第2話
美優は一人っ子だった。
だから、1年生になったら友達100人作るのが夢だった。
そんな思いも空しく、引っ込み思案でやたら正義感の強い性格が災いし、小学校に入学してもなかなか友達ができない。
なぜなら、美優は悪いことをしているクラスメイトを見過ごすことができず、先生への告げ口が多かったからだ。悪い事を指摘するのは勇気がいることだが、度が過ぎると軋轢を生むのも事実なのだ。結局、美優はいつも一人ぼっちだった。
ある日のこと、公園の前を通りかかると男子数人が一人の子供を囲んでワイワイと悪口を言っていた。
咄嗟にいじめていると思った美優は、「何をしているの?」とその集団に声をかける。
「わっ! 告げ口美優が来た~」
「逃げろ、逃げろ!」
男の子たちは美優のクラスメイトだったようで、慌てて蜘蛛の子を散らすようにいなくなった。
残ったのは髪の毛が長く、全身汚れていて、一目で暮らしが悪いと分かるような子供。
上着は茶色く変色し、ズボンは両ひざに大きく穴があった。しかも靴ではなく大人用のサンダルを履いている。さすがの美優も警戒したが、意を決して声をかけた。
「大丈夫?」
その子は声の方に視線を上げた。
美優は予想外に力のある眼差しに面食らったが、足元に棒つきの飴が砂まみれで落ちているのに目が移った。
「あ、君の飴ちゃんだったのかな? もう食べられないね」
「……」
その子は無言で砂まみれの飴を拾うと公園の水道で洗い始める。
「ねぇ、それ食べる気?」
「……」
「あのさ、私も沢山持ってるよ、ほら! 一緒に食べよう!」
美優はいつも一人だったから、この子となら友達になれるかもしれないと瞬間的に感じたのだと思う。それくらい友達に飢えていた。
「……こっちにきて」
その子は初めて口を開くと同時に、町外れにあるお花畑に美優を連れて行った。
「うわあぁっ、こんな広い場所があるんだね。シロツメクサがいっぱい咲いている」
「ここは俺の秘密の場所、あんたには特別に教えてあげる。飴のお礼だよ」
「ありがとう! シロツメクサで花冠も作りたいし、四つ葉のクローバーも探したいなぁ。明日も来ていい?」
「うん、いいよ。俺、
「私、
美優が握手の手を差し出すと、壮太は何度も自分のズボンで手を拭ってから照れた様子で美優の手を握った。
「美優、だけど俺と遊んでいるのは、他の人には内緒だよ。特に大人には絶対に言ってはダメだ」
「どうして?」
「――だって、俺、こんなだし……。それに学校へも行ってないし」
「えー!? 学校に行ってないの? 何歳?」
「8歳……」
「壮太は年上? その年なら小学2年生だよ。私は1年生だよ。よく分からないけど、分かったよ。皆には内緒にする」
にっこりした壮太は口元に愛嬌があり、そうだアヒルの嘴に似ていると美優は思った。
それから暇さえあれば美優は秘密のお花畑に通うようになった。
ある日、学校帰りにランドセルを背負ったまま壮太に会いに行くと、壮太がランドセルの中の教科書に興味を示した。壮太はとても頭の良い子供で、美優の小学一年の教科書などすぐに理解したため、美優がお花畑へ行く日は、家から高学年向けの児童図書などを持ち出して渡すと夢中になって読んでいた。
二人は毎日暗くなるまでこの秘密の場所で遊んだ。
「美優は壮太のことが好きだよ」
美優が天真爛漫にそう告げると、壮太は困った顔をして、寂しそうに目を伏せる。
美優は本当に壮太のことが大好きなのに、寂しそうにする壮太が不思議だった。
壮太は学校の男子みたく美優のことをからかったり、悪口を言うことはない。初めての大切なお友達だ。たとえ壮太が粗末な服を着ていても気にならないし、そんな事自体、子供の美優には些末事だった。
ふと壮太を見ると、いつも通り真剣に美優が渡した本を読んでいる。
壮太は男の子にも関わらず女の子のように髪の毛が伸ばしっぱなしになっていて、前髪が目にかかって何度も手で払っていた。
「壮太、前髪邪魔じゃない?」
「……、うん、少しね」
「じゃあ、こうしてあげる」
美優はポケットから苺の飾りのついたヘアゴムを取り出すと、壮太の前髪を結んであげた。
「壮太、可愛い!」
美優は手を叩いて、可愛い可愛いと連呼し、出来栄えに満足した。
自分がどんな姿なのか想像ができない壮太は、そっと苺の飾りを触ってみて、また自分に美優が大事にしている物を分けてくれたんだと理解した。
「美優、いつも有難う。俺も何かあげたいけど……」
「お礼なんていらないよ。壮太と遊べることが楽しいんだから」
ニコニコとお日様のように笑う美優を見て、壮太は眩しそうに目を細めた。
いつもに増して上機嫌の美優に壮太は無言で四つ葉のクローバーをそっと差し出した。
美優が欲しいと探していたが、なかなか見つからなかったものだ。
「うわあぁ、嬉しい。探してくれたの?」
壮太は恥ずかしそうに目を泳がせると、コクンと頷いた。
「大事にするね、家に帰ったら栞にする! 四つ葉のクローバーは幸せになれるんだよ」
「俺もこの苺のゴム大事にする」
2人は自然に両手を繋ぎ合わせると、じんわりと温かくて甘酸っぱい気持ちが胸いっぱいに広がった。
*
季節は梅雨時に移り、毎日降り続ける雨に美優は秘密のお花畑に遊びに行けなくなってしまう。
それでも、どうしても壮太に会いたくなった美優は、学校帰りに秘密のお花畑へ行ってみる事にした。その日は雨が強く降っていて、母親が学校の近くまで迎えに来ていたことも知らずに……。
「あっ、美優……」
美優が帰ってきたのを見つけた母親は、咄嗟にかけた声を飲み込んだ。美優が家へ帰る道と逆の方向へ歩いて行くからだ。日頃から美優がどこかへ出かけて行くことを不審に思っていたのも事実で、今日はこっそり美優の後をつけてみる事にした。何を聞いても「内緒」か「秘密」としか言わない娘。自分の娘を信じたいが、まだ1年生だし親が心配するのは当然のことだろう。
暫く距離を空けてついて行くと開けた場所に出た。母親はこんな広場があったのかと感心したが、その広場の中心で雨に濡れながらうずくまって何かを探している少年がいた。美優はその子に駆け寄ると、傘を傾け、何か楽しそうに会話を始めた。
「えっ、嫌だ。もしかして、ここはホームレスが集まる場所じゃないの?」
母親は目を疑った。自分の娘がボロを纏った少年と仲睦まじく会話しているのだから。
挙句の果てに、少年は娘の手を引き、近くにあった掘っ建て小屋に娘を連れて行ってしまった。
母親は震える手を抑えながら、スマホを取り出し必死で番号をプッシュした。
「はい、こちら110番です。――……、もしもし、もしもし?」
「……む、娘がホームレスの小屋に連れ込まれました――っ。早く助けて下さい!」
*
「久しぶり、元気だった?」
美優は彼の意図が見えず訝った目を向けた。逆に彼は健康的な日焼けした顔で優しい笑みを向けてくる。
「美優に迷惑になると思ってずっと話しかけられずにいたけど、もう限界だ」
「私は先輩と面識がないと思いますけど……なんで、名前を」
彼は無言でズボンのポケットからスマホを取り出すと、そっと美優に差し出した。
その仕草がとても懐かしくて、急に涙が出そうになる。美優の記憶の奥深くを揺さぶられるようだ。
美優はスマホにぶら下がっていたプラスチックの苺に目を奪われた。
(どうして? 私のヘアゴムについていたのと同じ物)
美優は勢いよく顔を上げて彼を見た。
彼と壮太がリンクした途端、頭の中で走馬灯のように辛かった思い出が駆け巡り、その場に崩れ落ちてしまう。
「ご、ごめんなさい、……ごめんなさい、約束を……まも……れっ、なくて……、ごめん……っ」
心臓が激しく波打ち、喉に焼けつくような痛みを感じる。頭を上げていられず、俯いた先の地面を涙が濡らしていく。
壮太は美優の前にしゃがみ込むと、美優の顔を両手で優しく挟み自分に向けた。
「ごめん、やっぱり美優を困らせてしまった」
「……恨んで、ないの……?」
「恨むも何も、美優は初めての大事な友達だから。ずっと会いたかった」
壮太は美優と離された後、児童養護施設に入所した。本人の努力と良い縁に巡り合い、今、この場所に立っていると後から聞いた。
美優にとっても、あの頃、壮太と秘密を共有することが嬉しくて、楽しくて、大好きで、大切なお友達だった。忘れられない秘密の初恋だったと思う。
遠くから授業開始10分前の予鈴が聞こえる。
「また、明日もここに来られる? そ、壮太君……。私も、ずっと会いたかったし、良かったら、色々とお話ししたい……」
俯き加減に消えそうな声でお願いする美優の目に、何度も頷く壮太が見える。
思い出のアヒル口の男の子は、少しだけ大人になって、はにかんだような笑顔を見せた。
初恋つむぎ 【表】美優Side 仙ユキスケ @yukisuke1000
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