第四話



 姿が見えなくなるまで見送って、少年は視線をそれとは反対側の森に移す。暗がりで身動きが取れない状態で地べたに這いつくばっている醜い姿の妖鬼は、近づいて来る足音にガタガタと震えだす。


 それ・・はひとの姿に似ているがどこか歪で、耳が尖っていたり、大きく裂けた口には牙が見えた。漆黒の瞳は左右大きさが違い、身体も少年と同じくらいだが、手が異様に長かった。


「お前は誰の命令であのひとを狙ったのかな?」


 地面から離れられず這いつくばっているのは、呪縛符で身体の周りを覆われているせいだろうが、それ以前に両足を潰されているせいでもあった。


 無明むみょうを霊泉に突き落としたその瞬間、目の前の少年に両足を潰され、呪縛符を付けられた挙句、邪魔だとばかりに森の方へ思い切り蹴飛ばされたのだ。


 それはたった数秒の出来事で、その後はそのまま霊泉に飛び込んで行った。


「わ、悪かった! ただの悪戯だよ! あんたの獲物だなんて知らなかったんだっ」


「あっそ。そんな理由じゃ生かした意味ないね、」


 横笛に口を当てようとした少年を制止するように、慌てて妖鬼が「待った!」と叫ぶ。


 しかしそんなことは気にも留めずに笛の音が響き渡る。美しくも異様な音色に合わせて、妖鬼の身体の内側からぼこぼこと皮が隆起し始める。


 声にならない醜い声を上げ、苦しそうに妖鬼は地べたを右へ左へと転がり出す。


「い、言うからっ! ····や、やめっげぇっ!?」


 舌をだらしなく出した状態で、血を吐き出す。音が止んだことに安堵して、はあはあと息を整える。


「こ、黒衣を頭から被ってたから、顔は見ていない! 脅されて仕方なく、」


「へー。で? ねえ、まさかそれが答えだなんて言わないよね?」


 ひぃっと妖鬼はその冷たい嘲笑に思わず悲鳴を上げた。暗い森の中に二つの金眼が光っているように見える。


 金眼の鬼はこの世にただひとりしかいない。数少ない特級の鬼の中でも、特に厄介な存在。


 それ以下の級の妖鬼たちにとっては最恐最悪の鬼。その通り名さえ呼ぶことを赦されない、格上の存在だった。


「あれは、烏哭うこくの連中に、違いないっ! 逆らえなかったんだっ」


「それも答えになってないよ。つまりは解らないってことでしょ」


 甲高い音が鳴り響いた後、潰れたような声と共に、妖鬼の身体は内側から破裂し、バラバラになった血肉が地面に広がった。


 少年を避けるように飛び散った血はどす黒く、貼りついていた呪縛符だけがひらりと宙に舞い、血の海にそのまま落ちた。


「まあ、そうだよね。あのひとが目覚めたのなら、一緒に眠っていたあいつが目覚めていもおかしくない、か」


 けれどもそれならば、自分が解らないはずがない。少年は青年の姿に戻り、くるくると横笛を器用に回しながら考え込む。


(····だがおかしな話だ。あの仮面は霊力を抑えているから、それだと解るわけがない)


 そうなれば、答えはひとつしかないだろう。


(この紅鏡こうきょうの地に、しかも金虎きんこの一族の中に、あれと通じている者がいる)


 生まれた時近くにいて、仮面を付けていることを知っている者。


 そこまで考えて、首を振る。時期尚早だ。あれであるという事実も、烏哭うこくの一族が関わっている事実もない。


 青年は森を後にし、渓谷の方へと足を向けた。



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