初恋つむぎ 【裏】壮太Side

仙ユキスケ

第1話

 この事は誰にも言ってはいけない。

 普通の家の美優みゆと、俺が一緒に遊んでいることは絶対に秘密だ。ずっと秘密に、大切にしていたのに……こんな事になるなんて。

 どうして俺は、こんなゴミのような家と、ほとんど親として機能していないクソ親の元に生まれてきたんだろう。


 壮太そうたは、崩れそうな粗末な小屋の片隅で体育座りをしている。ゴミしかない家の中で、何を探しているのか知らないが、まるで犯罪の痕跡を探すかのように見たことない大人や警察官がバタバタと動きまわっている。


(――美優、暫く会えなくなるのかな。美優と一緒に遊ぶのは楽しかったなぁ……)


 壮太は両手で耳を塞ぐと、さらに小さくなるように膝を胸に抱えてうずくまった。

 そして壮太はこの日、児童養護施設に保護された。


 *


 キーンコーンカーンコーン

 島田壮太しまだそうたはお昼の時間が嫌いだ。なぜなら、クラスの女子や見た事もない女子が自分の周りに集まってきて「お弁当を一緒に食べよう」とか、「お弁当作ってきたから食べてくれる?」とか煩わしいからだ。中学に入り、サッカー部で目立つポジションにいるせいか、女子に注目されるようになった自覚はある。女子達は黙食のもの字も知らないとばかりに我先にと壮太に声をかけてくる。

 でも、壮太は思う。自分の本当の姿を知ったら、みんなの態度が一変するだろうなと。

 少し前までは、仲良くなった友達に自分の生い立ちを話してきた。

 本当の親がいなくて、児童養護施設の出身だと分かると、誰もがよそよそしい態度になるか、逆に変に気を遣うようになって、結局のところギクシャクして友情が破綻する。そこまでの友情だったと思えば腹も立たないが、少なからず精神的なダメージを受けるので、中学に入ってからは3年になった今も生い立ちをカミングアウトしていない。

 小さい頃にひもじい思いを経験しているから、食べ物を粗末にしたくないし、女子達がくれるものを断ることは心苦しいが、今は自分にも弁当を持たせてくれる優しい養母がいるから、他の弁当は必要ない。

 壮太は面倒くさそうに、誰に向けるでもなくゆっくりとした口調で言った。


「あ――、先生に呼ばれているんだったなぁ……」


 外に出て空を見上げると澄みきった清々しい青空が広がっている。壮太は両手を上にあげて大きく伸びた。


「――ビオトープに行こうかなぁ。美優はいるかな?」


 美優とは、まだ小学校低学年のころに一緒に遊んだ幼馴染だ。とは言ってもその頃の壮太は小学校にも通っておらず、ホームレスのような暮らしをしていた。ホームレスよりマシだったのは、ボロいけど雨を凌げる小屋に住んでいたことと、時々でも様子を見に来て、食べ物を置いていく母親がいたことだろう。もう母親の顔も思い出せないほど、ひどい親だと思う。

 壮太は、見た目からして暮らしの悪い子供だったから、よく近所の小学生達に馬鹿にされたり、砂をかけられたり、蹴られたりもした。

 そんな生活が日常だったから、自分でも知らないうちに段々と感情が削がれ落ちていき、何を言われても何があっても無表情になっていた。

 しかし、ある日、壮太の目の前に天使が舞い降りた。――と、思った。

 いつものようにいじめられる壮太を助け、「大丈夫?」と声をかけてくれた女の子がいたのだ。


「あのさ、私、沢山飴持ってるよ、ほら! 一緒に食べよう!」


 お日様のようにニコニコと屈託のない笑顔を向けてくる女の子は美優と名乗った。

 壮太より少し年下なのか、純粋なキラキラした目でまっすぐに壮太の目を見る女の子。ふっくらしたほっぺは桃色をしていて、苺の飾りのついたゴムでお下げ髪にしていた。

 こんな普通の女の子が自分に声をかけてくれるなんて、壮太は戸惑いとドキドキと色んな感情が駆け巡り、感情というものを一気に取り戻した気分になる。

 気が付けば、夢中で美優を壮太の一番のお気に入りの場所に連れて行っていた。

 美優と遊んだ日々は壮太にとっては一番の宝物で、美優と会えなくなって、どんな辛い事があってもずっと心の支えになっていたのだ。


 壮太が今の島田家に引き取られてから随分たって、中学生として普通の生活をしていたある日のこと、

(――えっ!? もしかして美優か?)


 中学の1学年下で美優を見つけた。

 美優はつまらなそうに中庭のベンチでお弁当を食べていた。

 少し大人になって綺麗になっているけど、桃色のふっくらほっぺは健在だ。

 壮太は興奮して逸る気持ちを抑えられず、下駄箱の名前を探しに行って美優だと突き止めた。


(美優! 美優がいる。桐谷美優だ)


 それからの壮太は学校にいるときは常に周囲に注意を払い、美優が視界に入らないか気にするようになる。いつも気にかけていたから、美優が、中庭からビオトープにランチの場所を変更したことだって、当然いち早くキャッチした。


「なんか、俺ってストーカーみたいだな……」


 自己嫌悪に苛まれつつも、今日もビオトープに足を向けてしまう。美優の元気な姿を見るだけで幸せな気分になれるのだから、美優は壮太にとって抜群のビタミン剤だと言えるだろう。

 ビオトープに近づいた時だった、美優が誰かと言い争っている声が聞こえた。


「頭の中がお花畑なの!? 私は嫌だと言ったの。中西君のことは彼氏にできません。もっと言えば、あなたの事は、好きか嫌いかで言えば、嫌いです!!」


 壮太が校舎の陰からこっそりと話を伺っていると、美優が告白されたもののバッサリと相手の男子を切って捨てたような感じだった。


(――くくっ、意外と美優は厳しいんだな)

 なんて含み笑いをしていたら、壮太の目の前を男子2人組が急いで走って行く。

(ん? 玉砕されて走り去ったか?)


 壮太が騒がしくなったビオトープを遠目で見ると、猫が池で溺れているという大惨事になっており、美優が靴を脱いで救出しに行く準備をしている。


(大変だ!!)


 壮太は慌ててビオトープの傍まで来ると、後ろから美優の肩を掴んで止めた。


「俺に任せろ」


 壮太は急いで池に入り、猫を救出した。

 緊急事態のため後先考えずに美優の前へ突然姿を現した壮太。

 目を丸くして驚く美優を前にして、壮太は格別の想いで目を細めた。

 差し出された苺柄のタオルに、楽しくて宝物のような記憶が、あのお花畑の日々が、彩り鮮やかにフラッシュバックされる。


「今でも苺が好きなんだな」


 自然と出た言葉であったが、美優には不審がられただろう。

 壮太は一目で美優が分かったが、もしかしたら美優は壮太を忘れているかもしれないのに、深く考えずに美優の前に飛び出してしまった。

 美優は、壮太の言動が唐突すぎて理解できないといった訝った目つきをしたあと、何故か遠い目をしてぼんやりとしている。


「久しぶり、元気だった?」


 声をかけると、再び壮太に目を向ける美優。美優に見つめられると(いや、訝った目つきを向けているだけだが)、まるで細胞の一つ一つが沸き立つような興奮を覚える。


「美優に迷惑になると思ってずっと話しかけられずにいたけど、もう限界だ」


「私は先輩と面識がないと思いますけど……なんで、名前を」


(やはり美優は、俺を忘れているのか……、でも、これを見せたら思い出すかもしれない)


 壮太は無言でズボンのポケットからスマホを取り出すと、そっと美優に差し出した。

 昔、美優にもらった苺の飾りがついたヘアゴム。子供時代に伸ばしっぱなしだった髪の毛を邪魔だと言って美優が結んでくれたものだ。ゴムが擦り切れるまで使って、ゴムが駄目になった後は苺の飾りをストラップにしてスマホに付けた。


 美優は苺の飾りを見ると、戸惑いと驚愕の色をのせた目で壮太の顔を穴があくほどじっくり見つめた。その後、何かを悟った様子で、かすかに唇を震わせながら、それを抑えるように手を口に当てて地面に崩れ落ちた。

 美優は涙をこぼし、何度も壮太に謝罪した。


「ごめん、やっぱり美優を困らせてしまった」


 壮太と美優は、最悪の別れ方をしている。

 そもそも普通の家の子供がホームレスのような子供と一緒に遊ぶなんて理解されないだろう。子供の壮太だって、そんな事よく分かっていた。それなのに天使のごとく壮太の前に舞い降りた美優。美優は微塵も差別意識なしで壮太と対等に向き合った。これがどんなに稀なことか壮太はよく知っていた。

 だからこそ、美優を手放したくない、ずっと一緒に遊びたい思いから、2人で遊んでいることを秘密にしてもらっていたのだ。

 しかし、そんな幸せな日々は長く続くはずもなく、ある日のこと、美優の母親に見つかってしまった。


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