第8話 新メニューのテストは大抵夜番

 夜番当番の日、僕はいつものように見張り台に登り込んだが、内心少しだけうきうきしていた。司厨長との共同新作がちょうどよく準備できたからだ。それは細長いパンを数センチ置きに左右に切って捻り、控えめに肉片を埋め込んで少し硬めに焼いたパンだった。夜番は長いので何かしらの娯楽が必要だが、本を読むわけにはいかないし間食に頼らざるを得ない。でもものによっては配分が難しく、早く食べ過ぎてしまったり余ってしまう。さらに、貴重な卵やチーズを夜食なんかに融通するわけにはいかない。最低限の材料で作れて、時間を決めて等分に摘める、さらに欲を言うなら歯応えをつけるなりして満足度の高い食べ物は何かないか、という相談を司厨長に持ちかけたのが1週間前で、今日はその試作品を試す日だった。他人の感想も欲しいので夜番の相方に一つ持っていくつもりだが、男どもやイツキだと何を食わせても「美味い、もっと寄越せ」としか返ってこないだろう。かといってアシマは非戦闘員で夜でも武器庫での対応をすることはあっても現場にはでない。ましてや夜間の見張り台なんて、一発で風邪をひくだけだろう。唯一まともな意見をもらえそうだったフラウが今日の相方だったので、ぼくは喜び勇んで上層デッキに向かった。

 見張り台へは上層デッキからエンベロープの外膜を伝って乗り込む。デッキでフラウと合流し、登る前に前シフトを務めていたジトーとマイルズに合図し、彼らが反対側へ降りたのを確認してから登った。それぞれ前と後ろを向いて座り、何をするでもないがぼけっと暗い水平線を見つめる。夜間は機関室の整備があり静的揚力でのみ浮いている。風の向くままに流されるだけなので、見張りとはいえ気が張ることもない。ランタンは一応備え付けてあるが、今日のように郊外の上空を飛んでいるときは夜空の星で十分に明るかった。相方によって、月明かりの下だらだらと喋り続けたり歌ったり静かに座ったりボケたりツッコんだりする。僕はどんな夜番も好きだった。

 フラウは気が乗らないと喋らないが、無口というわけではなかった。自然と突っ込みやフォローに回ることが多い僕が、そういう役回りを意識せずに気楽に話せる相手が彼女だった。それはイツキやアシマに感じる親近感とはまた別の感情だった。ある意味部外者だからだろうか、自分の境遇について背景を知らないからあれこれと邪推されることもない。何を言っても、聞いてるんだか聞いてないんだかわからないような反応をしてくれるからかもしれない。多少物足りなく感じることもなくはないが。それに昼間ならまだしも、夜間だとさすがにお互いがなにかしら喋らないと朝まで起きてなんぞ居られない。僕は手土産の新作を手渡しながら話を振った。

「これ司厨長と作ってみたんだけど感想を聞かせてくれないかな」

 30センチほどのそれを後ろの相方に手渡し、コーヒーの入った瓶を渡そうとしたら制された。夜番に出る際は皆少なくとも飲み物は持参している。僕はコーヒー派だが、彼女は紅茶派だったのを思い出した。

「甘い紅茶には合うかわからないけど」

 とついつい逃げ腰な前口上を付け足してしまう。彼女は紅茶に、少量のジャムや花弁、ドライフルーツを砕いて淹れる飲み方をよくしている。

「大丈夫よ。ありがとう、早速いただくわ」

 そういってパンの左右に捻じったところを一粒ちぎった。食べている姿を凝視するのもなんなので振り返り、静かに感想を待つとほどなくしてそれは返ってきた。

「いいわね、これ。油っこくないししっかり噛めるから目も覚めるわ」

「っし!」

 ガッツポーズをしているとフラウは続けた。

「私の紅茶を合わせるなら、具は軽いチーズかプレーンのほうがよさそうね」

 パンを返そうとしてきたので今度は僕が遮った。

「ちゃんと二人分用意してある。お礼ならあとで司厨長に言ってくれ」

 僕も自分のパンをちぎって食べた。うむ、今度はオリーブオイルを足してみるか。手持ちの瓶を開けてまだ温かいコーヒーを一口啜ると、

「そういえば」

 とフラウのほうから話しかけてきた。

「あなたの国ではコーヒーや紅茶ではなくて、発酵させる前の茶葉を使ったお茶を淹れるのよね。それに近いのって紅茶だと思うのだけど、コーヒーが好きな理由はあるの?」

 意外なところから質問が来た。だが、その問いへの応えは話を広げるにはつまらないものだった。

「別に。祖国で飲めないもんを求めてるだけだよ。発酵させてるのも飲まないわけじゃないけど、こっちのように花弁で香り付けをしないかな」

 向こうから話題を振ってくるのは珍しい。ありがたく、ここは流れに任せるままにした。

「フラウはよくドライフルーツいれてるよな。俺はあんまり馴染みがないけど、それこそフラウの故郷の飲み方なのか?」

 これくらいの事なら別に聞いてもいいだろう。それに今のところ他に話題がない。フラウだけじゃなく、この艇に乗り合わせている隊員は互いの個人的な所についてあまり詮索することはない。それぞれ、元いた環境を出てこの艇に乗り込むだけの理由があるのだ。皆と比べると僕が旅に出た理由なんてくだらなさすぎて話す気にもならないが。

「そうね。フルーツは私の地元の名産だったの。これはお世話になった人がよく淹れてくれたミックスを再現しようとしているのだけれど、なかなか辿り着かずにいるわ」

 あ、やべ。なんか地雷踏みそう。そう思った時にはもう遅かった。

「レシピを教えてもらうにも、家には味を知っている人がもう誰も居ないのよ。まぁでも、すぐに再現できちゃってもつまらないから。試行錯誤するのも楽しいの」

 聞きたくないことを聞いてしまった。人様の家庭事情は知らないに越したことはない。その後の付き合い方に多少なりとも影響するし、そんな確証のない情報に踊らされる自分の人間観もいやだった。

 ごめん、と言葉少なに謝ると、何故かフラウの方が少しばつが悪そうにしていた。

「変なところで気を使くてもいいわよ、ここの人は皆そんなものだから」

 それより、と小さな包みを渡してきた。

「温かいうちにコーヒーに入れてみて。東の方ではスパイスやハーブを入れるんだけど、意外と美味しいのよ」

 袋を開けると、緑の葉が二枚入っていた。

「すこし萎びているけど、捻ってから入れてみて」

 促されるまま指示に従うと、コーヒーの土っぽさやスモーキーな香りに爽やかさが足された。

「ミントか。面白い飲み方だね」

 一口目は正直少し戸惑ったが、これはこれで悪くないな。それよりも気になることがあった。

「これ用意してくれたの?悪いね」

「別に、大したことないわよ」

 僕らの夜は穏やかに過ぎていった。


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