第27話【もういい】
「瑞樹ちゃん、はいコレ。メロン切ったから食べてね」
「ありがとう、お母さん」
瑞樹の母親は三日月状のメロンが盛られた皿を、彼女の勉強机の近くへ添える。いつもなら目を輝かせて喜ぶ瑞樹だが、今日はどうも反応が薄い。
「瑞樹ちゃん、どうしたの?この前まで毎日楽しそうだったのに。なにか嫌なことあった?」
「ううん、大丈夫。ただ……好きな人ができたから」
「んまぁ!」
ボソッと呟いた瑞樹の言葉を、母親は聞き逃さなかった。口元に手を押さえて、跳び上がる勢いで大袈裟に驚いてみせる。
「瑞樹ちゃんも、恋する年頃なのね」
「やめてよ、お母さん。私だってもう17歳になるんだから」
「で、その男の子とはどう?進展は?」
食い気味に迫る母親に瑞樹もたじたじ。今度は更に小さい、消え入るような声量で答える。
「告白……した」
「どぅえぇっ!?」
言葉にならない叫びをあげると、お祭りだと言わんばかりに奇妙なリズムで踊り始める。
そんなお調子者の母親を尻目に、瑞樹は呆れて息を吐く。杉本家では見慣れた光景である。
「瑞樹ちゃん……いまッ、なんて!?」
「だから、告白したって言ったの」
「結果は!?結果は!?」
「最初は、少し時間をくださいって。でも結局、やっぱり忘れられない好きな人がいるって断られちゃった。ずっと昔から好きなんだって」
「……そっか。残念ね、瑞樹ちゃん」
「ううん、いいの。私には受験勉強の方が大事だから。恋愛なんてしてたら、志望校落ちちゃうかもしれないし」
「瑞樹ちゃん……」
受験勉強の方が大事などというのは、彼女なりの強がりだった。母親を心配させまいとついた嘘。
瑞樹の瞳には薄っすら涙が浮かんでいた。
キラリと光った瞳を、瑞樹の母親は見逃しはしない。しかし、指摘などと野暮なことは避けた。
「じゃあ瑞樹ちゃん、ここにメロン置いておくから。他に食べたいものがあったら言ってね、なんでも」
母親は優しく声を掛けて、小躍りしていたのが嘘のようにスッと部屋を去った。
母親がいなくなった途端、ボロボロと涙が溢れる。涙腺が崩壊し、涙が頬を伝うのを抑えられない。
そんな時、彼女のスマホに1件の通知が届いた。
『筑前煮キングがライブ配信を始めました。チーム筑前ズでチャンピ——』
「……もういい」
配信が始まれば、真っ先に飛びついて視聴していた『彼』の配信。今はもう、とてもそんな気分にはなれない。
瑞樹は机に覆いかぶさるようにして、遂に声を上げて泣き始める。ノートの字が段々と滲んで潰れていく。彼女にとって、ここまで感情を露わにするのは珍しかった。
「アンタから呼びつけるなんて珍しいじゃない。アタシに何か用?」
瑞樹から告白されてから数日、総一郎は蓮香を呼び出した。どこか待ち合わせ場所を決めよう、と提案した総一郎だが、彼女に却下されて結局総一郎の部屋に。
部屋に彼女と2人きり。蓮香は相変わらず肌の露出が激しく、目の遣り場に困ってしまう。
「その、なんというか、相談をしたくてだな」
「ハァ?なんの相談よ」
総一郎らしくない、ぎこちない喋り方。なかなか話が核心に迫らないので、蓮香は目に見えて苛立っている。勝手に椅子を占拠して座っている彼女の艶めかしい足が、また振動するペースを上げる。
「こんなことをお前に言うのもアレだが……実は、杉本瑞樹に告白された」
総一郎が情けない声で打ち明けた時、一瞬蓮香の表情が引き攣った。だが、彼女はまるで興味がないと言わんばかりに平静を装う。
「へぇ。本当にアタシに言うことじゃないわね」
「いや、悪い。自慢したいとかそういう訳じゃないんだが、どうしたらいいかと思って」
「どうしたらって、アタシが決めてどうすんのよ。で、告白の返事は?」
「家に帰って真剣に考えて、アイツには申し訳ないが断った」
「……そう」
蓮香としては、友達の恋が実らなかった哀しさと、総一郎を取られなかった安堵が入り混じった感情だった。
「断ったのは、なにか理由があるわけ?」
彼女の問いに、総一郎は顔を赤らめて答える。
「俺にはずっと想い続けている人がいる」
総一郎は滔々と、『ai』について語った。
名前も顔も知らないネット上の関係だが、幼少期の自身を支えた大切な存在であること。そして再び『ai』と繋がり、今度こそ会うことが叶うかもしれないということなど。
「だったら、今はその『ai』さん一筋でいくべきだと思うけど? なにを迷ってるのよ」
「過去に囚われすぎというか、新たな恋に進んだ方がいいような気もする」
「ハァ、女々しい男ね。アンタにその気がないのにOKしたら、瑞樹が可哀想じゃない。誰でもいいから付き合おうっていうなら……アタシはアンタのこと軽蔑するわよ」
蓮香に睨まれて、我に帰る総一郎。
(確かに、急ぐ必要はないか。まずは『ai』を名乗る正体が誰なのかを突き止めてからだ)
2人しかいない部屋で、少しギクシャクした空気が流れる。それからは気まずくなった雰囲気を元に戻そうと当たり障りのない会話を繋げる。
夕方には総一郎の、「プロゲーマーの助っ人を頼まれている」という嘘を理由に、蓮香は彼の部屋を後にすることとなった。
帰路に着く途中、蓮香は総一郎との会話を反芻する。
「嫌われちゃったかな、軽蔑するとか言っちゃって。そんなに彼女が欲しいならアタシと付き合いなさい!くらい言っといたらよかった」
また自分の悪いところが出たと反省する。
そして、やはり自分は総一郎のことが好きなのだと改めて認識した。
(それにしても瑞樹のことを見誤っていたわ。アドバイスしてからすぐに告白しているなんてね)
再び深いため息。
今日はもう何回目になるか分からない。
そして、総一郎が想い続ける謎の『ai』という存在。部屋に2人きりにも関わらず総一郎があの調子では、少なくとも蓮香が告白しても、今のところは勝機がないと見ていい。
「瑞樹の為に自分を殺すなんて絶対に嫌よ、アタシはね。必ず、必ず伝えるのよ。でも今のままじゃダメだわ。文化祭でもっとアイツと距離を縮めて、好きにさせてやるわ」
豪邸である涌井家に帰ってきた蓮香。
玄関のドアを開ける。蓮香が帰ってきたことに対して反応はない。いつものことだ。
蓮香にあまり関心のない母親。
仕事人間で滅多に顔を見せない父親。
リビングの洋風のテーブルに書き置きの手紙が残されている。蓮香はそれは奪い取るように引ったくり、視線を落とした。
「蓮香ちゃんへ。ママは友達とご飯へ行ってきます。出前でも外食でも好きなもの食べてね!」
書き置きの手紙の下から1万円札が顔を出す。
一般的な高校生なら跳んで喜ぶようなビッグイベントだが、裸で置かれた紙幣を見て蓮香は眉間に皺を寄せた。
「いったい、今月で何回目よ……」
蓮香は置き手紙をビリビリに破り捨てると、ソファに勢いよく横になった。
父が仕事で帰らないのをいいことに、母親は朝まで帰ってこないこともしばしばだ。本当に毎回友達とご飯に行っているのかも怪しいが、もはや蓮香の親への関心は極度に薄まっているので興味がない。
彼女1人で暮らすにはあまりにも広い。
物音ひとつない静かな空間で、我に帰ってボーッと天井のシャンデリアを眺める。なにを食べようか漠然と考えていると、ハッとなにか思い出したように身体を起こした。
蓮香は残された1万円札を自身の財布の中に忍ばせる。そしてキッチンからたこ焼き器を取り出して、冷蔵庫の中から具材を探し始めたのだった。
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