第29話【力貸してくれ!】
総一郎が皆藤に屈し、膝まづきながら今まさに口元を彼女の靴先に近づけようとした時だった。
美術部の扉を蹴り飛ばして、強引に施錠を突破した人物がいた。
教室の扉はゆっくりと倒れて音を立てる。目を瞑っていた総一郎は、その衝撃音に思わず目を見開いた。教室の入口に立っていたのは、彼のよく知る人物だ。
明るい色の髪の毛を揺らし、カラコンを入れた琥珀色の瞳。そして、タコさんがプリントされたクラスTシャツに、折り上げられた丈の短いスカート。
「ふう、今日はヒール履いてこなくて良かったわ。ヒールじゃこんな思い切り蹴れないし」
美術室に乗り込んできた蓮花は、皆藤の前に醜態を晒している総一郎の姿を見て皆藤を一瞥する。皆藤も、思わぬ邪魔が入ったことに面白くなさそうな表情だ。
「涌井蓮花……1組は問題児ばかり抱えているのね」
蓮花は皆藤の声を右から左へ聞き流すと、真っ直ぐ総一郎の元へ向かった。上体を屈ませて、彼に手を差し伸べる。
「こんなところでなに油売ってんのよ。開始まであと何分だと思ってんの」
「ま、待て。俺が1人犠牲になれば丸く収まる。この女が材料の在り処を知ってる。俺が謝れば、文化祭にも間に合うんだ」
総一郎の言葉で、材料を隠した黒幕が誰であるかを察した蓮花。彼女は皆藤に凍てつくような冷たい視線を浴びせ、蔑んだ。
対して皆藤は、総一郎が未だ心揺れていることに主導権を握れていると思い、ヤニで黄ばんだ歯を出して笑う。
「このガキはアタシに謝らなくちゃいけないの。教師と生徒の関係は主従。コイツは生意気にも私に逆らったからね。涌井蓮花、せっかくだからお前にも見せてあげてもいいわ。クラスメイトの土下座なんて貴重な光景、滅多に見ることないでしょう?」
皆藤が土下座の強要を催促して笑う。悪魔のような高笑いが教室をこだまする。
すると次の瞬間だった。
身体を勢いよく捻って回転した蓮花。細くて長い華奢な脚はぐるりと回り、皆藤の眼前でピタッと止まった。顔までの距離は僅か。少しでもズレていたら皆藤の高くなった鼻を挫いていた。
「いい加減にしないと、次はそのメガネかち割るわよ」
物凄い剣幕で皆藤を脅す蓮花。またしても教師としての威厳を潰された皆藤は、徐々に取り乱していく。
「こ、このガキはアタシに謝るべきなんだよ!お前も、お前もだ!アタシに歯向かう奴は全員……」
「例えこのバカが先生に何かしていたとしても、生徒に土下座させるような教師の言葉、信じるに値しないわ」
甲高い声で喚き散らす皆藤の言葉を上塗りし、一蹴する。総一郎は差し伸べられた救いの手に捕まり立ち上がると、2人で走って美術室を抜け出した。
「悪い、またお前に助けられたな。でも、いいのか?根本的な問題はなにも解決してないぞ」
「構わないわよ。あんな奴に誰かが土下座しなきゃいけないなら、アタシは文化祭なんて願い下げよ。さ、それより他の策を考えなくちゃね」
総一郎が言うように、開始までの時間は刻々と迫ってきている。スーパーが開くまでは各自の材料で乗り切り、開店と同時に買い込んで帰る。
これが現状考えうる中で、最善策かと思われた。
(アクシデントは付き物だが、ハンデを背負いながらの最優秀賞は至難の業だぞ。……禁じ手だが、やるだけやってみるか)
総一郎は『筑前煮キング』のSNSアカウントを開き、蓮香に見られないよう画面を叩く。
20万人のリスナーの中に、助けを求めたのだ。
(頼む皆……力貸してくれ!)
総一郎は、『筑前煮キング』の『弟』が文化祭で急遽材料がなくて困っている旨を呟き、物資を届けてくれる人には自身のサブスクギフトをプレゼントすることを約束した。
(俺が『筑前煮キングの弟』として最寄りの駅まで受け取りに行く。声でバレるかもしれないが、その時はその時だな)
呼びかけてから数分、ポツポツと通知が届く。
総一郎が感謝の意を伝えて返していると、あと15分程度で荷物を持って到着するという。
並走する蓮香には、適当な理由をつけて離れた。
総一郎は準備に勤しむ橘高生の横を駆け抜けて、正門を飛び出した。
指定した最寄り駅の場所には、数人の男女が材料やたこ焼き器を担いで待っている。
間違いない。曇っていた総一郎の表情がパッと明るくなった。
総一郎は自分こそが『筑前煮キング』の弟であると正体を明かすと、彼らも嬉しそうに迎え入れてくれた。
「凄い!流石は兄弟ですね。声までそっくり!」
「お兄さんに頑張れって伝えておいてください!」
「これ、ウチの実家がたこ焼き屋やってて、大量に余ってるんで使ってください!」
「こんなに沢山……あ、ありがたく使わせて貰います!兄貴にも伝えておきます!」
たこ焼き器を担ぎ上げ、両手には持ちきれない量のたこ焼き粉やタピオカ。必要な材料は、筑前ズたちが全て調達してくれた。
深々と頭を下げた総一郎は、荷物に支配された不恰好な走り方でヨタヨタと橘高校を目指す。
開始の時刻までいよいよ10分というところ。総一郎は荷物を担いで教室に辿り着いた。
「全く、皆してシケた顔してんじゃねえよ。ここにいない奴ら全員連れてこい!俺たちが最優秀賞獲るぞ!」
教卓の上に荷物をドカッと置くと、総一郎は吠えた。鬱屈とした空気が漂う1組に、一筋の光が差した瞬間だった。
すっかり文化祭は諦めムードだった彼らは、たしかにそこにあるたこ焼きセットに視線が釘付け。たこ焼きセットを二度見しては、クラスメイト同士でお互いに顔を見合わせる。
一拍遅れて、歓声が教室を覆った。
椅子の上に立ち上がり、文字通りお祭り騒ぎだ。
そんな中、池辺と陽野が駆けつけ、たこ焼き器をまじまじと確認する。たこ焼き屋から譲り受けた、年季の入った超本格たこ焼き器だ。
「こんなもの……いったいどこから?」
「タピオカまで揃ってる。これもちょっと高いやつじゃないの?」
こんなに大量の材料がどこから沸いてきたのか、2人は興味津々だった。ただ総一郎は真実を打ち明けずに、曖昧な返事で切り抜ける。
「まあ、なんというか、俺のツテだ」
そう言って照れ臭そうに頭を掻くと、池辺が恥ずかしげもなく抱きついてきた。そしてクラスの大勢が見ているにも関わらず、ボロボロと泣き始めた。
「ありがとう……ありがとうな本当に。総一郎、頼りになる男だよお前は」
「おいおい、泣くのは早いだろ。実行委員がそれでどうすんだ。これからだろ、その涙は最優秀賞獲った後に置いとけ」
池辺は相変わらず良い奴で、情に熱い男だった。
彼は涙を拭うと、先に文化祭を見限った酒井たちを呼び戻しに奔走する。
そして陽野を中心に据えて出店の準備が始まった。
せっせと手伝いをしている総一郎に、蓮香がヒソヒソと耳打ちする。
「まさかアンタ、あの女に土下座してきた訳じゃないでしょうね?」
「馬鹿言うな。俺の人脈を頼ったんだよ」
「カッコつけんじゃないわよ、と言いたいところだけど今回はお手柄ね。正直アンタがなんとかしてくれないと、本当に手遅れだったわ」
大至急でテントを組み上げ、早速タピオカを茹で始める。総一郎はここまで重労働続きだ。木陰で少し休息を取っていると、その横に瑞樹がひょっこり現れた。
「流石、『キング様』ですね。本当にピンチから救っちゃうなんて。でも私は、なんとか『キング様』ならなんとかしてくれるって信じてました」
「その名で呼ぶなよ。恥ずかしいんだから」
「フフ、揶揄っただけです。一緒に、最高の思い出作りましょうね」
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