第7話 非番の過ごし方

 習慣とは頼もしくもあり憎らしくもあるもので、いつまでも惰眠を貪るつもりが、日の出とともに目覚めてしまった。丸窓の枠に無理やり縛り付けてあるだけのぼろきれのカーテンは閉めていたはずだが、それでも漏れる明かりに反応したらしい。二度寝を決め込もうと薄いブランケットを頭まで被るも、腹が何か寄越せと切願してきている。決まり切ったメニューだとは言え、いやだからこそ、温かいうちに食べないといけない事もわかっている。昼前にのそのそと食堂に顔を出しても出迎えてくれるのは冷え切った豆のスープと硬くて酸味の強い、スカスカのパンだけだからだ。肉なんて欠片も残っちゃいないだろう。二度寝して起きた後のわびしさが分かっているので、不服ながらも起きて厨房に向かうことにした。

 食堂はほぼ全員が顔を合わせる唯一の場所だ。普段は持ち場やシフトがあるから、下手すると食堂以外でひと月も顔を合わせない隊員もいる。といって別段広くもなく、20人強の隊員に対して15席しかない。これから働く奴や仕事上がり、非番がごたまぜに、肘を摺りあって座る。司厨長が毎度、艇の男衆に見合う豪快な煮込みを寸胴いっぱいに出し、それと酸味が強いサワードゥのパン、野菜の酢漬けとチーズが普段の食事だ。パスタは多量の水を使うため重量当たりのコスパが悪いらしく、同じ理由でコメも敬遠される。というかコメが高い、高すぎる。キロ当たり小麦粉の4倍とかする。僕ら極東勢としてはいかんともしがたい所だ。補給直後はメニューもそれなりに豊富だが、一度の航行が数か月に及ぶと最後のほうは保存食の乾物、豆のスープと古いパンだけになり、当然隊員の体力やモチベーションへの影響が著しい。そんな理由から、僕らの理想の航行期間は8週間程度だ。


 豆だらけのスープと気持ちばかりの肉を盛り、すでに食べ終わりコーヒーを飲んでいた隊員たちの間に座った。

「飛んでようが地に足付けてようが、やってるこたぁあんま変わんねえんだな」

 甲板長の言葉に内心頷いた。スケールの差はあれどその通りだ。そもそも僕らは狩人の集団というよりは商隊やキャラバンのようなものだ。物流の手段が船と飛空挺と荷馬車しかないので、地方ごとの情報の伝達速度が大きく異なる。ここでいう情報とは栽培、加工、保存、運搬、調理法、そしてそれらに釣り合う価格だ。温暖な南では安価で食されているパンやワインは、寒涼な北方面に五日も飛べば3倍の値段になる。逆に北のエールやジビエは、保存期間が短いものの、南に運ぶことができれば好事家が高値で買う。毛皮なんて仕入れ値の十倍で売れる。その差額で備品を買い入れる訳だが、やはりモノによって安い地方があるので、方々で少しずつ買い入れる。逆に、どの地方でも安定して狩れる空の生き物の素材は価格が安定しているため、僕らは貨幣の代わりに空の肉や脂や骨を使う。生きるために必要な備品を求めて過分に壮大なお使いを続けていると言っても差し支えない。


「付け加えるなら、個人だろうと国だろうと似たようなものだな。そしてどっちもでかくなろうとか欲を出し始めると大抵失敗するんだな」

 機関室長が続けるのを、食器を下げながら聞いた。

 それは後からいくらでも文句がつけられる立場だから言える事だろう、と内心反論したが、上空数千メートルで管を巻いている中年たちの会話にこれ以上身を晒し続ける気にはなれず、避難場所を求めて食堂を脱出した。長居していたらそのまま日勤に巻き込まれそうだしな。

 昨夜そこそこの空獣を仕留めたのだが、デッキ上で解体できるサイズだったため今朝の当番の隊員たちで作業にあたっている。脂身の搾油や肉の切り干し、革の鞣しといろいろと工程はあるものの、非番まで駆り出すほどではなかった。艇内の大きな部屋はみんな解体に使われてしまっているので、僕は暇を持て余し、結局いつものサボり場ーもとい武器庫に流れついた。

「やあアシマ、大変そうだね。手入れを手伝うよ」

「来たよ暇人が。ではどうぞ奥へ」

 艇内の複数の箇所で解体を行う時は彼女は武器庫に留まり、各隊員が必要に応じてここに刃物や鉤爪、ロープ、網等の道具を取りに来ることになっている。暇すぎず忙しくもなく、日がな一日中だらだらと会話するには最適だった。イツキはいろいろな刃物で遊べる、いやもとい経験が積めるということで、普段より繊細な部位の解体に挑戦している。つまり、時折訪れる隊員以外には、僕にとってのこの小さな楽園に邪魔はこないはずだった。

 だが普段から顔を合わせているだけあって、これといって話したい話題があるわけでもない。革に油を塗ったり刃物の錆を削り落としたり、実は結構やることもある。手入れを手伝いながらぽつぽつとする会話も案外悪くないものだ。そして大した話題もないと、多少の身の上話が出てくるのも普通のことだった。

「私は鍛冶屋で育ったけど、そこで産まれたわけではないんだ」

 彼女自身は戦争孤児で、鍛冶屋には養子に引き取られていた。その鍛冶屋がイツキの実家と懇意にしており、五歳ごろに丁稚奉公という形でイツキの家に住み込んだそうだ。イツキとアシマは一緒に遊び回ってたものの、形式的には主従関係にあるらしい。

「最初はもちろん怖かったし恐縮もしたんだけどね。なんたって私の主様なわけだし。でもイツキはあんなでしょ?毎日のように遊びに連れ出されてたよ」

 武家と鍛冶屋は世襲制ということもあり、それぞれの当代が子供の頃から生涯付き合い続けることも珍しくない。アシマを養子に迎え入れた家は実子が居なかったため、彼女に技術を教え込んだそうだ。丁稚奉公はお互いが切磋琢磨できるようにとの両家の総意だった。アシマはイツキのための武具を打ち、イツキはそれを使って修行して育った。武士見習いと同じく職人の見習いがお互い助けあって技術を高める合うための互助契約というやつだ。

「最初はもちろん鉄なんて打てないから、お手伝いだけだけど。それでも、10歳くらいには自分で一通り作れるようになってたよ。イツキの修業が本格化したのもその頃」

 お互いの技術や体格が出来上がるに連れて、相互に無くてはならない相棒になっていったのだろうことは想像に難くない。だが、疑問も沸いた。

「それだと、汎用製品とか造れなくなるじゃないか。どんな粗悪な武具も扱えてこその武術の達人なんだろうし、誰にでも合わせられる技術を持つのが良い鍛冶師なんじゃないのか?」

「その通りだよ。だから、数打ちも造る。イツキも数打ちでも修業してた。自分専用のカスタム品と切り替えて使って、基礎と応用にメリハリをつけたり、得意な分野を伸ばしたりするんだ」

 思い返すと、イツキは確かに、相棒の武器を一振り持つというタイプではないようだ。言動のシンプルさとかけ離れた細やかさで、まるで暗器のように多様な武器をどこからか取り出し細かく使い分けていた。袴に拘るのはその辺りの事情もありそうだ。僕は彼女らの過去を詳細に渡って知りたいわけでもないが、このほのぼのとした会話の時間を楽しんでいた。だが下手に踏み込むと重い話にも触れてしまうかもしれない。本人が語りたい場合にはもちろん問題ないが、この艇ではお互いに深く干渉しすぎないのが暗黙のルールだ。先程、孤児という若干気になる単語も出てしてしまったし、ダークサイドに堕ちかねない会話はさっさと切り上げるに限るが、はてさてどう区切ったものか。

「アシマー、タチワリ折れたぁー」

 ちょうどいいところに丁度良い奴がやってきた。言ってることは物騒だが。

「うわ。なにこれ。何したのよイツキ?」

「わかんないよお、肋骨に沿って剥ごうとしたらなんか先っちょが引っかかって、押したらぐにゃって」

 イツキが持ち込んだ解体用の包丁は2メートル近い長さがあるが、真ん中で大きく歪んでいる。よく見ると先端も少し潰れているように見える。彼女がばつが悪そうに説明するのを聞いて、アシマは額を抑えた。

「それ多分基骨でしょ。骨に柳刃押し込んだらそりゃ曲がるよ・・・」

 それにイツキは押したと言ってはいるが、おそらく実際のところは力いっぱい叩きつけたのだろう。彼女はいつも行動と表現の齟齬があるというか、ギャップが激しいのだ。

「ごめんよお」

「それにしても加減があるじゃない!」

 アシマの小言を、イツキはしょぼくれながら黙って聞いていた。もし文句を言うのが僕だったら、すでに取っ組み合いの喧嘩になっているだろう。イツキはアシマに対してはとても素直で、今回も平身低頭している。これじゃあ。

「どっちが年上かわかんないな」

 思わず吹き出しながら言うと、こちらにようやく気付いたイツキがぼっと赤面した。

「うわテメェ居たのか!何見てんだよ聞くなよ忘れてくださいなあアシマあいつ伸ばせば忘れるかな?」

 支離滅裂なうえに物騒このうえない。

「イツキ!お座り!」

 アシマの喝でイツキは変な声をあげ、びしっと居直り、床に正座した。

「我儘いうんじゃありません。これは直してあげるけど、今日のところはこっちで我慢なさい」

 アシマが渡したものを見て、イツキはいたずらをして怒られる子犬のような顔から、おやつを取り上げられて半べそをかいてる顔になった。

「三徳包丁じゃんか、勘弁してくれよお」

「それだけ短ければ曲がりようもないでしょ。ほらいったいった」

 アシマは背中の丸くなったイツキを追い返した後、曲がった包丁を丁寧に布に包むのを僕は眺めていた。

「女房役は大変だな」

「あれでも結構かわいいんだよ」

 軽口を叩いてみたが、彼女の方はさほど嫌そうな顔はしていない。

「古女房っていうんだろうな。無茶振りにも慣れたし、彼女の考えることは大体読める」

 うんうんと頭を縦に振っていると、アシマは思いついたようにこちらを振り向いた。

「ところで、うちの旦那様の恥ずかしい姿を見られたからには、こっちもなにか見せてもらわないとフェアじゃないとおもわない?たまには君の話も聞いてみたいものだけど」

 しまった。僕は追及を避けるように、そそくさと荷物をまとめだした。

「僕は田舎から出てきただけのムラビトソノイチだよ。じゃあそっちは忙しくなりそうだし、そろそろ行くよ」

「まったく、強情だね君は。この後になにかあるでもないでしょ?」

「夜番の当直なんだ。それに向けてちょっと準備をね」

 準備って、寝る以外にあるのだろうか?と顔を傾げるアシマを置いて僕は厨房に向かった。通路を進んで、角を曲がったところで自然と声が漏れた。

「替えの利くモブなんだよなぁ」

 自分の話なんてしたくもない。本当にただの田舎出身の村人だからだ。人の話を聞くたびに、そのことを思い知らされるのだ。

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