第2話

 その日は雨が強くて、外で遊べる状況ではなかった。梅雨の時期で、もう何日も美優の顔を見ていない。当分の間、美優が秘密の花畑に来ることはないだろうと思っていたが、次に会った時に渡せるようにと、四つ葉のクローバーを探していた。壮太に優しく接してくれる美優の喜ぶ顔が見たい一心だけで。

 お互いに会いたい想いがシンクロしたのか、美優が雨の中、ランドセルを背負ったまま花畑に現れた。


「美優、雨の中どうしたんだ?」


「壮太こそ、雨の中何してるの?」


「いやぁ、ちよっと、四つ葉の……ク、クローバ……を……」


「ええええ!? こんな雨の中? もう終わりにしよう。 美優ね、壮太に会いたかったから学校の帰りに寄ってみたんだ。お土産に給食のプリンもあるよ」


 美優は壮太の心知らず、雨の中何をやっているのかとニコニコしながら苺柄のピンクの傘を壮太に傾けた。美優がいるだけで、雨が降っているのに、ここだけお日様が照らしているかのように明るく感じる。

 この雨の中、ここまで歩いて来たのだから当然だが、美優の洋服がすっかり濡れていた。壮太は、雨に濡れている美優が可哀想だと思って、躊躇いはあったが、思い切って言葉に出した。


「俺も美優に会いたかった。雨も強いし、汚くてもいいなら、俺の家で少し休んでいく?」


「いいの? 行く、行く!」


 ゴミだらけの臭くて汚い家でも2人でいれば楽園だ。濡れた服をハンガーにかけ、壮太は上半身裸で、美優は下着姿になって、いつものようにランドセルの中にある児童書などを読んでいた。そこに突然、美優の母親と警察官が乱入してきた。

 裸の壮太と下着姿の美優を見て、母親は半狂乱になって壮太を罵倒した。あまり記憶には残っていないが、何発か平手打ちをくらったかもしれない。

 それから、美優は連れて行かれ、何人もの大人たちがこの狭い小屋の中に雪崩れ込んできた。

 壮太は保護者不在ということで、児童相談所に保護され、そのまま児童養護施設で暮らすようになった。


 *


 中学生になっても変わらず優しい美優。美優の潤んだ目がまっすぐ壮太を見る。


「……恨んで、ないの……?」


「恨むも何も、美優は初めての大事な友達だから。ずっと会いたかった」


 それは壮太の本心だ。ずっと美優に会いたかった。いつか美優に会った時に恥ずかしい自分ではないように勉強もスポーツも頑張った。

 美優はずっとハラハラと涙を流している。二人の秘密が母親に知られてしまったことに、ずっと自分を責めていたに違いない。


「美優、本当に会いたかった。――もう泣かないで、こうして再び会えたのだから、ね」

 壮太は美優に笑いかけ、そっと美優の涙を指で拭った。



 遠くから授業開始10分前の予鈴が聞こえる。


「また、明日もここに来られる? そ、壮太君……。私も、ずっと会いたかったし、良かったら、色々とお話ししたい……」


 美優からの素敵な提案に壮太の心臓がトクントクンと軽やかに跳ねる。嬉しくてにやけてしまいそうだ。

 俯き加減に消えそうな声でお願いする美優が可愛くて、可愛くて、無言で何度も頷いた。

 大切な思い出の女の子は、少しだけ大人になって、昔のように頬を桃色に染めながら、はにかんだような笑顔を見せた。


 *


 あれから数年、美優はこの春高校生になる。

 壮太と同じ高校に入学したいと、美優は遅くまで図書館に通いつめ、壮太も協力して勉強を見てあげるなどして合格を掴んだ。壮太は昔から頭の作りが良く、5本の指に入る進学校へ進んでいたので、美優は必死になって頑張った。

 受験勉強からやっと解放された途端、美優がずっと気になっていた秘密のお花畑に行ってみたいと言い出した。避けていたわけではないが、壮太にとっても美優にとっても辛い思い出があるので、なんとなく近寄り難く思っていたのだ。

 春休みが終わりに近づいたころ、陽気が良かったので、ついに出かけることになった。記憶を頼りにその場所へ行ってみるが、記憶の中にある開けた場所なんて見当たらない。


「もう、あのお花畑はないのね」


「そうだな、区画整理されて住宅地になっていたのか。俺の家があった場所も跡形もなくアパートになっているし……」


 2人は暫くその周辺をぐるっと歩き回った。壮太が差し出す手を自然に握る美優。

 やはりこの辺は辛い思い出が勝ってしまうのか、壮太は知らず知らずのうちに握る手に力が入ってしまう。


「壮太君?」

 美優が心配そうに壮太を見上げた。


「ああ、大丈夫だ」


「大丈夫じゃない! そんな青い顔をして。美優が一緒なんだよ、楽しかったことを思い出して!!」


(そうだ、美優と楽しく転げまわったあの花畑。何よりも支えになった、あの素晴らしい宝物のような日々――)


「有難う。美優は恩人だよ。美優と出会えたから、俺は一生分の運を使い果たしただろうな」


「偶然みたいな運じゃなくて、運命だって。あの時、私は初恋だったし、こうしてまた出会えて、私が胸の中で永くつむいでいた恋心は無駄じゃなかったって思えるの。それに、子供の頃の壮太君はボロを着ていても髪が長くても、私には初めての大事なお友達だったんだからね。壮太君はどんなになったって、壮太君なんだから」


 美優は無邪気な笑顔で、少し気弱になった壮太の手をグイっと強く引っ張った。

 美優の肯定的な言葉が、壮太の凍てつく心を溶かしていく。


「壮太君、あそこに公園があるよ。行ってみようよ」


 公園へ向かって、美優が駆け出した。

 公園にはシロツメクサが咲いており、昔遊んだ花畑よりずっと小さいが、思い出の場所を彷彿させる。

 シロツメクサで花冠を作りながら「おーい!」と壮太に笑顔を向ける美優。小さい頃と変わらないお日様のような笑顔。

 こんな自分と一緒では美優に迷惑がかかると思い、踏み出せなかった一歩を、今一度踏み出してみようか。

 過去は変えられない。でも、過去を乗り越えて新しい未来を作り上げることは、誰の下においても平等にできるのだ。

 自分を愛せない人間に他人を愛することは難しいだろう。壮太は真剣に美優と向き合いたいから、自分を認め、今まで密かにつむいでいた恋心を、今度こそ解放してみようと思う。

 そう決意すると、壮太は春の空気をゆっくり吸い込み、美優の元へと走って行った。



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初恋つむぎ 【裏】壮太Side 仙ユキスケ @yukisuke1000

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