第9話 悪戯ずきの小人達は縛られない

 先日、珍しい空獣を捕獲した僕らは、素材を高く買い取ってくれそうな街に向かっていた。具体的には、外海への玄関口である遠方の港町へ、だ。

「これなんて言うんだ?」

 クレーンに吊り下げられた魚のような姿をした空獣を指してマイルズに聞いた。

「飛んでる魚だから飛魚でいいんじゃない」

「でも前に獲った奴は細っこかったろ。こいつ丸いし、でぶ飛魚でいいだろ」

 なんとも適当な補足をしたのはジトーだ。生態学に詳しい艇員は居ないので、飛魚ふくよか号として覚えた。自分の頭の生態図鑑を埋めようと日々努力はしているものの、こんな感じなのでどうにもうまく進まない。

 飛魚は香料の素となる上質の脂をたっぷりと抱え込んでいた。香料は相場が高いのでその分の利益ももちろん期待できる。艇員は歓喜していたが、艇長は慎重だった。加工する時点での脂の鮮度が、産物の香料の出来に影響してくるからだ。艇では簡単な処理はできても、繊細な加工はそもそも想定していない。大量の原材料を買い取ってくれる市場に卸さないと、売り切る前に鮮度が落ちてしまう。鮮度の落ちた脂の使い道は石鹸や燃料がせいぜいで、そうなると二束三文でのたたき売りになる。金をみすみす逃す愚行はなんとしても避けたいところだ。

 普段寄港する内海沿いの街では需要が少なく捌ききれなさそうだということで、外海からやってくる商人たちが高値で買ってくれそうな街を目指すことになった。到着まで丸1日かかるがその間にやることは特になく、他のみんなもそれぞれ自室で惰眠を貪ったり賭けに興じて時間を潰していた。見慣れている水辺からだんだんと景色が移り変わっていくのを、僕は食堂の窓から眺めていた。内海が後方に遠ざかり、今は広大な草原の上空を巡航している。前方に見える高地は荒涼としており、その東にある低地のさらに先に目的とする街がある。間に小さな村や集落が点在しているのが見えるが、僕はこの艇がそれらの村々に着けるのを見たことがない。甲板長曰く、

「大口取引は見込めないし小口の購入も安い。艇を着けたら給油もしなきゃならないが、燃料だって内陸まで運搬してる分、割高だ。逆にああいう所は陸送の商隊の中継地として機能しているし、まあ俺らみたいのは互いにお呼びじゃない」

 流通についても少しは知っておいた方が良いぞ、と締め括った。確かに直接は関係なくとも、そういった背景を知っているかどうかは商売において明暗を分ける要素になりそうだ。僕もこの艇にずっと乗っていられるわけじゃない。いざ艇を降りる時、何ができるのだろうかと不安になる。だが今も、故郷から身一つで飛び出してもなんとかやれている。その時になるようにしかならないだろうと思うと多少心持ちは軽くなった。

 わっ、と食堂の端の方から声が上がってまた静かになった。あちらの方では姦しい会話が繰り広げられているようだ。心なしか空気まで黄色だかピンクだか、とにかく目の前で屯っている野郎どもが醸し出している空気に比べて確実に明るく見える。

「うちは雰囲気がいいだろ」

 甲板長も暇を持て余しているようで、あれやこれやと話に落ち着きがない。僕は適当に相槌を打ちながら二杯目のコーヒーを注いだ。砂糖を入れたいが、飲みすぎているようで気が引け、いつもより一つ減らした。

 危険が多い仕事なので自然と男が多い職業だが、全部署に女子を配置しているのは本艇くらいらしい。他所様を知らないので、そうなのか、という感想しか浮かばないが、どうやらそれは本艇のモットーを反映しているんだとか。

「この艇のレプリカンって名前だけどな、お前意味わかるか」

「御伽噺に出てくる妖精っすよね、靴屋が寝てる間に作ってくれる」

 振り向くとジトーが立っていた。賭けに負けたらしく、男衆の輪から抜けてきて隣に座った。やけ酒のつもりなのか、だぶだぶと砂糖とクリームを入れている。

「それもあるな。元々の伝承では悪戯ずきの小人ってのは変わりない。でも本質は自分たちのためにだけ、しかも気が向いた時にしか働かない奴らなのさ」

 甲板長の説明を聞いて、ジトーと僕の両方から同時にああ、と声が出た。

 交易艇は通常、スポンサーから建造費や運営費を提供されている。スポンサーのほとんどは大きな街に拠点を持つ商会で、給料もある程度保障されているが優先する取引先など制約もある。そういった所は競争率も高いし、体格の良い男が優遇されるのも当然だろう。だが本艇は無所属の自由艇だ。売上をとやかく言ってくる商会はなければ、雇用契約の形態もあってないようなものだった。


 乗りたければ乗れ。降りたくなった降りろ。あとは周りに学べ。本艇に当初乗り込んだ際に、艇長はそれ以上何も言ってこなかった。自分なりに決死の覚悟で乗り込んだだけに拍子抜けだったが、逆に技術試験なんかがあったら間違いなく落ちていただろう。この交易艇に乘ることを進めてくれたおやっさんが、ここを特異だと言っていたのにも合点がいった。この艇はそういった、行き場を失った人や、本来なら乗れないであろう人材も受け入れるのだ。そう言った雇用体制を貫くためには独立する必要があったのかもしれないし、レプリカンと言う名前もそう言った反骨精神を表しているのだろう。自分はもしかしたらいい境遇に置かせてもらっているのかもしれないな、と思いながらコーヒーを啜った。


 艇長が食堂に訪れたのは、陽も傾いて来た頃だった。

「おうおまえらちょっといいか」

 艇長から話があるのは、ボーナスの有無やおおよその休みの日程くらいしかないが、我々にはどちらも非常に重要な情報だ。

「いまから行く街は定期的に大きな競りがある。大手の商船も多数寄港する。脂以外も値段を吊り上げられそうだから、タイミングを狙ってピンポイントで出品していく予定だ。つまり、停泊が少し伸びるってことだ。艇は街のドックに係留するが、宿を使いたい奴は自由にしろ。小遣いも先に出してやる」

 艇長の寛大な休息宣言に食堂が沸いた。話からして少なくとも一月は滞在するのに、手持ちだとどう考えても足りるわけがなかったのだ。普段の長期滞在時も衣食住の確保に加えて多少の滞在費は出るので、その事をわざわざ説明することはない。売れる前から支給が約束されるボーナスなど初めてのことではなかろうか。

 突如空から降ってきた恵みに浸り喜びが咲き乱れる中、司厨長のジブが思い出したように言った。

「そうだ、極東の三人にも朗報だ。この街ではコメが食えるぞ。よかったな」

 食堂内に稲妻が轟き、静まりかえった。

 いや違った。イツキが机を両手で叩き立ち上がり、椅子を倒した音だった。今の、手は痛くないのだろうか。

「こここっここめめぇ?」

 イツキの声は震えて裏返り、顔は真っ青だ。その向かいに座るアシマも顔が固まっている。二人があまりに狼狽えるので一瞬なにが起きたのかと思ったが、なんだ米が食えるのか。まったく、米ごときで大げさな。

「こっこここここここ」

 僕も変な声しかでなかった。

 数秒の間を置いて、数人が吹き出したのを皮切りに艇員達の笑い声で食堂が埋め尽くされた。どうやらよほど変な声が出ていたらしい。笑ってる奴らを無視して、極東出身の三人は司厨長に詰め寄った。

「どうせライスってオチなんだろなぁそうだろ」

「ジブさんそれどんな料理だったの詳しく教えて頂戴」

「コメってあれだろ白くて水で炊いたり伸ばして糊にしたり紙くっつけたりでも髪にくっつくと取れなくて最悪だけど炊き立てが一番もっちりしててうめえんだよなぁ」

 一人だけ途中から思考がふらついている奴がいるが、僕らの剣幕は相当のものだったらしい。司厨長は気持ち慄いた様子で答えた。

「あぁ、そのコメだよ。数年前に寄った時に一店だけ出してるところがあったんだ」

 米なんていつぶりだろうか。少なくとも故郷を出てからは口にしていない。この土地でもあるにはあるが、パサパサしていてまるで別物だ。どんな料理が供されるのか妄想するだけで涎が溢れそうになるが、大口を開けてえへらえへらと半笑いのイツキが見えて正気に戻った。大口をフラウレットが呆れた様子で拭っている。僕も確固たる意志で自身を律さなければアイツのように意識を持って行かれていたかもしれない。自身への戒めとして、イツキの醜態をしっかりと両目に焼き付けた。後で弄ってやろう。みっともない姿を晒すまいと、僕はクールに風に当たってくると言い残して食堂を出た。眼下には、視界の端まで漆喰塗りの壁と橙色の瓦屋根の建物が連なっている。ウミネコの影が散らばり、鳴き声も微かに響いて来ていた。

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