけで、僕は日がな一日、散歩をしたり料理をしたりと、数日までは考えられないようなスローライフを束の間とはいえ送っていた。それでも時間が余るので、今までに狩った空獣や飛空艇の内外の景色をスケッチして遊んでいた。元々絵を描くのは好きだった。子供の時分に親の工房で職人の道具を使っても怒られなかった数少ない遊びだったので、それなりにやり込んでいた。

「はぇー、結構うまいじゃん」

「今までに獲ったの全部描いてるの?」

 食堂で描いていたら頭越しにイツキとアシマが覗き込んできた。

「いや、暇だから覚えてるの描き出してるだけ。細かいところは結構適当だよ」

 見られるのは多少恥ずかしいが、変にかっこつけることはやめようと心に決めたばかりだ。イツキにスケッチブックを渡すと、ぱらぱらと捲ってはじぃっと見つめた。

「この空獣、足んとこ違くね。指が確かもっと多い」

 指摘された絵を見ると、確かに記憶が朧げだったので適当に補填した部分だった。

「細かいとこよく覚えてるな」

「斬り込むときに全身を見て、切りやすそうなところ探すからだな。コイツ獲った時は、脚が斬りにくそうだなーって思ったんだよ確か」

 素直に感心しようとおもったら、もっともなんだがやけに物騒な理由が返ってきた。でもそういった指摘はありがたい。他にもどこか違うところはないかと、記憶との間違い探しをしていたら不意にアシマが声を上げた。


「そうだ、ここに絵がうまい人がいたじゃない。フラウ、あなたの夢も案外早く叶うかもよ」

 頭上から覗く顔にフラウレットが加わった。先日のあの潰れたオルゴールが結局何だったのかは未だに気になっているが、彼女を姉のように慕うアルも何も知らないと言う。

「夢なんて大袈裟ね。でもそうね、本物を見てる人なら確かにイメージに近いものができるかも」

「フラウは艇を降りたら絵本作家になりたいんだって。空獣をテーマにして」

 夢とかイメージとかなんの話だ、と聞く前にアシマが解説してくれた。

 創作、それも子供向け。フラウレットの普段のイメージとはかけ離れているが、存外に可愛らしい目標だ。この艇に乗り込む人間は明日をも知れない身がほとんどで、自分自身も人生でやりたいことなど皆目見当がつかない。そんな中で、はっきりとやりたい事があると言えるのはそれだけで輝いて見えるものだ。それに、仲間の叶えたい夢を応援しない理由などない。

「この程度でいいならいくらでも手伝うよ、出版されたらぜひ印税をよしなに」

「ちゃっかりしてるわね」

 将来の絵本作家は未来の雇用を確約してくれたようだ。素直に応援のエールを送れば良いところをついついふざけてしまうのはどうしたものか。冗談はさておき、艇を降りた先で何をして生きるか?という問いは僕らにとって最大で最難だ。選択肢の一つとして、元艇員と共に仕事をする可能性は真面目に検証すべきだろう。ところで。


「あんたらのその格好はなんなんだ?」

 食堂に集まり黄色い会話で華やげな空気を咲かせていた女子艇員らは作業着ではなくみんな着飾っていた。テーブルの上は化粧道具が散乱している。アシマやイツキだけでなく、普段はあまり接点のない航空機関士や航空士の女子もまじってめかし込んでいた。

「みんなで可愛い服を見に行こうって話してたのよ。綺麗な服はなかなか着れないし、街で着るにも辺鄙なところだとお出かけするところもないし」

「せっかく買ったんだし使わないと」

「そうそう、こんな街でないと悪目立ちするだけだしね」

「なんだとは何さ。愚鈍よトーヘンボクよ。やっぱウチの野郎どもに解るわけがないのよ」

「ショッピングの目的は何か買う事じゃなく過程を楽しむことなの。着ていく服を選ぶ時からもう始まってるのよ、覚えときなさい」

 猛スピードで会話が進んでいくのでもはやどれが誰の発言かもわからないが、とにかく盛り上がっているらしい。仕事の時とは打って変わってきゃぴきゃぴしている女子らに他の男衆はたじろぎ、遠巻きに見守っていた。こんな時に下手にコメントしようものなら、団結した女子らの雷の嵐に瞬殺されること請け合いだ。さっきしれっと罵倒された気もするけど早すぎて聞き取れていない。


「それでお前らもその格好なわけだ」

 極東出身の二人も多分に漏れず、故郷を出る時に持ち出したのであろう着物を着ていた。アシマは矢絣(やがすり)模様の着物に藍色のスカートで、イツキは黄色基調の市松模様に乗馬袴だ。二人でお揃いの、一見地味な無地の羽織を合わせているが、造りが良いものだということは一目でわかる。こんな着物、僕の故郷では着れる人間は数えるほどだった。それでもここまで見事な染めは見たことがない。

「靴はブーツだけどねぇ」

 アシマが裾から膝丈のブーツを覗かせた。

 だがそれが良い。和洋折衷な趣を醸し出しているのでむしろ故郷にも広まってほしいくらいだ。

「どうだい?感想は如何かな」

「とても似合っているよ」

 目の前でくるくると回ってみせるアシマに、娘の成長を喜び憂う善良な父親の気持ちを覚えた。

「アタシはどうだ?惚れ直しただろ」

「惚れ『直す』ってなんだ、んな設定あったっけ。なんていうかけん玉が似合いそうだな」

 仁王立ちでふんぞりかえるイツキに対しては、背伸びする少年を見守るような心境だろうか。いや、むしろ娘の素行に心配を通し越して呆れる不憫な父親の気分を覚えた。

「誰が夜云鬼威だやんのかこら」

「周りがおめかししようって状況で帯刀してる時点で言わずもがなだろう」

 夜伝鬼威(やんきい)とは僕らの故郷で過去に一世を風靡したカルチャーで、反骨精神を如実に表すファッションやアティチュードが特徴だ。女学生が殺傷能力の低い武器を振り回し旧字体を充てただけの優しい暗号で声高に愛を叫び壁に大文字で挨拶を書き記し、猫が舐められることを拒み連合を組んだという摩訶不思議な時代。その時代が残した超遺物の最たる例がけん玉だ。

「上等だテメェ、艇を降りろ。アタシへの愛を叩き込んでやる」

「言ってることがまんまなんだよ。飛空艇の航行速度が早すぎて時代に置いてかれちまったのか?」

「ご要望のけん玉はねぇからステゴロで物理的にホネヌキにしてやんよ。愛羅武勇って言わせてやるぜ」

「ああそいつは楽しみだ。夜露死苦な」

「もーなんですぐ喧嘩するの!」


 いつもの調子でふざけてはいたが、よくよく見なくとも二人とも、どこの雑誌の表紙に出してもおかしくないだろう。資金さえあれば写真師を雇いたいくらいだ。なんでも、収集家は特に大事なコレクションについては、可能な限り観賞用、保管用、そして布教用に3点確保するらしいが、その気持ちを良くわかるというものだ。まじまじと見つめるのは憚られたが、イツキが羽織を脱いだ時に背中にあしらってある柄に視線を引かれた。

「悪かったよ。ところでそのワンポイントの蝶は紋か?可愛くて良いな」

 気づいたらすぐさま褒める。紳士とは周りのさりげないこだわりを見抜くものなのだ。

「ああこれか。ウチの家紋の一つで、未婚の女衆はコレ背負う決まりになってんだ。気にいらねぇけど全部の服に染めてあるししょうがねぇ」

 紳士はどうやら華麗に地雷を踏んでしまったようだ。

「ま、家の外の人間は意味しらないしいいんだけどな。チョウチョの柄そのものは可愛いし」

「私もそれ好きだったんだけど、家の人間じゃなかったから付けることはできなかったんだ。私んちの家紋はこれ」

 アシマも羽織を下ろすと、矢絣の生地に、控えめに亀甲と折り鶴の紋があしらえてあるのが見えた。

「使用人や奉公人は普段は家紋つけないから、家を出るときに私の羽織でイツキの着物を隠して、そのまま」

「国を出たし隠す必要もないんだけど、やっぱりなんかなぁ、隠しちゃうよな」

 せっかくの艶やかな着物に地味な羽織を合わせているのにはなるほど合点がいった。確かに、家を出た身としてはいつまでもそれを象徴するものを持ち続けることに罪悪感を覚えるだろう。それでも捨てられずにいるのは、まだ葛藤しているところがあるのだろうか。僕はといえば、こちらに流れ着いて早々に物々交換に使ってしまった。別段良い物でなければこだわりも無かったし、何よりその時は独りで食いつめていた。だがそれももう前の話だ。今も安定しているとは言い難いが、組織に属し職を持ち、衣食住に困ってもいない。なんだかずいぶん遠くまで来たなぁ、なんて感想を持てるくらいには余裕ができたと思う。


「さ、みんな準備できたみたいだし、お買い物行こう!」

 アシマの呼びかけに周りを見ると、ジトーとマイルズまで私服に着替えていた。マイルズは無難だがジトーは巨躯を覆うパステルカラーが眩しい。まさか流浪の旅に出た先で、賑やかな街で同年代の男女で着飾って楽しくショッピングに行く日が来ようとは思っても見なかった。買い食いする資金すら乏しいところは悩ましいが、いわゆる普通の余暇に興じる機会などなかなかない。向かう足取りも心なしか軽く感じた。



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