第10戦【お前も来い】
瑞樹と別れてから、総一郎はマッサージ屋に寄り道していた。
完全予約制で腕がいいと評判のお店だ。いつもの通学路からは大幅に外れるが、多少遠回りしてでも行ってみる価値はあった。なにせ彼の身体は、連日の配信で悲鳴をあげているのだ。
「あぁ……そこめっちゃ気持ち良いですねぇ」
「しかしねえ財津さん。私は初めてですよ、16歳でこんなに凝り固まった身体の人は。いったいどんな生活を送られてるんですか?」
「その、トイレ以外は基本パソコンと向き合ってますね……1日8時間とか。休みの日はもうほんと1日中」
整体師のお兄さんはその異常ともいえる生活リズムを聞いた瞬間、ヒィッとか細い悲鳴のような声をあげた。常識の範疇を悠に逸脱しているのは確かだ。
「ただ財津さん、少しは控えないと。かなり疲れが溜まってますよ。このまま無理な生活を続けていると突然倒れてしまうのも時間の問題です」
「ハハハ……。それは困りますね」
「笑いごとじゃないですよ。とにかく、まだ若いですから生活習慣はきっちり改めてください。顔色も良くない、睡眠もしっかり摂れていないでしょう」
現在の状態を、見透かされたように全て言い当てられた。強く釘を刺されたが、配信者としての立場がある。それでは生活を改めます、という訳にはいかないのが心苦しいところだ。
ただ、至福の2時間コースを終えた総一郎の身体は驚くほど軽かった。流石は口コミで高い評価を得ているだけのことはある。
マッサージ屋さんからの帰り道、外はもうすっかり暗くなっていた。
道中、東京の街では珍しいほどの一軒家の豪邸が、総一郎の視界に飛び込んできた。
しかし、彼が注目したのは豪邸ではなく、その玄関で問答している高校生らしき人物の姿だった。
「あれは……もしや池辺だ。あんなところで、何やってるんだ?」
暗くて分かり辛いが、視線の先には確かに橘の制服を着た池辺の姿があった。
総一郎は彼に気付かれないように忍び寄り、聞き耳を立てる。
(だいたいこの豪邸、誰の家だよ)
目を細めて表札を注視すると、そこには『涌井』の文字。なるほど、話が読めてきた。
つまるところ、池辺と話をしているのは差し詰め涌井蓮花の母親ということだろう。だが、母親と思しき女性の顔は険しかった。
「学級委員だかなんだか知らないけれどね、学校に行くかどうかは蓮花ちゃんにお任せしています。これ以上、あなたと話すことはありません。お引き取りください」
「待ってください、彼女と少しだけでもお話させてください!」
「蓮花ちゃんはまだ帰ってきてません。あの子がどこで遊び歩いてるのかまでは知りませんが、いつも深夜になったらフラッと帰ってくるので心配無用です。それでは!」
「ちょ……ちょっと!心当たりがある場所とか、なにか手がかりは!」
「お引き取りください」
蓮花の母親はピシャリと言い放つと、池辺との会話を完全に遮断して家の中に戻ってしまった。
池辺も必死に食らいついたがそれも虚しく、彼はポツンと玄関の門の前に取り残された。
悲壮感漂う彼の背中に、総一郎は強く心を打たれた。
(池辺、お前って男は凄いよ。一生に一度の高校生活に本気で向き合ってるんだな。『アイツ』のことは……俺に任せろ)
池辺の覚悟を垣間見た総一郎。高校生活にはまるで興味などなかったが、池辺を見ていると青春を放棄するのは酷く勿体ない行為のように思えてくる。
池辺の熱量に応えてやりたくなったのは総一郎の元々の人柄だろう。昔から感情が豊かで、情に突き動かされやすい。
総一郎は自宅へ直帰しようとしていたところを引き返し、心当たりがある場所へ向かった。
マッサージの予約をした時から今日は休息日と決めていた。配信の予定はない。じっくり話し込むにはうってつけだ。
総一郎が訪れたのは、橘高校から1.5キロほど離れた場所にあるカフェ『ハイセンス』。中へ入ると、ビカビカとカラフルな光が歓迎する。ズラッと並んだゲームPC とデスク。ドリンクの注文をしたら、あとは優雅にゲームに没頭できる。
客の中から蓮花の後ろ姿を見つけ出した総一郎は、心の中で拳を握った。彼女の側まで近づくと、肩を叩いて声をかけた。
「……やっぱりここにいたか。この近辺にあるEスポーツカフェなんてここしかないからな」
びくっと身体を震わせた彼女は、総一郎の顔を見て眉間に皺を寄せる。
「なんでアンタがここにいんのよ」
「前に俺のことE スポーツカフェに誘ってくれただろ?」
「フン、アタシの誘いを断っておいて、今度はノコノコ現れたってわけ?で、なによ。まさかアタシと世間話しに来た訳じゃないでしょ?」
足を組んでふんぞり返る彼女の姿は女王様のそれだったが、今日は喧嘩をするのが目的じゃない。総一郎は畏まって姿勢を正すと、蓮花に頭を下げた。
「頼む、学校に来てくれないか?俺からのお願いだ」
脈絡のない申し出に固まった蓮花。
返事があるまで彼は頭を上げようとしない。
それに見かねた蓮花が、懐疑的な目で問う。
「誰の差し金よ。どうせ脅されたんでしょ、アンタを使ってアタシを学校に誘き出そうと……」
「違う。俺の意思だ。お前に、学校に来て欲しい」
「へぇ、なによ急に。嬉しいこと言ってくれるじゃない」
照れ隠しで視線を逸らす蓮花。総一郎は依然、彼女に真剣な表情を崩さない。
些細なヘマで彼女の機嫌を損なうようなことがあれば水の泡だ。池辺の努力も全て。
あくまで下手に出る総一郎に、彼女はとある条件を提示した。
「アンタがそこまで言うなら、別に行ってやらないこともないわ。その代わり、アタシが言う条件を2つ呑んでもらう必要があるけど」
「条件だと?」
「そうよ、まずは1つ目。アンタ、この間は随分と舐めたマネをしてくれたわね。本気の勝負でも手放せないくらいピストルがお好きなのかしら?」
彼女はそう言って非難すると、椅子からだらんと伸ばした脚で総一郎のスネを蹴った。コツンッと、弁慶に見るからに高級な尖った靴先が当たる。
「このッ……!」
「まずはこのアタシに手を抜いたことを謝りなさい。アタシは不義理を働かれるのが一番嫌いなの。肝に銘じておきなさい」
脛を小突かれた挙句に謝らされるのは屈辱的だが、家電量販店の件は彼女の力量を見誤って手を抜いた総一郎が悪い。
痛みが引くまでは蹲っていた総一郎だったが、やがて立ち上がると、抵抗なく頭を下げた。
「あの日は、確かに俺が悪かった。申し訳ない」
「なによ、あっさり謝るのね。素直過ぎて逆に怖いわ。じゃあ次の条件なんだけど」
総一郎は彼女の言葉に神経を集中させて、耳を傾ける。蓮花はモニターを指差した。
「アタシと今からもう1回勝負するのよ。勿論、手加減なしの真剣勝負ね」
「なんだ、それならお安い御用だ。俺が勝ったら、その時は約束は守ってもらうぜ」
「アタシは嘘はつかないわ。何処かの誰かさんと違ってね」
総一郎も蓮花の隣に腰掛けると、ゲームを起動した。マウスの感度を自分のいつもの使用環境に合わせて変更する。今度は言い訳できない。
お望み通り、本気で叩き潰す。
「ふ~ん、本気のキャラピックだ?」
「当然だ。言っとくけど、俺は結構強いからな」
軽口を叩き合っているうちに降下の準備が始まった。降りる場所を決めるのは総一郎。
彼は敢えて他の部隊と降下場所を被せて、降り立った瞬間から戦闘を始めるように目論んだ。ある程度物資の量に差があっても、彼には撃ち勝てる自信があるのだ。
彼の目論見通り。総一郎は最初に拾ったバースト式のアサルトライフル一丁を担いで、単身敵の部隊に突入する。
相手がまだ悠長に物資を漁っている間に、背後から不意打ちで1人。カバーに来るだろうと予測した方向に照準を置いて、顔を出したら正確に撃ち抜く。最後の1人は戦意喪失して背中を見せたので、エイムを合わせて弾を当てるだけ。
誰もマネできないようなキャラコンや、超高感度でエイムを合わせたりなど、動画映えするような派手な視点ではない。
卓越した読みとブレのないエイム。基礎を極めた教科書のような動きをするのが、『Sou』のプレイングだ。
1部隊を壊滅させるのに20秒もかからない。蓮花が駆け付けた頃には、既に戦闘が終わっていた。呆気に取られている彼女に総一郎は薄ら笑いを噛み殺す。
「ちょっと!アタシにも残しときなさいよ。1ダメージも与えられなかったじゃない」
「なに、手加減して欲しいってこと?」
「そんなこと言ってないでしょ。本当に、勘に触る男ね」
額に青筋を浮かべて唇を噛んだ蓮花が睨みを利かす。これは相当焦っているに違いない。
だが、総一郎は素知らぬ顔で銃声の鳴る方向へ走っていく。彼の選んだキャラは移動スキルがあるので、戦地に辿り着くのが早い。いち早く駆けつけては、蓮花の到着を待つ前に片付けてしまう。
そして瞬く間にマッチが終了してしまった。
勿論、最後の1部隊まで生き抜いた。
蓮花は彼の動きについていくのが精一杯で、ダメージレースの勝敗は火を見るより明らか。これが、現役時代に神童とまで称された男の真の実力だった。
「さあ、ダメージは……俺が16キルの3800ダメージか。借り物のパソコンにしては上出来だな。さて、」
神々しく輝く3800ダメージの横には、蓮花の800ダメージが並んでいた。その差、約5倍。圧倒的力の差をまざまざと見せられた彼女は、しばらく言葉が出なかった。
(……しまった、つい熱くなり過ぎた。ちょっとやりすぎたか?)
意気消沈した彼女を見て心配した総一郎だったが、それはすぐに杞憂だと気づかされた。
「本当に化け物ね。アタシだってそこそこ上手い方なんですけど」
「いやいや、上手い方だと思うけど」
「フン、別に嬉しくないわよ。けれど約束は守るわ。なにが望みか知らないけれど、明日は学校に行ってあげる」
「ああ。明日学校に来て、放課後に俺と一緒にテスト勉強をするんだ。クラスの奴等と一緒にな。お前も2年1組の仲間だって、アイツら言ってたぜ」
キョトンと目を丸くする蓮花。彼女がなにか言いたげなのを遮って、総一郎が上から被せた。
「アイツら、この頃ずっと勉強会やってんだよ。1組の絆を深めたいんだとよ。参加していないのは俺とお前だけ。俺も意地張って断り続けてきたんだけどよ、アイツらの熱意に根負けして明日から行くことになってさ」
総一郎は唾を飲み込むと、少し恥じらいながらもハッキリと伝えた。
「だからお前も来い。これで2年1組全員集合だ」
「なによそれ、1人で行くのが怖いだけなんじゃないの?」
「ちっ、違う!俺はお前と一緒に学校生活を送りたくてだな……」
「本当に?アタシ嘘は嫌いって言ったハズよ。信じていいのね、その言葉」
総一郎が頷くと、彼女は勘弁したと言わんばかりに両手をあげて立ち上がった。
「まあいいわ、ゲーム三昧の生活もそろそろ飽きてきたのよね。高校なんて興味ないけど、アンタが楽しませてくれるなら行ってあげるわ」
「俺だけじゃない、クラス総出だ」
総一郎は蓮花と堅い握手で契りを交わし、明日教室で会う約束をして別れた。
(池辺、陽野、前田、そして杉本。迷惑かけて悪かったな。コレが俺にできるせめてもの償いだ。しばらくは配信との両立を頑張ってみようと思う。それで身体にガタがきたら、その時はその時だな)
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