第11戦【特別じゃないわ】

「涌井さん、まさか貴女が勉強会に参加してくれる日がなんて!僕は嬉しくて……あぁ、気が狂ってしまいそうです!」


狂喜乱舞する前田。前田の扱いには皆慣れてきたのか、彼はいい感じにスルーされている。


蓮花を崇め奉る前田。蓮花は顎で総一郎を指し示すと、前田を諭した。


「お礼ならアイツに言って頂戴。アタシの憩いの場所に土足でズカズカ踏み込んできたアイツにね」


「お前、言い方ってものが」


彼女の物言いに異議ありと総一郎が反論する。

この2人が増えただけなのに、一気に雰囲気が明るく変わった。

2年1組の教室に新しい風が吹いたのが嬉しくなったのか、感極まった池辺は涙を浮かべていた。


「で、では皆さん。期末テスト全員赤点回避に向けて、今日もお勉強頑張りましょう。私は財津くんと涌井さんに重点的に教えますが、分からないことがあればいつでも聞いてください」


ここで瑞樹の号令。講師役もすっかり板についてきたのか、仕切ることにも抵抗がなくなってきたように見える。

瑞樹は総一郎と蓮花の前に向かい合わせで座ると、大量のプリントを重ねた紙束を差し出した。ぎょっと身体を仰け反らせる総一郎。隣の金髪も同じ反応をしていた。


「先生……まさかこれ全部やれなんてことは言わないですよね?ね?」

「こんなの1年かかっても終わらないわよ」


2人して苦笑いを浮かべていると、瑞樹の檄が飛んできた。


「財津くん、涌井さん。ちなみにコレ、全部今回のテスト範囲です!」


勉強の鬼と化した瑞樹に現実を突きつけられた2人は、思わず顔を見合わせる。


「い、いや~ワクイサン。これからゲームなんかドウスカ」

「い、いいわね!あーベンキョウタノシカッター」


しかしそんな子供騙しの寸劇が使命感に燃える瑞樹に通用するハズもなく、あえなく2人は勉強に取り掛かる羽目になった。


「ま、全部の教科合わせてこの量なので。1教科あたりの勉強量は大したことありませんよ。しかし財津くん、連日の惨憺たる小テストの結果を教えてもらいました。あなた方が、私の最後の砦ということですね。いいでしょう、受けて立ちます!」


教え子との間に筆舌し難いほどの温度差がある。燃える瑞樹。引き気味の2人。


「……杉本さんってこんな感じの子だったかしら?」

「その、なんというか、ペンを持ったら性格変わるんだよ」

「コラッ、私語は慎んでください!まずは日本史のプリントですよ。あ、涌井さん。ここの延久の荘園整理令というのはですね、1069年に後三条天皇が……」


2時間にわたる瑞樹のスパルタ授業を耐え抜いた。拒否反応が出る勉強でも、いざ剣に取り組んでみると時間が過ぎるのが早い。それに、周りに仲間がいる。1人取り組むと気を緩めてしまいがちだが、皆が必死に手を動かしていると、それに触発されて勉強が捗る。


「待って、これ本当に明日もやるっていうの?」

「ああ。期末テストまでの残り1週間、毎日だ」

「信じられないわ……。ちょっとアンタ、アタシのこと連れてきたんだからアイスくらい奢りなさいよ」


校内にあるアイスクリームの自販機の横を通り過ぎた際、蓮花が命令する。

総一郎は、なんでお嬢様のお前に俺が奢らないといけないんだと反論しそうになったが、彼女の家を知っていることは内緒にしておくのが吉だと判断した。心の中で静かに毒づくに留めておこう。


「分かったよ、買って来るから待っとけ」


渋々、総一郎が向かおうとしたところ、瑞樹が両手にアイスを掴んで戻ってきた。


「2人とも、今日は勉強お疲れ様です。集中して2時間も勉強するのは疲れたと思いますので、コレ。私からのささやかなご褒美です」


照れ臭そうに差し出した瑞樹。総一郎は遠慮なく貰おうと腕を伸ばしたが、それに先立って蓮花が腕を左右に振って断った。


「そんなっ、受け取れないわ。あんなに親切に教えてもらってその上アイスまで」

「いいえ、いいんです。私なんかが涌井さんの、クラスの皆のお役に立てるのが嬉しくて。これは私の気持ちですから……」

「俺は有難く貰っておくぜ。お前が要らないなら俺がもうひとつ貰うけど」


押し問答になった彼女たちに終止符を打つべく瑞樹の右手からアイスを奪い去る総一郎。そういうことならと、蓮花も申し訳なさそうに瑞樹の左手からアイスを受け取った。


「せっかくだから今日はアタシも頂戴するけれど、明日からは必要ないわよ。随分と卑下してるみたいだけど、アンタにはこんなモノに頼らなくとも十分魅力があるハズよ」


丁寧に包み紙を剥がすと、コーンの上に乗った抹茶アイスの部分を頬張った。蓮花に褒められて顔が茹蛸の如く紅潮する瑞樹。先の勉強中の勢いはどこへやら、もじもじとして返事の言葉も上手く出てこない。


それを察したのか、蓮花はある忠告をした。


「それと、アタシを特別な存在だと思っているならやめて。アタシだって距離置かれてちゃ、せっかく仲良くなれるものもなれないわよ。皆と変わらないクラスメイトとして接してもらえればいいの」


蓮花の口調は相変わらず高圧的で、棘のある言葉選びをすることも少なくない。

そして彼女の容姿の美しさも相まって、馴れ馴れしく絡みにいける女子生徒は滅多にいない。女子の憧れ、雲の上の存在として例えられる彼女だが、彼女自身その扱いを望んでいる訳ではないのだ。


「う……うん。が、頑張ります」

「もう、ぎこちないわね。本当に勉強教えてる時とは別人だわ」


あまりにガチガチに緊張している瑞樹に、蓮花がため息を吐いて呆れた。

吐いた溜め息を見逃さなかった瑞樹は、ビクッと背筋を震わせる。もしも自分の言動が彼女の機嫌を損ねていたとしたら……そんなことばかり浮かんでしまう。


彼女のそんな悩みを払拭するかのように、蓮花は和やかに笑いかけた。


「アイス、ご馳走様。抹茶を選ぶところが分かっているわね、このお礼はいつかさせてもらうわ。杉本さん……ううん、瑞樹。明日もテスト勉強頼んだわよ」


蓮花は表面上は確かにとっつきにくい性格だが、深く知っていくうちに彼女の本当の顔が見えてくる。曲がったことが嫌いで、情に厚く仲間想い。真っ直ぐぶつかってきた相手に対しては、凄く大切に対応する。総一郎は知っていた。


(アイツ、俺に対しては暴君そのものだが、他の奴には意外と優しい一面を見せるんだよな。あの高飛車な性格と喋り方で相当損してるぞ、まあそれがアイツの良いところでもあるんだけど……)







(両立するとは言ったものの……なかなか堪えるな)


勉強会を終えて帰ってきたら、すぐに配信の時間だ。STREAMERカップもすぐそこまで迫ってきている。今日も萌依さん達と長時間配信をする予定だ。


睡眠時間を極力削って、若さだけで乗り越えてきた。先の勉強会も、クラスの皆や講師役を買って出てくれた瑞樹の気持ちを慮ると、とても寝ることなどできない。


楓に目をつけられてからというもの、外から彼女の姿が見える日は少し遠回りをしてでも別のコンビニへ行く努力をしていた。だが今日は、そんな時間さえ惜しい。


(適当になにか口に入れて配信だ……。しかしヤバいなコレ、配信中に寝たりしないか?エナジードリンク多めに買っておくか)


そんなことを考えながらコンビニの自動ドアに手を翳そうとしたところ、入口に佇んでいた、帽子を深く被った女性に袖を掴まれた。女性は帽子を取ると、ニコッと白い歯を見せて微笑む。


「捕まえた。この頃、お姉さんのこと避けてたでしょ?」


ダボッとしたオーバーサイズのTシャツにスキニー。私服を纏った楓に、総一郎は全く気付くことができなかった。


「なんでいるんだよ」

「ん~?今日はバイト先にちょっと用事があってね。せっかくだから君の帰りも待ってみた、なんて」

「悪いが今日は本当に時間が……」

「じゃあ15分だけ。少しでいいから、お姉さんとお喋りしよ?元はといえばキミが露骨にお姉さんを避けてたのが悪いんだから。ね、だからいいでしょ?」


こうおねだりされては断れないのが総一郎の性格だ。これで、晩飯抜きで配信に臨むことが確定した。2人は並んで歩いて、夜の道をフラフラと徘徊する。


「お姉さん、ママと喧嘩しちゃったんだ。だからまだ家、帰りたくなくて」


しばらくどちらからも口を開くことがないまま歩を進めていたが、ようやく楓が弱々しく呟いた。なるほど、待ち伏せしてまで会いに来た理由に総一郎は合点がいった。


「母親とは、仲悪いのか?」

「ううん、どうだろ。でも、すぐに意見がぶつかっちゃうかな。進路のこととかね」

「……進路のことか。俺と同じだな」

「そうなんだ?そういえば、1人暮らししているって言ってたもんね」


たまに、田舎の母親の顔を思い出す。寝る前、真っ暗な世界に1人だけ取り残されたような感覚に陥ることがある。勢いのまま母親の制止も振り切って飛び出してきたが、果たしてあの時の決断は正しかったのか。今はまだ、分からない。


「俺の母親は、俺のやりたいことに対して否定的だった。でも俺は納得いかなくて、やりたいことを優先して東京まで越してきた」

「凄い。本当に尊敬しちゃう。アタシは、どうしようかな」


空を見上げると、珍しく星が綺麗に輝いていた。夜風が2人の肌を心地よく撫でる。

ふと総一郎が腕時計の時間を確認したところ、当初の15分から大幅に過ぎてしまっていた。


「悪い、そろそろ帰らないと。またいつでも話聞くから、今日はこれで……あれ」


時計から楓に視線を移動しようと顎を上げた途端、彼は激しい眩暈に襲われた。クラッと揺れて平衡感覚を制御できない。止まれと心で願いつつも、身体は言うことを効かない。


総一郎は隣にいた楓の胸元に、崩れ落ちるように気を失ってしまっていた。






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