1-10 ふたりだけの戦い


「これはものすごくよくないかも」


「この状況、どう見てもよくないだろっ!」


 いつもの賑やかしさもなく、珍しくここまで無言だった無明むみょうが、初めて口を開いた。なにかを察したように、真面目な顔で見つめてくる。


璃琳りりんはここから離れた方がいい。これを、」


 袖から符を取り出し、ふぅと無明むみょうは息を吹きかける。すると黄色い符が緑色の仄かな光を帯び、璃琳りりんの胸にすっと貼りついた。


「絶対に、剝がしちゃだめだよ?」


「だ、大丈夫なの?あんな数、ふたりだけでなんとかなる数じゃないわっ」


 震えた声で璃琳りりんは小声で叫ぶ。


「幸い、明日の奉納祭のために各一族の公子たちや宗主が、紅鏡こうきょうに集まってる。お節介な誰かが、騒ぎに気付いて来てくれるのを願うしかない。それまでなんとか持ち堪えてみせるさ」


 落ち着かせるように璃琳りりんの肩をそっと抱いて、竜虎りゅうこは頷く。


「お前は無明むみょうの言う通りここから離れろ。ゆっくり、急いで、だ」


「大丈夫。竜虎りゅうこは俺が守るし、璃琳りりんも俺の符が守るから」


「や、約束よ! 絶対、ね」


 ふたりが頷くのを確認してから、決心したように璃琳りりんは背を向け、灯を消して速足で駆けて行く。


 それを背にしたまま見送り、竜虎りゅうこは左手をぐっと目の前で握る。右手の中指と人差し指を立て、まるで見えない剣の刃を這わせるように横に、すっと素早く払った。


 すると、なにもなかった空間から白銀の刃と柄が現れ、手の中にしっかりと収まった。霊気の宿ったその剣は、霊剣と呼ばれるもので、人によって全く異なった姿形を取るという。


 竜虎りゅうこのそれは細身の霊剣で、王華おうかと名付けられていた。


璃琳りりんにはとりあえずああ言ったが、勝算はあるんだろうな?」


 霊剣を構え、今にも飛び掛かってきそうな殭屍きょうしの群れを前に、視線を向けずに無明むみょうに問いかける。


「考えるより動け、だよ!」


 その言葉がまるで合図だったかのように、殭屍きょうしたちが一斉にこちらを向き、瞬く間に距離を詰めて飛び掛かってきたのだ。


 無明むみょうは腰に差していた横笛を、指を使って器用にくるりと回転させて口元に運ぶと、仮面の奥で眼を閉じ、ふっと笑みを浮かべた。


 途端に、甲高い音色が鳴り響き、殭屍きょうしたちの足元が大きな音を立てて陥没した。


 突然上から大きな力で圧し潰されているかのように、身動きが取れなくなったその十数体のすべての殭屍きょうしが、重力に抵抗するように、皆揃って曲がった身体をぐぐっと起こそうとしている。


 奴らは身体が軋もうが、折れようが関係ないのだ。目の前にある肉を喰らうという、ただひとつの本能のまま、動こうとする習性があった。


 しかし、笛の音はそれを許さない。横笛の穴を指先が目まぐるしく動く。


 それはまるで、目の前に嵐が起こっているかのような荒々しい音色で、時折耳障りな高い音が混ざって奏でられた。その度に陥没していく大地を見れば、その霊力の強さを思い知らされる。


 竜虎りゅうこは、圧し潰され続けて動けない殭屍きょうしを、外側から霊剣を薙いで次々に倒していく。


 笛の音が止んだ頃、無理だと思われたあの大量の殭屍きょうしは、すべて調伏ちょうぶくされ灰と化していた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る