第3章 文化祭編
第28話【橘高校文化祭、開始】
遂に橘高校文化祭の当日。
1年間で最大の学校行事だ。教師も生徒も一丸となって最優秀賞を狙う。
校門には文化祭開催を示す巨大な垂れ幕。実行委員会が夏休みの期間で造り上げた看板や装飾。この2日間は、いつも通っている校舎とはまるで別物だ。
総一郎も内心待ち遠しかったのか、珍しくいつもより1時間も早起きだ。
遅刻だけは許されないというプレッシャーから早寝した結果だ。さっと身支度を整えると、涼しい秋の風を浴びながら学校へ向かった。
文化祭日和と言わんばかりの晴天。まだ夏の暑さが残る気温だが、これは外部からの来訪客も多いと予想される。
総一郎が1組の教室のドアを開けると、クラスTシャツを着たクラスメイト達が既に揃っていた。まだ開始から1時間以上もある。
皆、はやる気持ちを抑えられなかったようだ。賑やかな教室の中には、普段から総一郎と一緒に遅刻しがちな蓮花の姿もあった。
「はい、これアンタのクラスTシャツね」
「お前もやる気で良かったぜ。クラス全員、同じ方向を向いてるってわけだ」
彼女から差し出されたTシャツは、無地の白Tシャツに剽軽な表情をしたタコのキャラがでかでかとプリントされている。そして背中には、2年1組の文字と、クラスメイト全員の名前が書かれている。
普段なら少し着るのに抵抗があるが、このお祭りムードの中では気にならない。
総一郎も早速タコ軍団の仲間入りをした。
「じゃあ俺達、材料とか取ってくるわ!」
池辺がクラスに向かってそう呼びかけると、陽野を連れて教室を飛び出していった。
たこ焼き器やタピオカは準備室に一括で置かれている。
しかし、ここで明るいムードは一変。事態は急変する。
息を切らしながら、走って教室に戻ってきた池辺たち。その顔は真っ青に血の気が引いていて、目には涙が浮かんでいる。全員の注目が彼らに集まった。何事かと、息を飲んで池辺の言葉を待つ。
そして池辺の口から発された言葉は、あまりに衝撃的で残酷なものだった。
「……材料がなくなっている。全部。それに、たこ焼き器は線が切り裂かれていて使えない。悪意をもった、誰かの仕業だ」
「ウチらは今、準備室に初めて入ったよ。それより先に準備室に入った人がいたら、手を挙げて……!」
陽野が歯をギリギリ擦らせながら怒りを露わに詰問するも、クラスの中から手は挙がらない。それどころか各々疑心暗鬼に陥ることで、不穏な空気が漂い始める。
「財津が今日は1番来るの遅かったわ。アイツじゃないの」
「クラスメイトを疑ってんのか?最低だぞお前」
「は?なに庇ってんのよ。分かった、アンタが犯人なんだわ」
「ちげえよクソ女。おい、誰が裏切り者だよ。出て来い、ぶん殴ってやる」
酒井や他の女子クラスメイトを中心に憶測が膨らみ、犯人探しが激化していく。
最優秀賞に向けて足並みを揃えていた1組の絆が、脆くも崩壊する瞬間だった。
「んだよ、それ!やってられるか」
「池辺、お前が嘘ついてんじゃねえだろうな!」
「はぁ~。てゆうか、最初からあたしらが最優秀賞なんか取れる訳なくね?夢見て夏休みも集まって、バカみたい」
こうして教室からは1人、また1人と人が減っていく。
中にはクラスTを脱ぎ捨てていく者もいた。
池辺はその惨状を目の当たりにして、クラスを纏められなかった不甲斐なさと文化祭を台無しにされた悔しさで涙を零す。
彼はその感情を拳に込め、教卓を殴りつけるのだった。
「……財津くん」
小動物のようにひょっこり横に現れ、虫の羽音のような声量で話しかける瑞樹。
総一郎は彼女と顔を合わすことに罪悪感から若干の気まずさを感じていたのだが、瑞樹の方はそうでもないらしい。あの日のことはまるでなかったことのように、また以前の関係に戻ったかと錯覚する。
「急に現れるなよ。なんだ、どうした」
「いえ、その、私も文化祭を楽しみにしていたので、非常に残念です」
「それは同感だな。せっかく最高の思い出になると思ったのに」
すると、瑞樹は少し言葉を貯めて、少し申し訳なさそうにお願いした。
「財津くん。いえ、キング様。お願いします。私、このクラスで文化祭を成功させたいです。これまでチームのピンチを何度も救ってきた貴方なら、できるって信じています。私も、出来る限り協力しますから」
「お前……無茶言うなよ」
確かに総一郎は『筑前煮キング』として、常に戦場でチームを危機から救い続けてきた。個人技のレベルもさることながら、時には身を挺して前線に出張り、時には司令塔として味方を活かし援護する。その献身的なプレーは、リスナーからも非常に人気が高い。
期待を寄せられた総一郎は、姿を変えた校舎を歩きながら解決策を練る。
(スーパーは開店を待っている間に文化祭が始まってしまう。材料を買って戻ったらもう昼になるな。皆の家から搔き集めるか?いや、でも量なんてたかが知れている。すぐに作れなくなって売り切れ御免が関の山か)
総一郎が頭を悩ませながら歩いていると、背後から彼の肩を掴む人物が現れた。
その力はかなり強い。立てた爪がシャツ越しに肉に食い込むほどに。
痛みに顔を歪めた総一郎が振り返ると、眼鏡をかけた女が赤黒いリップをたっぷり塗り込んだ唇をニヤリと曲げた。
「アンタは……ッ」
「あら、文化祭の準備はサボり?お前みたいなクソガキいるなんて、1組の連中も可哀想ねぇ」
「まさかとは思うがアンタ、俺達の材料になんかしたか?」
「なにか話したいことがありそうね。入りなさい、聞いてやるわ」
総一郎と対峙した女教師の皆藤は、側の美術室の鍵を開けて総一郎を招いた。
電気は真っ暗。当然、中には誰もいない。絵の具の匂いだけがほんのり香る。
皆藤は早速ポケットから煙草を取り出して口に咥えると、なにも悪びれる様子もなく煙を吹かした。総一郎にとってはもはやそんなことはどうでもいい。
材料を隠したのかどうか。それだけが知りたい。
「もう1度聞くぞ。たこ焼きの材料やタピオカを隠したのか?」
鬼の形相で皆藤を睨みつける総一郎。
しかし皆藤は動じず、ジャケットのポケットから鍵を取りだした。輪の部分を指に引っかけてクルクル回して挑発する。
「その鍵はなんだ?さっさと答えろ」
「ああ、コレ。お前のクラスの材料を隠した教室の鍵よ。欲しい?」
「やっぱりアンタか……!なに考えてやがる」
額に青筋を浮かべて、今にも掴みかかりそうな勢いで迫る総一郎。
そんな彼に、煙草の火を押し付ける仕草で牽制する皆藤。
「このままじゃせっかくの文化祭も台無しよねぇ。夏休みから必死に準備して、頑張ってきたのにねぇ?」
「黙れ。アンタ、自分のしてること分かってんのか?さっさとその鍵を渡せ」
「この鍵欲しい?文化祭、皆と楽しみたいもんねぇ? だったら土下座しろや。今ここで、アタシに。土下座して靴舐めろ。そしてアタシに今までの無礼を詫びろ。だったらこの鍵、くれてやるよ」
総一郎を嘲笑うような猫なで声から急転直下。身体が震えるような低音で、土下座を命じる。皆藤は本気だ。本気で総一郎に靴を舐めさせるつもりでいる。
「イカれた女め……」
「お前がアタシの言うこと聞くだけで、クラスの連中は文化祭を楽しめるんだ。新しいたこ焼き器も買ってある。さあ、よく考えな。つまらんプライドを優先してクラスメイト達の思い出を壊すのか?」
苦渋の決断を迫られ、記憶の底に封印していたハズの思い出したくない記憶が蘇る。
それは、幼少期『神童 Sou 』として競技界で名を馳せていた時のことだ。彼は母親を始めとする周りの大人たちの傀儡として、金を稼ぐことだけを名目にゲームを続けてきた。
そして競技選手としての収入の雲行きが怪しくなったところで、世間体を気にする母親に無理やり辞めさせられたのだった。当時の彼に選択権は一切存在しない。逆らえば恫喝され、思うようにいかなければ叱責される。
感情を殺して淡々とタスクをこなす機械となった総一郎。
そして、失った感情を2年1組で取り戻しかけた矢先にコレだ。
(配信も楽しい。俺から配信を取ったら、なにも残らねえ。でも、一度きりしかない高校生活の楽しみを教えてくれたアイツらに、俺はまだ恩返しできてなかったな。人生ってやっぱり理不尽なことばっかだけど、アイツらの笑顔が見られるなら……)
総一郎は周りに人がいないことを確認するとゆっくり膝をつき、皆藤の艶のある黒いパンプスに視線を移した。
「そう、そうよ。いい気味だわ。私の靴を舐めて、この前の生意気な言動を懺悔しなさい」
夢にまで見た念願の姿。
恍惚とした表情で、今か今かと総一郎の舌先が靴につくのを期待する。
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