volaille -揺り籠の王国

ひなた

第一章

 窓の外から、賑やかな声が聴こえてくる。僕は窓際に椅子を寄せて、外を眺めていた。

 ライリオン様――僕が子どものころからあこがれていた、第二王子にして将軍である伯父上――と、その正室であるローディア様の御子が生まれた祝いだという、騎士たち主催のパレードが行われているようで、赤旗の騎士たちが先導して馬を走らせているのを中心に、出店やらなんやらで人がごった返しているのが、城下に見える。

 思考に耽る時間は好きだけれど、今日ばかりは、その時間をすきだと言えそうになかった。どんどん気持ちが落ち込んでいくのはらしいようでらしくない、と思う。僕の隣に立って、僕のように外を覗くレオは、口角を持ち上げて言う。「ライリオン様とローディア様の子の名は、クレオというらしいぞ」

「俺の名によく似ていると思わないか? おふたりは俺のことがそんなにも好きだったのかな」

「うぬぼれ」

 僕はそう呟いて、深いため息を吐く。レオは失礼にも僕の頭に手を乗せて、ぽんぽんと軽く叩いた。僕のほうが一歳年上のはずなのに、この弟分は本当にかわいげがない。

「うぬぼれなもんか。よくきいていたか? ク<レオ>だぞ」

 クレオ、のレオの部分を強調するレオ――なんだか、自分でもなにを言っているのかわからなくなってくる――を僕は流し見る。レオは僕の隣で、僕がうらやましくなるほどにメリエル様に似ている顔を歪ませて笑っている。

 メリエル・アージー=キングストーンは、僕の一人目の父だ。いや、正確には、メリエル様こそ僕の「二人目の父」なのかもしれない。でも、僕の心情からいけば、間違いなく「二人目」はマリア様だった。マリア・ドルフォン=キングストーン。その名にキングのつくとおり、僕の父上は王の息子であり王太子であって、僕はちょっと複雑な事情はあるものの、間違いなく王太子の息子なのだった。

 そんな僕に比べて、レオの出生はとても簡単だ。レオはアルバ様という隣国の姫君だった母と、我が国の王子であるメリエル様――そう、僕の父上との子で、レオのほうが純粋な王子と言える。メリエル様もアルバ様も血筋ただしく王族で、僕よりレオのほうが優遇されているような気がするのは、きっと気のせいではない。

 実の祖母であるはずの王妃様だって、僕のことを嫌っているのだから、レオがこうやって僕を軽んじているのも、なんとなく道理はわかるのだ。

 まあ、レオが僕を同年代のように扱うのは、いつものことだからどうでも良いけれど……「仲良きことは美しきかな」なんて言いつつ、「まあ、でも、親しき仲にも礼儀ありともいうんだぞ」というのは、僕の心中を察してくれたメリエル様の言葉だ。

 当のレオは、そっぽを向いて女の子を口説いていたから、全く記憶にないどころか、そもそもきいてもいないだろうけれど。

「はいはい、本当にうるさいな、レオは」

 僕がレオを退けるように手を振ると、レオはその黒い瞳を丸くしただけで、そんな僕を一笑した。

 僕はそんなレオに構っていられないほどに気持ちが落ちており、そのなかでも一等の悩み事というのが、自分の生まれというか、僕の二人の父親のうちのひとり、血がつながった、実の父であるマリア様が、僕のことをちっとも思ってくださらない、ということだった。

 僕の母は、娼婦だ。いまはマリア様の寵愛をうけて側室にまで上り詰めたけれど、娼婦であった事実は覆りようがなく、母上をいまだ苦しめている。

 母上は、とても美しい桃色の髪をしており、僕もそれを受け継いでいる。マリア様は母上のその髪色をとても気に入って、だからこそふたりは結果的に繋がることになり、そして僕が産まれたらしい。詳細な理由や経緯こそ、ふたりが話したがらないことと、僕もなんだかそれをきくのが気恥ずかしいこともあって、なかなか教えてもらえないけれど。

 ――なのに。なのに、だ。

 マリア様は、僕を愛してくださらない。娼婦であった母上を、側室に上らせるほどに愛していたのに、僕には微笑みひとつ向けてくださらず、これは言葉が悪いけれど、良いように扱われている気さえするのだ。王になれと言われるのは、マリア様が王太子であるのだから、その子である僕には仕方ないとはいえ、その大きな理由が「母上の立場を安定させるため」だという。

 もちろん、僕だって、僕が王になることで、母上がいまほど苦しまなくて良いのなら、そうしてもいいと思う。だけれど、僕がそうなって、僕になにか良いものがあるのかと言われれば、答えはきっとノーなんだろう。

 これがいまの僕の頭の大半を占めているのも、この、自分の誕生を喜んでもらえている、ライリオン様とローディア様の息子、クレオ様の様子と、娼婦の子ということで、五歳になるまでその存在すら隠されていた僕を比べてしまうからだ。

 そして、もうひとつの悩みは……。もっとくだらないのだけれど、でも僕にはとても重要なことで……。

「ロカは俺にだけ口が悪いんだもんなあ。あ、そうだ、メディ様のことはどうなったんだ?」

 僕が二番目に頭を抱えている地雷を、レオが踏み抜くものだから、僕はつい思い切り嫌な顔をしてしまう。「なんだ、その顔」とレオの目が面白そうに弧を描いた。

「本当にやなやつ」

「もしかして、メディ様に振られたのか? ロカ様ともあろうものが」

「……十四年上の妃って、どう思う、レオ」

 僕がレオの問いに答えずにそう返すと、レオは僕からちょっと離れて顎に手を当て、「ううん? 良いんじゃないか? 大人の女性もまた良し」

 「また良しじゃないんだよ」と突っ込むと、レオは声を立てて笑う。「なんだ、そんなことを気にしているのか。青いなあ」

「年齢的には、僕より君の方が青いんだからね」

「噛みつくなってば」

 レオが僕の肩を強く叩くから、僕は突然のことに顔をしかめた。本当に、僕より力が強いところが、レオの嫌なところなんだ! 僕のほうが歳は上なのに!


 メディ・アール=バースキンは、いま僕を一番悩ませている女の人だった。僕はいままで、好きな子とはなかなかにうまくいってきたと思っている。こちらが告白することばかりだったけれど、僕の出生とは裏腹に、女の子たちは優しくしてくれたし、僕がなにも言わなくても集まって――いや、それはよくって。この話をすると、あのレオでさえ嫌な顔をするから、もうやめておこう。

 そうじゃなくて、僕が言いたいのは……メディ様は、僕の実の父であるマリア様が、僕の正室にと連れてきた女性だった。

 十四年上で二十九歳であっても、僕の親戚、つまり王族だという由緒正しい女性であれば、まあ、マリア様が持ってくる縁談として、充分あり得るものだというのはわかる。

 メディ様は、マリア様の正室であるリディア様の妹君だ。

 リディア様は王太子であるマリア様の正室なだけあって、王家といとこにあたる、バースキン公爵家の娘だった。つまりメディ様も公爵家の次女なのだから、僕のような王太子の息子にあてるのに、都合がよかったのだろう。

 問題は、そう。何度も言うけれど、十四も年上であるということで――それって、僕にとってはすごく大きな、頭を悩ませるようなものであって――ううん、なんで嫌なのかっていえば、ありていに言うのもはばかれるんだけれど……いや、だからこそ僕も、マリア様に、「嫌です」と言えないわけで……

「歳が上すぎる、というのだろう?」

 日の光がさんさんと入る気持ちの良いテラスで、メリエル様と茶を飲む。そこにはもちろんレオもくっついてきていて、レオは自分の父の前だからと、つんと澄ましていた。

「まあ……そうともいうというか……」

 「そうとしか言わないだろ、ロカ」とレオが茶々を入れてくると、メリエル様が――やはりこの二人はとてもよく似ている――そんなレオに冗談を言う。

「まあ、お前であればそれもまた良し、なんていうんだろうけどなあ、レオ」

「あれ、どうしてそれを、父上。もしやどこかできいていらっしゃったのですか?」

 目を丸くしたレオを、メリエル様が笑い飛ばす。「まさか! 俺はトランじゃないからな」

 トラン、というのは、この国の宰相にして青旗騎士団の騎士団長である、トラン=マクベリーのことだ。帝王学と並べて、この国の歴史やいまの官僚たちの名なら、僕だってなんとか覚えたところだ。まあ、そもそも、僕は昔から、騎士や戦い、偉人なんかの逸話がとても好きだったのだけれど。

 トランは、風の噂によると、この王城の監視も一人で行っていて――とはいえ、もちろん衛士というか、騎士はほかにもいる――、王室や騎士たち、官僚たちの心中も覗いているのだそうだ。この噂を流したものは死んだとか、殺されたとか、実はトラン本人が流しただとか……様々な面白い話が飛び交っている。

 まあそれは、あくまで閑話だ。

「それもまた良し、ではないですか、父上? この際はっきり言っておきますが、俺は女性であれば年上でも年下でも好きなのです。ロカだってこんな顔して――」

 レオの言葉を、僕は慌てて遮る。「レオ!」

「若さかな……なんだかお前を見ていると、昔の俺を見ているようで、こう……背中が痒くなるんだよなあ」

 眉間にしわを寄せて目を瞑り、メリエル様はそう低い声で言った。椅子の背に凭れ、肘掛に片腕を置き、もう片方の手は眉間をさすりながら、メリエル様は大きなため息を吐く。「レオはもう少し落ち着きがいるな。ロカを見習え」

「ロカだって大概なんですよ、父上。こいつはこんな顔して、城内の女性陣を誑かしているんですから」

「へえ、ロカが大概か。その話を詳しくきかせてくれ」

 勝手に、僕の恥ずかしい話が、肴になってしまっていることに気が付き、僕は慌てて立ち上がった。その勢いで、テラス用のウッドチェアががたんと一度跳ねる。「僕は用事があるので、失礼します、メリエル様」

「どこにいくんだ? ライリオン様のところ?」

「レオはここにいて。ついてこないでね」

 「はは、仲がいいなあ、お前たちは」とのんびりした口調でメリエル様が茶化してくる。

 レオはどこか嬉しそうに、僕は不機嫌な顔で、同時に言う。「ロカはすぐに照れるんです」「レオと仲がいいなんて……」

 レオと僕が騒がしくテラスを出ていくのを、メリエル様は父親の顔で見ているようだった。その口元や目元のしわが、やわらかい表情を作り出していて、やっぱりこの人こそ、僕の父上なのだ、と思わずにはいられない。本当に、レオが羨ましくって仕方がないよ。

 レオは、アルバ様とメリエル様の間の子であって、今年十四、僕の一つ下の従弟だ。

 黒い髪は両親に似て、その瞳も黒々としており、そこに光がきらきらしている。薄い唇に端正な顔立ちは、いかにも王子らしいのだけれど、問題がひとつ。火遊びが好きなのだ。僕もわりと女の子と遊ぶのは好きだけれど、レオのそれは病気かと思うほどのもので、メリエル様がレオと同じ時分だったときにはこうであったらしい。この親子は本当に、よく似通っているのだ。

 家系図からいくと、メリエル様と僕の関係は伯父と甥に当たる。

 それなのに僕がかたくなに、「メリエル様は僕の父上」だというのは、幼かった僕を育ててくれたのが、ほかならぬメリエル様だったからで、僕の我儘をきいてくれて、泣いていたら励ましてくれて、一緒に遊んでくれて……僕がいま、喉から手が出るほどに欲しい愛情表現を、メリエル様は僕に与えてくれていた。だから育ての父はメリエル様だと、僕は思っている。

 この国には、王子が沢山いる。王位継承権を持つのは、年長順に、ルイヤ様、メリエル様、マリア様、セルフィウス様。第二王子のライリオン様は、その出生ゆえに継承権を剥奪されて久しいそうだから、割愛する。

 この王子たちはやはり特殊で、ルイヤ様、ライリオン様、メリエル様はそれぞれ別々の母君がいて、それはだいたいが陛下の側室だった。正室の王妃様が産んだのが、マリア様とセルフィウス様であり、だからこそ第四の王子であるはずのマリア様の王位継承権が第一位で、マリア様が事実上王太子であるのだった。

「で、どこにいくつもりなんだ? ロカ」

「レオはどこにいきたい?」

 僕が訊ねると、レオはにんまり笑う。今度は同じ言葉で、僕らは声を合わせて笑った。「勿論、城下!」

 僕らは馬小屋に走り、愛馬の手綱をもつ。馬を連れて小屋から一歩外に出ると、そこでリディア様によく似た女性を見かけた。メディ様だ、と思った瞬間に、僕が顔を赤くして目を逸らしてしまったのは、何故なんだろう。なにも恥ずかしいことなんてないのに……。……いや、ないはず……?

「ロカ様、レオ様。どちらへいかれるのかしら」

 メディ様は、彼女らしくのんびりした口調で言う。少し大きめの胸や、細い腰の形ばかりに目が行くのはどうしてなんだろう。赤い髪、赤い唇、白い肌、目じりが垂れている目の形。そういったものは、どこを切り取っても間違いなく美しいのだけれど。

 ――せめて十七くらいであればなあ、と思うのは、情けないことだとわかってはいるんだ。年齢のことを言っても、仕方がないのだし。むしろ、メディ様より遅く生まれた、僕の責任なのかもしれないし……自分でもなにを言っているのかわからなくなるなあ……。

 レオが果敢にも、メディ様に軽薄な声をかける。「メディ様もきますか? 俺の後ろに乗りません?」

「いえ、遠慮しますわ。城下にいかれるおつもりですの? 騎士たちのパレードはもう終わったようですけれど」

「だからこそ、いまなのです。ライリオン様の御子を見に行きたくってね」

 すげなくされても、レオにはどこ吹く風だ。ライリオン様に会いに城下へ、という意味では、僕はなかったのだけれど――第一、ライリオン様に合うなら西の塔に行かないと――レオはそういう風に言い訳して、城下で僕らがしようとしていることを、うまく隠そうとしているのだろう。

 メディ様は、こちらをちらと見る。「ロカ様」、と彼女の柔らかな声で呼ばれ、僕はつい返事をした。「はい」

「楽しんでくるのは良いですけれど、浮かれて女物の香水などつけてこないようにしてくださいね」

 にっこり笑って、メディ様が呪詛を吐く。僕は体が硬直し、はは、と震えながらへたくそに笑い返した。嫉妬とは違う何かを感じるのは、なぜなのだろう。


「そりゃ、揶揄われてるんじゃないか?」

「女物の香水なんて、つけて帰ったことあったっけ……」

 城下で可愛らしい女の子たちと遊ぶため、わざと質素な格好をして馬を走らせようとしていた僕らは、顔を寄せ、メディ様の言葉についてあれやこれや思案していた。「ううん、なんだろう、いつバレたのかな」

「妻がいるって大変なんだな、ロカ」

「まだ婚礼はしてないよ、レオだって知ってるでしょう」

 ふたりで話し合って、ふたり同時にため息を吐く。僕らの似ているところは、こういうところなのだと思う。

 僕らは女の子がすきだ。でも、僕はレオほど大ぴらではないせいか、女の子たちから言わせれば、「どちらかといえば好き」くらいに見えるらしい。本当は大好きだけど、それを顔に出す方法がわからないだけなのだ。知られていないほうがいいことってあるなあと、この件に関しては調子に乗ってしまう。

「あの子、かわいいな」

「どの子? いってくる、レオ?」

 「勿論」と白い歯を見せて、レオは低い階段から立ち上がる。レオが連れてきた白馬が嘶いた。

 僕は、レオが生来の口のうまさで女の子をお茶に誘っているのを眺めていた。その子はかわいいけれど、最近、困ったことに僕は、普通の女の子をあまり可愛いと思えなくなってきていた。あの大人しく本ばかり読んでいるメディ様が、とても整った美しい女性だからだろう。

「そういうところも嫌なんだよなあ」

 ひとり言を呟いて、僕は鼻から息を吐く。ぼうっと座っていると、いろいろなことを考えてしまう。メディ様のことは、嫌いではない。むしろ見たことがないほどに美しいし、大人しすぎるけど優しいし、趣味の話がときどき合うことだってあるんだし――それは大概、メディ様の読む恋愛小説に、歴史上の偉人や地名、伝記なんかがでてきたときくらいしかないのだけれど――メディ様は、「嫌な」とか、「悪い」とかがつくような姫君じゃないのだ。それはわかっているのに、年齢ってそんなに重要なのだろうか。

 頭ではわかっているのだ。でも、僕はやっぱり、まだ遊びたいし、普通の女の子たちとデートもしたい。レオならわかってくれそうだけど、それをメディ様に直談判するのは、最低の行為でしかないことも、なんとなく僕だってわかっていた。

 ――というか、僕はメディ様を嫌っているのだろうか?

 「嫌い」と言い切るには、なんだかそこまで嫌な気持ちもなく、どちらかといえばふわふわと落ち着きのない、なんだかずっと考えていられるような居心地の良さ……のようなものも、感じている気がする……自分で自分が、よくわからない。

「ねえ、レオ」

 僕がおもむろにレオのところへと寄っていくと、レオと話をしていた女の子も僕のほうを向いてにっこりご機嫌取りの笑顔を見せた。こういう笑顔は好きじゃない。

「観劇にいかない? 流行っている演目が見たい」

「唐突だな、まあでもいいよ。あんまり長い時間になるなら、公務でしたほうが席も待遇も良いと思うけどな。まあ、ロカはそういうの嫌いだったか?」

「きらい。僕は仰々しくされるより、町でのんびりしてたいんだ」

 僕が言うと、レオは耳の裏をちょっと掻いて、「それ、口癖だよなあ」

「あ、でももう十六時になりそうだぞ、ロカ。そろそろ戻らないと屋敷にバレる」

 僕たちは、お忍びで勝手に城下にでるとき、王城のことを「屋敷」と呼んでいる。一応僕らふたりとも王子だから、本当ならそれこそ仰々しく振舞わなくてはならないし、きっとこんな風に二人で抜け出していることも問題になるだろうし。

 それが嫌だから、こうして、ほとんど誰にも出かけることを伝えずに城下に下りているのだ。

「あれ?」

 そのとき、聞き覚えのある嫌な声がした。僕とレオはそちらを振り向き、そして同時に真っ青になる。顔を見合わせて、瞬間、走り出す。やばい!

「あっ、待ってくださ……ロカ様! レオ様! おい、あの二人を捕まえろっ」

 声の主、マルタ=ロイジ黄旗騎士団副長が、慌てて連れていた二人の騎士に命令して、僕らを追いかけてくる。立派な鎧を着ているはずなのにマルタは走るのが速く、あっという間に僕は捕まってしまった。レオはマルタより軽装の鎖帷子の騎士ふたりに追いかけられつつも、ちょろちょろと動き回ってなんとか撒こうとしているようだ。

 僕はそんなレオを眺めながら、深い深いため息を吐く。「ロカ様」とマルタが低い声で僕を呼んだ。――最悪だ。

「どうして騎士を一人もつけず、城下にお忍びなど……いえ、あなたのことですから、また女遊びですね!? 女性を揶揄うのはやめてくださいと、俺が何度言ったと思っているのです」

 説教をするマルタに、僕は目を細め、「マルタは経験がないから……」

「俺は愛妻家ですよ! 自分でいうのもなんですけど……って、話を逸らさないでください」

 「とにかく」とマルタは一度区切り、深く息を吸って、「このことはマリア様にきっと報告しますからね」

 「やめて」という僕の悲痛な呟きはマルタに届いていても受け止められることは決してない。

 マルタと僕は、まあ仲が良いほうだと思う。マルタは人付き合いが良く、今年二十八だか二十九だかになる、立派に成人した男なのに、なんだかどこか、僕らに似通っているものがあるというのか……「マルタはいつまでもマルタ」だと、そういえばメリエル様も言っていた気がする。

「そういえば、ジンは?」

 ふと、マルタの主人であるジン=アドルフの姿がないことに気が付き、僕はそう訊ねた。マルタは「ジン様?」と訊き返し、「ああ!」と言って笑った。「いつもいつもジン様と一緒にいるわけにはいきませんよ。まあ、俺はいまでもあの人の従騎士のようなもののままだから、金魚の糞のように見えるのかもしれませんが」

「一応、俺だって官職を持つ騎士なわけですからね。……だからこそ、ロカ様とレオ様を無事に王城に送り届けないと」

 その台詞の最後を言うところで、マルタは口角と片眉を上げて意地の悪い顔をする。こうなれば、僕はもはや心の中で降伏するしかない。

「それにしても、レオ様はすばしっこい」

 僕の腕を掴んだ格好のまま、マルタはレオを追い回す騎士たちを眺めている。マルタが溢した言葉はたしかにと思うようなもので、僕はマリア様に似て運動がまるきりできない自分のことが、ちょっとだけ恥ずかしい気がした。

 ――まあ、勉強はレオより僕のほうができるんだから……。

「マルタ様! レオ様、捕獲しました」

 騎士たちがやっとレオを捕まえて戻ってくると、そんな騎士たちの報告に、レオが不服そうに頬を膨らませた。「捕獲ってなんだよ」

「捕獲ですよ、レオ様は。本当に……騎士になる気はありませんか? 黄旗といわず赤旗にだって入れるかもしれませんよ」

「いやだ。俺は戦に向いてないんだ。それより女の子と遊びたい」

 レオの言葉に、マルタが呆れた顔をする。マルタはほかのことにはとても寛容なのに、こういうことに関してだけ堅物すぎるんだよね……


「別に良いだろ、城下に下りて女の子に声をかけてもさ。囲うわけでもなにするわけでもなく、ただ話して茶を飲むだけだよ。メディ様に言われるような、香水の匂いが移るようなことだって何一つしてないんだし」

「僕はそんなレオを見てるだけです」

「あっ、ロカ、よく言うよ! まあでもおおむねそうか……お前は座ってるだけで女の子が隣にくるんだもんな。本当に羨ましいよ」

 「はいはい、一旦口を慎め、大馬鹿者たち」とメリエル様は首の後ろを掻く。僕とレオは目を合わせて、それからがっくりと俯いた。

「マリアには言わないでおいてやるよ、ロカ。ただミーシャには言う」

「まあ、私はもうここにいて、話をきいているんだけどね」

 メリエル様の横に座っている見事な桃色の髪の、痩せた女性、僕の母が、呆れたものを見る目で僕を見ている。いつも格好の良いところだけ見てもらいたいと思っているのに、どうしてメリエル様は母上の部屋に僕らを連れてきたのか……!

 マルタに連行されるようにして王城に戻った僕とレオは、その場ですぐにメリエル様に引き渡され、そのまま流れるように母上の部屋へと連れてこられたのだった。レオはメリエル様にお小言を言われ、僕は母上にかつてないほど冷たい目で見られてしまい……いまに至る。

「まあ、お忍びで城下に下りて遊ぶくらい、いいんじゃないかとは思うよ。でも見境なく町の女性に声をかけるのは見過ごせない」

「申し訳ありません」

 母上の言葉に、僕は頭を下げるばかりだ。メリエル様に絞られたばかりのはずなのに、レオはあっけらかんとしていて、そんな母上と僕に言った。「ロカが落ち込んでいたから、気晴らしだったんですよ、ミーシャ様。今回ばかりは許してやってください」

「レオ、お前は黙っていろ」

「だって、父上。父上も事情は知っているでしょう? ロカがメディ様のことでこんなに悩むくらいなら、彼女は俺の正室にしましょう」

 「レオ!」と僕は驚いてレオを鋭く牽制したけれど、レオにはまったく通じない。いや、僕が言いたいことも、その場の空気が凍ったことも、きっとレオは気が付いている。

「メディ様が年上なのが気に食わないんだろう、ロカ。俺はあの方は美しくて気も利いて、最高の女性だと思う。年がどうしようもないと言うのなら、俺がもらいたいよ」

「――物のように言うな!」

 血相を変え、カウチを蹴って僕が立ち上がる。その勢いでテーブルまでも蹴ったせいで、大きな音を立ててカップが倒れ、中にわずかに残っていた紅茶がこぼれてテーブルクロスに大きな染みを作った。僕はそれよりも、あんまりなレオの言葉が頭にきてしまって、母上に謝ることすら頭から消えていた。

 激昂する僕を見ながら、レオは不敵な笑みを浮かべている。「なにを怒っているんだよ、ロカ。嫌いだいやだと何度も言ってたんだから、すぐに了承するのが筋だろう」

「なにが筋だよ! メディ様は僕の妃だぞ!」

「僕の妃?」

 レオに言葉を繰り返されてから、僕ははたと気が付く。それから自分の失言にみるみる顔を赤くして、「あ」や「いや」とよくわからない声を発したあと、そのまま恥ずかしさに俯いてしまった。一瞬場が静まり、それからレオがはじけるように笑い出す。僕はレオの真意にやっと気が付き、恨みごとをいう。「謀ったな……」

「まあ、これで悩みはひとつ、解決しただろ?」

 レオが得意げに胸を張るのを見て、メリエル様が面白そうに顎をさすっている。「これは、マリアに伝えとかないとなあ」

 「この国の王子たちは、本当に」と母上が呟いたけれど、その言葉の意味が簡単に知り得たとしても、絶対に知りたくないな、と僕は羞恥に染まる頭の隅で思った。

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