第2章 夏休み編

第15戦【対の記憶】

突然のai との邂逅。走馬灯のように駆ける懐かしい記憶。

そして総一郎の脳内には、当時の苦い記憶も一緒に蘇っていた。

渋い顔をした母親が、表情で圧をかけてくる光景。


「翔真くん、ミニバスの大会で今度東京まで行くんだって。凄いわねえ」


それは遠い日。自身の息子と周りを比較しては嘆いていた総一郎の母親。皮肉を漏らしては、総一郎がシラを切る。財津家の変わらぬ日常。


「それに比べて……」


背を向けてマウスを振る総一郎を彼女は一瞥。それを見る感情は、軽蔑だ。

息を吐くような嫌味に対して返事はない。それがまた、母親の機嫌を逆撫でする。


「なんとか言いなさいよ!」


母親は背後からドカドカと近寄って髪の毛を掴むと、毛根から引き抜くのも厭わない程の力でグイッと引っ張った。彼女は衝動的に感情が昂る時がある。


堪忍袋の緒が切れてヒステリックを起こすと止まらない。詰められる総一郎も必死に弁解するが、彼の言い分は通らないのだ。


「離せよっ……俺だってゲームで頑張るって決めたんだ」

「ゲームのなにが誇れるっていうのよ!あんた、他の子の母親たちからなんて呼ばれてるか知ってるの?」

「興味ないね。あぁ、そう言えばチームの遠征があるんだ。月末から1週間ほど学校を休まなくちゃいけない」


母親のヒステリックに取り合わないどころか、総一郎は次の遠征の予定をサラッと伝えてのけた。しかし、今の母親にそれを許す心の余裕はない。

彼女の右腕の掌が、総一郎の頬を振り抜いた。

バチイッと痛々しい破裂音。総一郎の減らず口も、ここで絶えた。


「学校休んでゲームさせているってバカにされるのよ!プロゲーマーなんて適当に大会に出て賞金を稼ぐのかと思ったら、ゲームの遠征だって?ふざけるんじゃないわよ、今すぐプロゲーマーなんて辞めさせるわ!」


暴走した母親は宣言通り、すぐに誰かに電話で連絡をし始め、キャンキャンと甲高い声で吠え始めた。交渉が上手くいっていないのか、電話口で楯突いているように見える。およそ教育に相応しくない罵詈雑言が飛び交い、場の空気が凍り付く。

そんな我が母親の姿を見て、総一郎は憂鬱な感情が心を曇らせた。


(俺の人生なんだけどな……)



そんな苦い過去の記憶の回想は、突然に途切れた。現実に引き戻された総一郎は画面をスワイプして、ai からの返事を待つ。


芽生えたai への気持ちが抑えきれなかった総一郎はすぐに、通話や会って遊ぶ約束を取り付けようとしたが、それがなかなか彼女は言葉巧みにはぐらかして避けるのだった。


「向こうはもう、今さら俺と話したいなんて思っていないのかもしれないな。まあ、それもそうか。連絡が途切れてから5年……俺からすればとても大切な人だが、過去のネット上の友人という希薄な関係でしかない」


起床してからなにも手につかなかったが、相手に会う気がないと分かると気持ちも少し吹っ切れた。時刻は既に正午を回っている。このまま悶々として1日を無駄にするわけにはいかない。


総一郎はPC の電源を点けて、出前を注文した。


「よし、切り替えよう。今日から約2カ月、勉強からは解放だ。文化祭の準備に呼ばれるのも再来週からって話だし。とにかく今は完全フリーの状態だから、配信頑張らないとな」


学校がある日はいつも決まって夕方から夜の配信だが、この夏休みは勝負だ。昼にも配信することで、同じく休暇中の学生や新規の視聴者層を獲得できるチャンスとなる。


総一郎は自堕落に他の配信者の動画を流しながら、出前で届いた本格インドカレーを頬張るのだった。カーテンの隙間から差し込む夏の日差し。冷房を入れているが、まるで部屋が涼しくならない。外気温は37度。強烈な猛暑だ。


「ったく……暑すぎだろ。だけどずっとダラダラもしていられない。さぁ、食べたら配信だ」


総一郎は食べ終わったトレイを手際よく片付けると、今度は配信の準備をこちらもテキパキと終わらせた。配信のテーマが決まっていない時は、大抵雑談の配信の時間にしている。今日は雑談から少し応用して、視聴者から質問を募りそれに総一郎が答えていく回にするつもりだ。


この頃には、萌依とのコラボに寝坊して炎上した件も随分と鎮火していた。STREAMERカップの件についても、メンバー発表の当日に年齢がバレて辞退となった為、視聴者には間一髪のところで事情が伝わっていない。


配信を始めると、早速悩める視聴者から質問だ飛んできた。


『筑前煮キングさん。僕はいま中学生なのですが、プロゲーマーになりたいと思っています。ただ、ゲームする時間が確保できないので、学校に行かない選択肢を採ろうと思っているのですが親には反対されています。筑前煮キングさんはどう思いますか?』


それは、配信のコメントに来た夢見る中学生からの無垢な質問だった。

総一郎自身も全く同じ道を辿ってきたから気持ちは痛いほど分かる。あの頃はゲームをする時間以外の全てが無駄に思えた。競技シーンで活躍していた頃の総一郎であれば、迷わず質問者の意見に賛同するだろう。


だが今は、力強く首を縦に振ることができなかった。


「俺もこういう仕事してるから、分かる。でも俺は自分の学校生活を思い返してみて、今は後悔していないんだよな。よほどの進学校じゃない限りは、案外両立出来たりする。まあただ、無理は禁物だ。キャパを超えるようなら優先度の低い方を辞めるべきだな。学校に行かないことだって、俺は否定しないよ」


総一郎は質問者の彼に寄り添って答えたつもりだった。

事実、総一郎だって橘高校に編入する前は、高校を退学する覚悟で配信活動に打ち込んでいた訳だ。

これでこの後、質問者の彼がプロゲーマーに専念する道を選んだとしても、それも立派な1人の人生だ。誰にも文句を言われる筋合いはない。


結局この日は久しぶりにゆっくり時間の取れた配信ということもあり、ダラダラと5時間ほど喋り倒してしまった。外はすっかり夕暮れだ。

ただ、配信のコメント欄に『ai』の姿はなかった。


配信終了のボタンを押して、橙の日差しが入り込む部屋にポツンと取り残された総一郎。彼を襲ったのは、強烈な頭痛と倦怠感だった。


(配信している時はそこまで感じなかったが……突然なんだこのしんどさは。所謂、夏バテってやつか?)


ガンガンと頭を金槌で殴られているような頭痛にうなされて、すぐさまベッドにゴロンと横になった。這いながら移動して体温計を奪い取ると、脇に差して目を瞑る。


なかなか体温計の音が鳴らないので嫌な予感はしていたが、見事に的中した。

液晶には39.5 度の文字。インフルエンザでもこれほど熱が上がった記憶はない。

連日の無理が積もって体力が衰えていたのか、ここにきて一気にガタが来た。39度という数字には、思わず苦笑いが零れる。


「しかし、ツイてないなあ。こんな時に限って熱出すなんて」


殺風景な天井を見つめながら、しみじみと感じる。せっかくこれから毎日力を入れて配信をと意気込んでいた矢先にコレだ。ただ幸い、頭痛と発熱が起こっているのみで喉の痛みや咳などの症状は出ていない。風邪を引いた訳ではなさそうだ。


「困ったな、食料なんて備蓄してないぞ。なにか食わないと治らないのは承知の上だが、今のままじゃ歩くことすらままならんしな。……仕方ない、あまり気は進まないが背に腹は代えられん」


総一郎は覚悟を決めてスマホを引っ張ってくると、とある人物に連絡を入れた。


「前にも貸しを作っているのが癪だけど仕方ない。連絡先も前に無理やり交換させられたが、今日ばかりは助かったぜ」


総一郎がとある人物に助け舟を要請すると、力尽きたように眠りについた。

それから2時間ほど経過した時、部屋のインターホンが鳴る。


総一郎がその場から動けず返事できずにいると、来訪者は扉に鍵をかけていないことに気が付いたのか、ガチャッと玄関のドアを開けて入ってきた。


「まさか君の方からお姉さんのことを頼ってくれるなんてね。まあでもお姉さんが来たからには安心、いっぱいお世話焼いてあげるね」


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