第二章
「ロカ様、なんだか少し逞しくなられました?」
「私も思っていたのよ! 背が高くなられたかしら」
城内の綺麗な女の子たちに呼び止められ、そう突然褒められて、僕は珍しくも照れてしまった。そんな僕を隣で小突くのは、いつも通り、そんな彼女たちの話に加わろうとしているレオだ。「憎たらしいよな。俺はまだ百五十八くらいしかないのにさ」
「あら、私と同じくらいでは? レオ様、小さくて愛らしいですわ」
「小さいは余計じゃないか」
「言われたくって言っているのでしょう、ふふ、まったくもう」
レオと僕を囲んで、女の子たちがこうやって騒いでいることに、僕ももう慣れてしまって、最初の頃のようにもじもじ照れていることもなく、普通にレオを揶揄ったり、女の子たちの会話に笑ったりしている。レオと僕の違いは、率先してそういう場に入っていくか、受け身でいるかだろう。
「ロカ様、身長を図ってみましょうよ。私と背をくっつけて――」
こほん、とその場にいる僕たち以外の誰かの咳払いに、僕はそちらを見て仰天した。メディ様が、こちらを呆れたように見ているのだ!
「申し訳ありません、すこし風邪気味みたいなの。どうぞ、続けてくださる?」
「メディ様、あの、これは」
「それと――ロカ様。背が伸びたのは、私も感じておりました」
「え?」と、僕は唐突なそのメディ様の付け足しに目を丸くした。メディ様はこちらに靴を鳴らして近寄ると、僕と並んで、その細い腕を上げて背丈を比べる。「……本当に。私より背が高くなったのね、喜ばしいことですわ」
「あの、メディ様」
背が低い高いと言っても、一センチくらいしか変わらないようだから、あまりにも至近距離で顔が近付いて、僕はらしくなく顔を赤らめる。女性の前で、こんな風に照れたことなんて、一緒に遊ぶようになって最初の頃くらいしかなかったのに。
「ロカ様、残念です。私は小さなロカ様が好きだったのよ」
メディ様が、そうため息を吐く。僕は「えっ?」と素っ頓狂な顔をしてしまい、なにを言われたのか理解が追いつかない。
優雅に辞儀をして、メディ様は綺麗な笑顔を浮かべたまま僕たちから離れていく。その姿が遠ざかったところで、女の子たちが呟いた。「こわいわね」「笑っているようで、とてもお怒りですわ、あれは」
「まあまあ、ロカ。そんなこともある。今日はこの子たちと遊びにいかないか? お前の好きな観劇でも、美術館でもさ」
「レオ……」
僕はなぜか泣きたくなっている気持ちを抑え、すこし考えた後、自棄になって、レオの誘いを受けることにした。
お忍びとは言いつつ今回は、彼女たちの親の厚意で馬車を貸してもらい、僕たちはカードゲームをしながら観劇に向かっていた。
城下の劇場は、おおかたのところは見知った場所だし、レオとお忍びでうろつくだけあって、今更特別窓から顔をだして町並みを眺めることもない。カードゲームは面白かったけれど身が入らず、僕はこっそり落ち込んでいた。
メディ様から「好きだ」という言葉をきいたのが、あのとき初めてだったのに、「背が高くなって残念」と付け足されてしまったことが、こんなにも落ち込む理由になるのだろうか。そもそも、メディ様を年上だからと線を引いていたのは僕の方だし、いまでもその気持ちに変わりは……あまり……多分……。
レオに嵌められて、独占欲のようなものを晒してしまったことは、たしかにあった。あったけれど、僕とメディ様の関係は、そこから先もなにも変化がなかったのだ。メディ様は美しくて優しくて、本当に年齢さえもう少し近ければ、と思わなかったことはない。十五の僕に二十九の女性なんて、だってそんなのって、向こうからしても有りなのだろうか?
「ロカ様、なにを考えていらっしゃるの? 手元がお留守」
「いや、なんでもないよ。えっと、いまなにしてたっけ」
僕がそう頬を掻くと、彼女はちょっと含んだ笑いをこぼし、「……ロカ様」
「劇場についたら、二人でこっそり抜け出しませんか? 私、いきたいところがあるの」
彼女が耳元でささやく。僕はいつもの癖で、ついレオが僕らの様子に気付いていないか確かめてしまって、メディ様のことで悩んでいるときにさえ、そんなことが無意識にできる自分に、ちょっとだけ嫌気がさした。僕は「え」と驚いた様子は見せず、冷静に「うん?」と笑って小首を傾げて見せる。
「どこにいきたいの」
「あら、言わせる気なのね。もしやこういうことは初めてかしら」
――それで察しがついて、僕は無意識のうちに冷たい目をしてしまう。すぐに、出してはいけない感情が表に出ていると気が付いて、僕は二度瞬きして取り繕うように笑った。「ごめんね。メディ様に怒られたばかりだから」
僕の言葉で、彼女は頬を膨らませる。「とめて」と馭者に命令して、彼女は馬車をさっさと降りていく。そんな彼女を見て、もう一人の女の子とレオは目配せした。レオは僕の隣の隣から、僕の前に座りなおして、「断ったのか? もったいないことをする」
「僕はそういうの、嫌いなんだ」
「変なところがお堅いんだよなあ。花街や遊郭なんか連れていったら、柄にもなく大騒ぎするタイプだよな」
僕たちの言い合いに、一人残った女の子がくすくす笑う。彼女がこちらに身を乗り出すと、紅を塗ったその唇がてかりと光った。「ロカ様、メディ様に謝るのなら、早い方がよろしくてよ」
「え?」
まさか彼女からそう諭されるとは思っていなくて、目が点になる。僕はまごまごしたあと、「……良いんです。メディ様なんて……」
なんて、と強がって、自分の口から出たメディ様への言葉の失礼さに、僕自身が釈然としない気持ちになった。自分でぽろりと「なんて」なんて言っておいて、自分で自分を嫌悪するなんて、僕は本当に器用で馬鹿だと思う。
女の人の勘の鋭さなのだろうか、彼女はそんな僕の言葉とそのあとの後悔に気が付いているようで、「まあ、可愛らしい」と言って笑っている。
僕はその言葉に少しかちんときてしまって、顔を背けて頬杖をつき、城下の街並みに視線を移した。
「拗ねるのは愛らしいですけれど、想い人には伝わらないものですからね、ロカ様」
彼女がそんなことをいうから、僕は手を滑らせて、あわや馬車の窓枠に顎をぶつけるところだった。
王城に戻ったときには、もう夕刻になっていた。僕とレオは慌ただしく城内に入り、あの演目はここがこうだった、役者はあれがああだったなどと言って笑っていた。
そのとき、僕の視界の隅に、正面の螺旋階段を登っているマリア様が映り、僕は口を噤んで彼に頭を下げた。マリア様はこちらを見ても、やはり何も面白くないという顔で、すぐに通り過ぎてしまう。
僕からは、ため息が漏れる。
「マリア様は、嫌に冷たいな」
レオでさえも、僕と同じことを考えていたらしい。その様子を隣で見ていた彼はそう呟いて、僕と、小さくなっていくマリア様を見比べた。「こんなに似ている親子なのにな」
「……やめて。僕とあの人は、親子じゃない」
そう小声で冷たく口に出すと、ますます自分の中で、その嫌な思いが強くなる気がした。
マリア様は、どうして僕にああも冷たいのだろう。にこりと笑うことさえない、話しかけてくることさえ稀――そして僕に話しかけても、機械のように「ミーシャの立場を安定させろ」としか言わないのだ。
……マリア様はきっと、母上しか愛していないのだろう。
「ロカ」
レオは僕に声を掛け、僕がそちらを向くと、白い歯をむき出しにして笑った。「今日は楽しかったな。またいこう。城下に良いカフェもあってさ、今度はそこに――」
レオはレオなりに僕に気を遣っているらしく、そうやって彼はどうでもいいような話題を、いつも以上に楽し気に、ぺらぺらと話した。
僕が相槌をあまり打たないものだから、レオのそれはもうほぼひとり芝居のようになっていたけれど、僕はそのレオの声に安堵する。……今日は、なんだか疲れた。
寝室に戻ろうと、城内――王族の住む東の塔の廊下を歩いていると、庭園で誰かと楽しそうに話しているメディ様を見かけ、僕は咄嗟に柱の陰に隠れてしまった。こんな時刻に、まだ屋敷に帰っていないのかと思うのもそこそこに、その相手に僕の胸がじりじりと焦げる。
メディ様は楽しそうに、最近図書室の司書になったとかいう、丸眼鏡の男と談笑していた。吹き抜けの廊下、その柱の陰からこっそり覗き見たメディ様の様子は、夕空と、花の咲き誇る庭園が背景で、その青年の司書とメディ様の画が、一枚の絵画のように見えた。
まるで、メディ様がよく読んでいる、身分差の恋愛小説のような……対の人形のようにさえ見えてくるその情景に、なぜだか嫉妬のようなものを覚える。そんなのあるわけないのに、と思うのも、もういよいよ無理やりな気がして、でもそんなことに気が付いても、今更、どうなるわけでもない、と自分に蓋をする。
――どうしてこんなにむなしくなるんだろう。
メディ様が「背が伸びて残念だ」と言ったのが、そんなにショックだったのだろうか。たしかに、女の子たちが騒ぐように、僕は最近すこしだけ背が伸びた。十五にもなれば、成長期がくるのは当たり前で、現に僕は、変声期だってもう終えていて。
大人になれば、もうすこし、自分に自信が持てるのだろうか。
きれいで可愛い女の子に囲まれているのは、僕自身、自信がないからだ。この城にいて、次期王太子となっている現状にだって、……誰かに愛される自信さえ、僕には皆無だ。
僕は、五歳までを、出生を隠され片田舎で過ごした。そのときの記憶はとても優しくて、いまでもときどきあの村に帰りたくて涙ぐむことすらある。でもそれは、現実逃避でしかないのだと、僕だってわかっているのだ。
突然、育ててくれていたメリエル様が屋敷に現れなくなったと思ったら、突如マリア様が僕と母上の前に現れて、僕たちを王城に連れていき、「君は次の王候補だ」と言って。そんな激動を、五歳のときに体験し、僕の幸せな幼年期は、本当に唐突に終わりを迎えた。
少年になるまでのこの十年は、まあ幸せだったのかもしれない。いつも泣いていた僕にレオが友達になろうと笑いかけてくれて、そして女の子と遊ぶことを覚えて……帝王学や歴史を学ぶのは、もともと勉学が好きだった僕にはとても楽しいものだったし、経済や数字の勉強も、難なくどんどん次に進めた。
僕は王太子には充分な素質がある、とドグ――元緑旗騎士団長で、いまでは僕の教師をしてくれている――だって言ってくれた。でも。
「……僕は、騎士団に入りたいんです」
――でも、そんな夢を、誰がきいてくれるというのか。
「たくさんのひとに愛される、ライリオン様のようになりたい」
呟いても、後から洩れるのはため息ばかりだった。僕は楽し気に話すメディ様と司書から目を逸らし、そっと踵を返した。違う道を通って、自室に戻ろう。メディ様が、こちらに気が付きませんように。
顔を背けた後だったから、メディ様が僕の姿に気が付いて、こちらを見ていたことを知らないでいた。
「ロカ様、おはようございます」
「……あ、おはようございます、メディ様」
次の日の朝に、メディ様とすれ違い、気まずく通り過ぎようとしてしまった僕に、メディ様が朗らかに声をかけてくれる。――こういうところは、やはりメディ様は大人なのだな、と思う。
「ロカ様、今日は私と西の塔にいきませんか」
メディ様は、僕の袖を軽く掴んでそう言った。僕が「え?」と問い返すと、メディ様は優しく微笑む。「たまにはいいではありませんか、私と出かけるのも」
「良いですけど、メディ様、西の塔になにか用事でも?」
「私、騎士たちを一度見てみたいと思っていたの」
騎士か……と、昨日の今日ということもあって、僕はちょっと寂しいような、悲しいような気持ちになるけれど、そんな僕の心中など、メディ様が知るはずもない。でも、そんな僕の感傷よりも、僕を動かすのは、昨日の、司書と仲良くしているメディ様の姿だった。
あの司書に負けたくない、と思ってしまい、僕は気付くと、「いいですよ。いきましょう」と、メディ様に微笑み返していた。
王城は、東の塔、中央塔、西の塔と、大きく三つに分けられている。
東の塔には王族が住み、中央には謁見室や大広間など、貴族たちが出入りできる場所が設けられている。昨日メディ様がいたのは、東の塔と中央を結ぶ渡り廊下で、司書はもしかしたら、王族の誰かに入手困難な本でも渡しにきていたのかもしれない。
メディ様が東の塔に入れるのは、メディ様は公爵家、つまり王家と親族の家柄の娘だからだ。
西の塔は、「入れる者」と「入れない者」が東の塔ほど厳密には決まっていない。ここは騎士たちの住む場所で、鍛錬所や宿舎などがある。ここに唯一住んでいる王族は、ライリオン様とその一家、つまりローディア様と……いまでいえば、クレオ様もその一員だ。
西には、王族はだいたい、用事がなければ入ることはない。西の塔の歴史を紐解くと、この塔はもともと、王族への謀反を企てた重罪人を捕えていた場所であるから、気味悪がるものが多いのだ。
――だから、メディ様が西にいきたいと言った意味が、僕にはよく掴めなかったのだけれど、それでも、行きたいと言うのなら別に行っても良いかなと思う。
そもそも、僕はちょっと変わっていることに、西の塔が割合に好きだった。
ここに僕が敬愛するライリオン様が住んでいるということと、もうひとつ、騎士がいるからだ。僕は子どものころから騎士に憧れていて、それはライリオン様の武勇伝に憧れていたからで……僕の憧憬のすべては、多分、ライリオン様から派生している。
でも、ライリオン様が謀反人を捕えていたこの塔に住む理由は、歴史の書物を読んだだけの僕には、残念なことによくわからなかったりする。
西の塔は、石造りが立派だけれど、そのほとんどを林に囲まれた小さなところだ。ここに入ったとき、メディ様はとても浮かれた様子だった。話をきけばこうだ――「私、一度西の塔にきてみたかったのよ。お恥ずかしい話ですけれど、ほら、物語でよく出てくるでしょう?」
「王国の騎士って、とても格好いいですもんね」と僕は笑っていたけれど、そのメディ様の様子に、少しだけ違和感を覚えたのは何故だったのだろう。
メディ様が願うままに、騎士たちの鍛錬場にたどり着くと、大勢の騎士たちで活気があるそこの隅で、ローディア様とジンが、いつもの様子で親しげに話をしていた。ジンがまず僕たちに気が付き、ジンに僕たちが来たことを知らされたローディア様が気品のある表情で会釈する。「珍しいお客ですね」とジンが遠慮がちに笑った。
「メディ様が来たいと言ったんだ」
僕が答えると、ジンが目を丸くして、ローディア様と目配せする。「それはまた、珍しい」
ジンの言葉に、ローディア様はなにかくすくす笑っている。このふたりの間にある空気というのは、なんだか仲の良い兄妹のそれだな、と僕は以前からこっそり思っていた。
ローディア様は、この国の国教のトップ、アマリア教会の大司教の次女であり、聖戦後にこの城に幽閉された祈師様の妹君だ。王国との聖戦に敗け、賠償としてライリオン様に嫁いだという背景があるけれど、ライリオン様との夫婦仲はとても良く、それもライリオン様の人柄と、ローディア様の性格の相性が良かったからではないかと僕はこっそり思っている。
一方、ジン――ジン=アドルフは、ローディア様の姉である祈師様を捕えた英雄で、王国軍の勝利はそれで決したも同然だったらしい。当時のことは、まだ生まれていなかったために、僕はよく知らないのだけれど……。
ローディア様はジンの主人であり、ジンはローディア様の護衛騎士としてつけられた、現赤旗の幹部であって、一応とても出世している人物だ。そして、ジンは、あの黄旗の副団長、マルタの主人でもある。
「ジン、ロカ様をライリオン様のところにお通しして」
「はい、奥方様」と、ローディア様にジンが頷く。メディ様の手を軽く引いてエスコートするジンの後ろを、僕はついていった。
西の塔の奥は、いつ来ても、鍛錬場のほうの喧騒と打って変わって、しんと静まり返っている。メディ様はジンと前列に並び、その後ろを僕とローディア様が歩いていた。
僕がメディ様の様子をぼうっと見つめていると、それを見ていたローディア様がちょっと笑った。「ロカ様、穴が空いてしまいそうよ」
「え?」
「私の気が利かなかったみたい。ジン」
前者の言葉は僕に、後者はジンを呼びとめるようにローディア様が言う。ジンが足を止め振り向いたために、メディ様もおなじように止まってこちらを振り返った。ローディア様が、「こちらにいらっしゃい。ロカ様、メディ様をエスコートしてさしあげて」
「まあ……」と驚いたメディ様がちょっと口元を緩めたのと、一連のローディア様の女性らしい気遣いに、僕は恥ずかしくなって顔を赤らめた。「あ、の、僕は」
「ロカ様、エスコートしてくださるの?」
メディ様が僕に近づき、僕の手を軽く握る。そのシルクの手袋を嵌めたメディ様の手は、ジンがエスコートしているときは小さく見えたのに、僕の手と比べると、同じくらいだった。「……なんだか、悔しいです」
僕が小さくこぼした声は、メディ様にはよく聴こえなかったらしく、彼女は小首を傾げる。「え?」
「いえ」、と僕は、メディ様にいまの呟きに関してなにも答えないまま、メディ様をエスコートする役に徹することにした。
ライリオン様の私室兼執務室は、この小さな塔にしては大きな部屋だ。入ってすぐに執務室、その奥に二部屋の寝室があり、この寝室は左側がライリオン様の寝室、右側がクレオ様の寝室だ――クレオ様の寝室は、以前、ローディア様が使っていた部屋だけれど、僕が初めてきたときにはすでに、無人の空き部屋だったのを覚えている――。ジンが、ライリオン様を呼びにクレオ様の部屋に入っていき、ライリオン様がジンと、クレオ様の乳母だろう女性を後ろにつけて出てきた。「ローディア」と、低いけれど優しい声でライリオン様がローディア様を呼ぶ。「クレオは寝ているぞ。顔を見るか?」
「メディ様もおいでなさいな。クレオはとっても可愛いのよ」
嬉しそうに、ローディア様がメディ様を呼ぶ。メディ様も表情を綻ばせた。「良いのですか?」
「ええ。ロカ様も、ほら」とローディア様が僕を呼ぶから、僕もクレオ様に会いに室に入り、広いベッドの中央に寝かされているクレオ様を覗き込んだ。クレオ様の顔はまだお猿のようだったけれど、ローディア様とライリオン様が交互に「ここがどちらに似ている」と説明する。
「そういえば、今日はどうして揃いでやってきたんだ?」
ライリオン様が僕たちに訊ねると、先ほどジンに問われたときと同じように口を開こうとした僕よりも、先にメディ様が笑った。「私が無理を言ったんですの。騎士の鍛錬を見てみたかったのと、クレオ様にも会いたかったから」
メディ様はクレオ様の指に触れる。クレオ様の指は小さく、玩具のような爪がついていて、僕は途端、クレオ様が簡単に壊れそうなものに見えて怖気づいた。そんな僕の畏怖のようなものに気が付いたのだろうか、ローディア様が僕に優しく声をかける。「ロカ様、クレオを抱いてみません?」
「いえ、僕は……」
「頬に触れてみると良い、ロカ」
僕が遠慮すると、ライリオン様がそう言った。僕はちょっと苦笑して、恐る恐るクレオ様の頬に手を伸ばす。人差し指が震えて、それからその滑らかなクレオ様の頬を、指の背で軽く撫でた。――やっぱり、なんだか壊れてしまいそうだ。
「クレオをよろしくな」と、そんな僕を見ながら、ライリオン様が小さく呟いたけれど、僕が振り向いたときには、ライリオン様はもう口を閉ざして、愛しそうにクレオ様を見つめていた。
ライリオン様やローディア様、ジンと別れた頃には、夕空になっていた。暗くなってきた林を、メディ様と二人きりで歩きながら、僕は「メディ様は満足しただろうか」と心配になっていた。騎士を見る、という目的からは遠くなってしまったけれど、でも、メディ様がちらりと言っていたように、クレオ様とも会いたかったのなら……。
「クレオ様、とても可愛らしかったですわ」
「はい。おふたりもとても幸せそうでした」
メディ様の言葉に僕が答えると、メディ様はこちらを見てふふと笑った。夕日が当たったその表情はとても優し気で、何故だか妖しくも見えた。風で木々が鳴っている。「――ロカ様、私はね」
おもむろに、メディ様が切り出す。僕は「はい」と頷いた。
「ロカ様がなにを選ぼうと、それについていきたいのよ。王でも、貴族のままでいるのでも、……騎士になったとしても」
メディ様の静かな言葉に、僕は驚いて言葉をなくす。「え」とか、「あの」とか言って、結局なにも言えずに「……はい」と、再びぎこちなく頷いた。
「ロカ様、昨日仰っていたでしょう。あのとき、ちらりと聴こえてしまって、なんと言ったのだろうとずっと考えていたの。だから、私の早とちりだということにしてください。早とちりで、勝手にロカ様を元気づけようとしたの」
僕は言葉が喉に詰まってしまって、なにも言えない。ありがとうとも、違うとも言えなかった。彼女はあのとき――司書といたときだろう――僕の存在に気が付いていたのか、あのとき呟いた情けない言葉が、彼女に聴こえていたのか、メディ様が今日騎士団に来たいと言ったのは、もしかして僕を元気づけようとして……と様々な疑問が浮かび、同時にいろいろな感情が混ざってしまって、僕の頭の中はどうしようもなく混乱している。「あの……」
騎士になっても、良いのだろうか。
――いや、そんなの、僕にはやっぱり無理だ。
メディ様の言葉は有難いけれど、と僕は頭の隅で冷静になってしまう。体力だとか運動能力だとか、そういう課題も勿論だけれど、その前に、僕の前にあるのは騎士としてではなく王としての道筋だけであり、それを王太子であるマリア様が望んでいるうちは、僕にほかの未来はない。
「王になりたくない」なんて、家庭教師のドグにも、母上にも、レオにさえ――誰にも言えないことなのだ。それを迂闊に呟いて、次期王太子の僕だからこそ婚約したメディ様に聞かせるなんて、本当に、僕は……。
僕は、メディ様にこのことをきかせてしまえば、失望されるのだろう、となぜかそう思い込んでいて、メディ様に「騎士になること」を否定されたら、僕の生きる意味など、ますますなくなってしまうのだろうと、本気でそう考えていたのだ。
メディ様がこのことに、優しい言葉をくれたとしても、それは僕への同情心からで、本当は違うことを考えているのだと思ってしまったのは、感情論だとしか説明しようがないけれど。
でも、メディ様の表情を見ていると、それはもしかして、僕の間違えだったのではないかと思ったのはなぜだろう。メディ様が同情からではなく、もっとほかの、綺麗な気持ちからそう言っているのだと、信じたくなるのは――。
「それもだけれど、私、怒っているのよ、ロカ様」
メディ様が、また唐突に、今度は頬を膨らませた。僕は「え?」ときょとんとしてしまい、いままでメディ様の反応を伺っていたこともあって、僕はいまの状況がよくわからなくなってしまう。メディ様は言葉を続ける。「どうして、司書様と話している私に声をかけなかったのかしら? 私、ロカ様に少し意地悪しようとしたのよ。怒ってくださるかと思ったのに」
「えっ? あの、メディ様、それ、どういう……」
「ロカ様、私にいつも妬かせるでしょう。女の子たちと仲良さそうにして。私がどれだけ胸を痛めて……いえ、私もこんないい歳をして、恥ずかしいわ。恥ずかしいけれど、私は年増だから……ロカ様はこんなにお若いのに……内心とても焦ってしまうのよ」
メディ様が、最初は勢いづいて、あとはだんだん落ち込んで話すものだから、僕は吃驚してしまう。こんなに表情豊かな女性だったのだと思うのと同時に、その話がなんだか嬉しいのに、気持ちがこんなに焦るのは、本当に、なぜなのだろう。「メディ様」
「僕は、早く大人になりたいのです。メディ様に釣り合う大人になりたい」
僕の言葉は、メディ様にとって、思いがけないものだったらしい。メディ様は目を見開いてこちらを見る。僕はいつもの、女性に対してする、「笑いかける」ということも忘れて、真剣な顔のまま言い募った。「僕、とても気が焦ってしまうのです。貴女がほかの男性といるところを見ると、僕となんて違うのだろうと……それが、どうしようもなくこわい。僕は、貴方との歳の差を理由にして、幼い自分が恥ずかしかったんです……」
――そうだ。
そうだ、と思った。僕がずっと、メディ様を倦んでいた理由。
僕はずっと、メディ様の隣に並ぶのに、僕自身が幼すぎることが嫌だったのだ。
だからあの司書や、ジンと並んだメディ様が、僕といるときよりも、随分小さく見えて、女性らしくて、大人でない僕の横に並んでも、メディ様は子どもの僕が恥ずかしいだけなのではと思ってしまって、そんな自己嫌悪と被害妄想で、僕は頭がいっぱいだったのだ。「メディ様、僕は貴女が好きなんだ」
僕は勢いでそう言った後、自分の失言にすぐ気が付きぱっと顔を真っ赤に染めた。メディ様はちょっと間を置いて、はじけるように笑った。僕は「笑わないでください……」と弱弱しく言ったけれど、それもなんだか迫力に欠けてしまっていて、自分で自分を笑わずにいられなかった。
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