第二章 邂逅

2-1 旅立ちの朝



 翌日。


 竜虎りゅうこ姜燈きょうひに何度も、それは耳に胼胝たこができるほどしつこく念を押された。


「いい? なにかあったら必ず知らせを飛ばすこと。無謀なことはしないこと」


無明むみょうが馬鹿なことをしないように眼を光らせること、でしょ。何度も聞いたから大丈夫だよ、母上」


 そもそも普段の無明むみょう姜燈きょうひが思っている何倍もまともだ。


 さすがに他の一族の前でいつものあれ・・をすることはないだろう。白群びゃくぐんの公子とはいつの間にか仲良くなっていたし、今更れ者になる必要もない。


「兄様、気を付けてね、」


 璃琳りりんは心配そうに眉を寄せて、竜虎りゅうこの両手を取って別れを惜しむ。確かに寂しくないわけではないが、今は好奇心の方が勝っていた。


璃琳りりんも元気で。無明むみょうのことは心配いらない」


 最後の方は耳打ちするように小声で伝える。べ、別に! 心配なんてしていないわっ! と璃琳りりんはあからさまに動揺して声を荒げた。


 無明むみょうも今頃、同じように藍歌らんかと別れを惜しんでいることだろう。


竜虎りゅうこ、これを持って行って? 怪我をしたら使うといい。傷に良く効くはずだよ」


 あの一件で少しやつれたように見える虎珀こはくだが、いつものように微笑んで、貝殻でできた薬入れと薬草を詰め込んだ袋を手渡す。


 ありがとう、と竜虎りゅうこは頷く。大変な時なのに自分のために用意してくれたのだと思うと嬉しかった。


 それに比べて血が繋がっている方の兄の姿はない。自分のことなど眼中にないのだろう。


「戻ってきたら、虎珀こはく兄上の力になるから期待して待ってて」


 母に聞かれないように小声で伝えると、虎珀こはくは首を振った。


「こちらのことは気にしなくていい。君は君のために頑張って」


 竜虎りゅうこ虎珀こはくらしいと思いながらも、心の中で最初の誓いを叶えられるように精進しようと決める。


白群びゃくぐんの方々を待たせても悪い。竜虎りゅうこ、私からは、昨夜の内に十分言葉は送ったから必要ないだろう。しっかり学んで来なさい」


「はい、父上。では、行ってきます」


 前で腕を囲って丁寧にゆうし、深く頭を下げる。


 顔を上げ、地面に置いていた荷物を持ち、そのまま見送りに来てくれた者たちに背を向けると、無明むみょうの邸の方へと歩を進める。若い青年の従者が、その後ろをそそくさとついて歩く。


 飛虎ひこたちが見えなくなった頃に、その従者が恐る恐る竜虎りゅうこに声をかけてきた。


「······あ、あのぅ、竜虎りゅうこ様?」


「どうした? なにか忘れ物か?」


「い、いえ! あの、わ、私がどうしてお二人の付き人になったのか······なにか聞いていますか?」


 若い従者は正直、昨夜から何かの間違いであれと思っていた。同じく邸で従者をしている親には、年甲斐もなく今生の別れとばかりに泣きついた。


 夢であれと願ったが、朝になり、現実だと思い知らされる。竜虎りゅうこはまだしも、あの第四公子も一緒となれば、毎日頭を悩ませることは間違いない。


 金虎きんこの一族の従者となって早十五年。


 幼い頃から仕えてきて、なんなら竜虎りゅうこ無明むみょうが赤ん坊の時から知っている。ふたりより八つも年上だが、公子と従者の立場なので、習性でどうしても恐れ多いと委縮してしまう。


「俺もよくは知らないが、あいつが指名したとかなんとか?」


「······え? あいつとは、その、無明むみょう様、が?」


 従者は露骨に顔を歪めた。確かに、奉納舞を舞った姿に心を奪われた。


 だがその後の彼は、いつもの彼だった。美しくても、間違いなく彼だった。朝餉を届けに行った時も、夕餉の時も、いつもの彼だった。


 あれが常に繰り広げられるとしたら、いつ我慢の限界が来て発狂してもおかしくない。


「お前は確か藍歌らんか夫人たちの従者だったろう? 指名されるなんて、よほど気に入られているんだな、」


(そんなはず、ないです······だって、いつもなるべく顔を合わせないように、関わらないようにしていたというのに、)


 前を歩く竜虎りゅうこをよそに頭を抱え、従者はとぼとぼと後をついて行く。心なしか足取りは泥沼を歩いているが如く重い。


「そういえば、名前を聞いていなかったな」


「は、はい。私は、清婉せいえんと申します」


 腰を深く折り、頭を下げる。

 金虎きんこの従者が纏う黒い衣。背は竜虎りゅうこより少し高く、二十三歳にしては頼りなさげな性格。童顔だが顔はそこそこ整っている。


 日頃の従者としての習慣で、竜虎りゅうこに対してはどうしても腰が低くなってしまう。


「これから迷惑をかけるかもしれないが、よろしく頼む」


「はい! あ、いえ! お気になさらず」


 あわあわと清婉せいえんは首をぶんぶんと横に振った。そして見慣れた邸が近づいて来るにつれ、再び気分が鬱々としてくる。


(はあ······これからどうなってしまうことやら)


 不安しかないこの旅路。そんなことなど露知らず、聞き馴染みのある声が響いた。


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