第26話【筑前煮キングですよね?】
衝撃の事実を目の当たりにして卒倒しそうな瑞樹。膨大すぎる情報が錯綜し、彼女の頭の中は真っ白になって思考を止めていた。
そんな彼女の肩を背後から叩く人物が1人。
予期せぬ出来事に震え上がる瑞樹。物凄い速度で振り返ると、そこには蓮香が立っていた。
「わ、涌井さん…」
「頭が痛いなんて言って、本当はアイツの会話を盗み聞き?瑞樹のやる事にしては、感心しないわね」
「い、いえ!違います。盗み聞きなんて、そんなつもりは!」
弁明しようとつい声が大きくなる。蓮香は瑞樹の口元に手のひらを押し当てられて遮ると、彼女の耳元にグッと顔を寄せて囁いた。
「好きなんでしょ、アイツのこと」
瑞樹の背筋が、ゾクゾクッと震える上がるのを感じた。返す言葉に困窮していると、蓮香はさらに言葉を紡いでいく。
「見てたら分かるわよ。だいたい、部屋に来てからの瑞樹の様子は明らかに変だったわ。それに、アイツばかり目で追ってる」
図星だった。瑞樹が恋をしていたのは『筑前煮キング』だが、無意識に総一郎を追っていたことは確かだ。蓮香には、全てお見通しだったのだ。
「涌井さん、私はどうしたらいいですか」
「そんなのアタシに聞くことじゃないわよ。ただ、本当に好きなら早く気持ちを伝えるべきね。……アイツは意外とモテるっていうこと、覚えておいた方がいいわよ」
「あ、ありがとうございます」
「アタシは先に戻ってるわよ。瑞樹も早く戻ってくることね、皆心配してたわよ」
瑞樹を残してひと足先に部屋の中へ戻る蓮香。瑞樹に背を向け、彼女は心の中で誓う。
(薄々勘づいてはいたけど、アタシだって譲る気はないわ。正々堂々、勝負よ)
対して、鈍感な瑞樹は蓮香の胸中などいざ知らず、というより自分のことで手一杯で彼女の内なる想いには気づかない。
総一郎の電話が終わり、もう1度部屋で皆して盛り上がる時間があったが、結局瑞樹は最後まで総一郎と言葉を交わすことはなかった。
クラスメイト達が帰ったのは19時くらい。最初はとんだ迷惑な役を引き受けたと後悔していたが、いざ彼らがいなくなって部屋が静まり返ると少し寂しい。
その場しのぎで適当に片付けていた配信の機材などを引っ張り出して、元の配信者の部屋に戻していく。全て終わった頃には、20時を回っていた。
すっかり体力を使い切ってしまった総一郎。今日は配信の予定だったが、あえなく断念することに。
SNS に急遽、配信を休む旨の連絡を投稿する。
気が重い。この頃は学校生活に重心を傾けているため、『筑前煮キング』としての配信活動は疎かになっていた。総一郎も、それは自覚している。
以前はあまり目につかなかったものの、この頃は批判的な意見も散見される。今日の配信中止の連絡にも、既に何件か飛んできている。
「ちょっと人気になったからって天狗になってる」
「20万人達成して配信飽きちゃった?」
「どうせ裏で女をキャリーして遊んでるだけ。人気者は引く手数多だからな」
総一郎に幻滅した者、杞憂する者、そして妬む者。今はもう、前ほど暖かい空気ではない。
たが、それでも総一郎の選んだ道だ。ある程度の環境の変化は覚悟を決めている。
もちろん大多数は『筑前煮キング』を応援するメッセージだ。ただ今までが少なすぎた故に、否定的なコメントが少量でも悪目立ちする。
「さて、明日はなにをしようか」
そんなことを考えている矢先、スマホが震える。
メッセージだ。手に取り、送り主を確認する。
そこには、『杉本瑞樹』の名前があった。
『明日、少しでいいので会えませんか?できれば2人がいいです』
突然の誘いだった。特に文化祭の関係でなにか買い出しなどを頼まれている訳でもない。
彼女の心理を読めないまま、とりあえず総一郎は約束を取り付ける。
『時間はあるが。要件は?』
『それは明日会って話します。では、13時に財津くんのマンションまで行きますので』
(相変わらず変な奴だな。なにが目的か知らないが……)
そして翌日。彼女は13時より少し前に総一郎のスマホを鳴らした。バナー表示には、『着きました』という淡白な五文字。
(本当に来たのか。いったい何の用だ?)
ドアを開けると、そこには少し雰囲気の変わった瑞樹がいた。いつもは黒髪を真っ直ぐ下ろした髪型だが、今日は巻いたりして遊ばせている。ヤケに力が入っている。
しかし私服のセンスはないのかダサい。可愛くデフォルメされた熊が一面にプリントされたTシャツ。そしてカーキ色のパーカーに灰色のジーンズ。
ただ、一式買い揃えたのかヨレやシワは一切ない。
彼女の力の入り方が伺える。
「ど、どうした急に誘ったりして。観に行きたい映画でもあるのか?それとも図書館とか……」
動揺した総一郎は咄嗟に提案するも、瑞樹は首を横に振る。
「少し、歩きませんか?」
「まあ、別に構わないが」
そうして、ぎこちない雰囲気のまま散歩が始まった。2人きりで話す機会は多くなかった為、少し新鮮。総一郎は、楓や蓮香に比べて彼女の情報をあまり知らないことに気づく。
「財津くん、ここで話しませんか」
歩きながら案内されたのは、何の変哲もない公園だった。滑り台にシーソー、鉄棒とひと通りの遊具は揃っているが、子どもの姿はない。
言われるがままベンチに腰掛ける2人。
ここまで来るまでに、瑞樹の様子がいつもと違うことは感じ取っていた。受け身で気が弱く、いつもオドオドしている印象の彼女だが、今は違う。
腹を括った人間の力強さを孕んでいるのだ。
そして次の一言で事態は急変。総一郎の度肝を抜くことになる。
「財津くんが、『筑前煮キング』なんですよね?」
「……え?」
この刹那、2人を中心として間違いなく時が止まった。あんぐりと口を開けて固まる総一郎。彼女は伏し目がちに俯きながら捲し立てる。
「もっと早く気づくべきでした。声も話し方も、キング様の要素は沢山あったのに」
「おい、ちょっと待て。俺は……」
「隠し通そうとしても無駄です。財津くんの部屋に行った時に確信しました。財津くんが、キング様なんだってことを」
言い逃れができないと観念した総一郎は、大きく息を吐いて空を見上げる。
「俺が憧れの『筑前煮キング』で幻滅したか?」
「転校してきた当初の財津くんは、正直嫌いでした。自分勝手で、口調も乱暴で……」
「凄く正直に言うのな。まあいいけどよ」
「でも、今の財津くんは違います。まるで人が変わったみたいです。勉強にも文化祭にも協力的で」
「それは、お前たちのおかげだよ」
瑞樹はずっと合わせなかった視線を上げて、総一郎の瞳を見つめる。彼女は明らかに緊張しており、顔も火照っている。総一郎も息を飲んだ。
「私は『筑前煮キング』が好きです。それに、今の財津くんも好きです」
言葉を失う総一郎。
突然の告白に、返す言葉が見つからない。
風が植木の葉を揺らす音と、虫の鳴き声だけが流れる数秒間が過ぎた。
「涌井さんが教えてくれました。財津くんは皆に好かれるから、気持ちを伝えるのは早い方がいいって」
「アイツが……」
「でも、付き合ってくださいと言っている訳ではないです。『キング様』は私の憧れの存在。私は遠くから見守ることができれば、それでいいんです。ただ、私の気持ちを伝えておきたくて」
「俺も、すぐには返事できない。悪いな」
(まさか告白してくるとは)
『ai』を一途に想っている気持ちは変わらない。彼女の正体を突き止めるまでは心は揺れないと思っていた。
だが今、総一郎の閉ざされた心が瑞樹の言葉によって少しこじ開けられたのだ。
その場は、両者少し気まずい雰囲気のまま解散することになった。そして総一郎の頭の中で、彼女の言葉が繰り返されるのだった。
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